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★★★「26歳」からのプロサッカー人生!不可能を「可能」にするブログ ★★★<日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→???>2001年、Jリーグ入団テストに不合格(当時22歳)。2002年、大学卒業後、「無所属」「アルバイト生活」「母校サッカー部コーチ」「中国・天津語学留学」「アメリカ・セミプロチーム入団」「親との衝突」「イングランド・プロサッカーチーム練習参加」…などを経て、2005年12月、日本人として初めて中米ホンジュラスのプロサッカーチームと契約締結(当時26歳)。ついに『夢』が叶う。現在は、人生を楽しみながら、最大の『夢』=『日本代表』を目指し、『笑顔』で前に進む日々…。『笑顔』が全ての不可能を『可能』にする! |
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2月20日 在中国中央电视台的[足球之夜]上登了我的文章!(中国中央電視台の「足球之夜」に自分の特集記事が載りました!)请看看2009年2月号的中国中央电视台[足球之夜]杂志版!!在那个杂志上登了我的故事、而且是四页很大規模的!! (中国中央電視台の「足球之夜」の2009年2月号をぜひ見てみて下さい!その雑誌の中に、自分の特集記事が4ページも掲載されました!) 非常感谢中国!!(ありがとう中国!!) 非常感谢中国中央电视台!!(ありがとう中国中央電視台!!) 非常感谢足球之夜!!(ありがとう足球之夜!!) 非常感谢Ray先生!!(ありがとうRayさん!!) 最后非常感谢足球!!(そして最後に、ありがとうサッカー!!) 我很感动很高兴!!(とても嬉しいし、感動しました!!) 10月1日 新ブログ!新的部落格!New Blog!nuevo blog!新ブログ!新的部落格!New Blog!nuevo blog! ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ http://ameblo.jp/chanchakorinmanyoji/ ホンジュラスに初めて上陸してから今日までの「3年間」、「Windows Live」のブログを続けてきましたが、この度、特に深い理由は無いのですが(笑)、ブログを移動いたしました!! これからも引き続き、我がブログをご覧になって下さいますよう、ヨロシク、ヨロシクお願い致します!! それでは、こちら→「http://ameblo.jp/chanchakorinmanyoji/」で、またお会いしましょう!!待ってま~すっ!! 9月8日 北京オリンピック開幕セレモニー! 全ては、「ホンジュラス」のために…。
<2008年8月8日(金) 「ホンジュラス 0-3 イタリア」の翌日>
この日は「北京オリンピック開幕セレモニー」…。ホンジュラス人観光客やホンジュラス・メディアたちは、秦皇岛から北京に行き、「オリンピックの雰囲気を少しでも味わおう!」というツアーに参加しました。
それに僕も急遽、帯同する事に…。
実は、前日の試合(イタリア戦)もそうだったのですが、中国語とスペイン語が両方、話せる人物がいないため、僕がホンジュラス人と中国人の間に入り、通訳やその他、手助けをする事になったのです。「ホンジュラスへの恩返し」のために中国入りしている僕は、率先して、喜んでこの役を引き受けました。
スタジアムでは、例えばホンジュラスのラジオ局が中国人の観客に対して、「今日のホンジュラスの試合はどうだったか?」などとインタビューを行う際、僕が通訳を務め、コミュニケーションの手助けをしました。
この日のツアーも、一応、中国人のガイドは居たのですが、スペイン語が話せないため、「Yoji、ぜひ我々に帯同して、手助けをしてくれ!」という事になり、僕もホンジュラス人たちと共に、北京へ行く事となったのです。
※ やっと北京到着!(秦皇岛から凄く遠い…) バスから見える、「鳥の巣」。今夜、ここで開幕セレモニーが行われます!(チケットが無いため、入場はできません)
※ 久々にやって来た「天安門」!!留学時代以来…実に4年ぶりくらいか…。相変わらず、何もかもデカイ!!ちなみに服が濡れてるのは、ペットボトルの水をこぼしてしまったためです。(この写真撮影の直前、「特ダネ」の小倉智昭キャスターを目撃しました。普通に天安門の前を歩いていました…)
※ さすが、北京オリンピック開幕セレモニー当日!盛り上がる北京市民!(おいっ!) また「眠れる獅子」かい…。
約20人のホンジュラス人たちを引き連れて、北京の街を歩き回ります。ちょっとした事でも、「Yoji、助けてくれ!」とお呼びがかかる…。例えば買い物1つとっても、言葉の分からないホンジュラス人にとっては、非常に大変な事なのです。僕にはその「大変さ」がよく分かるので、快く手助けしました。
もちろん、破天荒なホンジュラス人ですから、時には無理な要望もしてきて、対応に疲れる事もありました(中国人も破天荒ですから、「ダブル破天荒」です)。しかも、「中国語」も「スペイン語」も、どちらも僕の「母国語」ではありません。知識も足りない…。時々、頭がこんがらがりました(笑)。…しかし、「恩返し」と考えれば、不思議なもので、これが全く苦にならないんですね~。少しでも「ホンジュラス」のためになれるのなら、こんなに光栄な事はありません。
※ オリンピック期間中は、中国人女性の間で、このように髪に中国国旗を挿すファッションが流行(?)していました(多数目撃)。
そして、僕のもう1つの「使命」…
「ホンジュラスという国を世界にアピールし、広める架け橋になる」
北京の繁華街を、ホンジュラス人を引き連れて歩いてる時…。中国国旗を持った可愛い中国人の子供が目に入りました。僕は、その時、丁度ホンジュラスのユニフォームを着てホンジュラス国旗を持って歩いていたホンジュラス人に対して、「中国人の子供と一緒に写真を撮ろう!」と薦めました。
そして実際、ホンジュラス人とこの子が一緒に写真を撮る事になったのですが…。
「ホンジュラス」があまりにも珍しかったのか、繁華街を歩く人々の注目の的となりました。そして、瞬く間に大勢の人だかりに囲まれて…
「私とも一緒に写真を撮ってくれ!!!」
…と、数え切れないほどの群集が押し寄せてきました。その人だかりが、どれほど凄かった事か…。囲まれたホンジュラス人、曰く…
「まるで、(人だかりが)万里の長城のようだった」
「ホンジュラス」が一躍、大人気となり、大変な騒ぎとなりました!!止まる事なく押し寄せる群集…。「私も!」「俺も!」「あたいも!」「ワシも!」「おいどんも!」「やきいも!」…と、みんなが一斉に写真撮影をせがんできます。…しまいには、ベネズエラのTV局までやって来て、ホンジュラス人に対してインタビューまで始めるなど、全く想像だにしなかった、とんでもない事態に発展してしまいました。
※ ベネズエラのTV局までやって来ちゃった!!大騒動!!(ちなみにベネズエラはホンジュラスと同じ「中南米・ラテンアメリカ」。公用語も同じく「スペイン語」です)
その様子を外から眺め、写真撮影や通訳、その他を手伝っていた僕は、非常に感慨深い心境になりました。だって、「中南米一の貧困国」と言われ、世界ではただの小国に過ぎない、マイナーな「ホンジュラス」が、今、こうして人々の注目を集めている…。脚光を浴びている…。
「ホンジュラスという国を世界にアピールし、広める架け橋になる」
…という「使命」を、僅かながらですが果たせたと思い、本当に嬉しくなり、込み上げてくるものがありました(涙)。注目を浴びた彼(ホンジュラス人)自身も、凄く喜んでいました。「ホンジュラス」という国にとっても、非常に意義のある出来事でした!!
※ 可愛い、中国人の子供。…ってか、野次馬たちはまだ写真、撮ってる!!(笑)
こうして1日中、北京の街を歩き回り、時には大群衆に囲まれ、あっと言う間に「北京オリンピック開幕セレモニー」の時間となりました。
スタジアム入りできない人達のために巨大スクリーンが北京の街に設置されており、そこでセレモニーを見届ける事となりました。
その後はメキシコ料理屋に移動し、酒を飲みながら「入場行進」をTVで見ます(僕は酒が飲めませんが、テキーラを飲まされました)。もちろん、みんなのお目当ては…
「ホンジュラス」!!!!!
