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20 février 在中国中央电视台的[足球之夜]上登了我的文章!(中国中央電視台の「足球之夜」に自分の特集記事が載りました!)请看看2009年2月号的中国中央电视台[足球之夜]杂志版!!在那个杂志上登了我的故事、而且是四页很大規模的!! (中国中央電視台の「足球之夜」の2009年2月号をぜひ見てみて下さい!その雑誌の中に、自分の特集記事が4ページも掲載されました!) 非常感谢中国!!(ありがとう中国!!) 非常感谢中国中央电视台!!(ありがとう中国中央電視台!!) 非常感谢足球之夜!!(ありがとう足球之夜!!) 非常感谢Ray先生!!(ありがとうRayさん!!) 最后非常感谢足球!!(そして最後に、ありがとうサッカー!!) 我很感动很高兴!!(とても嬉しいし、感動しました!!) 23 août 「オリンピック」の壁。会う事さえできないのか…?※ 秦皇岛の街並み。
<2008年8月6日(水) ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日>
こうして、「人生最大の決断」&「史上空前のドタバタ劇」を経て、どうにかこうにかホンジュラス五輪代表の試合会場&宿泊先である、「秦皇岛」に到着しました。
到着してすぐ、これまでまだ連絡の取れていなかった、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」に電話をかけます。そして…やっとやっと彼と電話がつながりました!!
しかし、彼の口から発せられた言葉は、少なからず僕にショックを与えました…。
「チームとしては、君の存在は大歓迎だ。しかし、これはオリンピックという一大イベント…。セキュリティーがとてつもなく厳しい。公式にチーム内で働くには、北京五輪オフィシャルのIDカードが必要なのだが、試合前日に現地入りした君は、もうこの手続きが間に合わない。このIDカードが無ければ選手の宿泊先や練習場に入る事さえできない…」
…………。
言葉を失いました。「自分のサッカー人生が終わるかもしれない」という覚悟まで決め、途方もなく長い「この国」から秦皇岛までの道のりを経て、ようやく辿り着いたと思ったら、この状況…。しかし、これはごく当然の事です。オリンピックという世界最大級のイベントだから、セキュリティーが半端じゃなく厳しいのは当たり前…。そんなの、「常識」です。
ただ、「中国」と「ホンジュラス」は共に「ありえない!がある!」破天荒な国で、そんな「常識」では考えられないような出来事が度々、起こる事を、過去、僕は現地で生活する中で実際に体験していました。
「この2カ国がコラボレーションすれば、何かが起こる可能性は充分ある…」
そう感じ、あえてリスクを冒して「中国行き」を決断したのです。…しかし、今回ばかりはさすがにどうにもなりません…。「オリンピック」という、とてつもなく大きな壁に跳ね返されました。このままでは、下手したらアミーゴたちに会う事さえできません…。
ただ、ここまで来て、下を向いているわけにはいきません。彼の話によると、「選手の宿泊ホテルに入る事はできないが、門の前で会える可能性はあるかも…」との事だったので、すぐさまそちらに向かいます…。
「せめて、アミーゴたちに会うだけでも…」
この2日間、ハードスケジュール過ぎてほとんど睡眠が取れておらず、時差ボケや空腹も相まって疲労は限界…。そんな僕を支えていたのは、「ホンジュラスへの想い」…ただ、それだけでした。
そして、ついにホンジュラス五輪代表の宿泊ホテル付近に到着!!
ホテルの前は厳重警備がしかれており、例え選手の家族であっても「北京五輪オフィシャルIDカード」が無ければ、一歩たりとも中には入れないという…。しかも、ホテル前の道路は一般車両、一切、立ち入り禁止…。想像以上の警備の厳しさに、驚かされました。
「これじゃあ本当に、アミーゴたちに会う事さえ不可能かも…」
そんな中、見慣れた「青と白」のジャージに身を包んだ数人組みが視界に飛び込んできました…。
「あっ!!ホンジュラスじゃ!!」
ホンジュラス五輪代表のコーチたちでした。向こうも、僕が着ていたホンジュラス代表のユニフォームを見て、興味を示して近付いてきました。アジア人でホンジュラス代表のユニフォームを着て歩いてる人間なんて、いくら広い中国と言えども、僕以外には皆無に等しいですからね…。
このコーチたちとは面識があったわけではありませんが、向こうは「マラトンに居た日本人GK」という事で、僕の事を知っていたようです。いろいろ話し、打ち解けました。…それにしても、中国の地で、ホンジュラスのサッカー関係者と交流する……本当に不思議な感覚がしました。そして、中国で初めてホンジュラス人を見つけた時の、湧き上がる喜び、嬉しさ、安堵、何とも言えない格別な気持ち…。この時の心境を、言葉で説明する事はできません…(涙)。
さらにホテルの前まで歩を進めると、ホンジュラスの新聞記者、ラジオ局などのインタビューを受けている、数人のホンジュラス五輪代表選手&監督と遭遇しました。
キャプテンのヘンドリー・トーマスと会いましたが、彼はドナルド・ゴンサレスのアミーゴで、今回、僕が「ホンジュラス五輪代表を助ける!」という使命を持ってやって来る事を、予め知っていたようです…。
「ドナルドから、話は聞いていたよ」
他の選手たちも一様に、「ああ、あの時の日本人GKかぁ!!」と僕の事が分かったみたいで、話に花が咲きました。…しかも監督のジルベルト・イェルウッドは、ホンジュラス時代に一度、会った事があり、面識があった人物…。ホンジュラス代表の新しいシャツを贈与され、ガッチリと握手を交わしました。
※ ホンジュラス五輪代表監督、ジルベルト・イェルウッドと…(僕が着ているシャツは、先ほど彼から贈与されたもの)。…実はホンジュラス五輪代表は、北中米カリブ海地区予選で優勝を成し遂げた際、彼ではなく、別のコロンビア人監督がチームを率いていました。それが、いつもの「ありえない!がある!」ホンジュラスサッカー協会の意味不明の決断により、五輪初戦の1ヶ月前に、突然、イェルウッドに監督交代…。何でよ!?イェルウッドの監督としての能力がどうこうではなく、せっかく結果を出していたチームに与える、突然の監督交代の影響、そして1ヶ月しか準備期間が与えられなかった新監督…。チームが混乱をきたしていないか、一抹の不安がありました…。
…こうして、やっとやっと中国にて、ホンジュラス五輪代表の面々との対面が実現しました!!…しかし、エミル・マルティネスなど、マラトン時代に共に汗を流したアミーゴたちとは、まだ再会できていません…。早速、エミルに電話をかけます。「ホテル前に到着したぞ!!」…するとエミルは、「おう!今からそっちに向かうわ!」と答えました。あと少しで、エミルとの再会が実現します…。
※ これは、2年前(2006年)にホンジュラスで撮った、エミル・マルティネスとの写真。真ん中はエミルの息子、ヘスス。
そして…
キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
エミル・マルティネスと、2年ぶりの再会!!!!!(涙)
※(ちなみに、イェルウッド&エミルが首からぶら下げているのが、例の「北京五輪オフィシャルIDカード」。これがなければ、選手やコーチでさえ、ホテル、練習場、試合会場…一切、立ち入り禁止なのです…)
ホンジュラスのアミーゴと、中国の地で感動の再会…。そこに辿り着くまでの「人生最大の決断」&「史上空前のドタバタ劇」…。さらには今日に至るまでの2年間…ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→「この国」…での苦闘…。さすがに込み上げてくるものがありました。そして、「自分にとって『ホンジュラス』という存在がいかに特別であるか」を、改めて再認識させられました。
この日は結局、都合が合わず、エミル・マルティネス以外のマラトン時代のアミーゴたちとは再会できませんでした。しかし夜には、例の「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」との対面が実現し、翌日の試合…「ホンジュラスVSイタリア」のチケットを彼からプレゼントされました。忙しいだけでなく、大事な試合前日でピリピリしている状況にも関わらず、僕のために時間を取り、チケットの手配までしてくれた…。その心遣いが本当に嬉しく、心に染みました…(涙)。
※ これが「2008年8月7日(木) ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦」のチケット!!!
「北京五輪オフィシャルIDカードが無いから、ホンジュラス五輪代表のホテルや練習場にさえ入れない」というショックの報告を受け、「下手したら選手たちに会う事も、試合をスタジアムで観戦する事さえもできないかもしれない…」と心配していましたが、こうしてどうにかこうにか、エミル・マルティネスとも再会でき、明日の試合のチケットも入手する事ができました。
五輪の試合のチケットなんて普通、簡単には手に入りそうもないのですが、試合前日に突然やって来たのにも関わらず、何だかんだで「チケット入手」が実現…。これも、僕とホンジュラス…そして中国との「縁」がもたらした奇跡なのかもしれません…。
さあ、いよいよ明日…。ホンジュラス五輪代表の大事な初戦…イタリア戦です!!!
つづく
5 juillet 『中国・天津帰還編 ~その1~』 ついに帰って来た、「第2の故郷」…天津。 語学留学生として1年3ヶ月間、滞在していた「中国・天津」を離れてから、早「3年半」の月日が経過しました。
その間、僕は、『夢』実現のために「中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ…」と、実に5カ国を渡り歩いてきました。
「3年半」……日にちにして、およそ「1278日間」……。
この「1278日間」…世界のどこに居ようとも、ただの1日とて、「第2の故郷」…天津のことを忘れた日はありませんでした。世界のどこに居ても、「第2の故郷」…天津のことを、深く、熱く、想い続けてきました…。
それでも海外で、様々な国で『夢』を追いかけていた自分は、この「1278日間」…ただの1度も、「第2の故郷」…天津に帰ることができずにいました…。
しかし………。
「1278日間」、ただの1日も忘れることなく、想い続けてきた、「第2の故郷」…天津……。
そこへの「帰還」が、「1278日間」の時を経て………
ついに………
実現する時がきたのです!!!!!!!!!!!
Yoji、「第2の故郷」…天津への「帰還」が決定!!!!!!!!!!!!
今の自分は、近年の慌しい日々と違って、3ヶ月間も日本に滞在できるほど、時間の余裕があります…。この機会を逃せば、「第2の故郷・天津への帰還」のチャンスは、もう当分、やってこない…。しかも、まだ天津に残っている僕の留学仲間たちは、この6月に卒業して帰国してしまう…。留学仲間と、天津の地で、留学時代の雰囲気を味わえるチャンスは、これを逃せば、もう一生無い…。行くなら、今しかない!!行ってやるさ!!行けば分かるさ!!ありがとーーー!!1、2、3、ダァーーーー!!(アントニオ猪木風)
…こうして先月、念願叶って、「第2の故郷」…天津への「帰還」が実現したのです。しかも今回は、父と共に行ってきました。父は、中国には行ったことがありますが、僕の「第2の故郷」である天津には、まだ1度も行ったことがありませんでした。だからこそ、その父に、「僕の『第2の故郷』…天津をぜひ見てもらいたい。」という気持ちがありました。
2007年6月11日(月)
さあ、僕に「笑顔」の重要性を教えてくれ、僕に「人生の素晴らしさ」を教えてくれた、僕の「第2の故郷」であり、「原点」とも言える、天津に向けて、父と共に出発です!!「1278日ぶり」の天津は、一体、僕にどんな姿を見せてくれるのか…。「感動」の「天津帰還」、いよいよスタートです!!(涙)
※新広島空港から、中国に向けて、いざ出発!!まずは、大連空港に向かいます。以前までは、広島から「中国行き」の飛行機は飛んでいなかったのですが、現在はこのように、広島から中国に行けるようになったのです!!何て便利なのでしょう!!(涙)
※広島を離陸!!
数時間後…。
※ついに見えてきたぞ、中国!!これは大連です!!…それにしても、「黄砂」?「大気汚染」?かなり空気が濁っています!!おかげで中国で生活していると、「鼻毛」の伸びる速度が、通常の2倍になります(笑)。大丈夫か、中国!?(笑)
※大連上空…。ん~、「これぞ中国!」といった感じの街並みと、雰囲気です!!これを見ると、「ああ、中国に来たんだな~。」という実感が湧いてきます…。
大連空港で乗り換えた後、今度は、北京を目指します!!
