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1 octobre 新ブログ!新的部落格!New Blog!nuevo blog!新ブログ!新的部落格!New Blog!nuevo blog! ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ http://ameblo.jp/chanchakorinmanyoji/ ホンジュラスに初めて上陸してから今日までの「3年間」、「Windows Live」のブログを続けてきましたが、この度、特に深い理由は無いのですが(笑)、ブログを移動いたしました!! これからも引き続き、我がブログをご覧になって下さいますよう、ヨロシク、ヨロシクお願い致します!! それでは、こちら→「http://ameblo.jp/chanchakorinmanyoji/」で、またお会いしましょう!!待ってま~すっ!! 19 août 「史上空前のドタバタ劇」の果てに…。
<2008年8月4日(月) 「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、3日前」>
気が付けば僕は、「この国」の空港にやって来ていました。
僕は、「中国行き」を決断しました。
決して、頭で考えての行動ではありません。「本能」と「直感」が、無意識の内に僕を空港へと向かわせていたのです…。
もちろん、「今、『この国』を離れてしまえば、俺のサッカー人生は終わってしまうかもしれない」…という不安は少なからずありました。しかし、それをも超越した、
「晴れ舞台に立つホンジュラスのアミーゴたちの力になりたい。ホンジュラスという国を世界にアピールする手助けがしたい。お世話になったホンジュラスという国に恩返しがしたい」
…という、熱い想い。
これまでの人生の中で僕は、いかなる事よりも、何よりも「自分のサッカー人生」を最優先させて生きてきました。「人生の優先順位第1位」は、何があっても「自分のサッカー人生」…。その他、全ては2位以下…。これはずっと揺らぐことのない牙城であり、不変だと思っていました…。
それが今回は、「ホンジュラスへの想い」が優先順位第1位となり、「自分のサッカー人生」をも上回ってしまったのです…。
僕の16年間のサッカー人生の中で、正に「前代未聞」であり、「初めて」の出来事でした。
まるで「花より男子」の道明寺のように、後先の事をまるで考えず、「本能」と「直感」だけで「この国」の空港にやって来ました。…が、あまりに突然の出来事過ぎて、「中国行き」の航空券の購入や予約どころか、この日に本当に「中国行き」のフライトがあるのかどうかすら一切、分からない状況でした。こんなメチャクチャな状況で空港にやって来たのも、「人生初」です。
ここで「中国行き」のフライトが無ければ、初戦のイタリア戦(8月7日)にはもう間に合いません。しかし、神様が僕を導いてくれていたのか…。1つだけですが、中国に行くフライトがありました!!しかも、残り座席はあと「1席」!!ギリギリ、セーフ!!
…こうして、どうにかこうにか航空券もゲットし、ホンジュラスのアミーゴたちが待つ…僕の「第2の故郷」とも言える中国を目指して旅立ちました。
※ 飛行機から見える、「この国」の夜景…。「再び『この国』に戻って来る事はあるのだろうか?」…様々な想いが脳裏をよぎります。
「人生最大の決断」を下し、ドタバタ劇の末に中国に向けて「この国」の空港から旅立ったのが、「8月4日」の午後…。そして、ドバイなどを経由し、目的地の北京航空に到着するのが、中国時間の「8月6日」の午前0時半…。ほぼ、丸々「2日間」のフライトです。
※ 飛行機から見える、ドバイの街並み。ここで、北京空港行きの飛行機に乗り換えます。
そして、長い長い、長~いフライトを経て…
<2008年8月6日(水)午前0時半 「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日」>
ついに、中国・北京に到着!!!!!
※ 「魂はホンジュラスと共に」…。ホンジュラス代表のユニフォームを身にまとい、オリンピックの開催地にとうとう上陸!!