今か、今かと待ち望みますが、なかなか「ホンジュラス」は現れません。ホンジュラス人の間では、「ホンジュラスの行進は省略されてんだよ」…などという、諦めの声も聞こえてきました。日本人には信じられないかもしれませんが、いかんせんホンジュラスはマイナーな小国であり、本当に「ひょっとしたら行進がカットされてんじゃないか!?」と、みんな不安になったのです。
しかし…。
ついに出てきた、「ホンジュラス」!!!!!
※ 「ホンジュラス美人」も出てきた!!(何か、各国に1人、メチャクチャ「美人」が紛れ込んでなかったですか!?)
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
僕を含め、ホンジュラス人全員から雄叫びがあがります!!
そして…
「パチパチ、パチパチ、パチパチ、パチパチ、パチパチ!!!!!」
何と、この時、メキシコ料理屋に居た他のお客さんたちが一斉に、ホンジュラス入場の際に歓迎の拍手をしてくれたのです!!!(ちなみにアメリカ大統領ブッ○ュの映像が流れた際は、みんな、大ブーイング!!)
「ホンジュラスという国が、全く関係のない他国の人たちからも、こんなにも応援され、こんなにも歓迎されている…」
これには、本当に感動し、思わず涙が出そうになりました…(涙)。それは、自然と心の底から湧き上がってくる感情でした。他にも僕が行った事のある国々がたくさん入場してきましたが、ホンジュラスの時ほどの感情は湧き上がりませんでした。やはり僕にとって、ホンジュラスは特別です…。改めて、僕の「ホンジュラス」に対する「想い」を、自ら再確認させられた瞬間でした。
…こうして、素晴らしいツアーを終え、再び北京から秦皇岛に帰ってきました。秦皇岛に到着した際、すでに時計の針は「早朝4時」を過ぎていました。1日中、ホンジュラス人と共に北京の街を歩き回り、通訳などの手伝いを行い、疲労は確かにありました。しかも、「8月4日」に「この国」を旅立ってからここまでの4日間、あまりの「ドタバタ劇」&ハードスケジュール過ぎて、ほとんど睡眠がとれていない…(「踊る大捜査線」の青島状態)。
それに、「ホンジュラス五輪代表チームを助ける」という目的で、「この国」から2日間かけて遥々、中国入りしたのに、「北京五輪オフィシャルIDカード」が無いため、彼らに帯同する事さえできない…という状況は、当然、僕にとっては不本意なものです。
しかし、「ホンジュラス五輪代表チーム」を助ける事だけが、「ホンジュラスへの恩返し」ではありません。この日、「ホンジュラス」という国が他国の人達からも温かく受け入れられる光景を目の当たりにし、そして僕も僅かながらその力になれた…。僅かながらホンジュラスに「恩返し」できた…。
僕の心はとても晴れやかでした。
気持ち良く、笑みを浮かべながら眠りに就きました…。
つづく
8月27日 北京五輪サッカー初戦!! <ホンジュラスVSイタリア>
<2008年8月7日(木) ホンジュラスVSイタリア >
「北京五輪オフィシャルIDカード」が無いため、ホンジュラス五輪代表に帯同する事はできません。しかし、この試合を観戦するために遠い遠いホンジュラスから訪れたホンジュラス人サポーターやメディアたちと共に、闘う事となりました!!
※ 中国・秦皇岛の街をホンジュラス人サポーターが行く…。おそらく、このような光景は、もう一生、中国ではお目にかかれない事でしょう…。
※ 韓国人サポーターと共に…。ホンジュラス人サポーターは珍しいからか、どこでも大人気でした!!
※ 巨大ホンジュラス国旗!!!
※ ホンジュラス人サポーターと共に観戦!!
※ ついに選手、入場!!!!!(青がイタリア、白がホンジュラス)
※ ホンジュラス国歌斉唱!!!思わずジ~ンときました…(涙)。
※ 円陣!!さあ、キックオフじゃ!!いったれ、ホンジュラス!!
前半、試合開始早々…。ホンジュラスの動きは硬く、イタリアに立て続けにチャンスを作られます…。しかしGKのケビン・エルナンデスがファインセーブを連発し、ピンチを脱出!!ふ~…。(ファインセーブの動画は下)
これで落ち着きを取り戻したホンジュラスは、徐々に本来の力を発揮し始め、イタリアと互角の戦いを繰り広げます。高い個人技によるボールキープとドリブル、パス回しで、イタリア相手にもなかなかボールを奪われない…。チャンスも作る…。良い感じで試合は進んでいました。
※ FKを蹴るアミーゴ、エミル・マルティネス。スタメン・フル出場!!
ところが…。
「0-0」で迎えた前半終了「5分前」…。イタリアが一瞬のスキをつきミドルシュートで1点先制!!!アイヨ!!!…確かにファインゴールではあったのですが、ホンジュラスのDFとMFのプレスの遅れが原因となった失点でもありました。ゴールしたイタリア選手が前を向いてドリブルを開始した瞬間、「ヤバイ!!」って感じました…。
ただ、「0-1」で前半を終えれば、まだ勝てる可能性は充分にある…。
が…。
ここでホンジュラス永遠の課題…「集中力の欠如」が発揮されてしまい、1失点目の僅か「2分後」、今度はPKを与え、これを決められ「0-2」に…。その直後、前半終了のホイッスル…。最後の最後の「5分間」でまさかの「2失点」を喫してしまうという、悪夢のような試合展開で、後半を迎える事となってしまいました…。しかも、「カテナチオ」を相手に…。本当に、もったいないし、痛い!!
※ ホンジュラス人のちびっ子サポーターと。ホンジュラスの子供は、本当にカワイイ!!
ハーフタイムにジュースを買いに行くも、長蛇の列…。よって、後半開始のホイッスルには間に合わず、後半15分過ぎ、ようやく席に帰るも…。
その間にホンジュラス、すでに「3失点目」を喫する!!!おいっ!!しかも、またまたPK!!!ジュースを買いに行っていたので生で見る事はできませんでしたが、後でVTRを見る限り、1回目のPKも、2回目のPKも、正直かなり微妙な判定…。1回目は未だに何でPKなのか分からないし、2回目はむしろイタリア選手のダイブに見えるのだが…。ありえない!!…しかし「ありえない!がある!」のがホンジュラス…。本当に納得のいかない、2つのPKでした…。
これで、「0-3」…。
ただ、それでもこの日のホンジュラスは、最後の最後までゴールを目指して勇敢に戦いました。
※ 勇敢に戦うホンジュラスを尻目に、観客席で深い眠りにつく、中国人(中国人は、どこでも寝ます)。
後半、残り20分…。ここでようやく、「エース」で「背番号10」のラモン・ヌネェスが交代出場。…って言うか、何でスタメンじゃないの!?これにはホンジュラス人サポーター&メディアもマヂギレ!!
ラモン・ヌネェスが自らの突破とシュートでチャンスを量産し、後半、残り10分には、我がアミーゴ…エミル・マルティネスが相手ペナルティーエリア内で高速ドリブルでファールを誘い、PK獲得!!ヨシッ!!この展開、勢いなら、1点返せば2点目、3点目も狙える…。
が…。
オーバーエイジで今大会に参加し、昨年のゴールドカップで「得点王」を獲得したカルロス・パボンが、まさかまさかのPK失敗!!ええええええええ!!??信じられない!!勘弁してくれ!!いくら「ありえない!がある!」ホンジュラスと言えども、これはありえなさ過ぎるぞ!!
