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20 février 在中国中央电视台的[足球之夜]上登了我的文章!(中国中央電視台の「足球之夜」に自分の特集記事が載りました!)请看看2009年2月号的中国中央电视台[足球之夜]杂志版!!在那个杂志上登了我的故事、而且是四页很大規模的!! (中国中央電視台の「足球之夜」の2009年2月号をぜひ見てみて下さい!その雑誌の中に、自分の特集記事が4ページも掲載されました!) 非常感谢中国!!(ありがとう中国!!) 非常感谢中国中央电视台!!(ありがとう中国中央電視台!!) 非常感谢足球之夜!!(ありがとう足球之夜!!) 非常感谢Ray先生!!(ありがとうRayさん!!) 最后非常感谢足球!!(そして最後に、ありがとうサッカー!!) 我很感动很高兴!!(とても嬉しいし、感動しました!!) 1 octobre 新ブログ!新的部落格!New Blog!nuevo blog!新ブログ!新的部落格!New Blog!nuevo blog! ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ http://ameblo.jp/chanchakorinmanyoji/ ホンジュラスに初めて上陸してから今日までの「3年間」、「Windows Live」のブログを続けてきましたが、この度、特に深い理由は無いのですが(笑)、ブログを移動いたしました!! これからも引き続き、我がブログをご覧になって下さいますよう、ヨロシク、ヨロシクお願い致します!! それでは、こちら→「http://ameblo.jp/chanchakorinmanyoji/」で、またお会いしましょう!!待ってま~すっ!! 8 septembre 北京オリンピック開幕セレモニー! 全ては、「ホンジュラス」のために…。
<2008年8月8日(金) 「ホンジュラス 0-3 イタリア」の翌日>
この日は「北京オリンピック開幕セレモニー」…。ホンジュラス人観光客やホンジュラス・メディアたちは、秦皇岛から北京に行き、「オリンピックの雰囲気を少しでも味わおう!」というツアーに参加しました。
それに僕も急遽、帯同する事に…。
実は、前日の試合(イタリア戦)もそうだったのですが、中国語とスペイン語が両方、話せる人物がいないため、僕がホンジュラス人と中国人の間に入り、通訳やその他、手助けをする事になったのです。「ホンジュラスへの恩返し」のために中国入りしている僕は、率先して、喜んでこの役を引き受けました。
スタジアムでは、例えばホンジュラスのラジオ局が中国人の観客に対して、「今日のホンジュラスの試合はどうだったか?」などとインタビューを行う際、僕が通訳を務め、コミュニケーションの手助けをしました。
この日のツアーも、一応、中国人のガイドは居たのですが、スペイン語が話せないため、「Yoji、ぜひ我々に帯同して、手助けをしてくれ!」という事になり、僕もホンジュラス人たちと共に、北京へ行く事となったのです。
※ やっと北京到着!(秦皇岛から凄く遠い…) バスから見える、「鳥の巣」。今夜、ここで開幕セレモニーが行われます!(チケットが無いため、入場はできません)
※ 久々にやって来た「天安門」!!留学時代以来…実に4年ぶりくらいか…。相変わらず、何もかもデカイ!!ちなみに服が濡れてるのは、ペットボトルの水をこぼしてしまったためです。(この写真撮影の直前、「特ダネ」の小倉智昭キャスターを目撃しました。普通に天安門の前を歩いていました…)
※ さすが、北京オリンピック開幕セレモニー当日!盛り上がる北京市民!(おいっ!) また「眠れる獅子」かい…。
約20人のホンジュラス人たちを引き連れて、北京の街を歩き回ります。ちょっとした事でも、「Yoji、助けてくれ!」とお呼びがかかる…。例えば買い物1つとっても、言葉の分からないホンジュラス人にとっては、非常に大変な事なのです。僕にはその「大変さ」がよく分かるので、快く手助けしました。
もちろん、破天荒なホンジュラス人ですから、時には無理な要望もしてきて、対応に疲れる事もありました(中国人も破天荒ですから、「ダブル破天荒」です)。しかも、「中国語」も「スペイン語」も、どちらも僕の「母国語」ではありません。知識も足りない…。時々、頭がこんがらがりました(笑)。…しかし、「恩返し」と考えれば、不思議なもので、これが全く苦にならないんですね~。少しでも「ホンジュラス」のためになれるのなら、こんなに光栄な事はありません。
※ オリンピック期間中は、中国人女性の間で、このように髪に中国国旗を挿すファッションが流行(?)していました(多数目撃)。
そして、僕のもう1つの「使命」…
「ホンジュラスという国を世界にアピールし、広める架け橋になる」
北京の繁華街を、ホンジュラス人を引き連れて歩いてる時…。中国国旗を持った可愛い中国人の子供が目に入りました。僕は、その時、丁度ホンジュラスのユニフォームを着てホンジュラス国旗を持って歩いていたホンジュラス人に対して、「中国人の子供と一緒に写真を撮ろう!」と薦めました。
そして実際、ホンジュラス人とこの子が一緒に写真を撮る事になったのですが…。
「ホンジュラス」があまりにも珍しかったのか、繁華街を歩く人々の注目の的となりました。そして、瞬く間に大勢の人だかりに囲まれて…
「私とも一緒に写真を撮ってくれ!!!」
…と、数え切れないほどの群集が押し寄せてきました。その人だかりが、どれほど凄かった事か…。囲まれたホンジュラス人、曰く…
「まるで、(人だかりが)万里の長城のようだった」
「ホンジュラス」が一躍、大人気となり、大変な騒ぎとなりました!!止まる事なく押し寄せる群集…。「私も!」「俺も!」「あたいも!」「ワシも!」「おいどんも!」「やきいも!」…と、みんなが一斉に写真撮影をせがんできます。…しまいには、ベネズエラのTV局までやって来て、ホンジュラス人に対してインタビューまで始めるなど、全く想像だにしなかった、とんでもない事態に発展してしまいました。
※ ベネズエラのTV局までやって来ちゃった!!大騒動!!(ちなみにベネズエラはホンジュラスと同じ「中南米・ラテンアメリカ」。公用語も同じく「スペイン語」です)
その様子を外から眺め、写真撮影や通訳、その他を手伝っていた僕は、非常に感慨深い心境になりました。だって、「中南米一の貧困国」と言われ、世界ではただの小国に過ぎない、マイナーな「ホンジュラス」が、今、こうして人々の注目を集めている…。脚光を浴びている…。
「ホンジュラスという国を世界にアピールし、広める架け橋になる」
…という「使命」を、僅かながらですが果たせたと思い、本当に嬉しくなり、込み上げてくるものがありました(涙)。注目を浴びた彼(ホンジュラス人)自身も、凄く喜んでいました。「ホンジュラス」という国にとっても、非常に意義のある出来事でした!!
※ 可愛い、中国人の子供。…ってか、野次馬たちはまだ写真、撮ってる!!(笑)
こうして1日中、北京の街を歩き回り、時には大群衆に囲まれ、あっと言う間に「北京オリンピック開幕セレモニー」の時間となりました。
スタジアム入りできない人達のために巨大スクリーンが北京の街に設置されており、そこでセレモニーを見届ける事となりました。
その後はメキシコ料理屋に移動し、酒を飲みながら「入場行進」をTVで見ます(僕は酒が飲めませんが、テキーラを飲まされました)。もちろん、みんなのお目当ては…
「ホンジュラス」!!!!!
今か、今かと待ち望みますが、なかなか「ホンジュラス」は現れません。ホンジュラス人の間では、「ホンジュラスの行進は省略されてんだよ」…などという、諦めの声も聞こえてきました。日本人には信じられないかもしれませんが、いかんせんホンジュラスはマイナーな小国であり、本当に「ひょっとしたら行進がカットされてんじゃないか!?」と、みんな不安になったのです。
しかし…。
ついに出てきた、「ホンジュラス」!!!!!
※ 「ホンジュラス美人」も出てきた!!(何か、各国に1人、メチャクチャ「美人」が紛れ込んでなかったですか!?)
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
僕を含め、ホンジュラス人全員から雄叫びがあがります!!
そして…
「パチパチ、パチパチ、パチパチ、パチパチ、パチパチ!!!!!」
何と、この時、メキシコ料理屋に居た他のお客さんたちが一斉に、ホンジュラス入場の際に歓迎の拍手をしてくれたのです!!!(ちなみにアメリカ大統領ブッ○ュの映像が流れた際は、みんな、大ブーイング!!)
「ホンジュラスという国が、全く関係のない他国の人たちからも、こんなにも応援され、こんなにも歓迎されている…」
これには、本当に感動し、思わず涙が出そうになりました…(涙)。それは、自然と心の底から湧き上がってくる感情でした。他にも僕が行った事のある国々がたくさん入場してきましたが、ホンジュラスの時ほどの感情は湧き上がりませんでした。やはり僕にとって、ホンジュラスは特別です…。改めて、僕の「ホンジュラス」に対する「想い」を、自ら再確認させられた瞬間でした。
…こうして、素晴らしいツアーを終え、再び北京から秦皇岛に帰ってきました。秦皇岛に到着した際、すでに時計の針は「早朝4時」を過ぎていました。1日中、ホンジュラス人と共に北京の街を歩き回り、通訳などの手伝いを行い、疲労は確かにありました。しかも、「8月4日」に「この国」を旅立ってからここまでの4日間、あまりの「ドタバタ劇」&ハードスケジュール過ぎて、ほとんど睡眠がとれていない…(「踊る大捜査線」の青島状態)。
それに、「ホンジュラス五輪代表チームを助ける」という目的で、「この国」から2日間かけて遥々、中国入りしたのに、「北京五輪オフィシャルIDカード」が無いため、彼らに帯同する事さえできない…という状況は、当然、僕にとっては不本意なものです。
しかし、「ホンジュラス五輪代表チーム」を助ける事だけが、「ホンジュラスへの恩返し」ではありません。この日、「ホンジュラス」という国が他国の人達からも温かく受け入れられる光景を目の当たりにし、そして僕も僅かながらその力になれた…。僅かながらホンジュラスに「恩返し」できた…。
僕の心はとても晴れやかでした。
気持ち良く、笑みを浮かべながら眠りに就きました…。
つづく
27 août 北京五輪サッカー初戦!! <ホンジュラスVSイタリア>
<2008年8月7日(木) ホンジュラスVSイタリア >
「北京五輪オフィシャルIDカード」が無いため、ホンジュラス五輪代表に帯同する事はできません。しかし、この試合を観戦するために遠い遠いホンジュラスから訪れたホンジュラス人サポーターやメディアたちと共に、闘う事となりました!!
※ 中国・秦皇岛の街をホンジュラス人サポーターが行く…。おそらく、このような光景は、もう一生、中国ではお目にかかれない事でしょう…。
※ 韓国人サポーターと共に…。ホンジュラス人サポーターは珍しいからか、どこでも大人気でした!!
※ 巨大ホンジュラス国旗!!!
※ ホンジュラス人サポーターと共に観戦!!
※ ついに選手、入場!!!!!(青がイタリア、白がホンジュラス)
※ ホンジュラス国歌斉唱!!!思わずジ~ンときました…(涙)。
※ 円陣!!さあ、キックオフじゃ!!いったれ、ホンジュラス!!
前半、試合開始早々…。ホンジュラスの動きは硬く、イタリアに立て続けにチャンスを作られます…。しかしGKのケビン・エルナンデスがファインセーブを連発し、ピンチを脱出!!ふ~…。(ファインセーブの動画は下)
これで落ち着きを取り戻したホンジュラスは、徐々に本来の力を発揮し始め、イタリアと互角の戦いを繰り広げます。高い個人技によるボールキープとドリブル、パス回しで、イタリア相手にもなかなかボールを奪われない…。チャンスも作る…。良い感じで試合は進んでいました。
※ FKを蹴るアミーゴ、エミル・マルティネス。スタメン・フル出場!!
ところが…。
「0-0」で迎えた前半終了「5分前」…。イタリアが一瞬のスキをつきミドルシュートで1点先制!!!アイヨ!!!…確かにファインゴールではあったのですが、ホンジュラスのDFとMFのプレスの遅れが原因となった失点でもありました。ゴールしたイタリア選手が前を向いてドリブルを開始した瞬間、「ヤバイ!!」って感じました…。
ただ、「0-1」で前半を終えれば、まだ勝てる可能性は充分にある…。
が…。
ここでホンジュラス永遠の課題…「集中力の欠如」が発揮されてしまい、1失点目の僅か「2分後」、今度はPKを与え、これを決められ「0-2」に…。その直後、前半終了のホイッスル…。最後の最後の「5分間」でまさかの「2失点」を喫してしまうという、悪夢のような試合展開で、後半を迎える事となってしまいました…。しかも、「カテナチオ」を相手に…。本当に、もったいないし、痛い!!
※ ホンジュラス人のちびっ子サポーターと。ホンジュラスの子供は、本当にカワイイ!!
ハーフタイムにジュースを買いに行くも、長蛇の列…。よって、後半開始のホイッスルには間に合わず、後半15分過ぎ、ようやく席に帰るも…。
その間にホンジュラス、すでに「3失点目」を喫する!!!おいっ!!しかも、またまたPK!!!ジュースを買いに行っていたので生で見る事はできませんでしたが、後でVTRを見る限り、1回目のPKも、2回目のPKも、正直かなり微妙な判定…。1回目は未だに何でPKなのか分からないし、2回目はむしろイタリア選手のダイブに見えるのだが…。ありえない!!…しかし「ありえない!がある!」のがホンジュラス…。本当に納得のいかない、2つのPKでした…。
これで、「0-3」…。
ただ、それでもこの日のホンジュラスは、最後の最後までゴールを目指して勇敢に戦いました。
※ 勇敢に戦うホンジュラスを尻目に、観客席で深い眠りにつく、中国人(中国人は、どこでも寝ます)。
後半、残り20分…。ここでようやく、「エース」で「背番号10」のラモン・ヌネェスが交代出場。…って言うか、何でスタメンじゃないの!?これにはホンジュラス人サポーター&メディアもマヂギレ!!
ラモン・ヌネェスが自らの突破とシュートでチャンスを量産し、後半、残り10分には、我がアミーゴ…エミル・マルティネスが相手ペナルティーエリア内で高速ドリブルでファールを誘い、PK獲得!!ヨシッ!!この展開、勢いなら、1点返せば2点目、3点目も狙える…。
が…。
オーバーエイジで今大会に参加し、昨年のゴールドカップで「得点王」を獲得したカルロス・パボンが、まさかまさかのPK失敗!!ええええええええ!!??信じられない!!勘弁してくれ!!いくら「ありえない!がある!」ホンジュラスと言えども、これはありえなさ過ぎるぞ!!
※ カルロス・パボン、まさかのPK失敗シーン…。
大事な大事な「W杯予選」においても過去、一切PKを外した事がなかったカルロス・パボンが、まさか…。この「PK失敗」がチームに与えた影響は計り知れず…。VTRを見たら、蹴り方自体、すでに変だった。ホンジュラス人サポーターたちは「激怒」というより、むしろ「唖然呆然」…。
こうして、「0-3」で試合終了。ホンジュラス五輪代表、大事な初戦で敗北を喫する…。
※ 試合後、PKを外したカルロス・パボンのガッカリとした様子…。
※ この試合の全ゴール&ハイライト。ホンジュラス最大の見せ場は、エミル・マルティネスが高速ドリブルでPKを獲得したシーンか…。ん~…悔しい!!…ちなみに最後に惜しいシュートを放ったDFカバイェロ(ウディネーゼなどでも活躍)は現在、中国リーグ「长春亚太」所属…。长春亚太では、他にもホンジュラス人選手が2人プレーしています。そして、エミル・マルティネスは「上海申花」で活躍中…。このホンジュラス五輪代表には、2人も中国リーグでプレーしている選手がいたのです(共にオーバーエイジ)。彼らは中国を知り尽くしてる…+ホンジュラスと中国の「相性」は良いので、今回の北京五輪にはかなり期待していたのですが…。
※ ホンジュラスGKケビン・エルナンデスのファインセーブ付きハイライトはこちら!!ちなみに1回目のPKは、この映像では何がどうPKと判定されたのか全く分かりません。2回目のPKはこの映像だとGKが相手FWを倒しているようにも見えますが、拡大映像をTVで見た際、GKの手はFWには当たっていませんでした。あまりに厳し過ぎる判定でした!!(激怒)
しかし、僕はまだ、希望をもっていました。…というのも、このグループではイタリアが一番強く、他のカメルーン、韓国も同様に、イタリアに勝つ事は極めて難しいと考えられる…(<カメルーンVS韓国>は「1-1」の引き分け)。ならば、このイタリア戦は落としても、引きずる必要はない。それに、2本の不運なPKで失点した以外は、イタリアと互角に戦っていたし、もしあの2本のPKが無くて、カルロス・パボンがきちんとPKを決めていれば、この試合は「1-1」の引き分けのはずだった…。確かに人生に「たら、れば」はありませんが、強豪イタリアと対等に渡り合ったという事実は自信にして良いし、次に繋がると信じていました。
※ 完敗を喫した試合にあり、最大の収穫は超美人女性(ロシア人)と写真を撮れた事でした。ハラショー!!