そして、また数時間後…。
※北京到着!!北京空港にて。この「熱気」!!この「エネルギー」!!この「バイタリティー」!!この「無意味な人の多さ」(笑)!!これぞ、中国!!
北京空港に着いた時は、確か17時半くらいでした。ここから、バスで天津に向かいます!!
ここでちょっと気付いたのは、3年半前まで結構、ボロかったタクシーたちが、キレイで新しいタクシーに一新されていたのです!!(中にはボロイままのもありましたが。) これも「北京オリンピック」のためなのか!?日々、進化を続ける中国…。けど、個人的には「ボロイけど安くて、人間味溢れるタクシー」が好きだったりします。
さらには、テレフォンカードを差し込んで使える、公衆電話が、いたる所に設置されていました!!3年半前までは、テレフォンカードを差し込んで使うタイプの公衆電話は無く(少なくとも僕は見たことがありませんでした)、電話カードに書いてある番号をダイヤルして使うタイプの電話だったのですが…。日々、進化を続ける中国…。これは凄く便利なので、大歓迎です!!やるじゃん、中国!!
この日は天津で、3年半前まで共に学んだ留学仲間(韓国人&日本人)と会う予定だったのですが、思った以上に「北京→天津・バスの旅」の時間がかかってしまい、やっとやっと「第2の故郷」…天津に入った時には、すでに日が暮れて、辺りは真っ暗…。それでも、見慣れた景色が目に飛び込んできて、そのあまりの「懐かしさ」に、胸が熱くなります…。込み上げてくる、様々な想い…。
※天津のバス停に到着してからは、タクシーに乗り換え、宿泊先のホテルを目指します。タクシーの助手席から見える、夜の天津の街並み…。改めて実感が沸いてきます。「本当に俺は、天津に帰って来たんじゃ…(涙)。」
※あっ!!「南開大学」!!「南開大学」は、3年半前まで、1年と3ヶ月間、語学留学生として通った、正に僕の「思い出の聖地」です。3年半ぶりに、「思い出の聖地」を目の当たりにし、感極まりました…(涙)。
「南開大学」の中にも、来客者用の宿泊施設があるのですが、あいにく、全て満室…。そこで、違う安いホテルを探すのですが、今度は、そのホテルが「外国人お断り」…。アイヨ!!ホテル探しが難航します。しかし結局、タクシーの運ちゃんの紹介で、値段的にも、場所的にも、最高のホテルを見つけることができました!!さすがに中国のタクシーの運ちゃんは商売人じゃのぉーー!!(笑) けど、助かったよ!!謝謝、タクシーの運ちゃん!!
こうして、どうにかこうにか、宿泊先をゲットしますが、時計の針は、すでに夜の22時を越えていました…。せっかく、3年半ぶりに留学仲間と再会を果たすことになっていたのに…。これだけ夜遅くなってしまったら、さすがに今日はもう会えんじゃろう…。僕も父もそう思いました…。
しかし…。
留学時代の元ルームメイト、韓国人「ポンヨー」BJに電話すると、
「大丈夫!飯を食べずに待っていたよ!!」
と言われました。
熱い!!!!!!(涙)
こんなに夜遅くなってしまったのに、まだ僕達のために、飯も食わずに待ってくれていたのです…(涙)。
これが、中国なのです(彼は韓国人ですが)。とにかく、中国に居る僕の「ポンヨー」たちは、中国人に限らず、韓国人、日本人、欧米人…とにかく、「熱い」のです!! もちろん、その「熱さ」は、もともと彼らが持っていた人間性でもあると思うのですが、僕はそれと同時に、この「エネルギー」と「バイタリティー」と「笑顔」と「人間味」が溢れる中国が、他の国の人達にも、「熱さ」をもたらしているのではないか…と、思えてならないのです。「病んだアメリカ」に居た外国人たちとは、それこそ雲泥の差があります(笑)。これこそ、中国最大の「魅力」です!!
※4年前…。2003年・天津。ルームメイトの韓国人BJと、僕達の部屋にて。昨年、ホンジュラスに居る時ブログにも書きましたが、このBJが、僕のためにわざわざホンジュラスにまで「電車男」と「花より男子」のDVDを買って、天津から送ってくれたのです(涙)。とにかく「熱い」!!最高の「ポンヨー」です!!
そして、「3年半ぶり」の、「感動」の再会……。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、僕が着ているTシャツは……そうです!!「パナマ行き」の前にホンジュラスで購入した、例の「勝負Tシャツ」です(笑)。「3年半ぶりに天津に帰還するのなら、それなりの意気込みと覚悟が必要…。」ということで、この「勝負Tシャツ」の着用を決断しました(半分、嘘です)。ちなみに、左奥は、Yojiの父です。
こうして、「感動」の再会で幕を開けた、「3年半=1278日ぶり」…「第2の故郷」…天津への「帰還」…。
「帰還」と書きましたが、今回は「旅行」です。わずか「5日間」しか滞在できません。
しかし、「第2の故郷」は、やはり僕の期待を裏切りませんでした。
あまりにも「濃密」で、「スペクタクル」で、「ミラクル」な「5日間」の幕が切って落とされました…。
つづく
28 septembre 広島「RCCラジオ」番組、無事、収録完了!! それはそれは、不思議な体験でした。
昨夜、広島「RCCラジオ」番組の収録が、無事、完了いたしました!!
ホンジュラスに居る自分に、時差15時間の日本・広島のラジオ局から電話がかかってきて、そこでの会話が、ラジオ放送される……。考えれば考えるほど、不思議です(笑)。
昨夜21時20分……。
予定では、21時半にRCCラジオさんから、電話がかかってきます。僕は電話を持ってないので、以前、何度かブログで紹介した「カルメン」の家に電話がかかってきます。あと、10分後です。前もって何度も「今日の21時半に電話かかってくるから。」とカルメンには伝えておいたのですが、カルメンの家には誰もいなく、鍵がかかってます。おい!!(笑)
…カルメンは家の向かいの仕事場に居ました。
「カルメン!あと10分後に電話かかってくるから、(カルメンの)家の鍵、開けてよ!!」
僕が少し焦ってカルメンに言いました。するとカルメンは、
「21時半でしょ。あと10分もあるじゃない。大丈夫、大丈夫。」
のんきです!!!さすが、遅刻など日常茶飯事の国ホンジュラス!!!慌てて僕が再度、
「カルメン!!日本の文化では、『10分前行動』ってのがあって、ひょっとしたら10分前に電話かかってくるかもしれないから、早く家の鍵、開けてくれ!!」
と頼み、「はいはい…。分かったわよ…。」と、やっと家の鍵を開けてもらえました。フ~……(汗)。
※これがカルメンの家の電話。ここ(黒い方の電話)に、RCCラジオさんから、電話がかかってきます。それにしても、右に懐かしい電話が……。
いや~。何が起こるのか、ドキドキ、ワクワクです。
そして、ついに!!!!!!!!!
トゥルルルルルル………。
電話がかかってきました!!!!!!!!!!!!!!
※電話に出るYoji。……「ハロ……あ、いや、もしもし?」
正真正銘、広島「RCCラジオ」さんの番組「ごぜん様さま」の「ぶち広島人!」コーナーからの電話です!!!! きたきたきたー!!!!
最初はややドキドキしていましたが、さすが、ラジオ局のプロのスタッフの方々ですね!!!こちらが話し易いような雰囲気を作って下さり、自然といろいろ話せました!!!!
※凄く楽しい、収録でした!!!!このように、自然と「笑顔」になっていきました。それにしても、この写真を撮ってくれたのはカルメンですが、僕の頭のてっぺんが切れてます。あまり写真を撮るセンスは無いようです(笑)。カルメン頼むよ!!(涙)
そんなこんなで、「考えれば考えるほど、不思議な体験。」である、「故郷・広島のラジオ番組収録」は、またたく間に終了いたしました。凄く楽しくて、本当に良い経験をさせてもらいました。RCCラジオさん、改めて、本当にありがとうございました!!!
このラジオ番組は、日本時間で「10月2日(月)午前10時15分頃」から放送されます。
実は、この放送予定日「10月2日(月)」は、何と何と、僕のおじいちゃんの「87歳」の誕生日なのです!!!!!!!!
※僕の尊敬する、おじいちゃん。現在、入院中。
だから僕は、今回のラジオ番組収録の中で、日本の故郷・広島に居る、おじいちゃんに対して、今までの感謝の気持ちを込めて「誕生日、おめでとう。」のメッセージを送りました。
思えば、僕が生まれてからの26年間、おじいちゃんの誕生日に「おめでとう。」と言ってお祝いをした記憶がほとんどありませんでした。
だからこそ、今回、こうしてホンジュラスから、おじいちゃんの「誕生日祝い。」ができたことは、僕にとって、本当に本当に特別な出来事でした。
今まで本当にお世話になった、僕にとって「世界最強」のおじいちゃんに対して、少しは恩返しになったのかな????
こうして、「故郷」と「家族」のありがたみ、温かみを感じさせてもらえる、特別な一日となりました。
※広島県民の方は、ぜひ、ラジオ放送を聞いてみて下さい!!!!
☆放送予定日
日本時間10月2日(月)午前10時15分頃~…
RCCラジオ番組「ごぜん様さま」の、「ぶち広島人!」コーナーです!!!!
それでは!!!!!!!
23 septembre 広島「RCCラジオ」番組、出演決定!! 今日はちょっと報告があります。
実は、我が故郷、広島の「RCCラジオ」の番組に出演させていただくことが、決定いたしました!!
今回、僕が出演させていただくのは、RCCラジオの「ごぜん様さま」という番組の中の、「ぶち広島人!」というコーナーです。この「ぶち広島人!」というコーナーは、「広島出身で、国内外を問わず様々な分野で活躍する人に登場していただくコーナー…。」とのことでして、どこでどう僕の活動が知れ渡ったのか分かりませんが(笑)、RCCラジオさんから出演要請のメールがここホンジュラスに届きまして、今回の出演が決定いたしました。また一つ『夢』が叶いました!!!
「出演するって、今、あんたホンジュラスに居るじゃんか!!」
…と、思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、何と何と、「電話」にて出演いたします。そう、RCCラジオさんが、わざわざホンジュラスにまで電話をかけて下さり、その模様が、ラジオにて放送されるのです!!
当初は「生出演」の予定でしたが、いかんせん、ホンジュラスは今日の予定でさえ2度、3度と変更される国でして(笑)、「生」だとかなりリスクが高いため、あらかじめ「収録」させてもらうことになりました。
収録は、日本時間で今月27日(水)に行われます。放送予定日は、日本時間で「10月2日(月)午前10時15分頃~28分頃まで。」だそうです。番組の名前はRCCラジオ番組「ごぜん様さま」で、コーナーの名前は「ぶち広島人!」です。(ちなみに「ぶち」とは広島弁で「めちゃくちゃ」「物凄く」といった意味です。)
今回のラジオ番組出演にあたり、まず湧いてくる感情は、何と言っても
「感謝」
です。
このような素晴らしい番組に、僕のような「どこのホンジュラスの馬の骨」かも分からないような人物を出演させてくれる「RCCラジオ」さんに、本当に感謝の気持ちが溢れてきます。この場をおかりいたしまして、RCCラジオさんには、改めて「感謝」の気持ちを述べたいと思います。本当にありがとうございます!(涙)
かつて、僕にとって日本とは、
「行動してもしても、響かない国。」
でした。
僕は「海外で様々なことにチャレンジしている。」…と思われがちですが、日本でも同様に、様々なことにチャレンジしてきました。
…しかし、残念ながら、かつて日本では、僕の実力を認め、僕の活動を理解する人はいませんでした。
「行動してもしても、響かない国。」
僕にとって日本は、まさに「ぬかに釘」と同じでした。
僕は海外に出ることによって「母国・日本」、そして「故郷・広島」を想う気持ちが、凄く強くなりました。だからこそ、そこが自分にとって「行動してもしても、響かない国。」「ぬかに釘」状態だったことに、凄くもどかしさを感じていました。こんなに「母国・故郷」を想うのに、「母国・故郷」からは逆に必要とされない、理解してもらえない…「母国・故郷」のために、何も役に立てない……。もどかしい……。それが今までの僕の人生でした。
今回のラジオ番組出演は、そんな僕の人生を変える「光明」のような気がします。
なぜなら、僕の活動が、ついに「母国・故郷」に、
「響いた。」
のです。
「行動してもしても、響かない国。」だった日本に、「響いた。」のです。
これは、僕の人生において大きな出来事であるし、だからこそ、「RCCラジオ」さんには感謝の気持ちが溢れてくるのです。
そして、生まれて初めて、故郷のために「何か」ができるようになりました。やっとやっと、故郷のために「何か」ができるようになりました!!!