※ カルロス・パボン、まさかのPK失敗シーン…。
大事な大事な「W杯予選」においても過去、一切PKを外した事がなかったカルロス・パボンが、まさか…。この「PK失敗」がチームに与えた影響は計り知れず…。VTRを見たら、蹴り方自体、すでに変だった。ホンジュラス人サポーターたちは「激怒」というより、むしろ「唖然呆然」…。
こうして、「0-3」で試合終了。ホンジュラス五輪代表、大事な初戦で敗北を喫する…。
※ 試合後、PKを外したカルロス・パボンのガッカリとした様子…。
※ この試合の全ゴール&ハイライト。ホンジュラス最大の見せ場は、エミル・マルティネスが高速ドリブルでPKを獲得したシーンか…。ん~…悔しい!!…ちなみに最後に惜しいシュートを放ったDFカバイェロ(ウディネーゼなどでも活躍)は現在、中国リーグ「长春亚太」所属…。长春亚太では、他にもホンジュラス人選手が2人プレーしています。そして、エミル・マルティネスは「上海申花」で活躍中…。このホンジュラス五輪代表には、2人も中国リーグでプレーしている選手がいたのです(共にオーバーエイジ)。彼らは中国を知り尽くしてる…+ホンジュラスと中国の「相性」は良いので、今回の北京五輪にはかなり期待していたのですが…。
※ ホンジュラスGKケビン・エルナンデスのファインセーブ付きハイライトはこちら!!ちなみに1回目のPKは、この映像では何がどうPKと判定されたのか全く分かりません。2回目のPKはこの映像だとGKが相手FWを倒しているようにも見えますが、拡大映像をTVで見た際、GKの手はFWには当たっていませんでした。あまりに厳し過ぎる判定でした!!(激怒)
しかし、僕はまだ、希望をもっていました。…というのも、このグループではイタリアが一番強く、他のカメルーン、韓国も同様に、イタリアに勝つ事は極めて難しいと考えられる…(<カメルーンVS韓国>は「1-1」の引き分け)。ならば、このイタリア戦は落としても、引きずる必要はない。それに、2本の不運なPKで失点した以外は、イタリアと互角に戦っていたし、もしあの2本のPKが無くて、カルロス・パボンがきちんとPKを決めていれば、この試合は「1-1」の引き分けのはずだった…。確かに人生に「たら、れば」はありませんが、強豪イタリアと対等に渡り合ったという事実は自信にして良いし、次に繋がると信じていました。
※ 完敗を喫した試合にあり、最大の収穫は超美人女性(ロシア人)と写真を撮れた事でした。ハラショー!!
こうして、熱い1日は幕を閉じました。結果には本当に失望したし、メチャクチャ悔しかった…。同日、日本はアメリカに「0-1」と完敗を喫しましたが、忘れてはいけないのは、ホンジュラスはその強豪アメリカを破って、「北中米カリブ海地区の王者」に輝いているという事実…。それだけのポテンシャルが、このホンジュラス五輪代表にはある…。だからこそ、この結果が本当に悔しかったんです。
しかしこの日の試合、ホンジュラスは彼らの持ち味である「高い個人能力」を駆使した「見ていて楽しいサッカー」を世界にアピールできたと、僕は感じました。その証拠に、スタジアムに集まった中国人の観客は、ホンジュラスの素晴らしいプレーが出る度に拍手と声援を送り、ついには、
「洪都拉斯,加油!!!(ホンジュラス、頑張れ!!!)」
…の合唱まで起こりました。日本では「ホンジュラス」という国自体を知らない人さえたくさんいるし、中国でも決してメジャーな国ではない…。そんな小国・ホンジュラスに対して、スタジアムが一体となって温かい声援を送ってくれた…。中国人サポーターの心意気を感じ、僕は涙が出そうになりました。本当に、嬉しかったです。
マスコミで取り上げられる「過激な野次」だけが、中国人サポーターの実態ではない事を、今回、僕は知る事ができました。そして、全くの「第3者」である中国&他国の観客からの声援を引き出した、ホンジュラス五輪代表の魅力溢れるサッカー…。僕は彼らを、アミーゴたちを「誇り」に思います。
「ホンジュラスと共に闘う」日々が、幕を開けました!!!
※ 「眠れる獅子」、ついに目覚める…。
※ 写真がもっと見たい方は、こちら→「Radio América」!!(←ホンジュラスの有名ラジオ局) このサイトの中の「Ver Galeria」というところをクリックすれば、写真が見れます!!ちなみに、僕もいくつか登場してます。
8月23日 「オリンピック」の壁。会う事さえできないのか…?※ 秦皇岛の街並み。
<2008年8月6日(水) ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日>
こうして、「人生最大の決断」&「史上空前のドタバタ劇」を経て、どうにかこうにかホンジュラス五輪代表の試合会場&宿泊先である、「秦皇岛」に到着しました。
到着してすぐ、これまでまだ連絡の取れていなかった、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」に電話をかけます。そして…やっとやっと彼と電話がつながりました!!
しかし、彼の口から発せられた言葉は、少なからず僕にショックを与えました…。
「チームとしては、君の存在は大歓迎だ。しかし、これはオリンピックという一大イベント…。セキュリティーがとてつもなく厳しい。公式にチーム内で働くには、北京五輪オフィシャルのIDカードが必要なのだが、試合前日に現地入りした君は、もうこの手続きが間に合わない。このIDカードが無ければ選手の宿泊先や練習場に入る事さえできない…」
…………。
言葉を失いました。「自分のサッカー人生が終わるかもしれない」という覚悟まで決め、途方もなく長い「この国」から秦皇岛までの道のりを経て、ようやく辿り着いたと思ったら、この状況…。しかし、これはごく当然の事です。オリンピックという世界最大級のイベントだから、セキュリティーが半端じゃなく厳しいのは当たり前…。そんなの、「常識」です。
ただ、「中国」と「ホンジュラス」は共に「ありえない!がある!」破天荒な国で、そんな「常識」では考えられないような出来事が度々、起こる事を、過去、僕は現地で生活する中で実際に体験していました。
「この2カ国がコラボレーションすれば、何かが起こる可能性は充分ある…」
そう感じ、あえてリスクを冒して「中国行き」を決断したのです。…しかし、今回ばかりはさすがにどうにもなりません…。「オリンピック」という、とてつもなく大きな壁に跳ね返されました。このままでは、下手したらアミーゴたちに会う事さえできません…。
ただ、ここまで来て、下を向いているわけにはいきません。彼の話によると、「選手の宿泊ホテルに入る事はできないが、門の前で会える可能性はあるかも…」との事だったので、すぐさまそちらに向かいます…。
「せめて、アミーゴたちに会うだけでも…」
この2日間、ハードスケジュール過ぎてほとんど睡眠が取れておらず、時差ボケや空腹も相まって疲労は限界…。そんな僕を支えていたのは、「ホンジュラスへの想い」…ただ、それだけでした。
そして、ついにホンジュラス五輪代表の宿泊ホテル付近に到着!!