こうして、熱い1日は幕を閉じました。結果には本当に失望したし、メチャクチャ悔しかった…。同日、日本はアメリカに「0-1」と完敗を喫しましたが、忘れてはいけないのは、ホンジュラスはその強豪アメリカを破って、「北中米カリブ海地区の王者」に輝いているという事実…。それだけのポテンシャルが、このホンジュラス五輪代表にはある…。だからこそ、この結果が本当に悔しかったんです。
しかしこの日の試合、ホンジュラスは彼らの持ち味である「高い個人能力」を駆使した「見ていて楽しいサッカー」を世界にアピールできたと、僕は感じました。その証拠に、スタジアムに集まった中国人の観客は、ホンジュラスの素晴らしいプレーが出る度に拍手と声援を送り、ついには、
「洪都拉斯,加油!!!(ホンジュラス、頑張れ!!!)」
…の合唱まで起こりました。日本では「ホンジュラス」という国自体を知らない人さえたくさんいるし、中国でも決してメジャーな国ではない…。そんな小国・ホンジュラスに対して、スタジアムが一体となって温かい声援を送ってくれた…。中国人サポーターの心意気を感じ、僕は涙が出そうになりました。本当に、嬉しかったです。
マスコミで取り上げられる「過激な野次」だけが、中国人サポーターの実態ではない事を、今回、僕は知る事ができました。そして、全くの「第3者」である中国&他国の観客からの声援を引き出した、ホンジュラス五輪代表の魅力溢れるサッカー…。僕は彼らを、アミーゴたちを「誇り」に思います。
「ホンジュラスと共に闘う」日々が、幕を開けました!!!
※ 「眠れる獅子」、ついに目覚める…。
※ 写真がもっと見たい方は、こちら→「Radio América」!!(←ホンジュラスの有名ラジオ局) このサイトの中の「Ver Galeria」というところをクリックすれば、写真が見れます!!ちなみに、僕もいくつか登場してます。
23 août 「オリンピック」の壁。会う事さえできないのか…?※ 秦皇岛の街並み。
<2008年8月6日(水) ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日>
こうして、「人生最大の決断」&「史上空前のドタバタ劇」を経て、どうにかこうにかホンジュラス五輪代表の試合会場&宿泊先である、「秦皇岛」に到着しました。
到着してすぐ、これまでまだ連絡の取れていなかった、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」に電話をかけます。そして…やっとやっと彼と電話がつながりました!!
しかし、彼の口から発せられた言葉は、少なからず僕にショックを与えました…。
「チームとしては、君の存在は大歓迎だ。しかし、これはオリンピックという一大イベント…。セキュリティーがとてつもなく厳しい。公式にチーム内で働くには、北京五輪オフィシャルのIDカードが必要なのだが、試合前日に現地入りした君は、もうこの手続きが間に合わない。このIDカードが無ければ選手の宿泊先や練習場に入る事さえできない…」
…………。
言葉を失いました。「自分のサッカー人生が終わるかもしれない」という覚悟まで決め、途方もなく長い「この国」から秦皇岛までの道のりを経て、ようやく辿り着いたと思ったら、この状況…。しかし、これはごく当然の事です。オリンピックという世界最大級のイベントだから、セキュリティーが半端じゃなく厳しいのは当たり前…。そんなの、「常識」です。
ただ、「中国」と「ホンジュラス」は共に「ありえない!がある!」破天荒な国で、そんな「常識」では考えられないような出来事が度々、起こる事を、過去、僕は現地で生活する中で実際に体験していました。
「この2カ国がコラボレーションすれば、何かが起こる可能性は充分ある…」
そう感じ、あえてリスクを冒して「中国行き」を決断したのです。…しかし、今回ばかりはさすがにどうにもなりません…。「オリンピック」という、とてつもなく大きな壁に跳ね返されました。このままでは、下手したらアミーゴたちに会う事さえできません…。
ただ、ここまで来て、下を向いているわけにはいきません。彼の話によると、「選手の宿泊ホテルに入る事はできないが、門の前で会える可能性はあるかも…」との事だったので、すぐさまそちらに向かいます…。
「せめて、アミーゴたちに会うだけでも…」
この2日間、ハードスケジュール過ぎてほとんど睡眠が取れておらず、時差ボケや空腹も相まって疲労は限界…。そんな僕を支えていたのは、「ホンジュラスへの想い」…ただ、それだけでした。
そして、ついにホンジュラス五輪代表の宿泊ホテル付近に到着!!
ホテルの前は厳重警備がしかれており、例え選手の家族であっても「北京五輪オフィシャルIDカード」が無ければ、一歩たりとも中には入れないという…。しかも、ホテル前の道路は一般車両、一切、立ち入り禁止…。想像以上の警備の厳しさに、驚かされました。
「これじゃあ本当に、アミーゴたちに会う事さえ不可能かも…」
そんな中、見慣れた「青と白」のジャージに身を包んだ数人組みが視界に飛び込んできました…。
「あっ!!ホンジュラスじゃ!!」
ホンジュラス五輪代表のコーチたちでした。向こうも、僕が着ていたホンジュラス代表のユニフォームを見て、興味を示して近付いてきました。アジア人でホンジュラス代表のユニフォームを着て歩いてる人間なんて、いくら広い中国と言えども、僕以外には皆無に等しいですからね…。
このコーチたちとは面識があったわけではありませんが、向こうは「マラトンに居た日本人GK」という事で、僕の事を知っていたようです。いろいろ話し、打ち解けました。…それにしても、中国の地で、ホンジュラスのサッカー関係者と交流する……本当に不思議な感覚がしました。そして、中国で初めてホンジュラス人を見つけた時の、湧き上がる喜び、嬉しさ、安堵、何とも言えない格別な気持ち…。この時の心境を、言葉で説明する事はできません…(涙)。
さらにホテルの前まで歩を進めると、ホンジュラスの新聞記者、ラジオ局などのインタビューを受けている、数人のホンジュラス五輪代表選手&監督と遭遇しました。
キャプテンのヘンドリー・トーマスと会いましたが、彼はドナルド・ゴンサレスのアミーゴで、今回、僕が「ホンジュラス五輪代表を助ける!」という使命を持ってやって来る事を、予め知っていたようです…。
「ドナルドから、話は聞いていたよ」
他の選手たちも一様に、「ああ、あの時の日本人GKかぁ!!」と僕の事が分かったみたいで、話に花が咲きました。…しかも監督のジルベルト・イェルウッドは、ホンジュラス時代に一度、会った事があり、面識があった人物…。ホンジュラス代表の新しいシャツを贈与され、ガッチリと握手を交わしました。
※ ホンジュラス五輪代表監督、ジルベルト・イェルウッドと…(僕が着ているシャツは、先ほど彼から贈与されたもの)。…実はホンジュラス五輪代表は、北中米カリブ海地区予選で優勝を成し遂げた際、彼ではなく、別のコロンビア人監督がチームを率いていました。それが、いつもの「ありえない!がある!」ホンジュラスサッカー協会の意味不明の決断により、五輪初戦の1ヶ月前に、突然、イェルウッドに監督交代…。何でよ!?イェルウッドの監督としての能力がどうこうではなく、せっかく結果を出していたチームに与える、突然の監督交代の影響、そして1ヶ月しか準備期間が与えられなかった新監督…。チームが混乱をきたしていないか、一抹の不安がありました…。
…こうして、やっとやっと中国にて、ホンジュラス五輪代表の面々との対面が実現しました!!…しかし、エミル・マルティネスなど、マラトン時代に共に汗を流したアミーゴたちとは、まだ再会できていません…。早速、エミルに電話をかけます。「ホテル前に到着したぞ!!」…するとエミルは、「おう!今からそっちに向かうわ!」と答えました。あと少しで、エミルとの再会が実現します…。
※ これは、2年前(2006年)にホンジュラスで撮った、エミル・マルティネスとの写真。真ん中はエミルの息子、ヘスス。
そして…
キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
エミル・マルティネスと、2年ぶりの再会!!!!!(涙)
※(ちなみに、イェルウッド&エミルが首からぶら下げているのが、例の「北京五輪オフィシャルIDカード」。これがなければ、選手やコーチでさえ、ホテル、練習場、試合会場…一切、立ち入り禁止なのです…)
ホンジュラスのアミーゴと、中国の地で感動の再会…。そこに辿り着くまでの「人生最大の決断」&「史上空前のドタバタ劇」…。さらには今日に至るまでの2年間…ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→「この国」…での苦闘…。さすがに込み上げてくるものがありました。そして、「自分にとって『ホンジュラス』という存在がいかに特別であるか」を、改めて再認識させられました。
この日は結局、都合が合わず、エミル・マルティネス以外のマラトン時代のアミーゴたちとは再会できませんでした。しかし夜には、例の「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」との対面が実現し、翌日の試合…「ホンジュラスVSイタリア」のチケットを彼からプレゼントされました。忙しいだけでなく、大事な試合前日でピリピリしている状況にも関わらず、僕のために時間を取り、チケットの手配までしてくれた…。その心遣いが本当に嬉しく、心に染みました…(涙)。
※ これが「2008年8月7日(木) ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦」のチケット!!!
「北京五輪オフィシャルIDカードが無いから、ホンジュラス五輪代表のホテルや練習場にさえ入れない」というショックの報告を受け、「下手したら選手たちに会う事も、試合をスタジアムで観戦する事さえもできないかもしれない…」と心配していましたが、こうしてどうにかこうにか、エミル・マルティネスとも再会でき、明日の試合のチケットも入手する事ができました。
五輪の試合のチケットなんて普通、簡単には手に入りそうもないのですが、試合前日に突然やって来たのにも関わらず、何だかんだで「チケット入手」が実現…。これも、僕とホンジュラス…そして中国との「縁」がもたらした奇跡なのかもしれません…。
さあ、いよいよ明日…。ホンジュラス五輪代表の大事な初戦…イタリア戦です!!!
つづく
19 août 「史上空前のドタバタ劇」の果てに…。
<2008年8月4日(月) 「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、3日前」>
気が付けば僕は、「この国」の空港にやって来ていました。
僕は、「中国行き」を決断しました。
決して、頭で考えての行動ではありません。「本能」と「直感」が、無意識の内に僕を空港へと向かわせていたのです…。
もちろん、「今、『この国』を離れてしまえば、俺のサッカー人生は終わってしまうかもしれない」…という不安は少なからずありました。しかし、それをも超越した、
「晴れ舞台に立つホンジュラスのアミーゴたちの力になりたい。ホンジュラスという国を世界にアピールする手助けがしたい。お世話になったホンジュラスという国に恩返しがしたい」
…という、熱い想い。
これまでの人生の中で僕は、いかなる事よりも、何よりも「自分のサッカー人生」を最優先させて生きてきました。「人生の優先順位第1位」は、何があっても「自分のサッカー人生」…。その他、全ては2位以下…。これはずっと揺らぐことのない牙城であり、不変だと思っていました…。
それが今回は、「ホンジュラスへの想い」が優先順位第1位となり、「自分のサッカー人生」をも上回ってしまったのです…。
僕の16年間のサッカー人生の中で、正に「前代未聞」であり、「初めて」の出来事でした。
まるで「花より男子」の道明寺のように、後先の事をまるで考えず、「本能」と「直感」だけで「この国」の空港にやって来ました。…が、あまりに突然の出来事過ぎて、「中国行き」の航空券の購入や予約どころか、この日に本当に「中国行き」のフライトがあるのかどうかすら一切、分からない状況でした。こんなメチャクチャな状況で空港にやって来たのも、「人生初」です。
ここで「中国行き」のフライトが無ければ、初戦のイタリア戦(8月7日)にはもう間に合いません。しかし、神様が僕を導いてくれていたのか…。1つだけですが、中国に行くフライトがありました!!しかも、残り座席はあと「1席」!!ギリギリ、セーフ!!
…こうして、どうにかこうにか航空券もゲットし、ホンジュラスのアミーゴたちが待つ…僕の「第2の故郷」とも言える中国を目指して旅立ちました。
※ 飛行機から見える、「この国」の夜景…。「再び『この国』に戻って来る事はあるのだろうか?」…様々な想いが脳裏をよぎります。
「人生最大の決断」を下し、ドタバタ劇の末に中国に向けて「この国」の空港から旅立ったのが、「8月4日」の午後…。そして、ドバイなどを経由し、目的地の北京航空に到着するのが、中国時間の「8月6日」の午前0時半…。ほぼ、丸々「2日間」のフライトです。
※ 飛行機から見える、ドバイの街並み。ここで、北京空港行きの飛行機に乗り換えます。
そして、長い長い、長~いフライトを経て…
<2008年8月6日(水)午前0時半 「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日」>
ついに、中国・北京に到着!!!!!
※ 「魂はホンジュラスと共に」…。ホンジュラス代表のユニフォームを身にまとい、オリンピックの開催地にとうとう上陸!!
様々な国のメディアやオリンピック関係者…。オリンピックのPR広告&特集TV番組…。厳重な警備…。北京空港は正にオリンピック一色…。「ああ、本当に俺は、オリンピックの開催地にやって来たんじゃのう…」と、しみじみ感じました。
しかし、オリンピックムードに浸っている時間はありません。「旅」はこれで終わりではないのです…。
確かに「北京五輪」なのですが、翌日「8月7日」のホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦の試合会場は、何と「秦皇岛」…。中国留学時代でさえ行った事はおろか、聞いた事さえないこの異郷の地に、2日間のフライトと時差ボケでクタクタな状態の中、深夜にも関わらず向かわなければなりません。
疲れと睡魔に耐えながら、「秦皇岛行き」の列車に乗るために、今度は北京空港から、北京駅へと向かいます。
そして…
ついに、北京駅到着!!この時点ですでに、時計の針は深夜1時を回っていました…。
切符売り場で、秦皇岛行きの切符を無事、入手します。列車の出発時刻は「早朝4時半」…。あと、約3時間もある…。旅行カバンの上に横になり、出発時刻を待ちます。
そして…
秦皇岛行き列車、やっと到着!!
さあ、あともう少しで、ホンジュラス五輪代表の待つ、秦皇岛に到着です!!…と言いたいところなのですが、北京駅から秦皇岛駅まで、何と「4時間半」もかかる!!またまた、長旅の始まりです…。
「8月4日」に「この国」から「2日間のフライト」を経て、北京空港に「8月6日」午前0時半に到着してからここまで全くもって睡眠が取れておらず、さらには時差ボケなどもあり、疲労はピーク…。それにも関わらず秦皇岛行き列車は「硬座」という、ボロボロ列車…。しかも満席で、座る席が無い!!おまけにエアコンも無い…。
たくさんの群集でごった返し、まともに歩くスペースすら無いボロボロ列車の中で、かろうじてトイレの前の通路に僅かながらの空間を見出し、そこに座って「4時間半」を耐える事となりました。
「臭い」、「汚い」、「狭い」、「ボロい」、「暑い」…の五拍子が揃った超過酷な「4時間半」…。
疲労と時差ボケと悪臭で薄れゆく意識の中、唯一の希望…ホンジュラスのアミーゴたちの「笑顔」を頭に思い浮かべ、自分を鼓舞します。
「ホンジュラスのアミーゴたちの力になるんじゃ…。ホンジュラスという国を世界にアピールする手助けをするんじゃ…。お世話になったホンジュラスという国に恩返しをするんじゃ…」
念仏のように、唱え続けました。
そして…
臭かった…。汚かった…。狭かった…。ボロかった…。暑かった…。眠かった…。腹減った…。本当に本当に、長かった…。
<2008年8月6日(水)午前9時 「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日」>
ついに、ホンジュラス五輪代表の試合会場&宿泊先である秦皇岛に上陸!!
僅か2日前までは、遠い遠い異国の地「この国」に居たのに、今はなぜか、ホンジュラス五輪代表と同じ地…中国・秦皇岛に居てしまっている…。「本能」と「直感」が体を動かし、無意識の内に歩を進めさせ、気が付いたらここに立っている自分がいた…。一体、ここはどこなのか??