話によると、僕の幼なじみの友達が、僕の活動をRCCラジオさんに知らせたか何かで、今回、こうしてRCCラジオさんに、僕の活動が知られることとなりました。詳しい経緯は、未だによく分かりませんが、一つ、はっきり言えることは、
「世界のどこにいようと、魂込めて活動していれば、必ず誰かが見ている(聞いている)。」
ことです。
まさかホンジュラスで活動していることが、こうして知れ渡るなんて、誰が想像したでしょう!!!!
これからも、故郷に対する「感謝」の気持ちを込め、そして魂込めて、「笑顔」で活動していきます!!!!
必ず「日本代表」になって、もっともっと大きな「恩返し」をするぞ!!!!!
※左のリンクに、RCCラジオ番組「ごぜん様さま」のホーム・ページアドレスを貼っておきます!! 31 juillet 「未来」は常に素晴らしい!「迷わずいけよ、いけば分かるさ、ありがとうー!」 どうも!「綱渡りの人生」を送る、道明Yojiです!(笑)
前回の記事では、久々(とは言っても19日ぶり)にホンジュラスに帰って来たYoJIですが、サッカー道具などの「商売道具」の入った大事な大事なカバンは届かない、家は無くなる、Lenca(レンカ)は僕がいない間にすでにGKを獲得して、僕の入る余地が無くなる……という、「前代未聞」のトラブル(?)の幕開け…を紹介いたしました。その後、Yojiは一体、どうなったのでしょうか!?続きです。
まず、「商売道具」の入ったカバン……。届きましたよ!!サーーー!!(←卓球の福原愛ちゃん風) …どうも、マイアミ空港で、Yojiのカバンの中身が厳重にチェックされていたらしく、ホンジュラスに届くのが遅れたようです。よりによって、なぜ僕のカバンが!?しかも、チェックしたら、その後ちゃんと綺麗に整頓して返して欲しかったのですが、さすがアメリカ!!!中身はグシャグシャにして返されました!!Oh my カバン!!けど、一応、中に入った物品は全て揃ってましたし、とりあえずは、一安心です!!…それにしても、こうしてカバンが届くのが遅れたことで、僕は、当たり前にカバンが届くことの「ありがたみ」を再認識しました。サーーーーーー!!(←卓球の福原愛ちゃん風)
※無事、届いたYojiのカバン。中身をチェックされた後、テープでグルグル巻きにされてます。けど、とりあえず無事に届いて本当に良かったです(涙)。
次に、「失ったYoji家」…。前回の記事でも紹介した通り、Yojiはホンジュラスに帰って来てみたら、別の人が自分の家に住んでいた…という考えられないような理由で、我が家を失ってしまいました。しかし、近所の仲の良い「おばちゃん」カルメンと、その息子、娘たちが家に泊まらせてくれ、本当に良くしてくれました。(感動!)
※カルメンの家にて。湯船が無いなら、洗濯板の横の水溜めに、水を溜めて入ってやる!!…けど、お湯は無いので、「水風呂」です。健康には良さそう!?これには、カルメンも爆笑!!…それにしても、好き勝手させてくれたカルメン一家…ありがとう!!!
カルメン一家の家に泊めさせてもらっていたのですが、昨日からは、カルメンの家が経営するアパートの部屋と契約し、そこで1人暮らしを始めています。…とは言っても、このアパート、カルメンの家の目の前にあります。以前の「Yoji家」から、徒歩15秒!!さらには、この新しい我が家となったアパートには、インターネットも完備!!!今までずっとホンジュラスでは、ネット・カフェにてインターネットを行っていて、周りの人にジロジロ見られるし、自分の好きな時間に、落ち着いてネットができないので「あ~、自分の部屋でネットできるようになりたいのー!」とずっとずっと、ずーーーーーっと思っていたら、その『夢』が今、こうして叶ってしまいました!!!また1つ、『夢』が叶った!!幸せです!!
※新Yoji家。インターネット完備!!(涙)
最後に、レンカとの契約について…。前回の記事にも書いた通り、日本で電話で話した時のレンカ会長の一言、
「Yojiと再契約したい。」
の言葉を頼りに…はしてませんでしたが(笑)、「いけば分かるさ!!」の気持ちで再びやって来たホンジュラス…。リスクはありましたが、リスクがなければ成功も無い…。しかし、GKはすでにたくさん居て、自分がそこに入るのは難しい情況…。けど、久々に再会した会長は、再び、
「Yojiと再契約したい。」
と言ってくれました。どうなる!?どうする、Yoji!?
いろいろ考えました。
「自分が日本代表を目指す上で、本当にレンカで良いのか?」
「また新たな気持ちで、全く別のチャンスを探すか…。」
実際、知り合いを通じて、1部リーグでプレーできるチャンスを探してもらったり、別の2部リーグのチームから少し興味を持たれたり、「ペルー行き」の話や、いろんな可能性を考えました。
しかし、まず現時点で具体的な話があるのはレンカのみであり、レンカ会長の熱意もあって、僕は再びレンカでプレーすることを決断しました!!
※レンカの契約書にサインするYojiと、それを笑顔で見つめる、会長と、会長婦人。
※契約書にサインした後、会長、会長夫人、会長の息子と記念撮影。ここから「日本代表」を目指します!!
「今すぐにでも、1部リーグでプレーしたい!!」という気持ちは強く持ってますが、やはり何事も「急がば回れ。」であって、「レンカを1部リーグに昇格させてこそ、自分には1部リーグでプレーする資格がある!!」と考えるようになりました。「こんな僕と再契約してくれた会長に、絶対、恩返ししたい。」という、強い気持ちもあります。
今季のレンカは、昨季、快進撃を見せたにも関わらず、昨シーズンのメンバーを半分近く解雇し、新たなメンバーを中心としたチーム作りをしています。2部リーグの他チームの「中心選手」「キャプテン格の選手」などを、豊富な資金力で根こそぎ獲得してきて、強かった昨シーズンよりも、それぞれのポジションで、さらに1ランク上の戦力を揃えました。今季のレンカは、2部リーグの中で「ドリーム・チーム」と言っても過言ではないでしょう。さらには、他チームからしたら、自チームの「中心選手」「キャプテン格の選手」をレンカに引き抜かれたので、戦力ダウンは必至です(レンカはまるで、日本プロ野球界の某チーム!?)。ますます、レンカに有利な状況になった…というわけです。
しかし、僕自身は、昨シーズンでも充分レンカは強くて、1部リーグ昇格を逃したのは、「選手の質」と言うよりも、大事な最後の試合で、シューズの準備不足で足を滑らせた選手の話も以前しましたが、ちょっとした「意識」と「運」の部分だったような気がするので、昨シーズン、快進撃を見せて、グループとしてまとまっていたメンバーを大幅に変えてまで、新加入選手を増やしたのは、ちょっとリスクもあるな…と思いました。しかし、戦力的には間違いなく昨シーズンよりパワーアップしているので、1部昇格できると信じて闘っていきます!!(日本プロ野球界の某チームのようにならないように…)
…「戦力アップ」したということは、当然、「ポジション争い」も厳しくなったということです。今季のレンカには、僕を含めて「4人」のGKが居ます。他の2部リーグのチームでは、資金難でGKが2人しかいないチームも多数ある中で、レンカのこの「GK4人体制」ってこと自体、すでに異例です。しかも、今季のレンカのGKは、皆、他チームに行けばレギュラーを張れる実力者ばかりです。コーチから今季、選手に復帰した、1部リーグで15年間のプロキャリアを持つGK。監督は、彼をスタメンGKとして考えています。…そして、今季新加入した、1部リーグ、2部リーグの強豪チームでのプレー経験があり、豊富な経験を持つGK。…さらには、作シーズン、1部リーグ昇格がかかった、最後の最後の闘いで足を滑らせて失点したGK(笑)。…客観的に見て、今、現時点での僕の立場は「第4GK」と言えるでしょう。しかも、先週の練習で負傷し、現在は別メニューで調整しています。ただでさえ、チーム合流が10日遅れており、そこからスタメンを獲得するのは、本当に簡単じゃありません。
「第4GK」というのは、よほどのことがない限り、出番が回ってきません。しかし、自分の中で焦りはありません。当然、「レギュラー」というポジションにはこだわりますが、そればかりに執着し過ぎてもいけないと思います。
GKというのは、一度スタメンが決まってしまうと、サブのGKが、いくら良いプレーをしたからと言って、スタメンの座を獲るのは、簡単なことではありません。ジーコ・ジャパンで言うなら、ジーコの中では「正GK」は川口選手と決まっていて、他のGK楢崎選手、土肥選手がいくら良いプレーをしたからと言って、その序列は決して変わりませんでした。…かと言って、楢崎選手や、土肥選手が、川口選手より劣っているかと言うと、そういうわけでもありません。
僕はコーチから、
「Yojiは良いGKだ。GKとしての能力的には問題無い。しかし、問題なのは、たまに怒りが爆発することだ。怒りの感情をコントロールしなくてはならない。そこを、これからは見ていく。」
と言われました。確かに、昨季は、練習中や試合中に、味方とのコミュニケーションがうまくいかなかったり、不条理なトラブル(書類問題、金銭問題)に巻き込まれて、「怒りが爆発」することが多々ありました。コーチ曰く、
「怒りが爆発するGKは、もし試合の中で怒りが爆発したら、審判からレッドカードをもらってしまうから、こちらとしても、それが恐ろしくて、使いたくても使えない。」
そうです。
だから、今、現在の自分の置かれた立場=「スタメン出場が極めて難しい状況」の中でも、いかに感情をコントロールし(怒ったり、気持ちをキラさず)、「日本代表」に向けて、自分の能力・精神力を高めていくことに集中できるか…、そして、サッカーを楽しめるか……これが、僕の今シーズンの「テーマ」です。それが実行できれば、自ずと「スタメン」という「結果」もついてくるでしょう。前述した「スタメンに執着し過ぎない。」とは、こういった意味があったんです。
それにしても、「未来」は常に素晴らしいですね!!
「綱渡りの人生」とはよく言いますが、「綱が渡れない人生」とは確か、言いませんよね。
僕のカバンは、結局、届きました。そして、カバンが届くのが遅れたことで、僕は「カバンが当たり前に届くこと」の「ありがたみ」を再認識できたわけですから、以前の自分よりも、成長したことになります。
家を失いましたが、新たな家には「インターネット」も完備で、「自分の部屋でネットしたい!」という僕の『夢』はここで叶い、以前の生活より、さらに素晴らしいものとなりました。
レンカとの契約がどうなるか不明だった状況を経験し、また改めて「そこに『プロ』としてサッカーできる環境がある。」ことの特別さ、ありがたみを再認識しました。そして、今回、契約したチームには、優れたGK、優れたフィールドプレーヤーがたくさん居るので、自分をレベルアップさせる環境としては、以前よりも素晴らしいものとなりました。
さらには、以前までは、毎晩、実費で食事をしていましたが、今季からはレンカがレストランと契約し、そこで、毎晩、タダで食事できるようになりました!(涙)…しかも、以前までの実費で食事していた時は、毎晩「3種類」の食事の中から選んで食事していたので、途中から飽きて、食事が楽しみじゃなくなってしまいましたが、今のレストランには、最低でも「6種類」のメニューの中から、選んで食事できます(涙涙)。メニューが2倍に増えたんです!(笑) 何て「幸せ」なことでしょう!!
PCとデジカメがブッ壊れましたが、新たなPCとデジカメが手に入り、以前より、さらに快適になりました。
そして、昨シーズン、僕の頭を悩ませた「書類問題」は、今シーズン、もう存在しません。
「綱渡りの人生」だけど、結局、その「綱」は「渡れる」んですよね。渡ろうとする意思があれば…。
そして、「未来」は常に素晴らしいです!!僕はトラブルの後、またこんなにもたくさんの『夢』を叶えました!!