様々な国のメディアやオリンピック関係者…。オリンピックのPR広告&特集TV番組…。厳重な警備…。北京空港は正にオリンピック一色…。「ああ、本当に俺は、オリンピックの開催地にやって来たんじゃのう…」と、しみじみ感じました。
しかし、オリンピックムードに浸っている時間はありません。「旅」はこれで終わりではないのです…。
確かに「北京五輪」なのですが、翌日「8月7日」のホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦の試合会場は、何と「秦皇岛」…。中国留学時代でさえ行った事はおろか、聞いた事さえないこの異郷の地に、2日間のフライトと時差ボケでクタクタな状態の中、深夜にも関わらず向かわなければなりません。
疲れと睡魔に耐えながら、「秦皇岛行き」の列車に乗るために、今度は北京空港から、北京駅へと向かいます。
そして…
ついに、北京駅到着!!この時点ですでに、時計の針は深夜1時を回っていました…。
切符売り場で、秦皇岛行きの切符を無事、入手します。列車の出発時刻は「早朝4時半」…。あと、約3時間もある…。旅行カバンの上に横になり、出発時刻を待ちます。
そして…
秦皇岛行き列車、やっと到着!!
さあ、あともう少しで、ホンジュラス五輪代表の待つ、秦皇岛に到着です!!…と言いたいところなのですが、北京駅から秦皇岛駅まで、何と「4時間半」もかかる!!またまた、長旅の始まりです…。
「8月4日」に「この国」から「2日間のフライト」を経て、北京空港に「8月6日」午前0時半に到着してからここまで全くもって睡眠が取れておらず、さらには時差ボケなどもあり、疲労はピーク…。それにも関わらず秦皇岛行き列車は「硬座」という、ボロボロ列車…。しかも満席で、座る席が無い!!おまけにエアコンも無い…。
たくさんの群集でごった返し、まともに歩くスペースすら無いボロボロ列車の中で、かろうじてトイレの前の通路に僅かながらの空間を見出し、そこに座って「4時間半」を耐える事となりました。
「臭い」、「汚い」、「狭い」、「ボロい」、「暑い」…の五拍子が揃った超過酷な「4時間半」…。
疲労と時差ボケと悪臭で薄れゆく意識の中、唯一の希望…ホンジュラスのアミーゴたちの「笑顔」を頭に思い浮かべ、自分を鼓舞します。
「ホンジュラスのアミーゴたちの力になるんじゃ…。ホンジュラスという国を世界にアピールする手助けをするんじゃ…。お世話になったホンジュラスという国に恩返しをするんじゃ…」
念仏のように、唱え続けました。
そして…
臭かった…。汚かった…。狭かった…。ボロかった…。暑かった…。眠かった…。腹減った…。本当に本当に、長かった…。
<2008年8月6日(水)午前9時 「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日」>
ついに、ホンジュラス五輪代表の試合会場&宿泊先である秦皇岛に上陸!!
僅か2日前までは、遠い遠い異国の地「この国」に居たのに、今はなぜか、ホンジュラス五輪代表と同じ地…中国・秦皇岛に居てしまっている…。「本能」と「直感」が体を動かし、無意識の内に歩を進めさせ、気が付いたらここに立っている自分がいた…。一体、ここはどこなのか??
「史上空前のドタバタ劇」だったにも関わらず、奇跡的に予定通り「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日」である「8月6日」に秦皇岛入りする事に成功しました。「行けばわかるさ!」精神で前に進めば、人生、やはり大抵の事はどうにかなるものなんですね…。目に見えない何か不思議なパワーが、ここまで僕を後押ししてくれたように感じました。
しかし、この時点ではまだ、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」とは連絡が取れておらず、「ホンジュラス五輪代表をサポートする」計画に関する具体的な話は、まだ一切できていません。この後、一体、何が起こるのか?全く見当がつかない…。
ここから本当の、「人生未体験ゾーン」が始まります…。
つづく 12 août 「人生最大の決断」突然、「契約破棄」になったあの事件が起きた数日後…。「この国」の全国紙でも、この問題が大きな記事で特集されました。
自分としては、もうこの事件の事は全く気にしてないし、むしろ、あんな酷いチームを離れられた事で、逆に心はスッキリしていました。ただ、「笑顔を見せて、平気で人を騙す人間がいる」という事実に対してだけは、同じ人間として、世の中に深い失望感を感じました。そして、「自分以外の日本人で、サッカーでなくとも『この国』で働きたい人がいた場合、同じような問題が二度と起きて欲しくない」と思い、メディアの取材に応じ、日本大使館に情報提供しました。