「史上空前のドタバタ劇」だったにも関わらず、奇跡的に予定通り「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日」である「8月6日」に秦皇岛入りする事に成功しました。「行けばわかるさ!」精神で前に進めば、人生、やはり大抵の事はどうにかなるものなんですね…。目に見えない何か不思議なパワーが、ここまで僕を後押ししてくれたように感じました。
しかし、この時点ではまだ、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」とは連絡が取れておらず、「ホンジュラス五輪代表をサポートする」計画に関する具体的な話は、まだ一切できていません。この後、一体、何が起こるのか?全く見当がつかない…。
ここから本当の、「人生未体験ゾーン」が始まります…。
つづく 12 août 「人生最大の決断」突然、「契約破棄」になったあの事件が起きた数日後…。「この国」の全国紙でも、この問題が大きな記事で特集されました。
自分としては、もうこの事件の事は全く気にしてないし、むしろ、あんな酷いチームを離れられた事で、逆に心はスッキリしていました。ただ、「笑顔を見せて、平気で人を騙す人間がいる」という事実に対してだけは、同じ人間として、世の中に深い失望感を感じました。そして、「自分以外の日本人で、サッカーでなくとも『この国』で働きたい人がいた場合、同じような問題が二度と起きて欲しくない」と思い、メディアの取材に応じ、日本大使館に情報提供しました。
あの事件が起こってから3日間は、一切、サッカーの事は考えず、とにかくゆっくり、リフレッシュしました。久々、1日3食まともな食事が手に入る生活を送れ、1つのベッドに1人で寝る事もでき、心身ともに良い状態に回復しました。
リフレッシュし、一度、全てを「ゼロ」の状態…「原点」に戻した時、自分の中である想いが芽生え始めました…。
ホンジュラス…。
中国…。
オリンピック…。
実は、ホンジュラスU-23サッカー代表(以下、「ホンジュラス五輪代表」)は、アメリカ、メキシコ、コスタリカなど難敵がひしめく北中米カリブ海地区予選を勝ち抜き、決勝では強豪アメリカをアウェーで「1-0」と破り、見事に優勝…。「8月7日」に始まる北京五輪への出場権を獲得していました。
※ U-23北中米カリブ海地区トーナメント決勝。「アメリカVSホンジュラス」(白がアメリカ、青がホンジュラス)。このトーナメントはアメリカで開催され、決勝の地も当然、アメリカ(ペンシルバニア)…。ホームでは無類の強さを誇るアメリカに対し、ホンジュラスは見事に「1-0」完封勝利!しかも、慣れない「極寒」の中での試合…。本当に素晴らしい、感動的な優勝でした…(涙)。
僕は1人の「人間」としては、「日本人」としての誇りをもって生きています。それは、これまでのブログをご覧になって下さった方々なら、お分かりかと思います。
しかし…。
1人の「サッカー人」としては、僕は「ホンジュラス人」なんです。2005年に初めてホンジュラスに渡ってからというもの…。それまで日本や中国、アメリカで培ったサッカーの技術、体力、戦術、サッカー感…全てを捨て去り、「ホンジュラス化」しました。それくらいホンジュラスのサッカーは魅力的かつ衝撃的で、素晴らしいものでした。世界のどこに居ても、「ホンジュラスのサッカー選手」としての誇りを常にもってプレーしてきました。
「サッカー人」としての故郷は「ホンジュラス」…。
その「故郷」ホンジュラスが、オリンピックという晴れの舞台に立つ…。
しかも、このホンジュラス五輪代表の中には、ホンジュラス時代に共に汗を流し、絆を深めた「アミーゴ」がたくさんいる…。
さらには、このオリンピックの開催地は北京…。僕にとって、「第2の故郷」とも言える存在、「中国」…。
自分の人生に最も大きな影響を与えた、「ホンジュラス」と「中国」の、夢のコラボレーション…。
「どうしても力になりたい…。どうしても恩返しがしたい…」
…この想いが日に日に大きくなり、抑えきれなくなりました。
しかし、この時点ですでに「8月1日」…。ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦は「8月7日」…。もう、1週間しか時間がない!!
思い立ったら、即行動開始…。ネット上には一切、ホンジュラスサッカー協会の連絡先は掲載されておらず、すぐさまドナルド・ゴンサレスにメールと国際電話をして、何とかホンジュラスサッカー協会副会長の電話番号をゲット!!!しかも彼は、ドナルドの知り合いらしい…。
※ マラトン時代の、ドナルド・ゴンサレスとの2ショット写真。
ホンジュラスサッカー協会副会長に、「この国」から国際電話をかけます。幸い、「ドナルドのアミーゴ」、「あの時の日本人GK」と言うと、「ああ!」という事になり、話が進みます。そして、「中国語もスペイン語も少し分かるから、ホンジュラス五輪代表の力に、何かしらなれると信じている。アミーゴたちを助けたい」と伝えます。すると、「だったら、すぐ中国に行ってくれ!!」とOKの返事が出ました!!よしっ!!
…しかし同時に、「中国現地の情報が分からないから、現地入りしている、ホンジュラスサッカー協会幹部と詳しい情報交換をしてくれ」と付け加えられます。そして、その人物のメルアドを聞いてる途中…
「ピー。プー、プー、プー…」
国際電話カードの残高が無くなり、電話が切れてしまいました。アイヨ!!
この日は夜だったので、次の日(「8月2日」)の早朝すぐ、今度はマラトンの幹部や元マラトンの監督など、ホンジュラス時代に知り合った全ての有力人物に対してメールを送り、自分の意思と目的を伝え、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」の連絡先を尋ねます。
僕の熱意が通じたのか、「行動が異様に遅いホンジュラス人」にしては異例の早さで返信メールが届き、ついにホンジュラス五輪代表選手にして、僕のホンジュラス時代のアミーゴ…エミル・マルティネスの中国現地携帯番号を入手!!
※ ホンジュラスA代表でもレギュラーの、エミル・マルティネス(マラトン時代、2005年当時の写真)。現在は中国のプロチーム「上海申花」で活躍中。上海申花への移籍前のシーズンは、マラトンにて「リーグ優勝」「リーグ得点王」「リーグMVP」の三冠を、「キャプテン」として成し遂げた、正にホンジュラスを代表する、とんでもない選手です。今回の北京五輪には、「オーバーエイジ」として出場。
そして翌日…(「8月3日」)。初戦のイタリア戦(「8月7日」)まで、もうほとんど日にちが無い!!即行でエミル・マルティネスに国際電話をかけます。ついに、「この国」に居る僕と、中国現地入りしているホンジュラス五輪代表選手と直接、連絡がつながった瞬間でした(感動)。
彼と話をするのは、実に約2年ぶり…。「この国」から、「中国」に居る「ホンジュラス人」のアミーゴと国際電話で会話…。何だか不思議な感覚がしました。彼の話によると、
「中国人の通訳がチームに1人だけいるのだが、あまりスペイン語が話せないから、コミュニケーションに困っている」
…との事(オリンピックなのに、こんな事があって良いのか!?)。異国の地で言葉が通じない、周りに言葉が分かる現地人がいない事のストレスは、世界各国を回ってきた自分が、一番、よく分かっている…。しかも、エミル自身も、「Yojiが助けに来てくれるなら、チームとしては絶対に必要だと思う」と言う…。
「俺がアミーゴたちの手助けをするんだ…。ホンジュラスに恩返しをするんだ…」
…「使命」のようなものを感じました。
しかし、肝心の「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」は不在で、話ができない!!アイヨ!!この日がすでに「8月3日」…。初戦が「8月7日」…。最低でも、試合の前日(「8月6日」)には、中国現地入りしていなければならない…。それなのに、「この国」から「中国」までの移動(飛行機)は、時差などもあり、どうやっても2日間かかる…。
「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部と連絡がつながるのを待っている時間はもう無い!!!!!」
そして、また翌日…(「8月4日」)。大きな決断を迫られる事となりました。ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦の前日(「8月6日」)に中国現地入りするためには、この日に「この国」を出発する以外に、方法はありません。
しかし、この時点ではまだ、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」と連絡が取れておらず、詳しい情報交換は全くできていない状況…。
さらに、最も大きな問題…。僕は、「この国」で日本人として初めてプロサッカー選手になるという、大きな大きな目標をもって、ここへやって来ました。「あのチーム」との契約が破棄になったとは言え、まだ「この国」での滞在期間は1ヶ月残っており、「この国」のリーグ開幕までも、あと2、3週間ある…。どのチームもすでに戦力が固まっており、「この国」の他チームと契約できる可能性はもうほとんど無いとは言え、まだ0.1%くらいは可能性が残っている…。
しかし、もしここで「中国行き」を決断すれば、今年中に「この国」のプロサッカーチームと契約する可能性は、ほぼ完全に消滅します。…そして様々な事情があり、今、「この国」を離れてしまえば、もう一度「この国」に戻る事は極めて難しい状況…。他国のプロサッカーリーグもすでにほとんどが開幕間近、もしくはすでに開幕しており、次、プロサッカーチームと契約できるチャンスは、12月くらいまで待たなければならない…。そうなってくると、今度はもう、サッカーを続ける事さえ困難になってきます。
つまり、「中国に行って、ホンジュラス五輪代表を助け、ホンジュラスに恩返しをする」…を選択するか、「『この国』にまだ残って、『この国』のプロサッカーチームと契約できる可能性を再度、模索する」…のどちらか1つを選択しなければならないのですが、もし「中国行き」を選択する場合、「サッカー引退」の覚悟が必要という状況なのです。
これまで、どんな苦しい状況におかれても、決して諦めずに、「笑顔」で続けてきた「サッカー」です。しかし、ここでの選択次第では、「サッカー引退」の可能性も出てくる…。ところが、ここにこのまま残っても、「この国」のプロサッカーチームと契約できるという保障は一切、無い…(この時点で、具体的なチャンスは皆無)。そして、「中国でホンジュラスを助け、恩返しをする」という機会は、今回を逃すと、一生、訪れないかもしれない…。
「中国行き」か?? 「『この国』に残る」のか??
選択次第によっては、「サッカー人生の終焉」を迎える可能性すらあります。…正に、「人生最大の決断」です。
どちらか一方でも話が具体的に進展していれば、選択も少しは容易だったのでしょうが、残念ながらどちらの話も、全くもってその可能性は不透明な状況…。それでも、もう時間が無いから、この日の午前中に「決断」し、この日の午前中に「行動」しなければなりません…。
「人生最大の決断」なのにも関わらず、全くもって考える余地は与えられていません。
こういう時は、「本能」と「直感」が一番、重要になってきます。「花より男子」の道明寺も、その行動のほとんどが頭で考えてのものではなく、「本能」と「直感」によるものです…。(詳しくはこちら→「道明寺的『成功法則』)
これまでの人生の中で、ありとあらゆる修羅場を世界中で潜り抜けてきた事で、今、僕の「本能」と「直感」は研ぎ澄まされています。自分の「本能」と「直感」が下した決断なら、絶対に間違いはないと信じています…。
こうして、「人生最大の決断」を下す瞬間がやってきました…。
つづく
27 juillet 「1年8ヶ月間」の沈黙を破り…。ついに、「この瞬間」がやってきた…。2006年11月にホンジュラスのプロサッカーチーム「Deportivo Lenca(デポルティボ・レンカ)」を退団してから今日に至るまで、実に「1年8ヶ月間」…。怪我で半年以上もランニングさえできない状況などに見舞われ、全く所属プロチームが決まりませんでした。(詳しくは→こちら)
しかし、「故郷、家族、応援してくれてる方々に、恩返しがしたい」という気持ちだけを支えに、「希望」を捨てず、諦めずにこの「1年8ヶ月間」を乗り越え、今日まで活動してきました。
そして、ついに「この瞬間」がやってきた…。
「この国」のプロサッカーチームと、正式に契約締結!!!
※ 契約書にサインするYojiと、それを見つめるチームのオーナー。
※ 正式契約締結後、チームのオーナーとガッチリ握手。
ここまでの道のりは、本当に本当に…本当に長かった…。しかし、どんなに苦しく、難しい状況下でも「笑顔」で活動してきたから、長くはあったけど、あっと言う間でもありました。支え続けてくれた家族や友達、ブログをご覧になって下さってる方々はもちろん、「今まで諦めずにやってきた、過去の自分」に対しても、感謝の気持ちが溢れ出てきました…。本当に、ありがとう…。
今回、この「契約締結」に至るまで、本当にありとあらゆる修羅場があり過ぎて、全てを文章で書き記す事はできません。
日本に一時帰国してから「この国」に再び戻ってきた時点では、実はまだ僕には何ら具体的な「チャンス」はありませんでした。それでも僕は「可能性」を信じてあえて「この国」に戻り、そして自力でチャンスを掴み、どうにか契約締結にまでこぎつけたのです。
そして、このプロサッカーチームに練習参加(テスト)している期間…。食事さえまともに用意されない(家の周りは何も無い場所だから、自分で食べ物を入手する事すらできない)から、1日1食しか食べれない日もある過酷な状況の中で、毎日、厳しい練習をこなしました。
しかも、その日の夜に寝る場所さえも不確定で(チームが準備するという約束だったが…)、1つのベッドを2人の選手でシェアして睡眠をとる日々が続きました。…正直、苦しくて何度か涙が出そうになりました。それくらい、本当に地獄のような環境でした。僕と同じく今期、新加入した他の選手は、「この国」出身であるにも関わらず、この地獄のような環境に耐えられず、3日間で「ホームシック」にかかったほどです。ましてや僕は、全く文化も生活様式も何もかも異なる遠い遠い「日本」からやって来た外国人選手…。その苦しさを、言葉で表現する事はできません。
初めて練習参加してから数日後、正式な「獲得オファー」をもらいました。条件面の交渉に入り、「2年契約」、「給料(公表できません)」、「住居の確保&帰国航空券の手配はチームが行う事」…などを契約条項に盛り込み、双方、合意に達します。そして、ついに「契約締結」…。
「これでやっと…やっと、故郷や家族、応援して下さってる方々に『良い報告』ができる…。ついに、『この瞬間』がやってきた…。このために『1年8ヶ月間』、諦めずに活動し続けてきた…」
今まで長い間、ブログをご覧になって下さったみなさん…。本当に…本当に、ありがとうございました。僕はついに、日本人として初めて、「この国」のプロサッカーチームと正式に契約締結を果たしました…。
※ 契約翌日の新聞で、早速、特集記事が…。
※ 「この日、歴史は塗り替えられる。初の日本人サッカー選手誕生…」
※ 「私たちは、この国で初めて日本人サッカー選手と契約したクラブになれた事を、誇りに思う」 チームの代表者がコメントをメディアに発表。
「契約締結」から、数日後…。
昨日、チームのマネージャーからクラブハウスに呼び出されました。そこで伝えられたのは…
「契約破棄」
…全くもって一方的な、「契約破棄」通告でした。理由は、「ヨーロッパに行っていた外国人GK(元このチーム所属)が戻ってきたから、Yojiは要らなくなった」…との事でした。要するに僕は、この「外国人GK」が戻ってこなかった場合の保険…つまり「二股」をかけられていたという事です。ジャマイカでも似たような事はありましたが(国際移籍証明書まで発行したのに、話が消滅した)、今回はしっかりと「契約締結」しており、状況は全く異なります。
こんな理不尽な事が、この「契約社会」でまかりとおるのでしょうか!?「契約」という概念が無いのか!?…これはある意味、犯罪です。日本なら、裁判沙汰になってもおかしくない出来事です。何せ、契約書にサインしているにも関わらず、数日後に、一方的に契約破棄してきたのですから…。しかし、「この国」は日本じゃない…。しかも、契約書のコピーは「後で渡す」と言われてもらっておらず、したたかな作戦に、完全にハメられました。もはや、どうする事もできません。
この「事件」が僕にもたらしたダメージは計り知れません。チームのオーナーからの「獲得オファー」、具体的な「条件提示」と「双方合意」、そして「契約締結」…。さらには、メディアにまで「初の日本人サッカー選手獲得」のコメントを発表したチーム代表者…。そして、「契約破棄」を伝えられる直前に行った練習後の、監督の「Yoji、また来週な!」という言葉と「笑顔」…。これらは一体、何だったのか!?全て「嘘」、「偽り」だったのか!?…と思うと、人間の怖さをまざまざと感じずにはいられませんでした。
実は、このチームの他にも2チームから話があったのですが、このチームと契約していたためにその2チームに行く事ができず、その間にこの2チームは他の「外国人GK」を獲得して、僕の入り込む余地が無くなってしまいました。つまり、「契約破棄」が伝えられた瞬間、同時に「3つのチャンス」が消滅してしまった事になります。どのチャンスも、やっとの思いで掴んだもの…。このダメージも計り知れません。
せっかく「良い報告」がみなさんにできると思っていたのですが、こんな状況になってしまって申し訳ございません。「笑顔」で全力を尽くしてはいるのですが…。「悔しい」とかいう次元を完全に通り越えています。こういう心境は初めてです。
この「事件」が起こったのが昨日の午後なので、まだ頭の整理ができていません。最低、1、2日間はゆっくり考える時間が必要です。それから、「全ての結論」を出したいと思います。
ただ、僕は落ち込んではいないので、そこは心配ないです。元気バリバリです!!