ホテルの前は厳重警備がしかれており、例え選手の家族であっても「北京五輪オフィシャルIDカード」が無ければ、一歩たりとも中には入れないという…。しかも、ホテル前の道路は一般車両、一切、立ち入り禁止…。想像以上の警備の厳しさに、驚かされました。
「これじゃあ本当に、アミーゴたちに会う事さえ不可能かも…」
そんな中、見慣れた「青と白」のジャージに身を包んだ数人組みが視界に飛び込んできました…。
「あっ!!ホンジュラスじゃ!!」
ホンジュラス五輪代表のコーチたちでした。向こうも、僕が着ていたホンジュラス代表のユニフォームを見て、興味を示して近付いてきました。アジア人でホンジュラス代表のユニフォームを着て歩いてる人間なんて、いくら広い中国と言えども、僕以外には皆無に等しいですからね…。
このコーチたちとは面識があったわけではありませんが、向こうは「マラトンに居た日本人GK」という事で、僕の事を知っていたようです。いろいろ話し、打ち解けました。…それにしても、中国の地で、ホンジュラスのサッカー関係者と交流する……本当に不思議な感覚がしました。そして、中国で初めてホンジュラス人を見つけた時の、湧き上がる喜び、嬉しさ、安堵、何とも言えない格別な気持ち…。この時の心境を、言葉で説明する事はできません…(涙)。
さらにホテルの前まで歩を進めると、ホンジュラスの新聞記者、ラジオ局などのインタビューを受けている、数人のホンジュラス五輪代表選手&監督と遭遇しました。
キャプテンのヘンドリー・トーマスと会いましたが、彼はドナルド・ゴンサレスのアミーゴで、今回、僕が「ホンジュラス五輪代表を助ける!」という使命を持ってやって来る事を、予め知っていたようです…。
「ドナルドから、話は聞いていたよ」
他の選手たちも一様に、「ああ、あの時の日本人GKかぁ!!」と僕の事が分かったみたいで、話に花が咲きました。…しかも監督のジルベルト・イェルウッドは、ホンジュラス時代に一度、会った事があり、面識があった人物…。ホンジュラス代表の新しいシャツを贈与され、ガッチリと握手を交わしました。
※ ホンジュラス五輪代表監督、ジルベルト・イェルウッドと…(僕が着ているシャツは、先ほど彼から贈与されたもの)。…実はホンジュラス五輪代表は、北中米カリブ海地区予選で優勝を成し遂げた際、彼ではなく、別のコロンビア人監督がチームを率いていました。それが、いつもの「ありえない!がある!」ホンジュラスサッカー協会の意味不明の決断により、五輪初戦の1ヶ月前に、突然、イェルウッドに監督交代…。何でよ!?イェルウッドの監督としての能力がどうこうではなく、せっかく結果を出していたチームに与える、突然の監督交代の影響、そして1ヶ月しか準備期間が与えられなかった新監督…。チームが混乱をきたしていないか、一抹の不安がありました…。
…こうして、やっとやっと中国にて、ホンジュラス五輪代表の面々との対面が実現しました!!…しかし、エミル・マルティネスなど、マラトン時代に共に汗を流したアミーゴたちとは、まだ再会できていません…。早速、エミルに電話をかけます。「ホテル前に到着したぞ!!」…するとエミルは、「おう!今からそっちに向かうわ!」と答えました。あと少しで、エミルとの再会が実現します…。
※ これは、2年前(2006年)にホンジュラスで撮った、エミル・マルティネスとの写真。真ん中はエミルの息子、ヘスス。
そして…
キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
エミル・マルティネスと、2年ぶりの再会!!!!!(涙)
※(ちなみに、イェルウッド&エミルが首からぶら下げているのが、例の「北京五輪オフィシャルIDカード」。これがなければ、選手やコーチでさえ、ホテル、練習場、試合会場…一切、立ち入り禁止なのです…)
ホンジュラスのアミーゴと、中国の地で感動の再会…。そこに辿り着くまでの「人生最大の決断」&「史上空前のドタバタ劇」…。さらには今日に至るまでの2年間…ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→「この国」…での苦闘…。さすがに込み上げてくるものがありました。そして、「自分にとって『ホンジュラス』という存在がいかに特別であるか」を、改めて再認識させられました。
この日は結局、都合が合わず、エミル・マルティネス以外のマラトン時代のアミーゴたちとは再会できませんでした。しかし夜には、例の「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」との対面が実現し、翌日の試合…「ホンジュラスVSイタリア」のチケットを彼からプレゼントされました。忙しいだけでなく、大事な試合前日でピリピリしている状況にも関わらず、僕のために時間を取り、チケットの手配までしてくれた…。その心遣いが本当に嬉しく、心に染みました…(涙)。
※ これが「2008年8月7日(木) ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦」のチケット!!!
「北京五輪オフィシャルIDカードが無いから、ホンジュラス五輪代表のホテルや練習場にさえ入れない」というショックの報告を受け、「下手したら選手たちに会う事も、試合をスタジアムで観戦する事さえもできないかもしれない…」と心配していましたが、こうしてどうにかこうにか、エミル・マルティネスとも再会でき、明日の試合のチケットも入手する事ができました。
五輪の試合のチケットなんて普通、簡単には手に入りそうもないのですが、試合前日に突然やって来たのにも関わらず、何だかんだで「チケット入手」が実現…。これも、僕とホンジュラス…そして中国との「縁」がもたらした奇跡なのかもしれません…。
さあ、いよいよ明日…。ホンジュラス五輪代表の大事な初戦…イタリア戦です!!!
つづく
8月19日 「史上空前のドタバタ劇」の果てに…。
<2008年8月4日(月) 「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、3日前」>
気が付けば僕は、「この国」の空港にやって来ていました。
僕は、「中国行き」を決断しました。
決して、頭で考えての行動ではありません。「本能」と「直感」が、無意識の内に僕を空港へと向かわせていたのです…。
もちろん、「今、『この国』を離れてしまえば、俺のサッカー人生は終わってしまうかもしれない」…という不安は少なからずありました。しかし、それをも超越した、
「晴れ舞台に立つホンジュラスのアミーゴたちの力になりたい。ホンジュラスという国を世界にアピールする手助けがしたい。お世話になったホンジュラスという国に恩返しがしたい」
…という、熱い想い。
これまでの人生の中で僕は、いかなる事よりも、何よりも「自分のサッカー人生」を最優先させて生きてきました。「人生の優先順位第1位」は、何があっても「自分のサッカー人生」…。その他、全ては2位以下…。これはずっと揺らぐことのない牙城であり、不変だと思っていました…。
それが今回は、「ホンジュラスへの想い」が優先順位第1位となり、「自分のサッカー人生」をも上回ってしまったのです…。
僕の16年間のサッカー人生の中で、正に「前代未聞」であり、「初めて」の出来事でした。
まるで「花より男子」の道明寺のように、後先の事をまるで考えず、「本能」と「直感」だけで「この国」の空港にやって来ました。…が、あまりに突然の出来事過ぎて、「中国行き」の航空券の購入や予約どころか、この日に本当に「中国行き」のフライトがあるのかどうかすら一切、分からない状況でした。こんなメチャクチャな状況で空港にやって来たのも、「人生初」です。
ここで「中国行き」のフライトが無ければ、初戦のイタリア戦(8月7日)にはもう間に合いません。しかし、神様が僕を導いてくれていたのか…。1つだけですが、中国に行くフライトがありました!!しかも、残り座席はあと「1席」!!ギリギリ、セーフ!!
…こうして、どうにかこうにか航空券もゲットし、ホンジュラスのアミーゴたちが待つ…僕の「第2の故郷」とも言える中国を目指して旅立ちました。
※ 飛行機から見える、「この国」の夜景…。「再び『この国』に戻って来る事はあるのだろうか?」…様々な想いが脳裏をよぎります。
「人生最大の決断」を下し、ドタバタ劇の末に中国に向けて「この国」の空港から旅立ったのが、「8月4日」の午後…。そして、ドバイなどを経由し、目的地の北京航空に到着するのが、中国時間の「8月6日」の午前0時半…。ほぼ、丸々「2日間」のフライトです。
※ 飛行機から見える、ドバイの街並み。ここで、北京空港行きの飛行機に乗り換えます。
そして、長い長い、長~いフライトを経て…
<2008年8月6日(水)午前0時半 「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日」>
ついに、中国・北京に到着!!!!!
※ 「魂はホンジュラスと共に」…。ホンジュラス代表のユニフォームを身にまとい、オリンピックの開催地にとうとう上陸!!
様々な国のメディアやオリンピック関係者…。オリンピックのPR広告&特集TV番組…。厳重な警備…。北京空港は正にオリンピック一色…。「ああ、本当に俺は、オリンピックの開催地にやって来たんじゃのう…」と、しみじみ感じました。
しかし、オリンピックムードに浸っている時間はありません。「旅」はこれで終わりではないのです…。
確かに「北京五輪」なのですが、翌日「8月7日」のホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦の試合会場は、何と「秦皇岛」…。中国留学時代でさえ行った事はおろか、聞いた事さえないこの異郷の地に、2日間のフライトと時差ボケでクタクタな状態の中、深夜にも関わらず向かわなければなりません。
疲れと睡魔に耐えながら、「秦皇岛行き」の列車に乗るために、今度は北京空港から、北京駅へと向かいます。
そして…
ついに、北京駅到着!!この時点ですでに、時計の針は深夜1時を回っていました…。
切符売り場で、秦皇岛行きの切符を無事、入手します。列車の出発時刻は「早朝4時半」…。あと、約3時間もある…。旅行カバンの上に横になり、出発時刻を待ちます。
そして…
秦皇岛行き列車、やっと到着!!