1998年に引退した、プロレスラー・アントニオ猪木氏が引退試合で言った言葉が忘れられません。一休禅師の言葉を引用したらしいのですが、
「人は歩みを止めた時、そして、挑戦を止めた時、年老いていくのだと思います。
この道を行けば、どうなるものか?危ぶむなかれ。危ぶめば道は無し。
踏み出せば、その一足が道となり、
その一足が道となる(←なぜか同じ台詞を2回)。
迷わずいけよ!いけば分かるさ!ありがとうーーーー!!!」
1・2・3・ダーーーーーーーーーー!!!!!!
これからもいつも「未来」は素晴らしいし、結局、「綱」は渡れるので、『笑顔』で一足踏み出し、『夢』を叶えていきたいと思います!!!
~~「新コーナー」~~
これまで、日本→中国→アメリカ(イングランド)→ホンジュラス…と渡り歩いてきて、様々な「ありえない!!」ものたちを目の当たりにしてきました。そんな「ありえない!!」ものたちを、これからは、毎回、紹介していきたいと思います。
今日の「ありえない!!」ものは!!?
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「ホンジュラスで見かけた、メキシコの大手パンメーカー。その名も……?」
「BIMBO」!!!!!!?????
「ビンボー」!!!???
何だか、エライ景気が悪くなりそうな名前です(笑)。しかし、本国メキシコのみならず、こうしてホンジュラスにも進出し、「ビンボー」どころか、大稼ぎしている(?)、パンメーカー「ビンボー」。白熊の屈託の無い笑顔が、僕をより複雑な心境にさせます(笑)。そんな笑顔で「ビンボー」って言われても…。
「ビンボー」万歳!!!!!
ちゃんちゃん。
6 mars 止まらないLenca(レンカ)の快進撃&きゅ、きゅ、給料!!!(涙) どうも!元気ですか!僕は元気153%です!「El Progreso(エル・プログレッソ)」に引っ越してからというもの、心身共に、最強の状態です!練習場まで近くなったおかげで、「San Pedro Sula(サン・ペドロ・スーラ)」のホテルに住んでいた時よりも、余裕をもって行動できるし、プログレッソ自体、非常に落ち着く所だし…で、とにかく、引越し大成功!!…と言えるでしょう。しかも、「新Yoji家2006」の快適さ!!!!確かに何も無いのですが(お湯すら無い)、とにかく、この家に帰ってくると、落ち着く!!練習後、この家に帰ってくるのが、本当に楽しみなくらいです!毎日、「家に帰るのが、楽しみになる。」生活……かぁ~、たまらん!!!0.1秒に幸せを感じながら生きてます!!
我らがLenca(レンカ)の快進撃が、どうにもこうにも、止まりません!僕は相変わらず、書類作業が難航してて、いつになったら出場資格がもらえるのか、目処がたたない状況ですが、チームの好調は、素直に嬉しいです。先週は、昨季、リーグ1位でプレーオフに進出した強豪チームとのアウェー戦だったのですが、何と、2-0で快勝!!これで、「開幕4試合連続無失点」で4連勝、単独首位ですよ!!いや~、驚いた。そして、一番驚いたのは、監督の采配です。この試合では、何と、ここまで「開幕3試合連続無失点」を達成していたGKに代え、別のGKを起用したんです!普通なら、有り得ない采配ですよ!監督曰く、「今日の相手には、ロングキックを蹴れるGKが必要。」との狙いがあったのらしいですが、その采配も見事に的中しての、「開幕4試合連続無失点勝利」達成ですからね。さすが「2000年シドニーオリンピック」に出場したホンジュラス・オリンピックチームのコーチをしただけの事はあります。恐るべしです!!
現在、レンカには、僕を含め、3人のGKがいます。監督、コーチ曰く「3人のGKが、それぞれ違う特徴を持っている。」んです。これまでの3試合に出場したGKは「豊富な経験と、ハイボールの強さ。」が持ち味で、先週出場したGKは、前述したように「キック」が持ち味のGK、そして僕は「3人の中で、最もボールへの反応が早く、さらには、的確なコーチングで、味方をコントロールできるGK(監督・コーチ談)」…です。で、監督、コーチはそれぞれの特徴を本当に理解し、尊重しており、もし、僕の特徴が生かされる相手との試合があるなら、充分に出場のチャンスはあるでしょう。…ま、その前にまず、書類作業が何とかならないと(笑)。監督からは先日も「Yoji,また別の書類作業でお金がかかったぞ~(笑)。」と言われました。けど、監督も含め、チームはしっかりこの書類作業を行ってくれてるんで、僕は思う存分、トレーニングに集中できるんです!!
※試合前日のレンカのミーティングにて。実はこのミーティングの際、不覚にも、うたた寝をしてしまい、危うく「罰金」を払うはめに陥りそうでした(笑)。ちなみに、僕の横に居るのは、レンカの会長です。どこだか分かりますか??
そして……
今月も、あの、『夢』のような瞬間がやってきましたぁーーーーー!!!!!!
きゅ、
きゅ、
きゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、
給料日!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
きた、きた、きた、きた、きたぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
※給料を手にし、満面の笑みを浮かべるYojiです!!!!!!それにしても、我ながら、凄い顔です(笑)。5歳未満のお子様は、保護者同伴で見て下さい(笑)。
実は、僕の書類作業にかかった費用分、給料から引かれてしまいました…(涙)。「1部リーグは、チームが払うが、財政的に厳しい2部リーグは、自分で払う。」との事です。しかし、僕は、あえて、反論しませんでした。それなら、もっと、これ以上、稼げる選手になれば良いのですし、何より、チームは誠意をもって僕の書類作業を行ってくれているからです。それに、本当は、もっとお金がかかっているのですが、監督や会長が好意で払ってくれてるんです。
※今日もまた、この「幸せ」な瞬間を迎えられた事に感謝し、一礼をします……。
※僕の「給料」!!!今夜は、一緒に寝ます(笑)!!
そんなこんなで、通常の給料の約3分の1の額になってしまいましたが、僕はそれでも「幸せ」を感じます。ゲームセンターや、コンビニのバイトの給料(以前、バイトしてました)とは、「喜び」「達成感」「充実感」「爽快感」「感動」「元気」「気合」…全てが、桁違いに違いますよ!!!
僕が今、住んでる「Progreso(プログレッソ)」は、日本語で「進歩」「上達」「向上」「前進」という意味です(前回の記事のコメントでも指摘がありましたが)。これは正に、今の僕に、ピタリと当てはまる、ドンピシャの言葉です!!!!
これから、ますます「プログレッソ」していきます!!!!
27 février 「さらば、サン・ペドロ・スーラ!さらば、ホテル!」&「日本を思うとき。」 どうも!元気ですか!僕は元気98%です!
現在、我らが『レンカ』は、開幕3連勝で、単独首位に立ってます!しかも、3試合連続無失点勝利と、完璧な結果を残しております。先週は、首位攻防戦だったのですが、完全に相手を凌駕しての勝利でした。僕が見た限りでは、レンカのレベルは、相手よりワンランク上です。このままいけば、目標である「1部リーグ昇格」も決して、夢ではないでしょう。僕は未だに、書類作業が終わっておらず、リーグ戦への参加資格が無い状況ですが、前回の記事でも書いたように、焦りはありません。成るようにしか、成らない。そう言えば、1部リーグの強豪チーム『レアル・エスパーニャ』が、Jリーグでのプレー経験もあるブラジル人選手を獲得したのですが、彼も僕と全く同じ理由で、未だに出場できず、練習のみを繰り返しているようです。ホンジュラスでは、よく有ることなのかな??ま、僕の予感では、来月辺りから、いろんな面で、良い事がありそうです。何も心配はしておりません!相変わらず、『笑顔』です!!
左のプロフィールを見てもらえれば分かるのですが、Yojiが、慣れ親しんだ「ホンジュラスの大阪」とも言える『サン・ペドロ・スーラ』から、『プログレッソ』という場所に、引越しました!!実は、レンカのホームタウンは、この『プログレッソ』で、毎日、練習にバスで通うのはキツイし、『サン・ペドロ・スーラ』の物価は高くて、これまたキツイので、引っ越す事となりました。
一言で「引っ越す」とは言えど、この『サン・ペドロ・スーラ』の『ホテル・サン・ペドロ』には、本当に本当にお世話になったので、気持ち的にいろいろ感じるものがありました。
僕の全ては、この『ホテル・サンペドロ』から、始まったんです。このホテルのオーナーに知り合った事で、あの『マラトン』への道が奇跡的に開かれ、そして、そこから、現在の『レンカ』に繋がっていったんです。
「自分にプラスをもたらす場所」……このホテルは、僕にとって、正に、これにあたりました。ここに居ると、なぜか、自然といろんな人と巡りあい、いろんな展開が起こる…。本当、ここから、全てが始まったんです。
カフェテリアの「ママ」にも非常にお世話になったし、本当、たくさんの良き「アミーゴ(友達)」が、このホテルを通じてできました。僕が風邪を引いた時は、ママの旦那さんが病院まで連れて行ってくれたり、ママがレモンジュースや、特製スープを作ってくれたりしました。ホテルのオーナーの旦那さんや、お姉さんにも、大変、お世話になりました。
それだけに、ここを離れる事を決断するには、時間がかかりました。けど、後悔はありません。このホテルから全てが始まり、そして、ホテルは、十二分に、その役目を果たしてくれました。現在、僕が住んでる場所も、このホテル同様、着いた瞬間「ここだ!!!」と感じた場所なので、必ずや、ホテル同様、たくさんの「プラス」を僕にもたらしてくれます。
それでは、写真を交えて、僕が約半年間、お世話になったホテルを紹介したいと、思います。みなさんが想像している「ホテル」とは、全く異なると思いますので…(笑)。
※ホテルの目の前の売店。この街の人達は、日本人とはまた違った意味で「生きて」います!
※ホテルのチェックカウンターです。ここで何度、部屋の鍵を受け取った事か…。
※ホテルのロビーで子供と話す、おばあさん。心が和む情景が、このホテルの至る所にあるんです。
※「26歳の誕生日」を、ママとパパ、そして、アミーゴ達に祝福されました。この日の事は、一生、忘れないでしょう…。
※ホテルの一階にある、中華料理屋の店長(中国人)。ホンジュラスで、数少ない、中国語を話す機会でした。広東出身で、普通語の発音がちょっと北の中国人とは異なりますが(彼らは日常生活では広東語を話す)、楽しく交流できました。やっぱ、中国でも、北と南の人では、性格もやや異なるように、僕は感じました。それに関して、どうですか、中国人のみなさん??
※クリスマスには、このように、「クリスマス・ツリー」が、出現しました。階段にも、クリスマスっぽい飾りが付けられました。見ていて、おもしろかったし、住んでいて飽きさせないホテルでした。
※一階の、ママのカフェテリア前です。
※カフェテリアの裏。このように、くつろげる空間があります。ここでよく、いろんな人が語りあってました。
※夜のホテル前。警備のおじさんと、どこかのおじさんが、ビールを片手に語り合ってます。危険区域のはずなのですが、彼らの笑顔を見てると、「本当に危険区域なの??」とも思えてきます…が、危険なので、夜は、部屋に閉じこもってました。
※ホテルに子猫乱入!このホテルに訪れるのは、何も人間だけではありません。ネズミ、ゴキブリ、蚊…そして、猫。カフェテリアに鳥が乱入した事もありました(笑)。しかし、さすがに馬は来ませんでした。
※子猫の存在に気付く、ホテルのおじさん。個人的には、部屋の天井で、毎晩、「これは犬か!?」と思わせるほど大きな足音でネズミが走るので、この子猫を自分の天井裏に置きたいくらいでした。
※ホテルから見える夜景。
※ホテルのカフェテリアでご飯を食べる少年。ママは、僕以外にも、たくさんの人を助けているようです。すばらしい人間性です。
※本邦初公開!!これが、僕が約半年間お世話になった部屋です!見て下さい!この狭さ!両手を広げたほどの広さしかありません!安い部屋を選んだので、エアコンも、TVもありません。ベッドも僕には小さく、いつも寝る時は、手足がはみ出てました(笑) ネズミの足音も凄かったです。けど、たくさんの良い思い出が詰まった部屋です!!!