では、また…。
13 juillet 「人生の巡り合わせ」がもたらした、「不思議な再会」…。今年は「何か」がある!!注)これは、約1ヶ月前に「1年ぶり」に日本へ一時帰国し、それから再び「この国」へ向かう途中の話です。
こうして強い決意を胸に、再び「この国」へ旅立つ事となりました。
日本から「この国」への直通便飛行機はありません。最初は「香港経由」で行く予定だったのですが、往復チケットの関係上「シンガポール経由」に変更せざるをえなくなりました。しかも、シンガポールの空港での乗り換え待ち時間が、過去最長の「10時間」!!長っ!!
「一体、10時間もどうやって過ごせばエエんじゃろう…?」
最初は正直、「何でこうなるの!?」と頭を抱えました。…しかし人生、どんな出来事も、結局は自分にプラスをもたらす「最高の出来事」になるよう、神様によって仕組まれているのです…。
「シンガポール…。10時間…。んんんんん!?」
…ここで1人の人物の名前が、僕の頭に思い浮かびました。
大学サッカー部時代の先輩で、元アルビレックス新潟所属…現在はシンガポールリーグで活躍する、新井健二選手(以下「アラケンさん」)です。
アラケンさんは僕の1学年上の先輩で、大学時代は3年間、共に汗を流した仲間です。…が、大学時代は、ほとんど交流がありませんでした。いや、フィールドで練習する時はもちろんコミュニケーションをとっていましたが、プライベートでは全く交流が無かったんです。…で、大学を卒業してからも全くと言って良いほど交流は無く、2004年に安の居る新潟に行った際も、アラケンさんとは出くわしたのですが、これまたほとんど会話をする事はありませんでした…。
そんなアラケンさんが、なぜか今年に入り、突然、メールをくれるようになったのです!!…どうも、これまた2004年に新潟で知り合った、元アルビレックス新潟所属の深沢仁博選手(以下「深沢さん」)と現在、シンガポールでチームメイト&ルームメイトになったらしく、「(深沢さんから)お前のメルアド聞いた」とかで、メールしてくれるようになったのです(深沢さんとは2004年に新潟で知り合って以来、たま~にメールでやり取りしていた)。
それにしても、大学サッカー部時代から今日までの「約10年間」、ほとんど交流すら無かったアラケンさんがメールを送ってくれるようになるなんて…一体、どういう風の吹き回しなんじゃろう??(笑)。本当に驚いたし、同時に、凄く嬉しかったです。
…で、今年に入ってからこんな感じでちょこちょこアラケンさんとメールでやり取りしていたので「一応、シンガポールに飛行機の乗り換えで寄る事を伝えてみるか!」と思ってメールしたのです。すると…
「旅立つ前に、シンガポールの上手いモノを食わせてやる!マサ君(深沢さん)も連れて行くから一緒に会うか!?」
…という返信メールをくれました!!アラケンさんの優しさが心に染みて、本当に嬉しかったです(涙)。
こうして、本当に奇遇にも「飛行機の乗り換えで偶然、シンガポールに寄り、10時間の待ち時間がある」…という特殊な事情のおかげで、アラケンさん、深沢さんとの再会が実現したのです!!実に「4年ぶり」の再会でした!!
※ シンガポール上陸!!アラケンさん、深沢さんと再会!!
アラケンさんは現在所属の「Singapore Armed Forces Football Club」に2006年より加入し、その年、見事に「リーグ優勝」。続く2007年も優勝を果たし、これで「リーグ2連覇」。さらにはシンガポールカップも「2連覇」を達成し、その年に行われた「AFCカップ」というアジアの大会にも出場。しかもその大会で「日本人初ゴール」もゲット!!(DFなんですが…。凄いですね!)
…とまあ「異国の地」シンガポールで大活躍している、大変、尊敬できる先輩です。
ちなみに今年…2008年には深沢さんがこのチームに加入し、2人はアルビレックス新潟時代以来の「チームメイト(しかもルームメイト)」になったわけです!!いや~「人生の巡り合わせ」って、本当におもしろいですね!!「シンガポールリーグ3連覇」は過去無いそうなので、ぜひ2人の力を合わせて、偉業を成し遂げて欲しいものです!!
実は安英学の成功にもアラケンさんは間接的に関わっていて、大学時代、アラケンさんの視察に訪れたアルビレックス新潟の関係者の方が、たまたまそこで安のプレーを目の当たりにし、それが元となって、後に安の「アルビレックス新潟入団」が決定するのです。…つまり、アラケンさんがいなければ、今の安英学も無かったかもしれないのです!!
…つくづく「人生の巡り合わせ」って不思議ですね~。もちろん「実力」がある事が最低条件なのですが、この世界、それプラス「人生の巡り合わせ」が本当に大事って事ですね。アラケンさんにも安にも、「人生の巡り合わせ」を味方に付ける「プラスのオーラ」が出ています。だから、成功できるのです!!
※ アラケンさんと!!
深沢さんは2004年に新潟で知り合ったのですが、メールの中でも年下の僕に凄く丁寧な敬語の文章を書いてくれる、大変、紳士な方です。…また、少し不思議なキャラの持ち主(?)で、新潟に居た際、一緒に食事をした事があるのですが、その事は「覚えていない」らしく、逆に、一度、新潟の商店街で偶然、出くわし、「あ、どーも…」って感じで「0.5秒」だけ交流したのですが、そっちは「覚えてる!!」らしいのです。普通、逆でしょう!?(笑)不思議な人です。
Jリーグでは、アルビレックス新潟の他にも横浜マリノスでプレーされ、新潟退団後は、アメリカ「USL」の強豪「モントリーオール・インパクト」で活躍…。昨年はタイの「バンコク・ユニバーシティFC」でプレーし、ACLにも出場して川崎Fとも対戦…。本当に、凄まじい人です!!尊敬しています。
※ 深沢さんと!!
アラケンさん、深沢さんとの「4年ぶりの再会」は、予想を遥かに上回る楽しさとなり、非常に「濃い」時間が過ごせました。ハッキリ言って、楽し過ぎて、とてもじゃないけど「10時間」じゃあ足りませんでした。30時間くらいは欲しかったです(笑)。
※ 活気溢れる、シンガポールの街!!英語も中国語も通じるし、おもしろい国です!!
前回、この2人と会ったのは、「2004年に安の居る新潟に行った時」です。
…で、その当時の僕の状況を少し振り返ってみると、
「半年以上、サッカー環境を失い、ボールを蹴る事さえままならぬ状況。引退の危機」
…でした。
!!!!!!!!!!!
…そうです。昨年、僕が置かれていた状況と、全くと言って良いほど同じなのです。
…で、「2004年に安の居る新潟に行き、アラケンさん、深沢さんに会う」…の後…2005年…僕はどうなったかと言うと…
「ホンジュラスで人生初、プロサッカーチームと契約締結」!!!
そして、今回の僕の状況は…
「1年以上、サッカー環境を失い、ボールを蹴る事さえままならぬ状況」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「安の居る韓国・水原に行った後、シンガポールでアラケンさん、深沢さんに会う」 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「『この国』のプロサッカーチームと契約」!!??
キター!!!!!(笑)
…要するに、「長期間、サッカー環境を失う」→「安英学と再会」→「アラケンさん、深沢さんに会う」…は、ある種の「勝利の方程式」であり、非常に「縁起が良い」事なのです!!ヤッター!!
「そんなのコジツケじゃ!!」
…という意見もあるかもしれませんが、確かに僕は肌で「何か」を感じています。良い「流れ」である事は間違いありません。
こうして僕は「人生の巡り合わせ」によって「偶然」もたらされた「不思議な再会」を終え、非常に良い「流れ」を感じながら、笑みを浮かべつつ、シンガポールの空港より「この国」へ向けて旅立ちました。
今回、アラケンさん、深沢さんからは本当に大きな「プラスのパワー」をもらいました。この「プラスのパワー」を胸に、必ず「この国」のプロサッカーチームと契約し、「恩返し」と、行き先を告げずに旅立った「お詫び」をさせていただきます。必ず!!(「行き先」は家族以外の誰にも告げていません)
※ シンガポール・チャンギ空港にて、アラケンさん、深沢さん、もう1人チームメイトの日本人選手、ノリ君と!!
※アラケンさんのブログURLは→「こちら」!!(右の「破天荒リンク」にも貼っておきます)…ちなみに深沢さんは、今年はブログをやってないそうです…。
5 juillet 負けられない理由。注)これは、約1ヶ月前に「1年ぶり」に日本へ一時帰国した時の話です(今はもう「この国」に戻ってきています)。ちなみに前回の記事で、安の居る韓国へ寄った話を書きましたが、それはこの一時帰国で日本に到着する前の話です(「この国」から日本に帰る際、直通便が無かったので韓国で乗り換え、そして韓国に少し滞在してから、日本に帰った)。ちょっとややこしいかもしれませんが、帰国したのはこの「1回」のみです。
…というわけで、「この国」から韓国を経由して、1年ぶりに日本・広島の地に帰ってきました。
※ 我が家の「守護神」(昨年、UFOキャッチャーで僕がゲットました)。ちゃんと神棚(?)に飾ってあります。確かに、実際「神様」です。
「最後の挑戦(最后挑战)」でも書いたように、個人的事情があり、今回は家族以外の誰ともほとんど会ってないし、連絡も取りませんでした。「きちんとした結果」を出して帰国した際に、改めて顔を見せたり、連絡を取りたいと思いますので、このブログをご覧になってる知人の方々には、悪しからずご了承頂ければと思います。
「家族」以外の誰とも…。しかし、今の僕には、1年ぶりに家族に会えただけでも、充分、幸せを感じました。
「とにかく家族を喜ばせたい。笑顔にさせたい」
…これが僕の最大のモチベーションです。
1年ぶりに、入院するおじいさんのお見舞いに行きました。
以前、ブログに登場した時は立って歩いていましたが、今は脚が弱り、車椅子になりました。
現在、88歳…(今年、89歳)。まだまだ元気にしてくれています。嬉しい限りです。…ただ、若干、物忘れが多くなってきました。久々に会って、「誰か分かる?」と聞いた時、「ん~…誰じゃったかいのう?」と言われた時はショックを受けました。…が、実は「髪が伸びとるけ~誰か分からんかった」だけで、ちゃんと僕の事は覚えていてくれました。さすがじゃ、おじいさん!!
そして、実は何と、僕がサッカーしている事も、しっかり覚えてくれていました…。
約2年前…。ホンジュラスで、生まれて初めてプロサッカーチームと契約締結した際…おじいさんは喜んでくれました。当時、僕の記事が掲載されたホンジュラスの新聞や所属チーム「CD Lenca(クラブ・デポルティボ・レンカ)」の集合写真ポスターは、今も病室に大事に飾ってくれています。そして、ホンジュラスから広島のRCCラジオ番組に出演し、丁度、放送日がおじいさんの誕生日だったので「お祝いの言葉」を番組内で述べた際も、喜んでくれていたそうです(当時、僕は日本に居なかったので、親から聞いた話です)。
「おじいさんが元気な内に、まだまだ、たくさん『良い報告』をして、喜ばせ、笑わてみせる!!」
…そう考えると、底なしのエネルギーが湧き出てきます。
今日の豊かな日本があるのは、激動の時代を魂で生き抜いた、おじいさんの世代の方々のおかげだと、僕は考えています。人生の終盤に差し掛かったおじいさんに、お世話になったおじいさんに、感謝の気持ちを込めて、とにかく、とことん喜ばし、笑顔にさせ、「いや~、最高の人生じゃった!!」と思わせてあげたい…。本当に、心の底から、そう願っています。…そしてこの想いが、「不可能を可能にする」原動力になります。
初めてホンジュラスでプロサッカーチームと契約締結し、「人生最大の夢」を叶えた際…。実は、知人の反応は、「あっそ…」くらいの素っ気ないものが多かったです(もちろん、祝福の言葉をくれた人もいましたが)。
しかし…。
家族だけは、心から喜んでくれました。一番、喜んでくれました。それまで、僕がサッカーする事に大反対だったのにも関わらず、喜んでくれました(口では何も言いませんでしたが、態度で何となくそう感じた)。
家族が喜んでくれるなら…。それだけで僕は充分です。他には何も望みません。
家族には本当に感謝しています。だから、とにかく、とことん喜んで欲しい…。笑顔になって欲しい…。僕が望むのは、これだけです。そして、それが最大の「恩返し」になると信じてます。
※ 父と練習。夜なので父はパジャマ姿ですが、ご勘弁下さい(お恥ずかしい)。ちなみに父はサッカー「ど素人」です。2年前までなら、父と練習するなんて考えられませんでした…(10年以上、父からはサッカーする事に反対され続けてきた。「サッカー辞めろ」と言われた事、数え切れず…。母に至っては「あんたがボール蹴る音を聞くだけで頭が痛くなる」とまで言っていた。それが今では応援してくれている…。その気持ちに、どうしても応えたい…)。
こうして強い決意を胸に、短い日本での「1年ぶり」の滞在を終え、僕は再び「この国」に向けて出発しました。
※ 広島駅から、出発!!
そして、その道中で、またまた予想外な出来事が起こるのでした…。
つづく
※ おじいさんが書いた「勇気百倍」。これを見ると、僕の勇気は「千倍」になります。
24 juin 「パワー」「勇気」「夢」「希望」「笑顔」を与えてくれる、親友と再会。
約1ヶ月前…。
「この国」から一時帰国することを考えていた頃、丁度、たまたま、ある人物とメールでやりとりしていました。
…安英学です。
いろいろメールでやりとりしていると、「韓国に来いや!」という話が安から出て、それならばと一応、「この国」からの航空チケットを調べてみると、何と、「そのまま日本に帰国するより、一端、韓国を経由し、韓国から日本行きのチケットを買った方が安い」…という珍事実が発覚!!
「韓国、行けるじゃん!!」
…ということになり、その3日後には、韓国行き航空チケットを購入…。
こうして、電撃的に「韓国行き」&「1年ぶりの、安英学との再会」…が実現しました!!
まず僕としては、「この国」でビザの滞在期間が過ぎる手前まできていて、サッカーの練習もできない八方塞な状況に追い込まれていた中で、「来い!」と声をかけてもらえたことが、何よりも嬉しかった…。異国の地で安からこのメールを受け取った時は、本当に感激しました。
丁度、1年前、日本に一時帰国していた時に、故郷・広島から近い福岡港より、船に乗って釜山に行って再会して以来…。
この1年間で、僕も安も大きく状況が変りました。安は今年から韓国Kリーグの強豪チーム「水原三星」に移籍し、なかなか試合に出れない難しい状況に置かれていると、安のホームページを見て確認済み…。ともすれば、「若干、元気が無いのではないか?」と少し心配していましたが…そこはさすが安英学!!「笑顔」で僕を迎え入れてくれました!!
※インチョン空港で、安と1年ぶりの再会!!名前のプレートまで準備してくれて…って、それ無くても分かるじゃろ!?(笑)…けど、さりげない歓迎の演出が、凄く嬉しかったです(涙)。
自分が韓国に上陸したこの時、安は新天地・水原にて、どうも、1軍どころか2軍の練習にさえも参加がままならず、1人別メニューでフィジカルトレーニングをさせられるような、厳しい状況に置かれていたようです。おまけにチームが10何試合も無敗で独走している「無敵」状態にあり、なかなかそこに割って入る余地が無かったとか…。
大学時代から安を見てきましたが、新潟でも、名古屋でも、釜山でも、そして北朝鮮代表でも…常に中心選手として活躍してきた安が、ここまで厳しい状況に置かれているのは、正直、記憶にありません。
…しかし、今までも厳しい状況を、「実力」と「魂」で乗り越えてきた安です。僕は安を信じてるから心配は全くしてないし、それプラス、レギュラーとして活躍していた釜山を出て、あえて厳しい環境の強豪チームに移籍し、日々、闘う安の姿に、僕は計り知れぬ「パワー」をもらいました。
初めて見に行った水原の練習では、見事、1軍メンバー入りし、その紅白戦では、「この国」から長旅をしてアジアに帰ってきたばかりの僕の目の前で、2002年日韓W杯でも活躍した韓国最高GK…イ・ウンジェを相手に、見事、ゴールをブチ込んでくれました!!しかも、またヘディングで!!
…ここで「また」と書いたのは、以前のブログにも書きましたが、安は僕が帰国した直後に試合を見に行った時には、必ず「帰国祝い」のゴールを決めてくれるという凄いジンクス(?)があり、2004年に帰国した時には、アルビレックス新潟の一員として、僕の地元・広島で、サンフレッチェ広島を相手にヘディングゴールを決めてくれ(→こちら!)、去年は、釜山アイパークの一員として公式戦にスタメン出場し、僕の目の前でヘディングゴールを決めてくれたのです(→こちら!)。何という勝負強さ!!
…そして今回も、「また」ヘディングでゴール!!何か、ヘディングばっかだな…(笑)。確かに紅白戦ではありましたが、僕は本当に嬉しかったです。安、曰く「紅白戦でのゴールも、本当に久々だった」とか…。安の「魂」は、確実に僕の心に届きました!!