さあ、あともう少しで、ホンジュラス五輪代表の待つ、秦皇岛に到着です!!…と言いたいところなのですが、北京駅から秦皇岛駅まで、何と「4時間半」もかかる!!またまた、長旅の始まりです…。
「8月4日」に「この国」から「2日間のフライト」を経て、北京空港に「8月6日」午前0時半に到着してからここまで全くもって睡眠が取れておらず、さらには時差ボケなどもあり、疲労はピーク…。それにも関わらず秦皇岛行き列車は「硬座」という、ボロボロ列車…。しかも満席で、座る席が無い!!おまけにエアコンも無い…。
たくさんの群集でごった返し、まともに歩くスペースすら無いボロボロ列車の中で、かろうじてトイレの前の通路に僅かながらの空間を見出し、そこに座って「4時間半」を耐える事となりました。
「臭い」、「汚い」、「狭い」、「ボロい」、「暑い」…の五拍子が揃った超過酷な「4時間半」…。
疲労と時差ボケと悪臭で薄れゆく意識の中、唯一の希望…ホンジュラスのアミーゴたちの「笑顔」を頭に思い浮かべ、自分を鼓舞します。
「ホンジュラスのアミーゴたちの力になるんじゃ…。ホンジュラスという国を世界にアピールする手助けをするんじゃ…。お世話になったホンジュラスという国に恩返しをするんじゃ…」
念仏のように、唱え続けました。
そして…
臭かった…。汚かった…。狭かった…。ボロかった…。暑かった…。眠かった…。腹減った…。本当に本当に、長かった…。
<2008年8月6日(水)午前9時 「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日」>
ついに、ホンジュラス五輪代表の試合会場&宿泊先である秦皇岛に上陸!!
僅か2日前までは、遠い遠い異国の地「この国」に居たのに、今はなぜか、ホンジュラス五輪代表と同じ地…中国・秦皇岛に居てしまっている…。「本能」と「直感」が体を動かし、無意識の内に歩を進めさせ、気が付いたらここに立っている自分がいた…。一体、ここはどこなのか??
「史上空前のドタバタ劇」だったにも関わらず、奇跡的に予定通り「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日」である「8月6日」に秦皇岛入りする事に成功しました。「行けばわかるさ!」精神で前に進めば、人生、やはり大抵の事はどうにかなるものなんですね…。目に見えない何か不思議なパワーが、ここまで僕を後押ししてくれたように感じました。
しかし、この時点ではまだ、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」とは連絡が取れておらず、「ホンジュラス五輪代表をサポートする」計画に関する具体的な話は、まだ一切できていません。この後、一体、何が起こるのか?全く見当がつかない…。
ここから本当の、「人生未体験ゾーン」が始まります…。
つづく 8月12日 「人生最大の決断」突然、「契約破棄」になったあの事件が起きた数日後…。「この国」の全国紙でも、この問題が大きな記事で特集されました。
自分としては、もうこの事件の事は全く気にしてないし、むしろ、あんな酷いチームを離れられた事で、逆に心はスッキリしていました。ただ、「笑顔を見せて、平気で人を騙す人間がいる」という事実に対してだけは、同じ人間として、世の中に深い失望感を感じました。そして、「自分以外の日本人で、サッカーでなくとも『この国』で働きたい人がいた場合、同じような問題が二度と起きて欲しくない」と思い、メディアの取材に応じ、日本大使館に情報提供しました。
あの事件が起こってから3日間は、一切、サッカーの事は考えず、とにかくゆっくり、リフレッシュしました。久々、1日3食まともな食事が手に入る生活を送れ、1つのベッドに1人で寝る事もでき、心身ともに良い状態に回復しました。
リフレッシュし、一度、全てを「ゼロ」の状態…「原点」に戻した時、自分の中である想いが芽生え始めました…。
ホンジュラス…。
中国…。
オリンピック…。
実は、ホンジュラスU-23サッカー代表(以下、「ホンジュラス五輪代表」)は、アメリカ、メキシコ、コスタリカなど難敵がひしめく北中米カリブ海地区予選を勝ち抜き、決勝では強豪アメリカをアウェーで「1-0」と破り、見事に優勝…。「8月7日」に始まる北京五輪への出場権を獲得していました。
※ U-23北中米カリブ海地区トーナメント決勝。「アメリカVSホンジュラス」(白がアメリカ、青がホンジュラス)。このトーナメントはアメリカで開催され、決勝の地も当然、アメリカ(ペンシルバニア)…。ホームでは無類の強さを誇るアメリカに対し、ホンジュラスは見事に「1-0」完封勝利!しかも、慣れない「極寒」の中での試合…。本当に素晴らしい、感動的な優勝でした…(涙)。
僕は1人の「人間」としては、「日本人」としての誇りをもって生きています。それは、これまでのブログをご覧になって下さった方々なら、お分かりかと思います。
しかし…。
1人の「サッカー人」としては、僕は「ホンジュラス人」なんです。2005年に初めてホンジュラスに渡ってからというもの…。それまで日本や中国、アメリカで培ったサッカーの技術、体力、戦術、サッカー感…全てを捨て去り、「ホンジュラス化」しました。それくらいホンジュラスのサッカーは魅力的かつ衝撃的で、素晴らしいものでした。世界のどこに居ても、「ホンジュラスのサッカー選手」としての誇りを常にもってプレーしてきました。
「サッカー人」としての故郷は「ホンジュラス」…。
その「故郷」ホンジュラスが、オリンピックという晴れの舞台に立つ…。
しかも、このホンジュラス五輪代表の中には、ホンジュラス時代に共に汗を流し、絆を深めた「アミーゴ」がたくさんいる…。
さらには、このオリンピックの開催地は北京…。僕にとって、「第2の故郷」とも言える存在、「中国」…。
自分の人生に最も大きな影響を与えた、「ホンジュラス」と「中国」の、夢のコラボレーション…。
「どうしても力になりたい…。どうしても恩返しがしたい…」
…この想いが日に日に大きくなり、抑えきれなくなりました。
しかし、この時点ですでに「8月1日」…。ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦は「8月7日」…。もう、1週間しか時間がない!!
思い立ったら、即行動開始…。ネット上には一切、ホンジュラスサッカー協会の連絡先は掲載されておらず、すぐさまドナルド・ゴンサレスにメールと国際電話をして、何とかホンジュラスサッカー協会副会長の電話番号をゲット!!!しかも彼は、ドナルドの知り合いらしい…。
※ マラトン時代の、ドナルド・ゴンサレスとの2ショット写真。
ホンジュラスサッカー協会副会長に、「この国」から国際電話をかけます。幸い、「ドナルドのアミーゴ」、「あの時の日本人GK」と言うと、「ああ!」という事になり、話が進みます。そして、「中国語もスペイン語も少し分かるから、ホンジュラス五輪代表の力に、何かしらなれると信じている。アミーゴたちを助けたい」と伝えます。すると、「だったら、すぐ中国に行ってくれ!!」とOKの返事が出ました!!よしっ!!
…しかし同時に、「中国現地の情報が分からないから、現地入りしている、ホンジュラスサッカー協会幹部と詳しい情報交換をしてくれ」と付け加えられます。そして、その人物のメルアドを聞いてる途中…
「ピー。プー、プー、プー…」
国際電話カードの残高が無くなり、電話が切れてしまいました。アイヨ!!
この日は夜だったので、次の日(「8月2日」)の早朝すぐ、今度はマラトンの幹部や元マラトンの監督など、ホンジュラス時代に知り合った全ての有力人物に対してメールを送り、自分の意思と目的を伝え、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」の連絡先を尋ねます。
僕の熱意が通じたのか、「行動が異様に遅いホンジュラス人」にしては異例の早さで返信メールが届き、ついにホンジュラス五輪代表選手にして、僕のホンジュラス時代のアミーゴ…エミル・マルティネスの中国現地携帯番号を入手!!