あの事件が起こってから3日間は、一切、サッカーの事は考えず、とにかくゆっくり、リフレッシュしました。久々、1日3食まともな食事が手に入る生活を送れ、1つのベッドに1人で寝る事もでき、心身ともに良い状態に回復しました。
リフレッシュし、一度、全てを「ゼロ」の状態…「原点」に戻した時、自分の中である想いが芽生え始めました…。
ホンジュラス…。
中国…。
オリンピック…。
実は、ホンジュラスU-23サッカー代表(以下、「ホンジュラス五輪代表」)は、アメリカ、メキシコ、コスタリカなど難敵がひしめく北中米カリブ海地区予選を勝ち抜き、決勝では強豪アメリカをアウェーで「1-0」と破り、見事に優勝…。「8月7日」に始まる北京五輪への出場権を獲得していました。
※ U-23北中米カリブ海地区トーナメント決勝。「アメリカVSホンジュラス」(白がアメリカ、青がホンジュラス)。このトーナメントはアメリカで開催され、決勝の地も当然、アメリカ(ペンシルバニア)…。ホームでは無類の強さを誇るアメリカに対し、ホンジュラスは見事に「1-0」完封勝利!しかも、慣れない「極寒」の中での試合…。本当に素晴らしい、感動的な優勝でした…(涙)。
僕は1人の「人間」としては、「日本人」としての誇りをもって生きています。それは、これまでのブログをご覧になって下さった方々なら、お分かりかと思います。
しかし…。
1人の「サッカー人」としては、僕は「ホンジュラス人」なんです。2005年に初めてホンジュラスに渡ってからというもの…。それまで日本や中国、アメリカで培ったサッカーの技術、体力、戦術、サッカー感…全てを捨て去り、「ホンジュラス化」しました。それくらいホンジュラスのサッカーは魅力的かつ衝撃的で、素晴らしいものでした。世界のどこに居ても、「ホンジュラスのサッカー選手」としての誇りを常にもってプレーしてきました。
「サッカー人」としての故郷は「ホンジュラス」…。
その「故郷」ホンジュラスが、オリンピックという晴れの舞台に立つ…。
しかも、このホンジュラス五輪代表の中には、ホンジュラス時代に共に汗を流し、絆を深めた「アミーゴ」がたくさんいる…。
さらには、このオリンピックの開催地は北京…。僕にとって、「第2の故郷」とも言える存在、「中国」…。
自分の人生に最も大きな影響を与えた、「ホンジュラス」と「中国」の、夢のコラボレーション…。
「どうしても力になりたい…。どうしても恩返しがしたい…」
…この想いが日に日に大きくなり、抑えきれなくなりました。
しかし、この時点ですでに「8月1日」…。ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦は「8月7日」…。もう、1週間しか時間がない!!
思い立ったら、即行動開始…。ネット上には一切、ホンジュラスサッカー協会の連絡先は掲載されておらず、すぐさまドナルド・ゴンサレスにメールと国際電話をして、何とかホンジュラスサッカー協会副会長の電話番号をゲット!!!しかも彼は、ドナルドの知り合いらしい…。
※ マラトン時代の、ドナルド・ゴンサレスとの2ショット写真。
ホンジュラスサッカー協会副会長に、「この国」から国際電話をかけます。幸い、「ドナルドのアミーゴ」、「あの時の日本人GK」と言うと、「ああ!」という事になり、話が進みます。そして、「中国語もスペイン語も少し分かるから、ホンジュラス五輪代表の力に、何かしらなれると信じている。アミーゴたちを助けたい」と伝えます。すると、「だったら、すぐ中国に行ってくれ!!」とOKの返事が出ました!!よしっ!!
…しかし同時に、「中国現地の情報が分からないから、現地入りしている、ホンジュラスサッカー協会幹部と詳しい情報交換をしてくれ」と付け加えられます。そして、その人物のメルアドを聞いてる途中…
「ピー。プー、プー、プー…」
国際電話カードの残高が無くなり、電話が切れてしまいました。アイヨ!!
この日は夜だったので、次の日(「8月2日」)の早朝すぐ、今度はマラトンの幹部や元マラトンの監督など、ホンジュラス時代に知り合った全ての有力人物に対してメールを送り、自分の意思と目的を伝え、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」の連絡先を尋ねます。
僕の熱意が通じたのか、「行動が異様に遅いホンジュラス人」にしては異例の早さで返信メールが届き、ついにホンジュラス五輪代表選手にして、僕のホンジュラス時代のアミーゴ…エミル・マルティネスの中国現地携帯番号を入手!!