僕が韓国に滞在してる間に、安の所属チーム・水原の公式戦は全部で3試合ありました。…そして見事、その内の2試合を「スタメン出場」してくれましたよ!!やったー!!
どうも、今回、僕が見に行った時はどうにかスタメン出場してくれましたが、何とこれが、「開幕戦以来」…実に「10何試合ぶり」…今期「2度目」のスタメン出場だったとか…。僕がたまたま韓国に来た時に限って、しっかりスタメン出場を果たしてくれるとは…いや~、凄いタイミングですね!!やっぱ安英学はタダモノじゃない!!
転んでも起き上がり、怪我をも恐れぬタックルでボールを奪いにいく安英学は健在でした。ピッチで闘うそのひたむきな姿を見て、僕は「勇気」と「夢」と「希望」を与えてもらいました。本当、良いものを見せてもらいました!!
※スタジアムにて、Kリーグ観戦。
フィールドを出れば、いつものお茶目な安でした。「モノマネ」のネタも増えていました(似てはいませんでしたが…)。たくさん話し、たくさん「笑顔」をもらいました!!
※本場の韓国料理!!
…こうして、1年ぶりの安との再会も瞬く間に終わり、日本に一時帰国することとなりました。次はいつ会えるのか…?いつも安からは「パワー」「勇気」「夢」「希望」「笑顔」をもらいっぱなしなので、今度は、僕が安に「パワー」「勇気」「夢」「希望」「笑顔」を与える存在になっていたいですね。そう強く心に誓いました!!
※今回、安からもらった、「日の丸入り、JAPANシューズ」!!熱い!!世界のどこに居ても、この靴を履けば、「大和魂」&「武士道精神」が僕に降臨することでしょう…。ありがとう!!
最後は、意外にも「不思議ワールド」な韓国を写真で紹介しながらお別れです…。
※妙に「笑顔」な韓国の魚。魚でさえ、「笑顔」の重要性を理解しているとは…。韓国、恐るべしです!!
※買い物カゴに入る、韓国の子供。気持ち良さそう~…。
※民家の玄関にこんなモノが…。意味不明です。
安英学とまた同じピッチの上で闘えるよう、これからも「全力」かつ「自然体」で前に進んでいきます!!ありがとう、安!!
12 juin <最後の挑戦> 《最后挑战》
実は3日前まで、極秘帰国していました。
「この国」のプロサッカーリーグはOFFシーズンに入り、ビザの滞在期間も過ぎてしまったので、帰国する以外に方法が無くなったわけです。実に「1年ぶり」の日本でした。
(其实到三天前,我秘密回国了。[这个国家]的职业足球联赛现在休假,而且我的签证也过期了…所以除了回国以外没有别的办法了。实在一年之后又回国了)
今回はあえて、一切、誰にも「帰国」することを伝えませんでした。今の自分の状況では、帰国して日本で誰かに会ったり、連絡したりしても、報告できることは何もありません。自分自身が納得いかないので、極秘で帰国したというわけです。よって、「何で連絡せんかったんや!?」と思われた知人もいらっしゃったかもしれませんが、こういう事情があったので、ご理解して頂ければ嬉しい限りです。
(这次敢没告诉所有的人我[回国]。因为在我现在的情况下,和日本的朋友见面或联系也没有什么好报告的。我自己不希望这种情况,所以机密回国了。因此可能有的朋友们会觉得[为什么没联系呢!?]…但是我有这种原因,希望你们了解)
…そして3日前、短い日本での休暇を終え、僕は再び「この国」に帰ってきました。
(在日本过了短休假以后…三天前我又回[这个国家]来了)
※飛行機から見える、神秘的な空…。(从飞机上看到了一个很神秘的天空)
※あまりに寒過ぎて、飛行機の窓が少し凍ってます。今まで何度となく飛行機に乗ってきましたが、こんなの初めてでした!!(由于太冷,飞机的窗户结冰了一点。虽然我坐过好多次飞机,但是从来没有看过这样!!)
様々な事情があり、「チーム探し」という活動を続けるのが、日に日に困難になってきています。もし、今回、契約チームが決まらなければ…自分の中で、それなりの覚悟をもって今回の挑戦に臨んでいます。
(因为有好多原因…继续活动[找球队]…一天比一天困难起来。如果这次找不到球队的话…我都作好了精神准备)
…しかし、そんな後ろ向きな発想で、今回のブログのタイトル…<最後の挑戦>と書いているわけじゃーありません。
(但是我不是这种倒退的想法说…《最后挑战》呢)
昔、アントニオ猪木がプロレスの試合前の控え室で、
「今回、負ければ、世代交代ということにもなりますが…」
…という失礼な質問を浴びせてきたリポーターに対して、
「試合前に負けること考える馬鹿がいるかよ!!出ていけ!!」
…と言ってブチキレ、ビンタをかまして追い出したことがあります。
(以前Antonio猪木在职业角力比赛之前在等待室的时候,有一个报道人告诉猪木[如果这次你败北的话,是世代交代的意思]…这种太没有礼貌的活。后来猪木对这个报道人很生气地说,[谁比赛之前想败北呢!!滚出去!!] …然后猪木打了这个报道人)
僕もこのアントニオ猪木の考え方に、深く共感します。
闘う前に負けることを考えるのは、全くもって無意味です。勝算が無ければ、始めから挑戦などしません。
(我也很同感猪木的想法。斗争前想败北真的无意义。没有胜算的话,也不挑战)
だから今回のブログのタイトル…<最後の挑戦>は、
「今回でしっかり契約チームが決まり、こうやって所属チームがなかなか決まらずチーム探しを続ける状況に終止符を打つ」
…という意味で、<最後の挑戦>なのです。
(所以这次部落格的题目…《最后挑战》的意思是…[这次一定契约职业球队,于是结束这种找不到球队的情况]…是这样《最后挑战》的意思)
不安は全くありません。やっと契約チームが決まり、チーム探しに終止符を打つ瞬間を想像すると、凄くワクワクしてきます。いや~たまらん!!(←想像の世界に入ってます)
(一点不安都没有。想象终于契约职业球队和结束找球队的情况的话…我好激动!!)
「応援して下さい」とは、頼みません。
(我不要求支援)
「自分の活動、生き方を理解して欲しい」とも、全く思っていません。
(也不要求让别人理解我的活动和人生)
考えているのは…
(我只想…)
「自分の信じる道を突き進んで成功をおさめ、家族と、その他、お世話になった人々に恩返しをしたい」
…これだけです。
([朝着自己相信的路前进后达到成功,后来报恩我家族和帮助我的朋友们]…只是这个)
それでは、「最後の挑戦」を思いっきり楽しんでいきます!!
(好,那么我好好享受《最后挑战》呢!!)
今回、日本に帰国する際と、日本から「この国」に向かう際に、凄くおもしろい出来事があったので、その話はまた今度していきます。
(这次回国的时候和从日本去[这个国家]的时候有了好有意思的事情。下次讲这个话题把)
ではでは!!
(再见!!)
29 mai 「意思」ある場所に道は開ける!!
先日、「この国」のサッカー協会主催の、プロサッカー・コーチングライセンス取得のための「コーチングクリニック」が開催されました。
そこになぜか、Yojiの姿も…(笑)。
いやいやコーチを目指してるわけじゃーないですよ!!実は、このコーチングクリニックの中で、「GKコーチによるGKトレーニングの実演をプロコーチの卵たちに披露し、理解してもらう企画」があったのですが、その「GKコーチ」役に、何と僕が指名されたのです。
何で僕が…??こんな展開ってありなんでしょうか??(笑)
上の写真の、プロコーチの卵たちに対して指導を行っている、白ひげのサンタクロースのような人物(緑と黒のジャージ)と知り合ったことが、全ての始まりです。彼が今回、「Yoji、コーチングクリニックでGKコーチをやってみるか?」と誘ってくれたのです。こういう経験はなかなかできるものではありません。本当、ありがたいし、幸せなことです…。それに、僕にとっては何でも「チャンス」なのです。こういう場所に顔を出し、「Yoji」という存在を「この国」のサッカー関係者に認知してもらえる…。非常に重要なことです。
ちなみにこの「白ひげのサンタクロース」は「この国」のサッカー協会の関係者で、あの「最強危険エリア」を脱出し、プロチームの練習参加にコギつけたことがキッカケで知り合いました。(詳しくは→こちら!)
そう…。全てはあの時、「ここを離れよう!」と決意し、勇気を出して一歩、踏み出したことから、始まっているのです。
※現役のプロGK1人+ユースチームのGK2人…合計3人のGKに対して、GKコーチとしてGKトレーニングを実演しました。ホンジュラスで、本当、死ぬ一歩手前ってくらいまで、ありとあらゆるGK練習をプロGKコーチと積んでいた経験が、今回、大いに生きました。「今やってることは何でも、将来、必ず大きな『経験』として生きてくる」ということを、改めて学ばされました。
※プロコーチの卵たちから、食い入るような視線で注視されます。彼らは真剣にプロコーチを目指しており、今回のコーチングクリニックから1つでも多くのことを学ぼうと、尋常じゃないほど高いモチベーションで臨んでいます。そんな彼らに見本としてGK練習を実演するのは、大変、責任ある仕事でした。そんな仕事を任せてもらえたことに、幸せを感じました。実演後、「非常に良かった」とみんなから声をかけられた時は、本当に嬉しかったです。
この「白ひげのサンタクロース」に知り合ってから、僕の人生は劇的に好転しました。彼と出会うほんの数日前まで、僕は「最強危険エリア」で命の危険にさらされ、地獄のような状況だったことを考えれば、正に奇跡的な展開と言えます。
このブログをずっと継続してご覧になってる方々ならご存知かと思いますが、僕は「この国」に初めて上陸した際、サッカー界にコネがあるとかどうとか以前に、ただの1人も、知り合いがいませんでした。
…それが、気が付けば僕は「この国」のサッカー界の有力人物といつの間にやら知り合いになり、なぜかサッカー協会主催のコーチングクリニックにゲストとして招待されるまでに、人脈と可能性が広がっています。
「白ひげのサンタクロース」は、本当に本当に良くしてくれました。「あんな地獄のような場所に、お前は本当に住んでいたのか!?」と驚き、「今日から私の家に泊まりに来なさい」と言って僕を家に招待してくれただけではなく、毎日、毎食、ご馳走までしてくれ、さらには「この国」の有名観光地にもいろいろ連れて行ってくれました。
ほんの数日前まで、「北斗の拳」&「終戦直後の日本」状態の悲惨な状況に置かれていただけに、本当に感動して涙が出そうになりました。
「有力人物」は、「有力人物」とつながっています。
「白ひげのサンタクロース」の紹介などもあり、このコーチングクリニック終了後にも、他のサッカー協会関係者が、「電話番号とメールアドレスを教えてくれないか?」と僕に声をかけてきました。その他、何人かプロコーチの卵たちも、同様に声をかけてきました。そして、この日以外にも彼は、サッカー界の有力人物と知り合う機会をたくさん設けてくれました。僕は、知り合う人全員に「この国のプロサッカーリーグでプレーするためにやって来た」と伝えました。少しずつですが、「この国」のサッカー関係者の間で「何かおもしろい日本人がいる」という情報が広まってきました。これは今後、活動を進める上で、大変、大きな意味をもってきます。
「この国」上陸当初…。全く知り合いがいなかった僕は、自力でプロチームやサッカー関係者の連絡先を調べ、自分から電話やメールをして連絡を取っていました。しかし、どこのどいつかも分からない僕が、「自分から」一国のサッカー界の有力人物にいきなり連絡を取るのは、限界があります。案の定、全くもって取り合ってもらえないケースがほとんどでした。
…それがいつの間にやら、「サッカー界の有力人物」の方から僕に声をかけてくるという、信じられない状況に変化しつつあります。「自分から」声をかけるのと、「相手から」声をかけられるのとでは、天と地ほどの差があります。そして今、その「天」と「地」が、逆転し始めているのです。「ようやく活動が軌道に乗ってきた」と肌で感じています。
「白ひげのサンタクロース」のおかげで、僕の「この国」での活動に、ようやく光が射し込めてきました。今はもう、「この国」のプロサッカーリーグはオフに入っていて、これ以上、僕はここで活動できない状況ですが、来期、契約し、成功をおさめるための、最高の「種まき作業」が今回できたと、確信しています。今回まいた「成功の種」が、来期、必ず開花すると、僕は信じています。
なぜ、「白ひげのサンタクロース」は、どこのどいつかも分からない僕に対して、こうも良くしてくれるのか?
なぜ、最初は全く知り合いさえ皆無だった僕が、現在は「この国」のサッカー界の有力人物とつながりを持ってしまっているのか?
なぜ、地獄のような状況から一転、成功の匂いが漂う状況に好転したのか?
なぜ?なぜ??なぜ…???
考えれば考えるほど、不思議でなりません。
豊かな日本に居ると、その人にとって本当の本当に大事なものが何なのか?…が、ボヤけてしまうことが多々あります。本来、簡単なことまで複雑化し、物事の本質が見えにくくなるのです。
しかし、人間、「極限状態」に追い込まれると、人生で起こる全ての出来事が、段々、「シンプル」に見えてきます。僕は今回「この国」に来て、命の危険にさらされるなど「極限状態」に追い込まれ、そして、そこから一転して状況を好転させた経験を通して感じたのは…
「『意思』ある場所に、道は開ける」
…ということです。とにかく、強い「意思」を持つことが、何より大事だということ…。「意思」さえあれば、道は自ずと開かれるということ…。それでも道が開けないなら、それは「縁」が無いってことだから、しょうがないということ…。そして、どんなに難しい状況下でも、「笑顔」でいれば必ず幸福がやってくるということ…。以前からそれらは分かっていたことでしたが、今回、改めて、再認識させられました。
理屈で考えれば、今回の僕の挑戦は、あまりにも無謀かもしれません。しかし、人生、理屈では説明がつかない出来事が度々、起こります。
だから、あれこれ理屈を考えてもしょうがないんです(「作戦」は立てる必要がありますが)。「無心」「自然体」…そして「笑顔」で、自分の「意思」を信じて突き進めば良いんですね。そうすれば、必ず、成るように成ります!!
最後に…。「あんた一体、今、どこで活動しとるんや!?」といろんな方々から聞かれるのですが、残念ながら、今はまだ発表することができません。別にもったいぶってるわけじゃーないのですが、今回だけは、「きちんとプロチームと契約するまで、どこに居るか発表を控えたい」という強い気持ちがありますので、悪しからずご了承下さい!!
ずっとみなさんに「どこじゃい!?」と気にならせないためにも(笑)、1日も早くプロチームと契約して、ドカンと一発、良い報告をします。そして、応援してくれている家族や友達に、恩返しをすること…これが何よりも大きなモチベーションです。
では、また!!
※「白ひげのサンタクロース」の愛犬。寝ています。凄い寝相(ねぞう)です(笑)。
23 avril 从今天开始写汉语的部落格!!(今日から中国語でブログを書いてみることにしました!!)大家好!!从今天开始写汉语的部落格。因为,我的中国朋友们和在中国认识的留学朋友们也有时候看我的部落格。但是…他们看不懂日语文章呢!!哎哟!!所以我想让他们明白我部落格的内容。但不是每次写汉语的部落格,只是有时候阿!!
(こんにちは!!今日から中国語でブログを書いてみることにしました。なぜなら、僕の中国人の友達や、中国で知り合った留学友達なども時々、このブログを見てくれるのですが…彼らは日本語の文章が読めません!!ありゃりゃ!!よって、彼らにも僕のブログの内容を理解してもらいたいと思ったんです。ただし、毎回、中国語のブログを書くわけじゃー、ありません!!たまにだけですよ!!)
虽然我的汉语不太好,但是对我来说最重要的是[挑战]。我的人生就是挑战挑战又挑战!!不挑战的话也不能达到成功,永远不进步。所以我决定了挑战写汉语的部落格!!
(自分の中国語は未熟ですが、僕にとって最も重要なのは「挑戦すること」です。自分の人生は、挑戦、挑戦、そして挑戦です!!挑戦しなければ成功を成し遂げることもできないし、永遠に進歩することもできません。よって、中国語でブログを書くことに挑戦しようと決めたのです!!)
我去过好多国家。中国,美国,英国,洪都拉斯,牙买加,巴拿马,奥地利,等等…。因此,好多人误会[Yoji这么喜欢在海外生活!!]…。但是呢,其实我不太喜欢海外生活!!还是最喜欢的是在我的祖国日本跟家族一起生活。我的目的不是在海外生活,我的目的是踢足球,成为日本国家队。现在在海外有最好踢足球的机会,所以我不得不在海外生活。但是如果在日本有最好踢足球的机会的话,我一定赶快回国呢!!