※ ホンジュラスA代表でもレギュラーの、エミル・マルティネス(マラトン時代、2005年当時の写真)。現在は中国のプロチーム「上海申花」で活躍中。上海申花への移籍前のシーズンは、マラトンにて「リーグ優勝」「リーグ得点王」「リーグMVP」の三冠を、「キャプテン」として成し遂げた、正にホンジュラスを代表する、とんでもない選手です。今回の北京五輪には、「オーバーエイジ」として出場。
そして翌日…(「8月3日」)。初戦のイタリア戦(「8月7日」)まで、もうほとんど日にちが無い!!即行でエミル・マルティネスに国際電話をかけます。ついに、「この国」に居る僕と、中国現地入りしているホンジュラス五輪代表選手と直接、連絡がつながった瞬間でした(感動)。
彼と話をするのは、実に約2年ぶり…。「この国」から、「中国」に居る「ホンジュラス人」のアミーゴと国際電話で会話…。何だか不思議な感覚がしました。彼の話によると、
「中国人の通訳がチームに1人だけいるのだが、あまりスペイン語が話せないから、コミュニケーションに困っている」
…との事(オリンピックなのに、こんな事があって良いのか!?)。異国の地で言葉が通じない、周りに言葉が分かる現地人がいない事のストレスは、世界各国を回ってきた自分が、一番、よく分かっている…。しかも、エミル自身も、「Yojiが助けに来てくれるなら、チームとしては絶対に必要だと思う」と言う…。
「俺がアミーゴたちの手助けをするんだ…。ホンジュラスに恩返しをするんだ…」
…「使命」のようなものを感じました。
しかし、肝心の「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」は不在で、話ができない!!アイヨ!!この日がすでに「8月3日」…。初戦が「8月7日」…。最低でも、試合の前日(「8月6日」)には、中国現地入りしていなければならない…。それなのに、「この国」から「中国」までの移動(飛行機)は、時差などもあり、どうやっても2日間かかる…。
「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部と連絡がつながるのを待っている時間はもう無い!!!!!」
そして、また翌日…(「8月4日」)。大きな決断を迫られる事となりました。ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦の前日(「8月6日」)に中国現地入りするためには、この日に「この国」を出発する以外に、方法はありません。
しかし、この時点ではまだ、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」と連絡が取れておらず、詳しい情報交換は全くできていない状況…。
さらに、最も大きな問題…。僕は、「この国」で日本人として初めてプロサッカー選手になるという、大きな大きな目標をもって、ここへやって来ました。「あのチーム」との契約が破棄になったとは言え、まだ「この国」での滞在期間は1ヶ月残っており、「この国」のリーグ開幕までも、あと2、3週間ある…。どのチームもすでに戦力が固まっており、「この国」の他チームと契約できる可能性はもうほとんど無いとは言え、まだ0.1%くらいは可能性が残っている…。
しかし、もしここで「中国行き」を決断すれば、今年中に「この国」のプロサッカーチームと契約する可能性は、ほぼ完全に消滅します。…そして様々な事情があり、今、「この国」を離れてしまえば、もう一度「この国」に戻る事は極めて難しい状況…。他国のプロサッカーリーグもすでにほとんどが開幕間近、もしくはすでに開幕しており、次、プロサッカーチームと契約できるチャンスは、12月くらいまで待たなければならない…。そうなってくると、今度はもう、サッカーを続ける事さえ困難になってきます。
つまり、「中国に行って、ホンジュラス五輪代表を助け、ホンジュラスに恩返しをする」…を選択するか、「『この国』にまだ残って、『この国』のプロサッカーチームと契約できる可能性を再度、模索する」…のどちらか1つを選択しなければならないのですが、もし「中国行き」を選択する場合、「サッカー引退」の覚悟が必要という状況なのです。
これまで、どんな苦しい状況におかれても、決して諦めずに、「笑顔」で続けてきた「サッカー」です。しかし、ここでの選択次第では、「サッカー引退」の可能性も出てくる…。ところが、ここにこのまま残っても、「この国」のプロサッカーチームと契約できるという保障は一切、無い…(この時点で、具体的なチャンスは皆無)。そして、「中国でホンジュラスを助け、恩返しをする」という機会は、今回を逃すと、一生、訪れないかもしれない…。
「中国行き」か?? 「『この国』に残る」のか??
選択次第によっては、「サッカー人生の終焉」を迎える可能性すらあります。…正に、「人生最大の決断」です。
どちらか一方でも話が具体的に進展していれば、選択も少しは容易だったのでしょうが、残念ながらどちらの話も、全くもってその可能性は不透明な状況…。それでも、もう時間が無いから、この日の午前中に「決断」し、この日の午前中に「行動」しなければなりません…。
「人生最大の決断」なのにも関わらず、全くもって考える余地は与えられていません。
こういう時は、「本能」と「直感」が一番、重要になってきます。「花より男子」の道明寺も、その行動のほとんどが頭で考えてのものではなく、「本能」と「直感」によるものです…。(詳しくはこちら→「道明寺的『成功法則』)
これまでの人生の中で、ありとあらゆる修羅場を世界中で潜り抜けてきた事で、今、僕の「本能」と「直感」は研ぎ澄まされています。自分の「本能」と「直感」が下した決断なら、絶対に間違いはないと信じています…。
こうして、「人生最大の決断」を下す瞬間がやってきました…。
つづく
7月27日 「1年8ヶ月間」の沈黙を破り…。ついに、「この瞬間」がやってきた…。2006年11月にホンジュラスのプロサッカーチーム「Deportivo Lenca(デポルティボ・レンカ)」を退団してから今日に至るまで、実に「1年8ヶ月間」…。怪我で半年以上もランニングさえできない状況などに見舞われ、全く所属プロチームが決まりませんでした。(詳しくは→こちら)
しかし、「故郷、家族、応援してくれてる方々に、恩返しがしたい」という気持ちだけを支えに、「希望」を捨てず、諦めずにこの「1年8ヶ月間」を乗り越え、今日まで活動してきました。
そして、ついに「この瞬間」がやってきた…。
「この国」のプロサッカーチームと、正式に契約締結!!!
※ 契約書にサインするYojiと、それを見つめるチームのオーナー。
※ 正式契約締結後、チームのオーナーとガッチリ握手。
ここまでの道のりは、本当に本当に…本当に長かった…。しかし、どんなに苦しく、難しい状況下でも「笑顔」で活動してきたから、長くはあったけど、あっと言う間でもありました。支え続けてくれた家族や友達、ブログをご覧になって下さってる方々はもちろん、「今まで諦めずにやってきた、過去の自分」に対しても、感謝の気持ちが溢れ出てきました…。本当に、ありがとう…。
今回、この「契約締結」に至るまで、本当にありとあらゆる修羅場があり過ぎて、全てを文章で書き記す事はできません。
日本に一時帰国してから「この国」に再び戻ってきた時点では、実はまだ僕には何ら具体的な「チャンス」はありませんでした。それでも僕は「可能性」を信じてあえて「この国」に戻り、そして自力でチャンスを掴み、どうにか契約締結にまでこぎつけたのです。
そして、このプロサッカーチームに練習参加(テスト)している期間…。食事さえまともに用意されない(家の周りは何も無い場所だから、自分で食べ物を入手する事すらできない)から、1日1食しか食べれない日もある過酷な状況の中で、毎日、厳しい練習をこなしました。
しかも、その日の夜に寝る場所さえも不確定で(チームが準備するという約束だったが…)、1つのベッドを2人の選手でシェアして睡眠をとる日々が続きました。…正直、苦しくて何度か涙が出そうになりました。それくらい、本当に地獄のような環境でした。僕と同じく今期、新加入した他の選手は、「この国」出身であるにも関わらず、この地獄のような環境に耐えられず、3日間で「ホームシック」にかかったほどです。ましてや僕は、全く文化も生活様式も何もかも異なる遠い遠い「日本」からやって来た外国人選手…。その苦しさを、言葉で表現する事はできません。