※ ホンジュラスA代表でもレギュラーの、エミル・マルティネス(マラトン時代、2005年当時の写真)。現在は中国のプロチーム「上海申花」で活躍中。上海申花への移籍前のシーズンは、マラトンにて「リーグ優勝」「リーグ得点王」「リーグMVP」の三冠を、「キャプテン」として成し遂げた、正にホンジュラスを代表する、とんでもない選手です。今回の北京五輪には、「オーバーエイジ」として出場。
そして翌日…(「8月3日」)。初戦のイタリア戦(「8月7日」)まで、もうほとんど日にちが無い!!即行でエミル・マルティネスに国際電話をかけます。ついに、「この国」に居る僕と、中国現地入りしているホンジュラス五輪代表選手と直接、連絡がつながった瞬間でした(感動)。
彼と話をするのは、実に約2年ぶり…。「この国」から、「中国」に居る「ホンジュラス人」のアミーゴと国際電話で会話…。何だか不思議な感覚がしました。彼の話によると、
「中国人の通訳がチームに1人だけいるのだが、あまりスペイン語が話せないから、コミュニケーションに困っている」
…との事(オリンピックなのに、こんな事があって良いのか!?)。異国の地で言葉が通じない、周りに言葉が分かる現地人がいない事のストレスは、世界各国を回ってきた自分が、一番、よく分かっている…。しかも、エミル自身も、「Yojiが助けに来てくれるなら、チームとしては絶対に必要だと思う」と言う…。
「俺がアミーゴたちの手助けをするんだ…。ホンジュラスに恩返しをするんだ…」
…「使命」のようなものを感じました。
しかし、肝心の「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」は不在で、話ができない!!アイヨ!!この日がすでに「8月3日」…。初戦が「8月7日」…。最低でも、試合の前日(「8月6日」)には、中国現地入りしていなければならない…。それなのに、「この国」から「中国」までの移動(飛行機)は、時差などもあり、どうやっても2日間かかる…。
「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部と連絡がつながるのを待っている時間はもう無い!!!!!」
そして、また翌日…(「8月4日」)。大きな決断を迫られる事となりました。ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦の前日(「8月6日」)に中国現地入りするためには、この日に「この国」を出発する以外に、方法はありません。
しかし、この時点ではまだ、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」と連絡が取れておらず、詳しい情報交換は全くできていない状況…。
さらに、最も大きな問題…。僕は、「この国」で日本人として初めてプロサッカー選手になるという、大きな大きな目標をもって、ここへやって来ました。「あのチーム」との契約が破棄になったとは言え、まだ「この国」での滞在期間は1ヶ月残っており、「この国」のリーグ開幕までも、あと2、3週間ある…。どのチームもすでに戦力が固まっており、「この国」の他チームと契約できる可能性はもうほとんど無いとは言え、まだ0.1%くらいは可能性が残っている…。
しかし、もしここで「中国行き」を決断すれば、今年中に「この国」のプロサッカーチームと契約する可能性は、ほぼ完全に消滅します。…そして様々な事情があり、今、「この国」を離れてしまえば、もう一度「この国」に戻る事は極めて難しい状況…。他国のプロサッカーリーグもすでにほとんどが開幕間近、もしくはすでに開幕しており、次、プロサッカーチームと契約できるチャンスは、12月くらいまで待たなければならない…。そうなってくると、今度はもう、サッカーを続ける事さえ困難になってきます。
つまり、「中国に行って、ホンジュラス五輪代表を助け、ホンジュラスに恩返しをする」…を選択するか、「『この国』にまだ残って、『この国』のプロサッカーチームと契約できる可能性を再度、模索する」…のどちらか1つを選択しなければならないのですが、もし「中国行き」を選択する場合、「サッカー引退」の覚悟が必要という状況なのです。
これまで、どんな苦しい状況におかれても、決して諦めずに、「笑顔」で続けてきた「サッカー」です。しかし、ここでの選択次第では、「サッカー引退」の可能性も出てくる…。ところが、ここにこのまま残っても、「この国」のプロサッカーチームと契約できるという保障は一切、無い…(この時点で、具体的なチャンスは皆無)。そして、「中国でホンジュラスを助け、恩返しをする」という機会は、今回を逃すと、一生、訪れないかもしれない…。
「中国行き」か?? 「『この国』に残る」のか??