(僕はこれまで、たくさんの国々に行ってきました。中国、アメリカ、イングランド、ホンジュラス、ジャマイカ、パナマ、オーストリア、などなど…。これにより、たくさんの人が「Yojiは何て海外での生活が好きなんだ!!」と勘違いしています…。しかし実は、僕は海外生活があまり好きではないのです!!やはり最も好きなのは、母国・日本で家族と共に生活することです。僕の目的は海外生活ではなく、サッカーであり、日本代表になることです。現在は海外で最も良いサッカーのチャンスがあるので、仕方なく海外で生活しているだけなのです。しかし、もし日本で最も良いサッカーのチャンスがあれば、僕は直ちに帰国します!!)
在世界上,最有用的语言是[英语]。好像所有的人都知道这个。但是,第二有用的语言,你觉得是什么呢?根据我的经验…是…[汉语]!!因为,不管在什么国家,都有中国人呢!!甚至在好奇怪的地方…也有中国人!!也有中国餐厅!!我真的大吃一惊了…。我有时候真的有疑问,为什么中国人在海外生活呢?因为对我来说中国比其它的海外有魅力…。
(世界で最も使える言語は、「英語」です。おそらくこれは誰でも知ってることでしょう。しかし、2番目に使える言語は何だと思いますか?自分の経験上、それは…「中国語」です!!なぜなら、世界のどこにでも中国人は居るからです!!奇妙な場所でさえ…中国人は居ます!!中華料理屋はあります!!これには本当に驚きました…。時々、僕は疑問に思います。なぜ中国人は海外で生活するのか?なぜなら、僕にとっては他の海外より中国の方が魅力があるからです…)
我已经说过我不太喜欢海外生活…。但是,如果在世界上随便可以去一个地方的话…现在我最有兴趣的地方,最想去的地方是……[台湾]!!
(すでに言いましたが、僕は海外生活があまり好きではありません…。しかし、もし世界中で好きな場所に、1つだけ行けるとしたら…今、僕が最も興味を抱き、最も行きたい場所は……「台湾」です!!)
去年在奥地利的时候我受伤了。六个月没回复,六个月没能踢球,六个月也没有能跑步!!六个月什么都做不了了!!这个期间,还是不简单了。但是那时候我在网上偶然看见了台湾的电视节目…。出演了一个台湾的歌星…。她叫[杨丞琳]。这个女孩儿,非常有意思!!非常有幽默!!我在Youtube上看她的节目时候,真的大爆笑了…。她在台湾被叫做[可爱教主]。实在杨丞琳好可爱呀!!而且她会说一点日语呢!!很棒!!现在在世界上我最喜欢的歌星就是杨丞琳!!
(昨年、オーストリアに居た時、僕は怪我をしてしまいました。6ヶ月間も回復せず、6ヶ月間もサッカーができず、6ヶ月間も走ることさえできませんでした!!6ヶ月間、一切、何もすることができませんでした!!これらの日々は、決して簡単ではありませんでした。しかし、そんな中、僕はネット上で偶然、台湾のTV番組を見かけました…。出演していたのは台湾の歌手…。彼女の名前は「レイニー・ヤン」です。この子…メチャクチャおもしろい!!メチャクチャ、ユーモア!!Youtubeで彼女のTV番組を見た時、思わず大爆笑してしまいました…。彼女は台湾で「可愛い教主」と呼ばれているようです。確かに、レイニー・ヤンは本当に可愛いです!!しかも、彼女は日本語も少し話せます!!凄い!!今、僕が世界中で最も好きな歌手は、レイニー・ヤンです!!)
※[杨丞琳] Rainie Yang (レイニー・ヤン) - Ai Mei [暧昧]。
※[慶祝]
※[狼來了]
※(「安室奈美恵」と「浜崎あゆみ」のモノマネをするレイニー・ヤン)
台湾的电视节目好有意思。这个不简单的[六个月]中,我在网上总是看了台湾的电视节目…。我的心情轻松了不小…。也充满了幸福的感觉…。于是总算会渡过了这个不简单的六个月。台湾的电视节目和杨丞琳救了我…。因此对台湾和杨丞琳,我胸中充满了感谢之情…。非常感谢!!
(台湾のTV番組は本当におもしろいです。この簡単ではなかった「6ヶ月間」の中で、僕はいつもネット上で台湾のTV番組を見ました…。気持ちがかなり楽になりました…。幸せな気持ちでいっぱいになりました…。おかげで、何とかこの6ヶ月間を乗り越えることができたのです。台湾のTV番組とレイニー・ヤンに、僕は救われました…。したがって、台湾とレイニー・ヤンに対して、僕の胸の中は感謝の気持ちで溢れています。本当にありがとう!!)
※台湾的日系美少女!?(司会レイニー・ヤン)
现在也我的爱好是看台湾的电视节目。如果有机会的话真的超想去台湾。好像我是个[哈台族]!!哈哈哈!!
(今でも僕の趣味は、台湾のTV番組を見ることです。機会があれば、ぜひ台湾に行ってみたいです!!僕はまるで「哈台族(台湾が大好きで仕方ない人)」のようです!!ははは!!)
好,那么以后见吧!!
(それでは、また!!)
6 avril 地獄からの生還!!『成功』に向けて、確かなる前進…。
人生において大事なことを、また1つ学ばせてもらいました。
「人は、第一印象だけじゃあ分からない」
前回記事で少しだけ紹介した「超重要人物」の下を離れる決断を下しました。実は彼、「エージェント」です。
出会って最初の1、2週間は、「良い人だな~」という印象をもっていました。しかし、3週間目あたりから徐々に本性が見えてきて、「この人物に関わってると、ロクなことにならん」という気持ちが大きくなっていきました。
ちなみにこの人物、アマチュアサッカーチームの監督も務めていて、それで僕はこのチームで、コンディション回復のための調整をさせてもらっていたわけです。…ところが、フィールドの中でも度々、意見の食い違いが出てきました。
さらには、このアマチュアチームの選手達との共同生活を余儀なくされたのですが、それがとんでもない場所で、現地の人でさえ昼間も1人では歩けないほどの驚異的な治安の悪さ…。まるで「北斗の拳」の世界のような荒れ果てた光景…。家の中にはトイレどころか水さえ無い…。おまけに電気すらロクに使えないから、食事もまともに食べれない…。正に「終戦直後の日本」のような生活です。
※周りはこのような家に囲まれています。危険過ぎて、写真もまともに撮れませんでした。これは、数少ない写真の1つです。
しかし、これだけなら、まだホンジュラスでの経験でどうにか対処できる範囲内でしたが、何とある日、一緒に練習していたアマチュアチームの選手が殺人事件を起こすという、信じられない事態が勃発!!事件の前日までその殺人犯は普通に僕達の家を出入りしており、この時ばかりはさすがに、28年間の人生の中でも最大級の恐怖を感じました。
確かに僕はこれまでも、「命懸け」でサッカーをしてきました。しかし、「命」と「サッカー」…どちらが大事かと言えば、もちろん「命」です。
「1秒でも早くここを離れなければ、とんでもないことになる!!」
…ところが、プロチームと契約するために「この国」に来てる以上、他に有力なチャンスを見つけない限りは、ここを離れるに離れられない状況です。しかも、あまりにへんぴな場所過ぎて、外に出るまともな交通手段すらありません(来る時は、エージェントの車で連れて来られた)。正に「監禁」状態です。
※地獄のような場所でしたが、空だけは美しかった…。この「美しい空」が、この時の僕の唯一の希望でした。
普通なら焦る状況ですが、ホンジュラスを筆頭にありとあらゆる国々で、ありとあらゆる修羅場を経験してきたおかげなのか、この極限状態の中でも冷静に作戦を立て、実行に移しました。
「この国」に来たのは生まれて初めてで、当然、サッカー界にコネなんて全くありません。それどころか、頼りになる知り合いさえいないのです。だから、チャンスを探すのから宿泊先、交通手段の手配まで、全て自分1人でやるしかないのです。
自力で「この国」のプロサッカーチームの連絡先を調べ、自力で作った手紙と履歴書を送り、どうにかこうにか1チームだけ「練習参加OK」の連絡が届きました。
それからは自力でバス会社に電話しバスチケット入手…。「地球の歩き方」で調べて、自力で宿泊先を手配…。バス停までは、偶然、道端で知り合った人に車で連れて行ってもらうという、一か八かの大バクチ!!(下手したらヤバイ場所に連れて行かれて大変なことになるのですが、これ以外にこのへんぴな場所を抜け出す方法はありませんでした)
こうして、何とかかんとか、命からがら「北斗の拳」&「終戦直後の日本」状態の最強危険エリアからの脱出に成功しました。ふ~…(一安心)。
※無事、最強危険エリアを脱出し、ホテルでホッと一息…。
今は連絡をくれたプロチームに合流し、毎日、練習を重ねる日々です。プロチームでサッカーするのも、およそ「1年ぶり」…。しかし、ブランクを感じないほどプレーは好調で、良い感触を掴んでいます。…ただ、ビザの滞在期間のリミットが迫っているので、もうすぐ「この国」を離れないといけません(しかも「この国」のプロサッカーリーグは、あと2、3試合でシーズンオフです)。
※プロチームの選手達と…。
※プロチームのボーリング大会&食事会にも招待されました。選手やチームマネージャーと…。
※プロチームのスカウト&GKコーチと…。
このプロチームに合流してから、やっと『成功』できる「流れ」にノッた感じがします。もし、あのままエージェントの居た最強危険エリアに留まっていたら、大変なことになっていたでしょう。
今回は治安が悪い場所だったこともあり、早急に「離れる」決断を下しましたが、例えあそこが安全な場所だったとしても、僕は同じ決断を下したと思います。なぜなら前述したように、このエージェントが自分に「プラス」をもたらす人物だとは、到底、思えなかったからです。
今、居る環境が自分に「プラス」をもたらすのか?あるいは「マイナス」をもたらすのか?そこを見抜けるかどうか…そして、それを見抜いてから、いかに早く「次の行動」を起こせるか…。これが『成功』するか「失敗」するかの大きなターニングポイントになると僕は考えます。
今、居る環境が自分に「マイナス」をもたらすと感じていても、「他にチャンスは無いから」と、嫌々ながらもその環境にすがり付くケースもよくあります。僕も最近まではそうでした。だからアメリカ時代、「アメリカが合わない」と分かっていても、なかなか離れられなかったのです。
しかし実は、「他にチャンスは無いから」と、自分に合わない環境に嫌々ながらもすがり付くからこそ、他にある「無限のチャンス」を逃すことになるのです。
今回のケースを見ても、「エージェントが自分に合わないし、治安がメチャクチャ悪い場所だから、もう見切りをつけて離れよう!!」と決心し、行動した直後、「この国」にやって来てからは初めてとなる、「プロチームでの練習参加」というチャンスをゲットできました。もしあのまま「他にチャンスは無いから、嫌々でも我慢してこのエージェントに頼るしかないんだ」とあそこに留まっていたら、一生経ってもプロチームからチャンスは到来しなかったことでしょう…。
ここでちょっと、最近の状況を簡単に振り返ってみます。
「オーストリアで怪我して半年間、ランニングさえできない状況」
↓
「今年に入ってどうにか怪我が治り、ランニングだけはできる状態に回復」
↓
「何とか『この国』に上陸も、チャンスが得られず1人で街をランニングする毎日(約1ヶ月間)」
↓
「エージェントと知り合い、アマチュアチームでサッカーの練習開始。まともにボールに触るのは、実に約1年ぶり!!」
↓
「最初は、アマチュアのレベルでさえ、体が思うように動かない最悪のコンディション」
↓
「コンディションが回復し、もはやアマチュアレベルでは練習にならない状況」
↓
「エージェントと徐々に噛み合わなくなる」
↓
「最強危険エリアに引越しさせられ、命の危険にさらされる(引退も覚悟)」 ※絶体絶命のピンチ!!
↓
「エージェントに見切りをつけ、ここを離れることを決断!!(エージェントの下に来て1ヶ月と2週間経過)」
↓
「これまでの28年間の経験と知識を振り絞り、プロチームで練習させてもらう作戦を練りに練って、実行」
↓
「ついにプロチームから連絡が届き、練習参加にこぎつける!!プロチームで練習するのは、およそ1年ぶり!!」
↓
「1年ぶりのプロチームでの練習も、ブランクを感じさせないプレー。今後の活動の見通しが立ち、自信も上昇!!」
↓
「プロチームに合流したおかげで、思いもよらない有力な人脈が一気に広がる!!」
↓
「やっとプロチームに合流も、ビザの滞在期間が切れるので、『この国』を離れないといけない。しかも『この国』のプロサッカーリーグは、これから3ヶ月間の長期OFF…。しかし、最後の最後、土壇場で人脈が広がったことにより、次シーズンに契約できる可能性は高まった!!」
↓
? ? ? ? ? ?
コネも何も無い…。知り合いや友達さえもいなかった…。しかも「世界最強に治安が悪い」と評判の「この国」…。
そんな状況で単身、乗り込み、どうにかこうにか、ここまで辿り着きました。まだまだ何も成し遂げていないし、ゴールはまだ僕の視界には入ってきてません。しかし僕は、あえてそんな状況でも「確かなる前進」と捉えています。
正直、言うと、最強危険エリアに移動させられてからの数日間は、命の危険にさらされるなど本当に地獄のような毎日だったので、「こんな思いをしてまでサッカーを続ける意味はあるのか?もうサッカー辞めるべきか?」…真剣に考えました。
しかし、いつも自分がやってきたのは、「サッカー辞める覚悟があれば、何だってできる!!どうせ辞めるなら、最後にもう1つだけ行動してみよう!!」と逆に開き直り、やれる限りのことを、もう1回だけやってみることです。すると不思議なもので、ひょこっとどこからかチャンスがやってくるもんなんですね~…。
「後悔しないために、やれる限りのことはやっておいた方が良い」
…僕の嫌いな言葉です。
この言葉は、「実現できない」ことを前提としています。「実現できない」と最初から考えているものに対して、120%の力を注げますか?
人間というのは「絶対、実現できる」と信じているからこそ、120%の力を注げるのだと思います。そして、120%の力を注がなければ、必ず後悔することになります。つまり、やるからには『成功』を信じてやるしかないのです。信じないなら、最初からやらない方が良い…。僕は今までの人生の中で、後悔したことは、ただの1度もありません。
しかし、「信じる」と駄目だった時のショックも倍増します。僕も数え切れないほど、泣きたくなるような悔しい経験をしてきました。だから大抵の人は、何かと理由をつけてやらないんだと思います。それも人生における1つの方法論なので、僕は尊重します。
…ただ、それでも僕はあえて、これからも「絶対、実現できる」と信じて、120%の力を注いで活動していきます。
僕は、「後悔しないため」に活動しているのではありません。「成功するため」に活動しているのです。そして、「家族」や「故郷」に恩返しするために活動しているのです。
これからも、『成功』を信じ、『成功』することを前提として活動し、前に進んでいきます。
3 mars ついに踏み出した、『成功』への第一歩…。俺はフィールドに帰ってきた!!
約「1年ぶり」です。
僕はついに、フィールドに帰ってきました。
先日、今回の活動の鍵を握る「超重要人物」と知り合い、現在、その人物が監督を勤める、とあるアマチュアチームでコンディション回復のための調整をさせてもらってます。また、こうして再び『夢』に向かってサッカーできる「幸せ」を心の底から噛みしめながら、今、僕はボールを蹴っています。
思えば昨年、パナマを離れてから今日に至るまでの約1年間…。
なかなかチームが決まらなかったり、怪我をしたりして、全くサッカーをすることができませんでした。
特にオーストリアで怪我をしてからの半年間は、サッカーどころか、ランニングさえもできない状況に置かれていました。
サッカーで『夢』を追いかけようとすると、なぜかサッカーが自分の下からどんどん離れていくという、大変もどかしい1年間を過ごしました。
「神様は、俺にもうサッカーするなと言っとるんじゃろうか?」
…そう思ったことも、何度かありました。
しかし、今、僕はこうして再びフィールドに帰ってきました。神様はまだ、僕を見捨ててはいませんでした。
例の「男女共用サウナ」のおかげで、半年間、何をどうやっても回復しなかった怪我が、見事に完治しました。「男女共用サウナ」…恐るべしです!!
約1年ぶりにフィールドに帰ってきた当初は、想像以上に体が動かず、若干ショックを受けました。
…しかし、焦りは全くありませんでした。なぜなら、これまでの人生の中でも何度か長期間にわたってサッカー環境を失った経験があり、その経験上、1、2週間も練習すれば、すぐにコンディションは回復することを知っていたからです。
やはり、何事も「経験」です。経験に勝るものはありません。
案の定、現在は早くもコンディションが上昇気流に乗っており、この調子だと、「完全復活」も間近です。
1年間、サッカーできなかった経験は、決してマイナスにはなっていません。むしろ、多くの「プラス」を僕にもたらしています。
この「1年間」のおかげで、サッカーに対する「新鮮さ」を再び取り戻しました。今は毎日サッカーをやっていて、新たな発見の連続です。ホンジュラスでサッカー漬けだった毎日の中でも決して気付かなかった、サッカーに関する新たな発見があるのです。不思議なものですね。
そして、「サッカーで夢を追いかけられる」ということが、いかに「幸せ」で「ありがたい」ことか、再認識させられました。
ほんの1ヶ月とちょっと前まで、怪我で半年間もランニングさえできない状況だったことを考えれば、今の状況は、とてつもない進歩です。…だって、こうしてフィールドに戻ってきて、元気にサッカーしてるんですから!!