初めて練習参加してから数日後、正式な「獲得オファー」をもらいました。条件面の交渉に入り、「2年契約」、「給料(公表できません)」、「住居の確保&帰国航空券の手配はチームが行う事」…などを契約条項に盛り込み、双方、合意に達します。そして、ついに「契約締結」…。
「これでやっと…やっと、故郷や家族、応援して下さってる方々に『良い報告』ができる…。ついに、『この瞬間』がやってきた…。このために『1年8ヶ月間』、諦めずに活動し続けてきた…」
今まで長い間、ブログをご覧になって下さったみなさん…。本当に…本当に、ありがとうございました。僕はついに、日本人として初めて、「この国」のプロサッカーチームと正式に契約締結を果たしました…。
※ 契約翌日の新聞で、早速、特集記事が…。
※ 「この日、歴史は塗り替えられる。初の日本人サッカー選手誕生…」
※ 「私たちは、この国で初めて日本人サッカー選手と契約したクラブになれた事を、誇りに思う」 チームの代表者がコメントをメディアに発表。
「契約締結」から、数日後…。
昨日、チームのマネージャーからクラブハウスに呼び出されました。そこで伝えられたのは…
「契約破棄」
…全くもって一方的な、「契約破棄」通告でした。理由は、「ヨーロッパに行っていた外国人GK(元このチーム所属)が戻ってきたから、Yojiは要らなくなった」…との事でした。要するに僕は、この「外国人GK」が戻ってこなかった場合の保険…つまり「二股」をかけられていたという事です。ジャマイカでも似たような事はありましたが(国際移籍証明書まで発行したのに、話が消滅した)、今回はしっかりと「契約締結」しており、状況は全く異なります。
こんな理不尽な事が、この「契約社会」でまかりとおるのでしょうか!?「契約」という概念が無いのか!?…これはある意味、犯罪です。日本なら、裁判沙汰になってもおかしくない出来事です。何せ、契約書にサインしているにも関わらず、数日後に、一方的に契約破棄してきたのですから…。しかし、「この国」は日本じゃない…。しかも、契約書のコピーは「後で渡す」と言われてもらっておらず、したたかな作戦に、完全にハメられました。もはや、どうする事もできません。
この「事件」が僕にもたらしたダメージは計り知れません。チームのオーナーからの「獲得オファー」、具体的な「条件提示」と「双方合意」、そして「契約締結」…。さらには、メディアにまで「初の日本人サッカー選手獲得」のコメントを発表したチーム代表者…。そして、「契約破棄」を伝えられる直前に行った練習後の、監督の「Yoji、また来週な!」という言葉と「笑顔」…。これらは一体、何だったのか!?全て「嘘」、「偽り」だったのか!?…と思うと、人間の怖さをまざまざと感じずにはいられませんでした。
実は、このチームの他にも2チームから話があったのですが、このチームと契約していたためにその2チームに行く事ができず、その間にこの2チームは他の「外国人GK」を獲得して、僕の入り込む余地が無くなってしまいました。つまり、「契約破棄」が伝えられた瞬間、同時に「3つのチャンス」が消滅してしまった事になります。どのチャンスも、やっとの思いで掴んだもの…。このダメージも計り知れません。
せっかく「良い報告」がみなさんにできると思っていたのですが、こんな状況になってしまって申し訳ございません。「笑顔」で全力を尽くしてはいるのですが…。「悔しい」とかいう次元を完全に通り越えています。こういう心境は初めてです。
この「事件」が起こったのが昨日の午後なので、まだ頭の整理ができていません。最低、1、2日間はゆっくり考える時間が必要です。それから、「全ての結論」を出したいと思います。
ただ、僕は落ち込んではいないので、そこは心配ないです。元気バリバリです!!
では、また…。
7月13日 「人生の巡り合わせ」がもたらした、「不思議な再会」…。今年は「何か」がある!!注)これは、約1ヶ月前に「1年ぶり」に日本へ一時帰国し、それから再び「この国」へ向かう途中の話です。
こうして強い決意を胸に、再び「この国」へ旅立つ事となりました。
日本から「この国」への直通便飛行機はありません。最初は「香港経由」で行く予定だったのですが、往復チケットの関係上「シンガポール経由」に変更せざるをえなくなりました。しかも、シンガポールの空港での乗り換え待ち時間が、過去最長の「10時間」!!長っ!!
「一体、10時間もどうやって過ごせばエエんじゃろう…?」
最初は正直、「何でこうなるの!?」と頭を抱えました。…しかし人生、どんな出来事も、結局は自分にプラスをもたらす「最高の出来事」になるよう、神様によって仕組まれているのです…。
「シンガポール…。10時間…。んんんんん!?」
…ここで1人の人物の名前が、僕の頭に思い浮かびました。
大学サッカー部時代の先輩で、元アルビレックス新潟所属…現在はシンガポールリーグで活躍する、新井健二選手(以下「アラケンさん」)です。
アラケンさんは僕の1学年上の先輩で、大学時代は3年間、共に汗を流した仲間です。…が、大学時代は、ほとんど交流がありませんでした。いや、フィールドで練習する時はもちろんコミュニケーションをとっていましたが、プライベートでは全く交流が無かったんです。…で、大学を卒業してからも全くと言って良いほど交流は無く、2004年に安の居る新潟に行った際も、アラケンさんとは出くわしたのですが、これまたほとんど会話をする事はありませんでした…。
そんなアラケンさんが、なぜか今年に入り、突然、メールをくれるようになったのです!!…どうも、これまた2004年に新潟で知り合った、元アルビレックス新潟所属の深沢仁博選手(以下「深沢さん」)と現在、シンガポールでチームメイト&ルームメイトになったらしく、「(深沢さんから)お前のメルアド聞いた」とかで、メールしてくれるようになったのです(深沢さんとは2004年に新潟で知り合って以来、たま~にメールでやり取りしていた)。
それにしても、大学サッカー部時代から今日までの「約10年間」、ほとんど交流すら無かったアラケンさんがメールを送ってくれるようになるなんて…一体、どういう風の吹き回しなんじゃろう??(笑)。本当に驚いたし、同時に、凄く嬉しかったです。
…で、今年に入ってからこんな感じでちょこちょこアラケンさんとメールでやり取りしていたので「一応、シンガポールに飛行機の乗り換えで寄る事を伝えてみるか!」と思ってメールしたのです。すると…
「旅立つ前に、シンガポールの上手いモノを食わせてやる!マサ君(深沢さん)も連れて行くから一緒に会うか!?」
…という返信メールをくれました!!アラケンさんの優しさが心に染みて、本当に嬉しかったです(涙)。
こうして、本当に奇遇にも「飛行機の乗り換えで偶然、シンガポールに寄り、10時間の待ち時間がある」…という特殊な事情のおかげで、アラケンさん、深沢さんとの再会が実現したのです!!実に「4年ぶり」の再会でした!!
※ シンガポール上陸!!アラケンさん、深沢さんと再会!!
アラケンさんは現在所属の「Singapore Armed Forces Football Club」に2006年より加入し、その年、見事に「リーグ優勝」。続く2007年も優勝を果たし、これで「リーグ2連覇」。さらにはシンガポールカップも「2連覇」を達成し、その年に行われた「AFCカップ」というアジアの大会にも出場。しかもその大会で「日本人初ゴール」もゲット!!(DFなんですが…。凄いですね!)
…とまあ「異国の地」シンガポールで大活躍している、大変、尊敬できる先輩です。
ちなみに今年…2008年には深沢さんがこのチームに加入し、2人はアルビレックス新潟時代以来の「チームメイト(しかもルームメイト)」になったわけです!!いや~「人生の巡り合わせ」って、本当におもしろいですね!!「シンガポールリーグ3連覇」は過去無いそうなので、ぜひ2人の力を合わせて、偉業を成し遂げて欲しいものです!!
実は安英学の成功にもアラケンさんは間接的に関わっていて、大学時代、アラケンさんの視察に訪れたアルビレックス新潟の関係者の方が、たまたまそこで安のプレーを目の当たりにし、それが元となって、後に安の「アルビレックス新潟入団」が決定するのです。…つまり、アラケンさんがいなければ、今の安英学も無かったかもしれないのです!!
…つくづく「人生の巡り合わせ」って不思議ですね~。もちろん「実力」がある事が最低条件なのですが、この世界、それプラス「人生の巡り合わせ」が本当に大事って事ですね。アラケンさんにも安にも、「人生の巡り合わせ」を味方に付ける「プラスのオーラ」が出ています。だから、成功できるのです!!
※ アラケンさんと!!