選択次第によっては、「サッカー人生の終焉」を迎える可能性すらあります。…正に、「人生最大の決断」です。
どちらか一方でも話が具体的に進展していれば、選択も少しは容易だったのでしょうが、残念ながらどちらの話も、全くもってその可能性は不透明な状況…。それでも、もう時間が無いから、この日の午前中に「決断」し、この日の午前中に「行動」しなければなりません…。
「人生最大の決断」なのにも関わらず、全くもって考える余地は与えられていません。
こういう時は、「本能」と「直感」が一番、重要になってきます。「花より男子」の道明寺も、その行動のほとんどが頭で考えてのものではなく、「本能」と「直感」によるものです…。(詳しくはこちら→「道明寺的『成功法則』)
これまでの人生の中で、ありとあらゆる修羅場を世界中で潜り抜けてきた事で、今、僕の「本能」と「直感」は研ぎ澄まされています。自分の「本能」と「直感」が下した決断なら、絶対に間違いはないと信じています…。
こうして、「人生最大の決断」を下す瞬間がやってきました…。
つづく
13 juillet 「人生の巡り合わせ」がもたらした、「不思議な再会」…。今年は「何か」がある!!注)これは、約1ヶ月前に「1年ぶり」に日本へ一時帰国し、それから再び「この国」へ向かう途中の話です。
こうして強い決意を胸に、再び「この国」へ旅立つ事となりました。
日本から「この国」への直通便飛行機はありません。最初は「香港経由」で行く予定だったのですが、往復チケットの関係上「シンガポール経由」に変更せざるをえなくなりました。しかも、シンガポールの空港での乗り換え待ち時間が、過去最長の「10時間」!!長っ!!
「一体、10時間もどうやって過ごせばエエんじゃろう…?」
最初は正直、「何でこうなるの!?」と頭を抱えました。…しかし人生、どんな出来事も、結局は自分にプラスをもたらす「最高の出来事」になるよう、神様によって仕組まれているのです…。
「シンガポール…。10時間…。んんんんん!?」
…ここで1人の人物の名前が、僕の頭に思い浮かびました。
大学サッカー部時代の先輩で、元アルビレックス新潟所属…現在はシンガポールリーグで活躍する、新井健二選手(以下「アラケンさん」)です。
アラケンさんは僕の1学年上の先輩で、大学時代は3年間、共に汗を流した仲間です。…が、大学時代は、ほとんど交流がありませんでした。いや、フィールドで練習する時はもちろんコミュニケーションをとっていましたが、プライベートでは全く交流が無かったんです。…で、大学を卒業してからも全くと言って良いほど交流は無く、2004年に安の居る新潟に行った際も、アラケンさんとは出くわしたのですが、これまたほとんど会話をする事はありませんでした…。
そんなアラケンさんが、なぜか今年に入り、突然、メールをくれるようになったのです!!…どうも、これまた2004年に新潟で知り合った、元アルビレックス新潟所属の深沢仁博選手(以下「深沢さん」)と現在、シンガポールでチームメイト&ルームメイトになったらしく、「(深沢さんから)お前のメルアド聞いた」とかで、メールしてくれるようになったのです(深沢さんとは2004年に新潟で知り合って以来、たま~にメールでやり取りしていた)。
それにしても、大学サッカー部時代から今日までの「約10年間」、ほとんど交流すら無かったアラケンさんがメールを送ってくれるようになるなんて…一体、どういう風の吹き回しなんじゃろう??(笑)。本当に驚いたし、同時に、凄く嬉しかったです。
…で、今年に入ってからこんな感じでちょこちょこアラケンさんとメールでやり取りしていたので「一応、シンガポールに飛行機の乗り換えで寄る事を伝えてみるか!」と思ってメールしたのです。すると…
「旅立つ前に、シンガポールの上手いモノを食わせてやる!マサ君(深沢さん)も連れて行くから一緒に会うか!?」
…という返信メールをくれました!!アラケンさんの優しさが心に染みて、本当に嬉しかったです(涙)。
こうして、本当に奇遇にも「飛行機の乗り換えで偶然、シンガポールに寄り、10時間の待ち時間がある」…という特殊な事情のおかげで、アラケンさん、深沢さんとの再会が実現したのです!!実に「4年ぶり」の再会でした!!