このように、様々な思い出と、魅力に溢れたホテルを去り、『プログレッソ』のとある田舎の一軒家に引っ越しました。ちなみに『サン・ペドロ・スーラ』から『プログレッソ』までは、バスでだいたい30分~1時間なので、そう大した距離ではありません。
この一軒家も、ホテル同様、「これだ!!!」と感じた場所です(前述しましたが)。実は他の家も紹介され、そこに決まりかけていたのですが(気持ち的には、少し嫌々)、いきなりそこの大家にドタキャンされ、急遽、以前「これだ!!!」と感じていた、この家に住む事に決まったんです。神によって、ここに導かれました(笑)。
※『新Yoji家2006』です!!念願の「マイホーム」ゲット!!?…とは、ちょっと違いますが、こういう家に一人で住めるようになるなんて……これも『夢』の一つでしたから……あ、また『夢』が叶った!!
※『新Yoji家2006』の横の景色。『サン・ペドロ・スーラ』とは、また違った魅力があります。とにかく、落ち着きます…。エエ感じじゃ~…。
※『新Yoji家2006』には『洗濯機』も完備!!……ではなく『洗濯板』完備!! これで、充分!!毎日毎日、ゴシゴシしてます!!!ゴシッ!!!
※『新Yoji家2006』の庭(?)です!!洗濯物が輝いてます!!!ゴシッ!!!
※『新Yoji家2006』の内部です!!この広さ!!両手を伸ばしても、壁に手は届きません!!こんな家に自力で住めるようになるまでに、Yojiは成長しました!!……ってか、この家、『ホテル・サンペドロ』の家賃の、約3分の1の家賃なんですが……。
※Yojiの寝室です!!この家には、寝室が2つあります。全部、僕の物です!!!ははは!!家族が遊びに来ても、大丈夫!!?
※夜の『新Yoji家2006』です!!!ゴシッ!!!(←しつこいですね。)
昨年、26年間の『夢』であった、「プロサッカー選手」を、ついに実現しました。そして「サッカーをして給料をもらう。」という、考えられないような、正に『夢』のような生活が始まりました。もちろん、キツイ事もあるには、あります(これに関しては、また後ほどの記事で書いていきたい)。しかし、プロになり、以前は、「両手を伸ばせば壁に手が届く。」ほどの狭さの部屋に住んでいた僕が、家賃は安いとは言え、こうして、自分の給料で、このような家に住むまでになりました。今、自分は、今までの人生には無いほどの、何ていうか、「(たくさんの人の支えがあるのは、もちろんの事)自分の力で、この幸せな生活を手に入れた!!!」という、最高の充実感を、1分1秒に感じながら生きてます。もちろん、これが永遠に続くとは言えませんが、だからこそ、僕は、この『幸せ』を、思う存分、これ以上できない!!ってほどに、満喫してやろうと、思うわけです。とことん、満喫します!!!
今日は、もう1つ、記事を書かせてもらいます。…と言うのも、今、住んでる所の事情もあり、ひょっとしたら、なかなか更新ができないかもしれないからです。
「日本を思う時。」
思えば、中国時代は、「日本が恋しい…。」と思った事はありませんでした。それは、周りにたくさんの日本人の熱い仲間が居たからです。天津に居ても、日本を感じる事ができました。それに、文化的には、中国と日本は近いものがあるし、それも「日本が恋しい…。」と思った事が無い理由の一つかもしれません。
しかし、今は違います。正直「日本が恋しい…。」と思った事は、数え切れません。ホンジュラスに来てから、特に思うようになりました。
アメリカ時代は、「プロになるまでは、死んでも日本に帰らん!!!」と思ってましたから、「日本が恋しい…。」と思う日はあれど、帰国する事はできませんでした。
ホンジュラスに来てからは、アメリカ時代以上に、『日本』に触れる機会が減りました。それに、ホンジュラス人からの、心無い、アジア人、日本人に対する偏見、差別もあります。だから、時々、『日本』を思う事があるんです。
もう、かれこれ、1年以上、日本には帰っていません。これは、日本に居ない、自己最長記録です。しかも、これまでの人生の中、サッカーのシーズンがOFFの時は、故郷に帰り、心身共にリフレッシュをしていたのですが(これが本当に重要だった)、2005年1月にアメリカに上陸してからは、数え切れないほどのアマチュアの試合に出場し、イングランドにも行き、OFFも無いまま、ホンジュラスに上陸し、プロにトライし、プロになり、プロの練習が始まり、シーズンが開幕し…まったく心身共にリフレッシュする機会が無いまま、ここまで、突っ走って来ました。
だから余計に、「日本を思う。」時があります。最近、多いのは、睡眠中、夢の中で、日本に帰国し、大好きな寿司や、ラーメン、焼肉、広島風お好み焼き、しゃぶしゃぶ……などを食べて、「かぁ~!!たまらん!!俺はついに日本に帰って来た!!うまいもん、食いまくってやる!!」……って幸せを感じてる時に、「はっ」と目が覚め、「うわぁ~…、夢だったかぁ~……。」と、ガックリするんです。
何度、この夢を見た事か。…「もう1年、日本に帰るな。」と言われたら、僕は壊れます(笑)。しかし、レンカと契約した、今シーズン、約半年間は、何があってもやりきります。そして、日本に帰国する時は、何としても「プロサッカー選手」として帰国したいから、来シーズンの契約(チームは問わない)もちゃんとしないといけない。そのためには、今、毎日を全力で取り組むしかないんです。
そんな日々の中、僕に『日本』を感じさせてくれ、心の支えになってくれる物たちがあります。それを、今日は紹介したいと思います。
〚その1〛
実家から送られてきた『わさび海苔』&『広島風かき醤油海苔』。26年間の人生の中で、『海苔』が、こんなに美味いと感じた事は無かったです(笑)。『海苔』を口に入れた瞬間、幸せな気持ちが込み上げてきます。そして、食欲が湧いてきます!さらに、勢いあまって『わさび海苔』をほおばり過ぎ、涙も出てきます。
〚その2〛
実家から送られてきた『日本の雑誌たち』!!…数、数え切れないほど読んでしまうんです(笑)。「まだ、読むところがあるじゃろう。」と思い、毎日、雑誌を開くのですが、あまりに読み過ぎて、本当に、1ページも読む所が無い事もあります(笑)。雑誌を読むと、凄く良いリラックスになります。
〚その3〛
『中国時代に購入した、日本のDVD&VCDたち』!!今、思えば、中国時代、もっと買っておけば良かったです。しかし、心優しい、中国時代の韓国人の友達が、まだ天津に居て「DVDをホンジュラスに送ってやる。」との事です!!最高の友達です!!
この『DVD&VCDたち』…他にもまだたくさんあるのですが、ここでは、特にお世話になった作品を紹介します。
『ジャングルの王者・ターちゃん』…星の数ほど見ました(笑)。何度見てもおもしろい。「笑い」「感動」「元気」…全てが詰まってます!!!
『グラップラー刃牙』…とにかく熱過ぎます!!砂の数ほど見ました(笑)。特に「独歩VS裕次郎」の闘いは、あまりに熱かったです!!「刃牙がこんなにトレーニングしてるんだから、俺も…。」と、良いモチベーションにもなりました(?)
『映画ドラえもん』…僕が1歳の時の作品もあり、当時を思い出させてくれます(1歳の時の記憶は無いですが)。中国語音声もあり、中国語を思い出させてくれる、教材でもあります(?)
などなどです!!!
〚その4〛
『日本食』!!! ホテル時代、実家から送られてきた、『そば』と、『だし』を使い、『ざるそば』を作りました。これを口に入れた時の感動は…何物にもかえられませんでした。※右がそば、左はママが作った、ホンジュラス料理、右下は、実家から送られてきた、味噌汁です!!
〚その5〛
『インスタント味噌汁』!!!!中国時代、アメリカ時代、そして現在のホンジュラスでも、まず、何が一番恋しくなるか…と言えば、以外にも、『味噌汁』だったんです!!辛い事があったアメリカ時代、この『インスタント味噌汁』を口にした瞬間、日本での情景が脳裏を駆け巡り、涙が出そうになった事があります(実はよく涙が出そうになるのですが、結局は出ません)。とにかく、味噌汁を飲む時、「あ~、俺は日本人なんだな~…。」と、改めて実感するんです。味噌汁最高!!!
〚その6〛
『日本の友人からの手紙&小包』!!!! とにかく、「ありがたい」の一言です。ホンジュラスにまで、手紙や小包を送ってくれる友人を持てた事に、ただただ、幸せを感じます。この手紙は、僕がマラトンを離れ、サッカー環境を失っていた時に送られてきて、本当に心の支えになりました。
そして、小包は、中身は本なのですが、ちょっとしたストーリーがあります。中国留学前、ある週間漫画雑誌に、凄く気になっている連載がありました。しかし、中国に行ったら、その連載が見れない!!どうする!!気になる!!もどかしい!!そんな状況を見た大学体育会サッカー部時代の友達が、「じゃあ、俺が、単行本が出るたびに送ってやるよ。」と言ってくれ、実際に未だに送り続けてくれてるんです!!だから、この『小包』には、3年以上の歴史があるという事です。本当に本当にありがとう…友達は、僕にとって、最高の『宝物』です!!※また、日本から、わざわざ電話をかけてくれる、熱い友達も居ます。しかし、引越しちゃったし、今、電話が無いんです…。
〚その7〛
『ホンジュラス在住の台湾人から借りた、日本のドラマのVCD』!! これには、本当にお世話になりました。中国時代に購入した自分のDVD、VCDたちは、見過ぎてしまって、新鮮さが無くなりかけてたのですが、ここで知り合った台湾人にこのVCDを借り、新鮮さを取り戻しました!!日本を思い出し、見てると本当にリラックスできました。
思えば、今の僕の生活は、本当にシンプルです。家には、TVも電話も、携帯電話も無い。そして、上で紹介したような物は、日本では、当たり前に手に入る物でしょう。しかし、僕は今、この「当たり前」の「ありがたさ」を人4倍感じ、その「幸せ」を人5倍感じながら、生きてます。
複雑化した日本社会で、様々な情報、物…たくさん溢れ過ぎて「何が自分にとって、本当に必要なものなのか??」分からなくなりがちですが、僕はホンジュラスにて、「当たり前」の「ありがたみ」「幸せ」を再認識しました。
とにかく、今シーズンが終わったら、何が何でも、日本に『一時凱旋帰国』するぞ!!!それまでは、ここホンジュラスで楽しみながら闘うんで、どうか、応援ヨロシクお願いします!!!
※今日の記事は、本当に完全燃焼しました…。長い文章、読んでくれて、本当にありがとうございます。 4 février プロ初給料!! どうも!どうも!Yojiです!元気ですか!?笑顔ですか!?僕は元気です!笑顔です!相変わらずチームは、OFF無しでトレーニングと試合を繰り返しています!もう、1ヶ月以上、OFFが無い状況です!しかし、OFF無しの毎日を過ごす事により、その日の練習後から次の日の練習までに、体力面の回復と、精神面のリフレッシュをする「術」を、マスターしてきました。何事も経験ですね!また1つ、成長させてもらいました!ダーッ!!
ついに、この日がきた……。
『プロ初給料』ゲット!!!1、2、3、4、ダーーーッ!!!!
自分にとって、この『プロ初給料』を受け取るまでの道のりは、途方もなく長いものでした。「万里の長城」より長い道のりでした。
※「万里の長城」にて。左がYojiです。約3年半前です。
この『プロ初給料』を受け取るまでには、「世界で4番目に高い」という「天津タワー」より高い、ハードルの連続でした。
※夜の「天津タワー」です。
それだけに、やっと辿り着いた『プロ初給料』を手にして、満面の笑みがこぼれます。
『プロ初給料』が、机の上で燦然と輝いてます!!