深沢さんは2004年に新潟で知り合ったのですが、メールの中でも年下の僕に凄く丁寧な敬語の文章を書いてくれる、大変、紳士な方です。…また、少し不思議なキャラの持ち主(?)で、新潟に居た際、一緒に食事をした事があるのですが、その事は「覚えていない」らしく、逆に、一度、新潟の商店街で偶然、出くわし、「あ、どーも…」って感じで「0.5秒」だけ交流したのですが、そっちは「覚えてる!!」らしいのです。普通、逆でしょう!?(笑)不思議な人です。
Jリーグでは、アルビレックス新潟の他にも横浜マリノスでプレーされ、新潟退団後は、アメリカ「USL」の強豪「モントリーオール・インパクト」で活躍…。昨年はタイの「バンコク・ユニバーシティFC」でプレーし、ACLにも出場して川崎Fとも対戦…。本当に、凄まじい人です!!尊敬しています。
※ 深沢さんと!!
アラケンさん、深沢さんとの「4年ぶりの再会」は、予想を遥かに上回る楽しさとなり、非常に「濃い」時間が過ごせました。ハッキリ言って、楽し過ぎて、とてもじゃないけど「10時間」じゃあ足りませんでした。30時間くらいは欲しかったです(笑)。
※ 活気溢れる、シンガポールの街!!英語も中国語も通じるし、おもしろい国です!!
前回、この2人と会ったのは、「2004年に安の居る新潟に行った時」です。
…で、その当時の僕の状況を少し振り返ってみると、
「半年以上、サッカー環境を失い、ボールを蹴る事さえままならぬ状況。引退の危機」
…でした。
!!!!!!!!!!!
…そうです。昨年、僕が置かれていた状況と、全くと言って良いほど同じなのです。
…で、「2004年に安の居る新潟に行き、アラケンさん、深沢さんに会う」…の後…2005年…僕はどうなったかと言うと…
「ホンジュラスで人生初、プロサッカーチームと契約締結」!!!
そして、今回の僕の状況は…
「1年以上、サッカー環境を失い、ボールを蹴る事さえままならぬ状況」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「安の居る韓国・水原に行った後、シンガポールでアラケンさん、深沢さんに会う」 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「『この国』のプロサッカーチームと契約」!!??
キター!!!!!(笑)
…要するに、「長期間、サッカー環境を失う」→「安英学と再会」→「アラケンさん、深沢さんに会う」…は、ある種の「勝利の方程式」であり、非常に「縁起が良い」事なのです!!ヤッター!!
「そんなのコジツケじゃ!!」
…という意見もあるかもしれませんが、確かに僕は肌で「何か」を感じています。良い「流れ」である事は間違いありません。
こうして僕は「人生の巡り合わせ」によって「偶然」もたらされた「不思議な再会」を終え、非常に良い「流れ」を感じながら、笑みを浮かべつつ、シンガポールの空港より「この国」へ向けて旅立ちました。
今回、アラケンさん、深沢さんからは本当に大きな「プラスのパワー」をもらいました。この「プラスのパワー」を胸に、必ず「この国」のプロサッカーチームと契約し、「恩返し」と、行き先を告げずに旅立った「お詫び」をさせていただきます。必ず!!(「行き先」は家族以外の誰にも告げていません)
※ シンガポール・チャンギ空港にて、アラケンさん、深沢さん、もう1人チームメイトの日本人選手、ノリ君と!!
※アラケンさんのブログURLは→「こちら」!!(右の「破天荒リンク」にも貼っておきます)…ちなみに深沢さんは、今年はブログをやってないそうです…。
7月5日 負けられない理由。注)これは、約1ヶ月前に「1年ぶり」に日本へ一時帰国した時の話です(今はもう「この国」に戻ってきています)。ちなみに前回の記事で、安の居る韓国へ寄った話を書きましたが、それはこの一時帰国で日本に到着する前の話です(「この国」から日本に帰る際、直通便が無かったので韓国で乗り換え、そして韓国に少し滞在してから、日本に帰った)。ちょっとややこしいかもしれませんが、帰国したのはこの「1回」のみです。
…というわけで、「この国」から韓国を経由して、1年ぶりに日本・広島の地に帰ってきました。
※ 我が家の「守護神」(昨年、UFOキャッチャーで僕がゲットました)。ちゃんと神棚(?)に飾ってあります。確かに、実際「神様」です。
「最後の挑戦(最后挑战)」でも書いたように、個人的事情があり、今回は家族以外の誰ともほとんど会ってないし、連絡も取りませんでした。「きちんとした結果」を出して帰国した際に、改めて顔を見せたり、連絡を取りたいと思いますので、このブログをご覧になってる知人の方々には、悪しからずご了承頂ければと思います。
「家族」以外の誰とも…。しかし、今の僕には、1年ぶりに家族に会えただけでも、充分、幸せを感じました。
「とにかく家族を喜ばせたい。笑顔にさせたい」
…これが僕の最大のモチベーションです。
1年ぶりに、入院するおじいさんのお見舞いに行きました。
以前、ブログに登場した時は立って歩いていましたが、今は脚が弱り、車椅子になりました。
現在、88歳…(今年、89歳)。まだまだ元気にしてくれています。嬉しい限りです。…ただ、若干、物忘れが多くなってきました。久々に会って、「誰か分かる?」と聞いた時、「ん~…誰じゃったかいのう?」と言われた時はショックを受けました。…が、実は「髪が伸びとるけ~誰か分からんかった」だけで、ちゃんと僕の事は覚えていてくれました。さすがじゃ、おじいさん!!
そして、実は何と、僕がサッカーしている事も、しっかり覚えてくれていました…。
約2年前…。ホンジュラスで、生まれて初めてプロサッカーチームと契約締結した際…おじいさんは喜んでくれました。当時、僕の記事が掲載されたホンジュラスの新聞や所属チーム「CD Lenca(クラブ・デポルティボ・レンカ)」の集合写真ポスターは、今も病室に大事に飾ってくれています。そして、ホンジュラスから広島のRCCラジオ番組に出演し、丁度、放送日がおじいさんの誕生日だったので「お祝いの言葉」を番組内で述べた際も、喜んでくれていたそうです(当時、僕は日本に居なかったので、親から聞いた話です)。
「おじいさんが元気な内に、まだまだ、たくさん『良い報告』をして、喜ばせ、笑わてみせる!!」
…そう考えると、底なしのエネルギーが湧き出てきます。
今日の豊かな日本があるのは、激動の時代を魂で生き抜いた、おじいさんの世代の方々のおかげだと、僕は考えています。人生の終盤に差し掛かったおじいさんに、お世話になったおじいさんに、感謝の気持ちを込めて、とにかく、とことん喜ばし、笑顔にさせ、「いや~、最高の人生じゃった!!」と思わせてあげたい…。本当に、心の底から、そう願っています。…そしてこの想いが、「不可能を可能にする」原動力になります。
初めてホンジュラスでプロサッカーチームと契約締結し、「人生最大の夢」を叶えた際…。実は、知人の反応は、「あっそ…」くらいの素っ気ないものが多かったです(もちろん、祝福の言葉をくれた人もいましたが)。
しかし…。
家族だけは、心から喜んでくれました。一番、喜んでくれました。それまで、僕がサッカーする事に大反対だったのにも関わらず、喜んでくれました(口では何も言いませんでしたが、態度で何となくそう感じた)。
家族が喜んでくれるなら…。それだけで僕は充分です。他には何も望みません。
家族には本当に感謝しています。だから、とにかく、とことん喜んで欲しい…。笑顔になって欲しい…。僕が望むのは、これだけです。そして、それが最大の「恩返し」になると信じてます。
※ 父と練習。夜なので父はパジャマ姿ですが、ご勘弁下さい(お恥ずかしい)。ちなみに父はサッカー「ど素人」です。2年前までなら、父と練習するなんて考えられませんでした…(10年以上、父からはサッカーする事に反対され続けてきた。「サッカー辞めろ」と言われた事、数え切れず…。母に至っては「あんたがボール蹴る音を聞くだけで頭が痛くなる」とまで言っていた。それが今では応援してくれている…。その気持ちに、どうしても応えたい…)。
こうして強い決意を胸に、短い日本での「1年ぶり」の滞在を終え、僕は再び「この国」に向けて出発しました。
※ 広島駅から、出発!!
そして、その道中で、またまた予想外な出来事が起こるのでした…。
つづく
※ おじいさんが書いた「勇気百倍」。これを見ると、僕の勇気は「千倍」になります。
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