※ シンガポール上陸!!アラケンさん、深沢さんと再会!!
アラケンさんは現在所属の「Singapore Armed Forces Football Club」に2006年より加入し、その年、見事に「リーグ優勝」。続く2007年も優勝を果たし、これで「リーグ2連覇」。さらにはシンガポールカップも「2連覇」を達成し、その年に行われた「AFCカップ」というアジアの大会にも出場。しかもその大会で「日本人初ゴール」もゲット!!(DFなんですが…。凄いですね!)
…とまあ「異国の地」シンガポールで大活躍している、大変、尊敬できる先輩です。
ちなみに今年…2008年には深沢さんがこのチームに加入し、2人はアルビレックス新潟時代以来の「チームメイト(しかもルームメイト)」になったわけです!!いや~「人生の巡り合わせ」って、本当におもしろいですね!!「シンガポールリーグ3連覇」は過去無いそうなので、ぜひ2人の力を合わせて、偉業を成し遂げて欲しいものです!!
実は安英学の成功にもアラケンさんは間接的に関わっていて、大学時代、アラケンさんの視察に訪れたアルビレックス新潟の関係者の方が、たまたまそこで安のプレーを目の当たりにし、それが元となって、後に安の「アルビレックス新潟入団」が決定するのです。…つまり、アラケンさんがいなければ、今の安英学も無かったかもしれないのです!!
…つくづく「人生の巡り合わせ」って不思議ですね~。もちろん「実力」がある事が最低条件なのですが、この世界、それプラス「人生の巡り合わせ」が本当に大事って事ですね。アラケンさんにも安にも、「人生の巡り合わせ」を味方に付ける「プラスのオーラ」が出ています。だから、成功できるのです!!
※ アラケンさんと!!
深沢さんは2004年に新潟で知り合ったのですが、メールの中でも年下の僕に凄く丁寧な敬語の文章を書いてくれる、大変、紳士な方です。…また、少し不思議なキャラの持ち主(?)で、新潟に居た際、一緒に食事をした事があるのですが、その事は「覚えていない」らしく、逆に、一度、新潟の商店街で偶然、出くわし、「あ、どーも…」って感じで「0.5秒」だけ交流したのですが、そっちは「覚えてる!!」らしいのです。普通、逆でしょう!?(笑)不思議な人です。
Jリーグでは、アルビレックス新潟の他にも横浜マリノスでプレーされ、新潟退団後は、アメリカ「USL」の強豪「モントリーオール・インパクト」で活躍…。昨年はタイの「バンコク・ユニバーシティFC」でプレーし、ACLにも出場して川崎Fとも対戦…。本当に、凄まじい人です!!尊敬しています。
※ 深沢さんと!!
アラケンさん、深沢さんとの「4年ぶりの再会」は、予想を遥かに上回る楽しさとなり、非常に「濃い」時間が過ごせました。ハッキリ言って、楽し過ぎて、とてもじゃないけど「10時間」じゃあ足りませんでした。30時間くらいは欲しかったです(笑)。
※ 活気溢れる、シンガポールの街!!英語も中国語も通じるし、おもしろい国です!!
前回、この2人と会ったのは、「2004年に安の居る新潟に行った時」です。
…で、その当時の僕の状況を少し振り返ってみると、
「半年以上、サッカー環境を失い、ボールを蹴る事さえままならぬ状況。引退の危機」
…でした。
!!!!!!!!!!!
…そうです。昨年、僕が置かれていた状況と、全くと言って良いほど同じなのです。
…で、「2004年に安の居る新潟に行き、アラケンさん、深沢さんに会う」…の後…2005年…僕はどうなったかと言うと…
「ホンジュラスで人生初、プロサッカーチームと契約締結」!!!
そして、今回の僕の状況は…
「1年以上、サッカー環境を失い、ボールを蹴る事さえままならぬ状況」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「安の居る韓国・水原に行った後、シンガポールでアラケンさん、深沢さんに会う」 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「『この国』のプロサッカーチームと契約」!!??