ここまで辿り着くまでの「万里の長城よりも長い、道のり」&「天津タワーより高い、ハードルの数々」の事を考えると、この「ありがたみ」「幸せ」「達成感」「感謝」「充実感」を感じずにはいられません。全ての感情を込めて、『プロ初給料』に対して、一礼をします…。
金銭的な価値観では、日本人からみたら、大した額じゃないかもしれません。しかし、このたった1枚の封筒にブチ込まれた、正真正銘『プロ初給料』の持つ価値は、僕にとって、とてつもなく大きなものなのです。
僕はついに、大好きな『サッカー』をして、お金を受け取りました。こんな「幸せ」な事はありません。最高の幸せを感じてます。そして、ここにくるまで支えてくれた両親、家族、タランチュラ、馬、その他、大勢の人達に対して、感謝の気持ちが溢れてきました…。
また1つ『夢』が叶った瞬間でした……。
27 janvier 「この人」がいたから今の自分がある…。人生の分岐点にいつも現れて、救ってくれた、K先生(監督)。今だからこそ「感謝」を込めて…。 どうも!Yojiどす!ただ今、4週間OFF無しでトレーニングと試合を繰り返しております!けど、成長を感じる日々です!前回のブログでは、何ともYojiらしくもない、記事となってしまいました。『笑顔』がモットーのYojiが、『悔しさ』をテーマにしたブログを書いたんですから…。実は、あの記事を書く前、書こうかどうか迷ったのですが、「こういうキツい事もある。その上でいかに『笑顔』になれるかを、テーマにしていけば良い」と思い、あえて書かせていただきました。結果、たくさんの人から励ましの言葉をいただき、「心配をかけてしまって申し訳ない…」という気持ちと、逆に、これだけの人に心配してもらえる事を、素直に「幸せ」だと感じました!本当にありがとうございました!(涙)
今日は、ホンジュラスでの生活とは、全く関係のない記事を書かせていただきます。
中学時代…。僕は中学入試をして、とある広島の私立の進学校に入学しました。小学時代は勉強に自信があったのですが、中学に入ってからは、慣れない、親元を離れた寮生活、寮での先輩からのイジメ、学校や部活内での先輩からのイジメ、先生との確執…なども影響し、成績はどんどん落ち込んでいきました。しかも、成績が落ち込むから、先生に怒られ、親に怒られ、余計に成績が悪くなる…という悪循環に陥ってました。私生活でも先生から怒られ、まさに踏んだり蹴ったりの状況…。グレて、ヤンキーになりかけてました(笑)。
…ちなみに、サッカーを始めたのは、この中学時代からです。
高校は、中学の付属の高校に進学しました。ここで、僕のクラスの担任に就任したのが、この高校サッカー部の監督でもあり、今日のタイトルにも書いた『K先生』です。この出会いが、僕の人生を大きく変えました。
中学時代、先生に対して納得できない事、おかしいと思う事…を主張し、いつも対立してました。もちろん、まだ子供ですから、理不尽な事を言って先生を困らせた事もあったと思いますが、それ以前に、僕の言う事に聞く耳すら持ってない先生がいたのも事実です。しかし、高校で知り合った、このK先生は違いました。
中学時代の先生が、僕の事を鼻から「どうしようもない悪ガキ」という目で見ていたのに対し、このK先生は「Yojiは悪ガキじゃない」と言ってくれ、ちゃんとした1人の生徒…いや人間として見てくれたんです。そして、僕が何かあるたびに「これは~じゃないか?」「これは~した方が良いんじゃないか?」「これはおかしい」などと主張すると、その主張の1つ1つに対して、真剣に耳を傾けてくれました。「これは確かにYojiの言う通りだ」と認め、それを積極的に取り入れていこうとしてくれた事も、何度もありました。僕の記憶では、K先生が、僕の意見を鼻から否定した事は、ただの1度として無かったです。…これは凄い事ですよ。年齢もだいぶ上で、先生としても、1人の人間としてもたくさんの経験を積んでいる人が、たった1人のガキの言う事に対して、ここまで聞く耳を持てるでしょうか?K先生は、僕に対して1人の人間として、上から物事を言うのではなく、いつも対等な目線に立って話をしてくれました。それが凄く嬉しかったです。本当に尊敬してやみません。
サッカーにおいても、K先生は監督として、僕に大きなものをもたらしてくれました。僕の高校サッカー部は県内でも特に目立った実績は無く、そもそも学校自体が進学校なので、部活動より勉強がまず優先されます。そんな環境の中でも、K先生のサッカーに対する情熱は半端じゃなく、自費でバスを購入し、自分で運転して、試合や遠征に繰り出していました。そして、試合においては、1年生の時から僕を先発で使ってくれました。1年生の頃は、自信も無く、実際、試合でもミスを連発していて、先輩GKの目を気にして、試合に出たくない時もあったほどです(笑)。それでもK先生は僕を試合に使い続けました。そして「Yojiは県内の高校でも5本の指に入るGKだ」と言って、僕に勇気と自信を与えてくれました。
高校3年生時…。僕にとって、人生最初の『分岐点』が訪れました。大学進学です。しかし僕は高校時代も勉強の成績は振るわなかったので、進路をどうするべきか、「人生の岐路」に立たされていました。自分の心の中には「大学に行って、高いレベルのサッカー環境に挑戦したい」という気持ちがあったのですが、進学校で、弱小サッカー部のこの高校では、大学で体育会の部活に入る…なんて事自体が、非常識な事でした。だから、自分の心の中にある「高いレベルでサッカーしたい」という気持ちを、言葉で表現する事自体、「恥ずかしい」…というか、自分自身、そこまでの自信が無かったんです。
…けど、K先生は、僕の心「高いレベルでサッカーしたい」…を察してくれたのか、いろいろレベルの高い大学サッカー部についての情報を調べてくれ、ある1つの大学指定校推薦枠を僕に紹介してくれました。…この先生の紹介により、僕はこの大学の指定校推薦枠をもらい、大学進学できたんです。…そしてこれが、僕にとって正に「ビンゴ!」でした。この大学の体育会サッカー部に入部した事が、僕のサッカー人生の中でも、最も大きなターニングポイントになったと言っても過言ではありません。もし、この時、K先生に指定校推薦枠を紹介してもらってなかったら、僕は、今頃、どうなってたか分かりません。ジャングルで蛇食って暮らしていたかもしれません(笑)。正に、K先生は、人生の『分岐点』で、僕を救ってくれました。感謝しても、しきれないくらいです。
大学体育会サッカー部に入部してからは、レベルの違いに戸惑う日々でした。「カス」のような扱いを受け、完全に自信喪失してました。しかし、長期休暇で地元に帰省した時は、K先生がいつもご飯をごちそうしてくれたり、「Yojiは広島県内の同世代の中でも屈指のGKだ」と言ってくれ、自信と勇気を与えてくれました。K先生から、僕の可能性を否定する言葉は、ただの1度も聞いた記憶がありません。K先生の言葉から、何度、僕は勇気をもらった事か…。ただ、ひたすら、感謝です。
大学卒業後…。目標だった『プロサッカー選手』にはなれず、傷心と不安に満ちて、広島に帰ってきました。サッカーの世界にも嫌気がさし「もうサッカー辞めよう…」と真剣に考えてました。「ボールを見るのも嫌」…そんな状況でした。そんな時、K先生が僕に「内の高校サッカー部で、コーチやってみるか?」と言ってきました。正直、「もうサッカーはいいよ…」って感じだったので、乗り気じゃなかったです。けど、「まあ、まず練習を見に来いや」と言われ、渋々、久々、母校のサッカー部のグランドに足を運びました。
…そこで、決してうまくない選手達が、ひたむきに、純粋にボールを蹴ってる姿を見て、僕は感動しました。その瞬間、僕の心の中で消えかけていたサッカーの『火』が、またメラメラと燃え始めたんです。この時の僕は、正に人生の『分岐点』に立たされていました。もし、K先生が「コーチやってみるか?」と誘ってくれてなかったら、間違いなく、今の僕…『プロサッカー選手』になったYojiは存在しません。K先生が僕の人生の『分岐点』に現れ、救ってくれた事は、1度や2度ではありません…。正に『恩人』です。
高校サッカー部でコーチをした時も、K先生は、僕が高校生だった時と、全く変わらないスタンスでした。まず、僕が大学サッカー部で経験した事に対して敬意を持ち、同じ目線に立って、話や意見を聞いてくれる。練習メニューなどのアイデアも積極的に取り入れてくれる…。いつもご飯を一緒に食べながら、サッカーに対して、人生に対して、前向きな話ができる…。K先生と話すと、自然と元気が出てきます。K先生に会って話をするのが、本当に楽しみでした。
それから中国、アメリカでなかなかプロになれなかった時期も、広島に帰省した時は、いつも家に招待してくれたり、ご飯を食べに連れて行ってくれたり、人生についてプラスになる話をしてくれたりして、僕にパワーと希望を与えてくれました。正に、僕の人生を、プラスに導いてくれた人物の1人です!!
プロになった今だからこそ、ちょっとキツい事があった今だからこそ、感謝の気持ちを込めて…。K先生、本当にありがとうございます!!これからも日々、笑顔で精進し、もっともっと大きな舞台に立てるよう、前に進んでいきます!!
以上です!!
4 janvier 大願成就!『プロサッカー選手・Yoji』ついに誕生!『夢』を実現させたものは、『努力』でも『頑張り』でもなく…。 新年あけましておめでとうございます!今年もヨロシクお願いします!みなさん、いかがお過ごしでしょうか?僕は、日本の正月が大好きなんですよ!あの慌しく時が流れる日本において、この正月だけは、みんながダラダラ過ごす事を許されている…。餅を食べたり、温泉につかったり、ゆっくり昼寝したり…。ん~、ちょっと日本が恋しくなってきました!
2005年12月30日。…この日、僕はホンジュラス・プロサッカーリーグ2部のレンカと、正式に契約を交わしました。この瞬間、『プロサッカー選手・Yoji』が誕生しました!ホンジュラス・プロサッカーリーグの歴史において「日本人初(おそらくアジア人としても)」の快挙です!
※レンカの契約書。
※契約書にサインするYojiと、見つめるレンカの会長ムリーヨ。
※レンカ会長ムリーヨとの2ショット。
『快進撃の末に…意外な誕生日プレゼント』で「正式オファー」の報告をしてから2週間、いろいろ考えました。あの時のブログでは「個人的に考えたい事があるが、今は言いたくない。」と書きましたが、その「個人的に考えたい事」とは、「今すぐ1部リーグでプレーしたい!」という願いです。実際、知り合いを通して、1部でプレーできる可能性を模索してもらっていました。しかし、現時点では1部でプレーするチャンスが見つからず、しかも、これ以上、レンカからのオファーを保留する事は、このチャンスすら失ってしまう事にもつながりかねないので、年明け前に、決断を下しました。
しかし、レンカを選んだ理由はそれだけではありません。何よりも、「レンカというチームが、自分にあっている。」って事が一番大きかったです。このチームに居ると、僕は自然と『笑顔』になれる。多少、考え事があったり、元気が無い時でも、レンカに合流すると、全てを忘れて『笑顔』になれる。そして、そういう中で、僕は自分の持っている能力以上のものを、発揮できた。…レンカに合流してから行われた練習試合は全部で15試合。僕はその中で『全15試合無失点』という、本当、有り得ないような好結果を出す事ができたんです。ちなみに、他のGK2人が共に『(15試合中)10失点』している事からも、この『全15試合無失点』という記録が、特別なものである事を、分かっていただけるかと思います。特に13試合目は、1部でも4本の指に入る強豪『レアル・エスパーニャ』のトップチームを相手に達成した無失点であり、自分の中の自信が確信に変わった瞬間でもありました。
そして、こうやって出した結果、発揮した能力に対して、チームはダイレクトに、最大限の評価をしてくれました。初めて会長と行った具体的な金銭交渉では、「チーム最高額の給料(推定)+アパート、アパートに必要な物(TVなど)、一日三食は、全てチームが負担する。」という、最高の条件提示を受けました。さらには、以前、ブログで紹介した通り、誕生日にケーキでお祝いされたのも、レンカでは異例の事でしたし、まだ契約もしてないのに新品のGKグローブを支給されたりと、チームからの「気持ち」が伝わってきました。こんな「ありがたい」「幸せ」な事はありません!!本当に嬉しかったです!!