「Yojiの生き方が理解できない」
…と、離れていく友達も少なからずいます。
理解できなくて、当然です。何せ、僕の「サッカー」…特に「日本代表」に対する想いは、常人の想像を遥かに超越していますから(笑)。
ただ、僕としては、「別に友達に迷惑をかけてる訳じゃないし、人それぞれの生き方があるのだから、その人が充実した日々を過ごせているのなら、それで良いじゃないか」と思うのですが、まあ、考え方も人それぞれなので、離れていく友達のことも尊重しています。
そして、僕には家族がいます。
「家族」と「友達」は、決定的に違います。
友達は、いくらこっちが大切にしてても、向こうが離れていってしまえば、その時点で終了です。
…しかし家族は、何があっても家族です。問題が起ころうが、世界のどこに居ようが、家族は家族です。
今、僕は、家族のサポートのおかげでサッカーできていると言っても過言ではありません。いや、家族がいなければ、僕のサッカー人生はとっくの昔に終わっていたことでしょう。本当の本当に苦しい時に支えてくれるのは…やはり「家族」以外にはありえないと、改めて思いました。
確かに数年前までは、家族は僕がサッカーをすることに大反対でした。しかし今は、僕を支えてくれてます。その存在の大きさは、計り知れません。
…それに、こんな僕のことも応援してくれる友達も、中にはいます。
1日も早く、家族と、応援してくれている友達に恩返しをしたいです。
僕はついに、『成功』への第一歩を踏み出しました。
全ては故郷のため、家族のため、そして応援してくれている友達のため…。
必ず、もうすぐ、大きな大きな「良い報告」をします。
では!!
※とあるホテルで知り合った、おばちゃんと子供。
(現在、ネットをするのが困難な環境に居ます。ブログのコメントやメールの返信がなかなかできない場合がありますので、悪しからずご了承下さい!)
31 janvier 「1年分」の「良い報告」をするために…。 本当にお久しぶりです。お元気ですか?
ずっとブログを更新してなかったので、たくさんの方々にご心配をおかけしてしまったようです。
こうしてたくさんの方々に心配していただけることは、本当に「ありがたい」ことであり、改めて自分は「幸せ者」じゃと思いました。本当にありがとうございます(涙)。
ブログを更新しなかった理由はいろいろあるのですが、最も大きな理由は、
「今回は中途半端な報告はしたくない。応援して下さってる方々に心から喜んでもらえる成功をおさめるまでは、ブログの更新を控えよう」
…と決心したことにあります。
昔の日本人は、物凄いことを、誰に知られることもなく、ただただ無言で黙々とやっていました。そこに人間としての「凄み」があったわけです。僕の最も尊敬するおじいちゃんも、こういう「凄み」をもっています。
しかし現代日本人は、ネットが普及したこともあり、凄くもないことを、いかにも凄いかのように、いとも簡単に他人へアピールするようになってしまいました。
今の自分が「成功」をおさめるためには、僕は「昔の日本人」になる必要があると感じました。
昨年1年間は、全くもって「良い報告」ができませんでした。応援して下さってる方々…特に家族は本当に自分のことを支えてくれているのに、僕はそれに全く応えることができませんでした。こんなに、もどかしいことはありません。
とにかく今回は、昨年「1年分」の「良い報告」がしたいんです。どうしてもしたいんです。
「良い報告がしたい」というのが、僕の「モチベーション」と「エネルギー」の源です。
それなのに、まだ何も成し遂げてない今の状況で、ちまちまブログを更新をして報告していたのでは、モチベーションとエネルギーを小出しにしているのと同じです。
今の自分が「成功」するには、この「良い報告がしたい」というモチベーションとエネルギーを、最大限まで高める必要がありました。…それも、ブログを更新しなかった理由の1つです。
よって本来なら今日はブログを更新する予定は無かったのですが、いろんな方々から心配のメッセージが寄せられましたので、「心配無用ですよ!」という報告だけはしておかねばならないと思い、久々、ブログを更新している次第であります。
まず1つ報告しておかねばならないのは、僕はもう「オーストリア」には居ません。すでに、「未だかつて日本人の誰も成し遂げたことのない、とんでもない挑戦」を始めています(詳しい活動内容は、まだ明かせません)。
そして、この大きな大きな挑戦をするにあたり、僕は前回記事で書いた「男女共用サウナ」の勢いそのままに、かつて無いほどの「強運」を味方に付け、爆進しています。
まだ、「成功」はおさめていません。…しかし、「その日は近い」と確信しています。
たくさんの方々にご心配をおかけいたしまして、誠に申し訳ございませんでした。その気持ちに応えるためにも、今回こそは必ず「良い報告」をします。
僕は今、「成功」に向けて全力疾走しています。全くもって「心配無用」です!!
それでは、また次、ブログを更新するまで…。
※「未だかつて日本人の誰も成し遂げたことのない、とんでもない挑戦」のために、僕は「この地」に上陸しました…。飛行機から見える「この地」の景色。これだけでどこか分かったら、かなりの猛者です(笑)。
3 janvier 前代未聞!「2007年」は、とんでもない締めくくり!これは「2008年」が「成功の年」になる予兆か…!?
あけましておめでとうございます!!今年もヨロシクお願いします!!
いや~…。とうとう、「2007年」が終了しました。
今年もまた、海外で「正月」を迎えることになってしまいました(現在、まだオーストリア)。
毎年毎年、「正月だけは、日本に居たい!」とブログに書いてきましたが、今年もその願いは叶いませんでした。アイヨ…(涙)。
2002年からの6年間で、正月に日本に居れたのは、僅か1回(2004年)のみ…。日本の正月が大好きな僕にとっては複雑な心境ですが、こうして海外で正月を迎えられるのも、ある意味、凄く貴重な経験なので、それはそれで「幸せ」を感じています!!(けど、やはり正月は日本に居たい…)
ところで、いろいろあった「2007年」ですが、その締めくくりは、「とんでもない!」ものとなってしまいました。
これまでの28年間の人生の中でも、「縁」があって様々な国々に行き、本当にありとあらゆる経験をしてきたつもりでしたが、まさかここにきて、そんな僕でも「前代未聞」の経験をすることになろうとは、思いもよりませんでした…。
まず先に、ちょっと現在の状況を説明したいと思います。
例の「親日おばちゃん」の家は、「年末にたくさんのお客さんが来て、部屋が満室になる」ということで、「12月26日」をもって、出なくてはならなくなりました。ピンチ!!
※家を出る前に、「親日おばちゃん」と記念撮影。ダンケ!!
…しかし、何とラッキーなことか、今度はその「12月26日」から、以前まで住んでいた例のユースホテルの改装工事が終了し、再び住めることになったのです!!絶妙のタイミング!!いやー、本当に「運」があるわい!!(ちなみに今回の僕の部屋は、例の「サウナルーム」ではなく、普通の部屋)
こうして再びユースホテルに戻ってきた僕ですが、まさかここで、「前代未聞」の、「とんでもない!」経験をすることになろうとは…。
年越し前夜…。
僕の部屋にはシャワーが無いので、仕方なく、シャワー完備の共同「サウナルーム」を利用することになりました。
しかし、このサウナルーム…。ホテル内に1つしかありません。しかも、僕が行こうとした時、「現在、女性たちが利用している」との情報が入ってきました。
そこで、ホテルの社長に、
「あの~。いつになったら女性たちの利用は終わるんでしょうか?いつ頃、僕はサウナルームを使えるんでしょうか?」
…と質問しました。
当然のことです。自分が行った時にサウナルームに女性が居たら、大変なことになりますからね…。海外まで来て、警察沙汰になるわけにはいきません!!
しかし、ここで社長の口から、信じられない言葉が飛び出したのです…。
「今、使えるよ」
???
社長は、「現在、サウナルームは女性たちが利用中」という状況にも関わらず、「今、使えるよ」と言っているのです。
意味が分からず、再度、社長に聞き返しました。
「今、使えるって、今、女性たちが利用していて、使えないんじゃけど…?」
それに対する社長の答えに、僕はド肝を抜かれました。
「大丈夫。今、使えるんだ。サウナルームは、男女共用だ」
?????????????????????????????
はあぁ!!!???
何いぃ!!??
嘘じゃろう!!??
そんなハズはない!!!!
頭が混乱しました。
「サウナルームが、男女共用!?」
…社長の言うことが本当なら、一大事です(嘘でも一大事!)。
「ひょっとしたら、自分のつたないドイツ語が、上手く社長に通じてないのかもしれない…」
「いや、もしかしたら、俺の聞き間違いかも…」
「多分、ジョークで言っとるんじゃろう…」
…いろいろ考えました。
しかし、何回、聞いても、社長は、
「サウナルームは、男女共用」
…と言います。何事も無かったかのように、平然とした顔で…。
「まさか!?」とは思いましたが、どうやら、本当の本当に「サウナルームは、男女共用」のようです。こんなことって、本当にありえるのか!?確かに日本にも「男女混浴」ってのがあるけど…。
正直、かなりビビッてしまいました。しかし、体を洗うためには、どうしてもサウナルームに行く必要があります…。
僕は、覚悟を決めました。
「こうなったら、男女共用のサウナルームに行くしかない!!迷わず行けよ、行けば分かるさ、ありがとうーー!!」
※サウナルームの紹介写真。よく見ると、確かに男女が一緒に利用してますが…。
サウナルームに到着。恐る恐る、ドアを開けました。
そこで僕が目にしたのは、数々の修羅場を潜り抜けてきた28年間の人生の中でも、ただの1度として目撃したことがない、あまりにも衝撃的な光景でした。
スッポンポン!!!
男性、女性に関係なく、みんながみんな、当たり前のように「スッポンポン」なのです!!!
「な、なんじゃこりゃあ!!??」
さらに、灼熱のサウナボックスの中に入ると、狭い空間の中で、男性数人&女性数人(全員ドイツ人)がひしめき合い、何事も無かったかのように、スッポンポンで世間話をしています。
その異様な光景を見るにつけ、僕は「おそらく原始時代は、こうやって男女が裸で交流してたんじゃろうな…」と、思わず想像しました。
そして、男性はともかく、女性の、スッポンポンでありながら、そのあまりの堂々たる態度に、僕は言葉を失いました。
実はこの時、僕はまだ状況がよく把握できていなかったので、1人だけパンツを穿いていました。
しかし、正直なところ、この「空間」の中では、むしろパンツを穿いている方が、極めて「不自然」なのです。そういう空気が流れているのです。しかも、「なぜ男女共用がOKなのか?」と聞くことさえタブーといった空気すら流れています。
「この空間は一体、何なんじゃ?これは、一体、どうするべきなんじゃ?」
スッポンポンのドイツ人男性&女性の集団に囲まれる異様な空間の中で、自問自答を繰り返しました…。
これまでも、地球上の様々な国々に行き、様々な文化の違いを経験するも、「郷に入れば郷に従え」の精神で溶け込んできました。しかし、今回のは、今までのとは全く桁違いの、とんでもない状況です。
さあ、どうする!?
「ここに日本人は俺しかいない…。この空間の中では、女性だって堂々とスッポンポンになっている…。日本人の代表(?)として、ここで俺が1人だけパンツを穿いていては、あまりに情けない。岡ちゃんに合わす顔がない…。武士道精神をヨーロッパ人に見せ付けるしかない…」
僕の心は決まりました。
「迷わず脱げよ、脱げば分かるさ、ありがとうー!!」
こうして僕は、ついに重い腰を上げ、パンツを脱ぐことになったのです…。
心なしか、パンツを脱いでスッポンポンになり、ようやくこの空間の空気に溶け込めたような気がしました。周りの人達との、仲間意識(?)が芽生えました。
いや~それにしても…。やはり地球は広い!!それぞれの国に、それぞれの文化があることを、改めて痛感しました。まさか、男女がスッポンポンになって、一緒に入るサウナルームがこの世にあるとは…。
ホンジュラスでは、「中南米人男性は全員、大事なところの毛を剃っている」という信じられない事実を、練習後の更衣室で目の当たりにしましたが(女性は未確認)、今回、オーストリアのサウナルームで起こったこの出来事は、その時以上の衝撃でした。
恐る恐る聞いたところ、男女共用(サウナ)で「問題ない」のは一応、ヨーロッパ全土ではないらしく、「ドイツ、オーストリア、スイスは、とりあえずOK」…だそうです。なるほど。気を付けないといけませんね。知らずに他のヨーロッパ諸国でも同じことをやったら、大変なことになります!!
不思議なもので、最初は違和感があった「男女共用」のサウナルームですが、15分もすると、何だか普通になってくるもんですね…。これも人間の適応能力なのでしょうか?
今まで自分の中にあった「常識」というものが、ある日、突然、常識じゃなくなる瞬間がある…。
そもそも常識というのは、意外とモロい…。ルール次第で常識というのは、いとも簡単に変化してしまいます。今回の話だと、「サウナルームは男女共用」というルールを突きつけられたら、これまで僕の中にあった常識は、あっけなく破壊されてしまいました。
男女共用サウナルームの中で、女性たちがこんなにも堂々と、男性たちの目の前で、全く恥ずかしげもなくスッポンポンになっている光景を目の当たりにして、「だったら何で日常生活の中では、コソコソ隠す必要があるのか!?」と不思議な感じがしました。わけ分かりません。
…実は、「衝撃」はこれだけでは終わりませんでした。
灼熱のサウナボックスの中に居た、屈強なガタイをしたスッポンポンのドイツ人男性&女性たちが、何といきなりサウナルームを飛び出し、野外に出て、積もった雪の中に飛び込んで行ったのです!!スッポンポンのままで!!
「な、な、何じゃこりゃあぁ!!??」
確かに、「サウナの後は、体を冷やす」のは鉄則です。しかし、「スッポンポンのまま野外に出て行き、積もった雪に飛び込んで体を冷やす」というのは、明らかに僕の今までの「常識」の範囲外でした。
日本なら、警察沙汰になる行為です。まあ、もう日が暮れていて、スッポンポンで外に出ても、周りの人には見え難いっちゃー見え難い状況でしたが…。それにしても、男性はまだしも、普通、女性までもがスッポンポンのままで、野外に出て行くかぁ!?
「ドイツ人、恐るべし!」です(場所はオーストリアのホテルですが、現在、ドイツ人旅行者が大量に来ているのです)。
別に彼らはふざけたノリのドイツ人ではなく、至って普通な…いや、どちらかと言うと真面目なタイプのドイツ人でした。そう、やってる本人たちは真剣なのです。だから余計に、違和感を感じるのです!!
…そうこうしていると、今度は、若くて、メチャクチャ美人なドイツ人女性が、サウナルームにやって来ました。
「おおおおお!!?」
緊張が走ります…。
しかし彼女は、
「ああ~…。今、人が多いみたいね。また後で来よう」
…と言って去って行きました。ありゃりゃ~!?
彼女と少し話をしましたが、どうも中には、たくさん男性が居る空間の中でスッポンポンになるのは、「恥ずかしい」と思うドイツ人女性もいるようです(まあ、それが普通だとは思いますが)。
幸い、このメチャクチャ美人なドイツ人女性がサウナルームにやって来た時には、すでに僕はシャワーを浴び終えてパンツを穿いている状態だったので、助かりました(?)。
それにしても、年の終わりにこんな、とんでもない経験をすることになろうとは…。
まあ、「これはある種の、お年玉じゃ!!」と思って割り切りました。
そして、思わぬ怪我をしてしまい、約半年間、オーストリアの田舎町で身動きがとれない状況に陥ってしまいましたが、そのおかげで、今回のこの「前代未聞」で「とんでもない!」経験ができたので、「これはこれで、アリだな」と納得しました。
いや~、「怪我の功名」とは、正にこのことです!!ラッキー!!
…さらに昨夜、1人でサウナルームを利用してたら、夜の点検に来たホテルの社長に、誰もいないと勘違いされて、外側からサウナルームの鍵をかけられしまい、出られなくなる!!…という、とんでもない経験もしました。
サウナルームの内側から必死にドアを叩き、「開けてくれー!開けてくれー!」と叫び、ドアの向こう側にゾロゾロ人が集まってきて(声だけ聞こえる)、「日本人が閉じ込められたー!」と大騒ぎになりました。
しかし幸い、数分後、ホテルの社長を誰かが呼んできてくれ、無事、鍵を開けてもらい、サウナルームから脱出しました。ドアが開いた瞬間、みんな大笑いでした。僕はまるで、ヒーロー(?)のようでした。
何だか、新年早々、おいしいところをもっていけて、得したような気分がしました。
「2008年」は、幸先の良いスタートを切りました!!