キター!!!!!(笑)
…要するに、「長期間、サッカー環境を失う」→「安英学と再会」→「アラケンさん、深沢さんに会う」…は、ある種の「勝利の方程式」であり、非常に「縁起が良い」事なのです!!ヤッター!!
「そんなのコジツケじゃ!!」
…という意見もあるかもしれませんが、確かに僕は肌で「何か」を感じています。良い「流れ」である事は間違いありません。
こうして僕は「人生の巡り合わせ」によって「偶然」もたらされた「不思議な再会」を終え、非常に良い「流れ」を感じながら、笑みを浮かべつつ、シンガポールの空港より「この国」へ向けて旅立ちました。
今回、アラケンさん、深沢さんからは本当に大きな「プラスのパワー」をもらいました。この「プラスのパワー」を胸に、必ず「この国」のプロサッカーチームと契約し、「恩返し」と、行き先を告げずに旅立った「お詫び」をさせていただきます。必ず!!(「行き先」は家族以外の誰にも告げていません)
※ シンガポール・チャンギ空港にて、アラケンさん、深沢さん、もう1人チームメイトの日本人選手、ノリ君と!!
※アラケンさんのブログURLは→「こちら」!!(右の「破天荒リンク」にも貼っておきます)…ちなみに深沢さんは、今年はブログをやってないそうです…。
3 mars ついに踏み出した、『成功』への第一歩…。俺はフィールドに帰ってきた!!
約「1年ぶり」です。
僕はついに、フィールドに帰ってきました。
先日、今回の活動の鍵を握る「超重要人物」と知り合い、現在、その人物が監督を勤める、とあるアマチュアチームでコンディション回復のための調整をさせてもらってます。また、こうして再び『夢』に向かってサッカーできる「幸せ」を心の底から噛みしめながら、今、僕はボールを蹴っています。
思えば昨年、パナマを離れてから今日に至るまでの約1年間…。
なかなかチームが決まらなかったり、怪我をしたりして、全くサッカーをすることができませんでした。
特にオーストリアで怪我をしてからの半年間は、サッカーどころか、ランニングさえもできない状況に置かれていました。
サッカーで『夢』を追いかけようとすると、なぜかサッカーが自分の下からどんどん離れていくという、大変もどかしい1年間を過ごしました。
「神様は、俺にもうサッカーするなと言っとるんじゃろうか?」
…そう思ったことも、何度かありました。
しかし、今、僕はこうして再びフィールドに帰ってきました。神様はまだ、僕を見捨ててはいませんでした。
例の「男女共用サウナ」のおかげで、半年間、何をどうやっても回復しなかった怪我が、見事に完治しました。「男女共用サウナ」…恐るべしです!!
約1年ぶりにフィールドに帰ってきた当初は、想像以上に体が動かず、若干ショックを受けました。
…しかし、焦りは全くありませんでした。なぜなら、これまでの人生の中でも何度か長期間にわたってサッカー環境を失った経験があり、その経験上、1、2週間も練習すれば、すぐにコンディションは回復することを知っていたからです。
やはり、何事も「経験」です。経験に勝るものはありません。
案の定、現在は早くもコンディションが上昇気流に乗っており、この調子だと、「完全復活」も間近です。
1年間、サッカーできなかった経験は、決してマイナスにはなっていません。むしろ、多くの「プラス」を僕にもたらしています。
この「1年間」のおかげで、サッカーに対する「新鮮さ」を再び取り戻しました。今は毎日サッカーをやっていて、新たな発見の連続です。ホンジュラスでサッカー漬けだった毎日の中でも決して気付かなかった、サッカーに関する新たな発見があるのです。不思議なものですね。
そして、「サッカーで夢を追いかけられる」ということが、いかに「幸せ」で「ありがたい」ことか、再認識させられました。
ほんの1ヶ月とちょっと前まで、怪我で半年間もランニングさえできない状況だったことを考えれば、今の状況は、とてつもない進歩です。…だって、こうしてフィールドに戻ってきて、元気にサッカーしてるんですから!!