レンカに自分を導いた、おもしろいエピソードが、もう1つあります。…ある日、僕は1部リーグでの可能性を求めて、1部リーグにつながりのある人物と会談してました。しかし、全く進展しない話し合い、その人物の誠意の感じられない態度…僕はもどかしさを感じていました。その時です!僕達が会談していたレストランに、本当、偶然、レンカの監督マチャドが、お客としてやって来たんです!全くの予想外!奇跡としか言えないタイミング!…そして、それまで、もどかしさを感じていた僕の心が、レンカ監督マチャドを見た瞬間から、パ~っと晴れていくのを感じました。僕はその時「あ、俺はレンカでプレーすべきなのかも…。」と感じたんです。
こうして、僕はレンカと正式に契約を交わす事となりました。26年間の人生の中で、最大の『夢』「プロサッカー選手」がついに実現しました!!
ここまでの道のりは、本当に本当に本当に長かった…。自分でも「よく、ここまで諦めずにやってきた。」と思います。普通の人なら、とっくに諦めてる状況が、何度となく有りました。実際、これまで何度も「もう辞めよう。」ってところまで追い詰められてきました。最近では、契約寸前までいって話が流れたビジャヌエバの件の時などが、そうです。しかし、「どうせ辞めるなら、最後にもう一歩だけ踏み出してみよう。」とチャレンジを続け、結果、そうやって「踏み出した一歩」が大きな道となり、ここまで辿り着いたんです。これまでを振り返ってみると、例外なく「『苦しみ』の後には『喜び』あり」でした。大学卒業後、プロになれなかった後に訪れた、人生最高の日々、中国留学…。『笑顔』にさえなれない日々が続いたアメリカ時代の後に訪れた、ホンジュラス行き…。「『苦しみ』の後には、『喜び』あり」です!
これから、どういう人生を送るかは分かりませんが、今回、この「とてつもなく大きな壁」を乗り越えた事実は、僕の人生の中で、本当に大きな意味を持つ事になります。それは、「『夢』は叶えるものではなく、諦めるものだ。『夢』と『現実』は違う。」という世間一般の考えではなく、「『夢』は実現するものだ。」という自分の考えに対して、自信と確信が持てたからです。僕は、「諦め」を前提にした人生だけは、絶対に送りたくなかった。いや、他の事に対しての執着心は無いけど、自分の中の「これだ!」ってものだけは、絶対に諦めたくなかったんです。
しかし、世の中「諦め」を前提にして生きている人は、自分達の世界に引き込みたいのか、いろいろ批判をしてくるものです。僕はこれまで、親も含め、何人もの人に「サッカー辞めろ。」と批判され続けてきました。「プロになったからって、一生食っていけるだけのお金が手に入るわけじゃない。何になるって言うんだ?サッカー辞めろ。」…けど、世の中、一生食っていける保障がある仕事なんて、あるのでしょうか?こんな事を言ってたら、何もできません。…「『夢』と『現実』は違う。世の中そんなに甘くない。サッカー辞めろ。」…だったら、『夢』を『現実』にする人生にすれば良いじゃないですか!大人達が、社会に対してそんな悲観的な事ばかり言うから、それを聞かされる子供達は、人生に対して希望が持てなくなるんです。…「『夢』を諦めて『現実』社会に入ったけど、それはそれで充実した人生が送れている。サッカー辞めろ。」…これは一理あります。しかし、僕自身は「『夢』を実現する人生の方が、より面白い人生。」と考える人間なんです。
また、チャレンジすらしてないのに、自分なりのストーリーを作って、『夢』を諦めていく人にも、たくさん会ってきました。「私もYoji君のように若ければ、もっと『夢』を追いかけらるんだけど…。」って、60歳過ぎの老人が言ってるんじゃないですよ。僕とたった3歳しか変わらない、29歳の人が言ってたんです。おかしいですよ。言い訳にしか聞こえませんでした。…『プロサッカー選手』を目指す者として、僕の『26歳』という年齢は、現実的に考えると、絶望的なものです。確か、日本のJリーグの平均選手寿命が22歳くらいだったかな?そう考えると、「26歳からプロになる。」のは、ほぼ不可能な事でしょう。実際、僕の年齢を指摘して「辞めろ。」と言ってくる人も、何人もいました。しかし、僕は人に何と言われようと、年齢を重ねるごとに成長し「確実にプロに近付いている…。」という感触を掴んでいたんです。『プロ』という結果が出なかったから、周りからの批判に心が揺れる事もありましたが、今は「自分は間違ってなかった!」と確信を持っています。
僕は、「人それぞれ考え方や生き方があるんだから、その人が幸せな人生を送っているなら、それで良い。」と考えます。だから、「諦めを前提にした人生」を送っている人にも、「現実を見つめて生きている」人にも、尊敬の念を持っています。これは本当です。僕は全ての人の生き方に対して、敬意を持っています。ただ、だからといって、「諦めを前提にして生きている」人や、「現実を見つめて生きている」人が、「『夢』を追いかけている」人の人生を批判するのはいけないと思うんです。そもそも、「『夢』を実現してきた」人っていうのは、他人の人生と可能性を否定したりしないんですよ。僕の友達の安英学から、僕の可能性を否定するような言葉は、ただの一度として聞いた事は無かったです。そして、印象的だったのが、以前、新潟で知り合った、Jリーグ・アルビレックス新潟の鈴木慎吾選手と話した時、僕の年齢について「25歳(当時)?全然いけるじゃん。」と言われた事です。これまで年齢の事でネガティブな事を言われ続けてきた僕には、この一言は本当に印象的でしたし、勇気をもらいました。その世界で結果を出してきた人の言葉だからこそ、凄く説得力がありました。…「他人に勇気と希望を与える存在」…僕もこういう風になりたいと、強く思いました。
昨年の正月、2005年のテーマは、自分の中で『ビッグ・イヤー』と名付けていました。何か、『ビッグ・イヤー』になりそうな予感がプンプンしてたんです。とはいえ、逆に「2005年以内でプロになれなければ、もうサッカー辞めよう。」という覚悟も持っていました。そして、貯金を全部はたいて渡米し、イングランドにも行き、さらにはホンジュラスにまで上陸し、やれる限りの事をやり尽くしました。1年前、日本を離れる時「貯金が全部尽きるのが先か、プロになるのが先か…。もしプロになれなければ、ジャングルでヘビ食って暮らそう…。」ってくらいに考えていたんです。で、実際、ホンジュラスに来てみたら、ジャングルで暮らしている人、結構いるし(笑)…。シャレにならん!と思いつつも、最終的に、2005年以内でプロになれて、本当に良かったです!!けど、『12月30日』って…正に、ギリギリセーフ!!!あと2日遅ければ、「ジャングル行き」でした!!ふ~…。
で、今日のブログのテーマです。「…『夢』を実現させたものは、『努力』でも『頑張り』でもなく…。」
…実は僕、11月から始めたブログにおいて、これだけ長々と文章を書いてるにも関わらず『努力』『頑張り』という言葉を、ただの一度も使った事がありません。それは『努力』『頑張り』という言葉に、ちょっと違和感を感じているからです。そもそも、『努力』『頑張り』とは一体どういう意味なのでしょうか?広辞苑で調べてみました。「『努力』…目標達成のため、心身を労してつとめること、ほねをおること。」「『頑張る』…どこまでも忍耐して努力する。」……ん?何かおかしいと感じたんです。「心身を労して、ほねをおる」「忍耐」……なんか、『苦しみ』のイメージしか浮かんできません。じゃあ、自分がサッカーをやったり、人生を生きる事は、『苦しみ』なんでしょうか?いや、違う!…そう思ったんです。「そもそもサッカーは、楽しくて、好きで始めた事じゃろう!人生だって、苦しみのために生きてるわけじゃない!」と…。しかし、「頑張れ!努力しろ!」となると、どうしても『苦しみ』しか生まれてこないんです。実際、大学体育会サッカー部時代、サッカーやってて、プレッシャーと苦しみしかなく、その時、ふと「あれ?サッカーやってても苦しいだけじゃん。じゃー俺、何でサッカーやってるの?」と疑問に感じたんです。人生についてもそうでした。…それから中国に行き、第三者から見れば苦しい状況でも、笑顔で元気にたくましく生きている人達を見て、「これだ!!」と思いました。「人生を楽しむ」。これは、やる事もやらず、ただダラダラして生活する…という意味ではありません。やる事は全力で、一生懸命やります。ただ、ちょっと発想を変えて、そんな中でも『楽しむ心』、そして『笑顔』を忘れない…という事です。何でもそうだと思うのですが、例えば勉強にしても、嫌いだけど、嫌々、『努力』して『頑張ってる』人より、勉強自体が好きで、いくら長時間、勉強しても『努力』とか『頑張ってる』って感覚すらない、楽しんでやってる人の方が、良い成績を出せるのは明らかでしょう。僕はホンジュラスに上陸してから、マラトン、レンカでサッカーしていて、これまでのサッカー人生の中で、こんなに「サッカーやってて楽しい!!」と感じられた事はありませんでした。最高の笑顔で、最高に楽しんでサッカーし、最高に充実した生活を送っていた。そして、その先に『プロ』があった…。つまり、『夢』を実現したものは、『努力』でも『頑張り』でもなく、『人生を楽しむ心』と『笑顔』だったんです。
『苦しみ』は、いくら足しても『苦しみ』にしかならない。例えば、不条理な事で苦しまされたアメリカ時代。あの時、僕がアメリカに固執して「苦しいけど、『努力』だ!『頑張り』だ!『我慢』だ!」ってアメリカに残っていたら、おそらく一生経ってもプロになれなかったでしょう。『笑顔』になれないような場所は、離れた方が良い。逆に、生活してて『楽しい』、自然と『笑顔』になれる場所にいると、『笑顔』がチャンスを呼び、チャンスがくるから『楽しく』なり、楽しくなるから『笑顔』になり、その『笑顔』がさらに大きなチャンスを呼び…と、どんどんプラスのサイクルにハマっていきます。『笑顔』があれば、何でもできる!「『笑顔』の先に、希望がある!」という事を、昨年1年間で、また改めて学ばせてもらいました!
よく考えてみると、昨年の今頃は、サッカー環境を失い、ゲームセンターのバイトの後、実家の壁にボールを蹴って自主練習してたら、親から「うるさい。」と怒られて、それさえできなくなり、ボールを蹴る事すらできない状況に置かれていました。そこからプロになったんだから「人生、本当に、何が起こるか分からない!!何でもありじゃ!!」と、改めて実感しました。
「環境は人を変える。」これも昨年一年間で、再認識しました。僕自身は、ホンジュラスのサッカーのレベルが、日本のサッカーのレベルに劣るとは思っていません。確かに、日本の方が勝ってる面もありますよ。例えば、「勤勉さ」「真面目さ」「組織力」「豊富な資金力による、充実した施設、強化ビジョン」…などなどは、ホンジュラスを上回っています。しかし、ホンジュラスが勝ってる面もあります。昨年、行われた『キリンチャレンジカップ』の日本戦を見た人なら分かると思いますが、大自然や、劣悪な環境の中で磨かれた「技術」「身体能力」「奇想天外なプレー」などの「個人能力」は、日本を上回っています。それは日本代表の中田英寿選手も驚いたほどです。近年、ホンジュラスがW杯出場を逃しているのは(82年W杯は出場)「ここ一番での勝負弱さ」があるからです。アウェイでメキシコ、アメリカに勝利し、あとはホームで引き分けるだけでW杯出場!って状況で、負けたり…。今回のW杯予選では、あの世界的名将ボラ・ミルティノビッチを監督に招聘し、初戦で、後にW杯出場を決める事となるコスタリカ相手に、何と5-2で大勝を飾り、最高のスタートをきっていたんです!しかし悲しいかな、貧しい国ホンジュラスは、ボラ・ミルティノビッチの高額な給料を払えなくなり、監督交代せざるを得なくなった…。これでリズムを崩したホンジュラスは、今回のW杯出場も逃してしまったんです。日本なら有り得ない話でしょう!?「個人能力」と言えば、イタリア・セリエAで、ACミランのシェフチェンコなどの並み居るビッグネームを相手に得点王争いを繰り広げている、カリアリ所属のホンジュラス人FWダビッド・スアソもいます。
…で、何が言いたいかというと、「今いる環境の自分だけが、自分ではない。」って事です。日本ではプロになれなかったYojiが、ホンジュラスではプロになった…。これはただ単純に、その国のサッカーのレベルがどうとかいう問題ではない。それぞれの国、いや日本国内でも、小さな組織の中でも、自分の能力が発揮できる場所、『笑顔』になれる場所、発揮した能力をダイレクトに評価してもらえる場所…ってのが、必ずある。例えばプロ野球の世界では、昔、広島カープに在籍したソリアーノは、カープでは全く活躍できなかったのに、世界最高峰リーグMLBの最強チーム、ニューヨーク・ヤンキースに移籍してから、とんでもないくらいに活躍しました。「環境は人を変える。」…そして、自分にとってそういう『環境』というのは、必ず存在するんです!!僕はそういう場所があるなら、宇宙にだって行く覚悟でした。…で、宇宙とまではいきませんが、ホンジュラスに来て、かつて『広島の粗大ゴミ2世』と言われたYojiが(自分で言ってるだけです(笑))、プロになってしまったんです!!みなさんもどうか、自分の可能性を信じて下さい!!そして、他人の可能性を否定しないで下さい!!