今、「流れ」の良さを、肌で感じています。
おそらくこれらの出来事は、「2008年」が「成功の年」になるという、予兆だったのでしょう。
いや~、今年は本当にエエことがありそうじゃのう!!!
迷わず行けよ、行けば分かるさ、ありがとうーー!!!
迷わず脱げよ、脱げば分かるさ、ありがとうーー!!!
1、2、3、ダァーーーー!!!
15 décembre 「28歳」になりました!!
どうも、道明Yojiです。
「12月14日」をもちまして、僕は「28歳」になりました。
実は、「ノストラダムス」(分かります?)と同じ誕生日です。
そして、イングランド代表サッカー選手「マイケル・オーウェン」とは、生まれた年(1979年)、誕生日…全て一緒です。ポジションは彼が「FW」、僕が「GK」なので真逆ですが、全く同じ生年月日として、いつの日か、同じピッチの上で闘えれば最高だと思います。
「27歳」の1年間を総括すると…。
まあ、率直に申し上げまして、非常に「悔しい」「もどかしい」「歯がゆい」…1年間でした。
2006年11月…。ホンジュラスのプロサッカーチーム「Lenca(レンカ)」にて、出口の見えない意味不明の「書類問題」に悩まされていた僕は、意を決して、「26歳」にしてようやく掴んだ「プロサッカー選手」という地位を捨て去り、ホンジュラスを離れ、「新たな挑戦」を始めました。
当初は、「すぐに新契約チームは決まる」と信じていました。「自信」もありました。だからこそ、「新たな挑戦」を始めたのです…。
しかし、そうは簡単に事は進みませんでした。
ジャマイカでは、「サッカー人生最大の屈辱」を受けました。そして、ジャマイカで迎えた「27歳」の誕生日は、正に屈辱にまみれた「涙の誕生日」となりました。しかし、「1%の可能性」だけはジャマイカに残してきました。
その後、ホンジュラスに帰り、知り合いのツテでホンジュラス1部リーグ(日本のJ1に相当)のプロチームの練習参加が実現しました。しかし、ここでも屈辱的な扱いを受けました。
そうこうしてると、パナマのアミーゴ、ドナルド・ゴンサレス(元パナマ代表正GK)から連絡があり、「Yojiをパナマ1部リーグのチームに推薦したい」と言われ、ホンジュラスからバスで4カ国の国境を越える「人生最大の旅」をして、パナマに上陸しました。
しかし「Yojiをパナマ1部リーグのチームに推薦したい」という言葉はどこへやら…。4カ国を超えるバスの旅を経て、ようやくパナマに辿り着いたその30分後、ドナルド・ゴンサレスの口から「やっぱ、推薦するチームが無くなった」という、信じられない言葉が発せられました。
「何のために、パナマまで遥遥やって来たのか!?」
さらにパナマで僕を待っていたのは、想像を遥かに超えた劣悪なサッカー環境、レベルの低さ、そして怪我(現在の怪我と反対の足)…。
「サッカー人生最大のカルチャーショック」「サッカー人生最大の修羅場」を経験しました。
そして、挙句の果てには、5万円相当する僕のデジカメが盗まれました。警察沙汰になり、検事から事情聴取を受けるなど、どんどん異常な事態に巻き込まれていきました。
最後は、事が大きくなったことで、犯人が逆恨みして僕を襲いに来る危険性まで出てきたので、命からがらパナマを離れ、日本へ帰国することになりました。
日本帰国2ヶ月半後…。ジャマイカのチームから連絡があり、残っていたジャマイカでプレーする「1%の可能性」も完全消滅しました。
とあるJリーグチームの関係者に連絡を取るも、「興味が無い」と一蹴されました。
八方塞となり途方に暮れてた時、大学時代の知り合いから連絡があり、「オーストリアに知り合いが居る」と言われ、決して確信が持てる話ではないと分かっていても、その時の僕には他にチャンスは無く、「オーストリアに行くか?それともこのまま引退するか?」の二者択一を迫られているのと同じ状況だったので、
「ならば、生きるか死ぬかでオーストリアに行くしかない!!」
…と決意し、オーストリアに上陸しました。
しかし、やはり案の定、オーストリアで「チャンス」は訪れませんでした。
それでもようやく、「チームとしては興味無いけど、一緒に練習だけは、1回してあげても良い」と言うプロのGKコーチが知り合いを通じて現れ、僕は彼の居る「バッド・オーセー」という田舎町に向かうことを決断しました。
ところがその前日、僕は自主練習の際に怪我を負ってしまいました。
当初は「こんなの、1週間もすれば治る」と思っていたのですが、何とこの怪我が、4ヶ月以上経った今でもまだ治らず、「サッカーするため」に遥遥オーストリアまで上陸したのに、「オーストリアに来てからの5ヶ月間、ただの1度もサッカーできていない」という、考えられないような状況に陥りました。
…こうして迎えた、「28歳の誕生日」だったのです。
いや~…。こうやって文章にしてみると、我ながら凄まじい修羅場の連続ですね(笑)。
まあ、僕のこの1年間を見れば、普通の人ならサッカーを辞めていたであろう出来事は、少なくとも10回はあったと思います。いや、ひょっとすると、もっともっとあったかもしれません。なぜなら、上記したのが、今年起こった全ての修羅場ではないのですから…。
しかし、僕はそもそも「普通の人」ではありません(ある意味「バカ」です)。僕が「普通の人」なら、6年前(大学卒業時)に、とっくにサッカーは辞めていたでしょう。そして、この「6年間」の中でも、「普通の人」ならサッカーを辞めていたであろう出来事は、優に100回以上ありました。
それでも、僕は続けてきたのです。
「修羅場」と前述しましたが、それは、後から振り返ってみて「あの時は、修羅場だったのかもしれないなあ~」と思うだけのことであって、その出来事が起こっている最中は、多くの場合、僕はそれが修羅場だとは感じていないのです。
なぜか?
それは、僕が「笑顔」だからです。
「笑顔」は、修羅場も壁も何事も無かったかのようにすり抜けることができる、ドラえもんの「通り抜けフープ」のようなものです。
僕は、これだけの凄まじい出来事が起こった「27歳」という1年間も、常に「笑顔」だけは絶やさず活動してきました。だから、「苦労」だと感じたことすら1度も無いし、「我慢」だ「忍耐」だなんて、考えたことさえありません。ただ、「楽しんで」活動してきただけです。
「七転び八起き」という言葉があります。
「七転び」どころか、「千転び」くらいしましたが(笑)、ならば、「千一起き」すれば良いだけの話です。極めてシンプルです。
「千転び千一起き」
「27歳」という年は、確かに転びまくりました。
しかし、だとすれば、必ず「28歳」という年は、起き上がるのです。
「七転び八起き」という言葉に当てはめると、意味は違いますが、「27歳」の「7」は「7転び」…そして、「28歳」の「8」は「8起き」…つまり、「28歳」の僕は、いよいよ起き上がって、大きな「成功」を掴む可能性が高いのです!!(半分、こじつけです)
自分の人生の中で起こった様々な出来事を、1年ごとに区切って表に書いてまとめてみました。
すると、不規則にいろんな出来事が起こっていると思われがちな人生ですが、実は、ある一定の「サイクル」の中でグルグル回っていることに気が付きました。
まず、今年のような1年は「新たな挑戦の年」と言えます。挑戦は、痛みも伴います。
そして、挑戦の次の1年は「成功の年」です。「2005年」に、生まれて初めてプロサッカーチームと契約し、人生最大の『夢』を叶えた年は、この「成功の年」でした。
最後に、成功の次の1年は「成功をキープする年」です。2005年に初プロ契約した後は、「2006年」に契約延長するなど、曲りなりにも、成功をキープできていました。
…→「新たな挑戦の年」→「成功の年」→「成功をキープする年」→…。
この1年区切りのサイクルが、3年ごとに回っているのが、ここ10年間の僕の人生だと言えます(あくまでも僕の人生サイクルなので、他の人には当てはまりません)。
そしてこのサイクルでいくと、「27歳」だった今年「2007年」が「新たな挑戦の年」だったのだから、「28歳」で迎える「2008年」は…「成功の年」になるのです!!
やったー、やったー!!(笑)
確かに、「2005年」にプロになって大願成就させた年の前年…「2004年」には、アメリカに初上陸してトライアウトを受けるも、木っ端微塵に打ち砕かれ、「無所属」になり、半年以上もサッカー環境を失い、ボールすら蹴ることができない「引退の危機」に追い込まれるなど、今年「2007年」に起こっている状況と、ほぼ一緒…。ということは来年「2008年」は…。
あの時と同じ匂いを、プンプン感じるのです。
自分で自分の人生を分析し、そして実際に肌で感じている「人生サイクル」なので、どんなに有名な占いよりも、自分の中では確信に近いものがあります。
長くなりましたが、とにかく、「28歳」で迎える「2008年」は、僕にとって「成功の年」になるということなのです!!
1日も早く、家族や、その他、応援して下さってる方々に良い報告ができるよう、これからも「笑顔」で前に進んでいくのみです。
誰も僕を止めることはできません。止められるのは、自分だけです。
「千転び千一起き」!!
では!!
※近所のネットカフェのおじちゃんに、少しながら祝ってもらいました!(レッドブル2本、パン、花、ネット券2時間分をいただきました!) 異国の地で、とりあえずこうして「笑顔」で、平穏無事に誕生日を迎えられたことに、僕は「幸せ」を感じます!ダンケ!
※ちなみに僕が着ているセーターは、「親日おばちゃん」に借りた物…。こんなに寒くなるまでオーストリアに居ることになるとは思ってなかったので、冬服を持ってきてなかったんです…。穿いてるジャージは、日本で友達にもらった物…。ここは田舎町なので、いつもジャージで出歩いています!
12 décembre 不可解だらけの「クラブW杯」!改革、求む!
<動画> 「クラブW杯 準決勝『ACミランVS浦和レッズ』」
(白が「ACミラン」、赤が「浦和レッズ」)
<動画> 「クラブW杯 準決勝『ボカ・ジュニアーズVSエトワール・サヘル』」
(紺&黄色が「ボカ・ジュニアーズ」、赤が「エトワール・サヘル」)
今年もまた、「クラブW杯」が開幕しました。これで、3大会目…。
いろいろな意見があるかと思いますが、僕個人としては、「クラブチームのW杯を行う」…という画期的なアイデアは大変おもしろく、大賛成です。今後、この大会がもっともっと世界的に認知され、名誉と権威ある大会に育ってくれることを、心より願っています。
しかし、そのためには、課題も山積みです。現時点では、明らかな問題点が多く目立つ、不可解な大会になってしまっています。
まず、この「トーナメント表」を見て、誰も何も思わないのでしょうか?明らかに矛盾だらけの日程なのですが、そこを指摘しているメディアを目にしたことがありません。
※「2007年クラブW杯 トーナメント表」 何じゃこりゃあ!?
この大会は、あまりにも「南米」&「ヨーロッパ」に有利な日程になっています。
「北中米カリブ海地区」、「アジア」、「アフリカ」、「オセアニア」のチームが先に試合を行い、潰し合いをして「疲弊」した後、中2日というあまりにもハードかつメチャクチャなスケジュールで、万全のコンディションで待ち構えている「南米」&「ヨーロッパ」のチームと対戦させられる仕組みになっています。
<動画> 「2007年 クラブW杯 『エトワール・サヘルVSパチューカ』」
(赤が「エトワール・サヘル」、白が「パチューカ」)
<動画> 「2007年 クラブW杯 『浦和レッズVSセパハン』」
何だか、主催者側の「南米VSヨーロッパで、何としても決勝を闘ってもらいたい。その方が視聴率もとれるし、大会も盛り上がる」…という魂胆が丸見えで、とてもじゃないけど納得できません。極めて、不公平な大会です。
確かに、「公平」な日程で闘っても、「南米」と「ヨーロッパ」が強いのは認めます。それは間違いないです。
しかし、「強い」からと言って、日程まで有利になってしまう国際大会を、僕は見たことがありませんし、そんなの絶対におかしいです。
国と国が闘う「W杯」は、「強い」からと言って、「南米」と「ヨーロッパ」の国がグループリーグを免除で、決勝トーナメントから闘う…なんてことはありますか?そんなことは、ありません。
「国際大会」というのは、強者も弱者も関係なく、全てのチームが「公平」な日程で闘うからこそ、意味があり、価値があるはずです。そもそも、「公平な日程」というのは、国際大会を行う上での、最低条件です。でないと、国際大会など、成立しません。
…それが、こんな不公平な日程で闘うのなら、それはもう、国際大会とは言えません。
サッカー経験者なら、「中2日」で次の試合を闘うというのが、どれほど大変なことか、分かると思います。しかも、その強行日程で、「格上」と闘わなければならないのです。さらには、時差がある「異国の地」、日本で…。これでは、本来、起こせるはずの「番狂わせ」も、起こせなくなります。それとも、「番狂わせ」を起こさせないために、わざとこの日程なのか?「番狂わせ」は、国際大会の醍醐味の1つのはずなのですが…。
こんな不公平な日程を組むくらいなら、いっそのこと、「開催国枠」を廃止して(これに関しては下に詳しく書いてあります)、「南米」と「ヨーロッパ」からは2チームずつ参加してもらい、「全8チーム」でトーナメントを行った方が良いと思います。「全7チーム(昨年までは、全6チーム)」という中途半端なチーム数で大会を行うから、こんな不公平な日程になるわけで、それなら「全8チーム」にして、全てのチームが1回戦から闘う公平な日程にした方が、絶対に良いです。
※Yoji提案!「公平なトーナメント表」!
「ヨーロッパのチームはハードスケジュールの中、来日しているのだから、万全のコンディションではない」…という意見もよく聞かれますが、これも、おかしい…。なぜなら、他の大陸のチャンピオンチームだって、メチャクチャ、ハードスケジュールの中で来日しているのです。それはヨーロッパのみならず、どの大陸も一緒。メディアが報じないから、知られてないだけです。
そして、「大会日程」と共に、もう1つ疑問を感じるのが「開催国枠」です。
僕としては、「開催国である、母国・日本のチームに、何としてもクラブW杯に出場して欲しい!」という強い気持ちは、当然、あります。
しかし、「開催国枠」というものができてしまったおかげで、他の大陸と比べてレベルが落ちるアジアから「2チーム」も出場するという、不可解な事態が起こってしまいました。
しかも、「開催国枠」のおかげで、浦和レッズの「ACL王者」という偉業の価値が下がってしまったような気がします。
なぜなら、日本のファンなら、「ACL王者かつ、開催国枠である浦和レッズの代わりに、アジア枠として、ACL準優勝のセパハンがクラブW杯に出場」…ってややこしい事情も分かりますが、世界各国のサッカーファンたちは、「なぜ、アジアから2チーム出場なのか?」と疑問が起こり、そしておそらく、「浦和レッズは、開催国枠。セパハンがACL王者なんだろうな…」と勘違いしているに違いないのです。
日本のためを思って作った「開催国枠」が、逆に、浦和レッズの「ACL王者」という快挙の価値を落としてしまっている…。日本人には、事情が分かるかもしれませんが、世界の人々には、分かりません。ここが非常にもどかしいのです。
それでも、どうしても「開催国枠」を残したいのであれば、「オセアニア枠」を撤廃して、オセアニアとアジアを統一した「アジア・オセアニア枠(出場枠は1チーム)」を作り、一緒に予選を闘わせた方が良いと思います。アジアとオセアニアは距離的にも近いので、問題ないはずです。
<動画> 「2007年クラブW杯 『セパハンVSワイタケレ』」
(黄色が「セパハン」、白が「ワイタケレ」)
このカードなどは、「クラブW杯」本大会で組むべきカードなのでしょうか?これは、予選(アジア・オセアニア予選)で行うべき試合のような気がします…。
今日の提案は、2つ…。
「南米&ヨーロッパに有利という、不公平な日程を組むくらいなら、南米、ヨーロッパ…それぞれ2チームずつ参加させ、全8チームでトーナメントを行い、全てのチームが1回戦から出場する、公平な日程でクラブW杯を行って欲しい」
そして…
「開催国枠の廃止。アジアからは、ACL王者の1チームのみ出場。もし開催国枠を残すなら、アジアとオセアニアを統一した枠を1つ作る」
…この2つだけは、何とかFIFAに改善してもらいたいです。
そうすれば、より「クラブW杯」が楽しめ、より「名誉」と「権威」ある大会に育っていくのではないかと思います。
個人的には「クラブW杯」に凄く興味があり、行われている試合はどれも白熱しているみたいなので、この大会がより発展していってくれることを、心より願っています。
頼むよ、FIFA!!
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