これだけたくさんの事を学ばされ、そして最大の『夢』も実現し、2005年は僕にとって、正に『ビッグ・イヤー』となりました。しかし僕自身は、2006年は、もっと大きな『超ビッグ・イヤー』になる予感がします。ブログを始めてから、僕の流れは良いです(笑)。
「勝って兜の緒を締める。」という、ことわざがありますが、あまりに兜の緒を締め過ぎると、勝ったり、結果が出た時の喜びや、幸せ感が半減してしまいます。人間は、この「喜び」や「幸せ感」のために生きてるのだから、僕は今回の結果に対して、最高の「喜び」と「幸せ感」を感じたいと思います。
これからもYojiは、少しでも多くの人に元気と勇気とパワーを与えられる存在になる事を『夢』見て、前に進んでいきます!!みなさん、どうか応援ヨロシクお願いします!!
25 novembre 「夢」が次々に叶う!! マラトン。正式名称「Club Deportivo Marathon(クラブ・デポルティボ・マラトン)」。ホンジュラス国内では、最強チーム「Olimpia(オリンピア)」に並ぶ強豪チーム。昨年は準優勝(優勝はオリンピア)ながらも、その前の年は優勝。毎年つねにオリンピアとマラトンが覇権争いをしている。正にホンジュラス2強の一角。
本拠地「サン・ペドロ・スーラ」は、日本で言うところの「大阪」。オリンピアの本拠地は首都の「テグシガルパ」、日本で言うところの「東京」。つまり、日本のプロ野球で例えるなら、オリンピアは「巨人」、マラトンは「阪神」といった存在。
ホンジュラス代表に、毎回、最多の選手を送り込む両チーム。先日、日本で行われた「キリンチャレンジカップ」にも、マラトンは4選手を代表に送り込んだ。来月、行われるエジプト代表との親善試合には、また別の4選手が代表に選出されている。元代表、U-21、20、19、17代表なども含めると、チームの8割以上の選手が代表経験者という、正にホンジュラスを代表するビッグクラブ。しかも僕と同じGKのポジションには、現役ホンジュラスNo.1GKと、No.3GK、さらにパナマ代表GKと、現役U-21ホンジュラス代表GKが居る…。
こんな物凄いチームに、「プロ」経験の全く無い僕が、いきなり練習参加に行く事になってしまったのです!!どうなる事やら…。けど、不安より楽しみな気持ちの方が大きかったです。
例の人物の車に乗せられ、到着した練習場は、巨大なスタジアム…。何じゃここは!?「エスタディオ・オリンピコ」という、約5万人収容の、「中米最高峰」スタジアム…。ホンジュラス代表のW杯予選なども行われる、ホンジュラスサッカー界の聖地とも言える場所…。僕はここに足を踏み入れた瞬間、鳥肌が立ちました。こんな所でサッカーする機会なんて、今まで1度も無かった。これも「夢」の1つだった…。「夢」が叶いました。
※写真は『エスタディオ・オリンピコ』での練習風景と、夜の『エスタディオ・オリンピコ』。
スタジアムでマラトン監督、コーチ、選手と初対面。マラトンの監督とコーチは、コロンビア人で、以前は、コロンビア最強チームの1つ「ナシオナル・メデジン」というチームで働いていました。あの伝説的GKイギ-タも過去在籍しており、15年前は南米チャンピオンとして「トヨタカップ」で来日している、あの世界的ビッグクラブ…。おいおい、一体どーなるの本当!?けど監督は優しく「よろしく。」と言った後、チームメイト達にも「新しい仲間が来たから、みんな挨拶しなさい。」と促しました。マラトン選手達と笑顔で交わす握手と自己紹介…。んー、何だかエエ感じだぞ!!
※写真は、監督ハイロ・リオス(左)&コーチのオラシオ(右)。
この日はフィジカルトレーニングのみ。エスタディオ・オリンピコの陸上トラックを、走りまくる。ランニングシューズを持ってなかった僕に、ある選手が「これを使え。」とランニングシューズを貸してくれました。アップの時も、いろいろみんなから話かけられる…。エエじゃん、エエ感じじゃん!!
走りはキツかったです。GKとは言え、ドベから2番目になってしまいました(笑)。監督からは練習後、「明日はサッカーの練習をして、プレーを見るから。」と伝えられました。
翌日。今日はオリンピコではなく、マラトンのクラブハウスの練習場でトレーニングが行われました。そこでいきなり控え組み中心メンバーの試合に出場する事になりました。
この時の僕は、ほとんどスペイン語を話せず(ホンジュラスはスペイン語が母国語)、試合前に臨時で「戻れ」「行け」「右」「左」「真ん中」と数字だけはスペイン語で言えるように勉強(?)しときました。
これが凄く役立ちました。選手との連携でゴールを守る僕には「指示の声」が生命線です。…そしてこの試合、今までの鬱憤が大爆発しました!!次から次に訪れるピンチで、好セーブを連発!!コンディションは決して万全ではありませんでしたが、この時できる全ての力を出し切りました。
そして試合後、監督との緊張の対談…。
…そこで監督から「今晩、行われる(トップチーム)の公式戦を見に来なさい。我々に帯同しなさい。」と告げられました。
ん!?プロの場合、必要なければその場で「さよなら」です。「帯同しなさい。」って事は可能性が有るのか!?よく分からないけど、帯同する事にしました。
クラブハウスからマラトン専用のバスに選手と共に乗って、スタジアム入り。選手のロッカールームにまで帯同して、その雰囲気を生で体感しました。そう言や、こういうのって俺の「夢」の1つだったよな~…。また1つ「夢」が叶いました!!
※写真はマラトンのバスと、その中。遠征先での食事。
試合後、帰宅のバスの中です。監督は明日の予定をみんなの前で話し始めました。けど僕は、スペイン語だからほとんど理解できない。…するとコーチが僕に近付いて来て、こう告げました。
「Yoji。明日の練習は朝8時から。それに参加しなさい。」
おお!「さよなら」を言われなかったー!僕は今までの人生の中で何度となく「さよなら(不採用)」を告げられてきた身なので、正直、何を告げられるのかドキドキでした。しかし、今日の時点では何とか生き残りました!!
…こうして、次の日の練習後も、またその次の日の練習参加を告げられ、2日、3日、4日とマラトンで練習を重ねていく事となりました。毎日がアピールです。プロだから、いらなくなれば「さよなら」を告げられます。だから、毎日の練習後に次の日の練習参加を告げられるたびに「良かった~…。」と胸をなでおろす日々でした。
この時、僕は、マラトンでサッカーできる事に対して最高の幸せを感じていました。正に「夢」の中に居るよう…。こんなレベル(技術のみならず、人間的なレベルも)の高い集団の中で、毎日、サッカーする事ができる…。隣で一緒に練習しているGKは、国の代表選手。日本代表GKの川口選手や楢崎選手と同等の技術を持った選手達と、一緒に汗を流している…。これは…。昔からの「夢」の1つでした。…またまた「夢」が叶った!!一体どれだけ「夢」が叶うのか!?
※写真はマラトン主将、ルイス・ギファロ選手。
※ホンジュラスNo.1GKビクトル・コエヨ選手。
ある日の練習後です。いきなりたくさんの報道陣に囲まれました!!「何や、何や!!?」意味が分からないまま、スペイン語でどんどんインタビューされます。「スペイン語は話せない!」と言う事しかできません(笑)。しかも、こんな報道陣に囲まれるなんて、人生初の経験…。けど、こういうのも「夢」の1つだったしな……、ん?またまた「夢」が叶ってるじゃん!!!
翌日。練習後、サン・ペドロ・スーラの街を歩いていました。気のせいか、周囲の人達の様子がおかしい…。そして新聞売りの兄ちゃんが突然、話しかけてきました。「マラトンのGK、Yoji!!」……はぁ!?何で知ってるの??するとその兄ちゃんは新聞を僕に見せ、こう言いました。
「これ見ろ!お前新聞に出てるぞ!!」
え!?…って、本当に出てるし!!しかも全国紙3紙の表紙に写真付きで出てるし!!一体、何がどうなってるの!!?その時は全く実感が無かったけど、嬉しい事には変わりありませんでした。…だって、新聞に出たりするのも、「夢」の1つだったから……あ、また「夢」が叶った!!!
次の日の練習後も報道人に囲まれました。昨日「スペイン語は話せない。」と言った事で、この日は英語が話せる報道陣も帯同してきてました。…その次の日も報道陣に囲まれ、しかも新聞やTVを見て集まった野次馬達にも囲まれ、まるで僕は「動物園のパンダ」のような状況に陥りました(笑)。
新聞やTVに出た事で、何だか少し有名になってしまいました。街を歩いたり、練習試合で他の地域に行った時も、全然知らない人に声をかけられ、囲まれ、写真を撮られ、サインを求められ…。
けど僕はそれを「うざい」とは感じませんでした。誰からも注目されない苦悩のサッカー人生を送ってきた僕にとって、これはもの凄くありがたい事だし、「夢」の1つだったし、本当に嬉しくて、最高の幸せを感じていました。そして、マラトンでは選手や監督、コーチから本当に本当に良くしてもらい、今、ここ(マラトン)に居る「幸せ」を、心の底から感じる日々でした…。
アメリカ時代のルームメイトの家を出てから、ほんの数日間で、まさかこんな状況になろうとは…。次から次に「夢」が叶う。それは何もサッカーに限った事ではありません。友人にグアテマラに連れて行ってもらった時は、ホンジュラスとの国境を、歩いて越えました。これは…。昔、「あいのり」ってTV番組を見てて、歩いて国境を越えるシーンなどがあり「こういう経験してみたいのー。」と思っていたら、それも実現してしまいました!!しかも「あいのり」で中米などに行くシーンを見て「俺も行ってみたいのー。」って思ってたら、今、中米に住んでるし!!
※ホンジュラスとグアテマラの国境。
苦しかったアメリカ時代もそうです。ニューヨークの「タイムズ・スクウェアー」で年を越したのも「夢」の1つだったし、キャンピングカーでアメリカ縦断したのも「夢」の1つだった…。「イングランド行き」も「夢」の1つだったし…。
頭の中で思い描いてた「夢」が、全部叶っている…。よく考えたら、今まで叶わなかった「夢」って無かったの~…。何て幸せな人生なんじゃ!!それを実現させてくれた親、友人、知人、その他、僕をここまで支えてくれた全ての人に対して、改めて感謝の気持ちが湧いてきました。僕は「最高の幸せ者」です!!
これからどうなるか、それは誰にも分かりません。叶わない「夢」も当然、出てくることでしょう。
しかし、希望を持って、笑顔で生きていれば、絶対に悪いようにはならない…。今回、マラトンに合流して、その事を改めて実感しました。
「これからどうなるのか?」…これは僕にとって、不安要素ではありません。それを考えるとワクワクしてきます!!人生最高!!
つづく
Yoji |
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