「Yojiの生き方が理解できない」
…と、離れていく友達も少なからずいます。
理解できなくて、当然です。何せ、僕の「サッカー」…特に「日本代表」に対する想いは、常人の想像を遥かに超越していますから(笑)。
ただ、僕としては、「別に友達に迷惑をかけてる訳じゃないし、人それぞれの生き方があるのだから、その人が充実した日々を過ごせているのなら、それで良いじゃないか」と思うのですが、まあ、考え方も人それぞれなので、離れていく友達のことも尊重しています。
そして、僕には家族がいます。
「家族」と「友達」は、決定的に違います。
友達は、いくらこっちが大切にしてても、向こうが離れていってしまえば、その時点で終了です。
…しかし家族は、何があっても家族です。問題が起ころうが、世界のどこに居ようが、家族は家族です。
今、僕は、家族のサポートのおかげでサッカーできていると言っても過言ではありません。いや、家族がいなければ、僕のサッカー人生はとっくの昔に終わっていたことでしょう。本当の本当に苦しい時に支えてくれるのは…やはり「家族」以外にはありえないと、改めて思いました。
確かに数年前までは、家族は僕がサッカーをすることに大反対でした。しかし今は、僕を支えてくれてます。その存在の大きさは、計り知れません。
…それに、こんな僕のことも応援してくれる友達も、中にはいます。
1日も早く、家族と、応援してくれている友達に恩返しをしたいです。
僕はついに、『成功』への第一歩を踏み出しました。
全ては故郷のため、家族のため、そして応援してくれている友達のため…。
必ず、もうすぐ、大きな大きな「良い報告」をします。
では!!
※とあるホテルで知り合った、おばちゃんと子供。
(現在、ネットをするのが困難な環境に居ます。ブログのコメントやメールの返信がなかなかできない場合がありますので、悪しからずご了承下さい!)
31 janvier 「1年分」の「良い報告」をするために…。 本当にお久しぶりです。お元気ですか?
ずっとブログを更新してなかったので、たくさんの方々にご心配をおかけしてしまったようです。
こうしてたくさんの方々に心配していただけることは、本当に「ありがたい」ことであり、改めて自分は「幸せ者」じゃと思いました。本当にありがとうございます(涙)。
ブログを更新しなかった理由はいろいろあるのですが、最も大きな理由は、
「今回は中途半端な報告はしたくない。応援して下さってる方々に心から喜んでもらえる成功をおさめるまでは、ブログの更新を控えよう」
…と決心したことにあります。
昔の日本人は、物凄いことを、誰に知られることもなく、ただただ無言で黙々とやっていました。そこに人間としての「凄み」があったわけです。僕の最も尊敬するおじいちゃんも、こういう「凄み」をもっています。
しかし現代日本人は、ネットが普及したこともあり、凄くもないことを、いかにも凄いかのように、いとも簡単に他人へアピールするようになってしまいました。
今の自分が「成功」をおさめるためには、僕は「昔の日本人」になる必要があると感じました。
昨年1年間は、全くもって「良い報告」ができませんでした。応援して下さってる方々…特に家族は本当に自分のことを支えてくれているのに、僕はそれに全く応えることができませんでした。こんなに、もどかしいことはありません。
とにかく今回は、昨年「1年分」の「良い報告」がしたいんです。どうしてもしたいんです。
「良い報告がしたい」というのが、僕の「モチベーション」と「エネルギー」の源です。
それなのに、まだ何も成し遂げてない今の状況で、ちまちまブログを更新をして報告していたのでは、モチベーションとエネルギーを小出しにしているのと同じです。
今の自分が「成功」するには、この「良い報告がしたい」というモチベーションとエネルギーを、最大限まで高める必要がありました。…それも、ブログを更新しなかった理由の1つです。
よって本来なら今日はブログを更新する予定は無かったのですが、いろんな方々から心配のメッセージが寄せられましたので、「心配無用ですよ!」という報告だけはしておかねばならないと思い、久々、ブログを更新している次第であります。
まず1つ報告しておかねばならないのは、僕はもう「オーストリア」には居ません。すでに、「未だかつて日本人の誰も成し遂げたことのない、とんでもない挑戦」を始めています(詳しい活動内容は、まだ明かせません)。
そして、この大きな大きな挑戦をするにあたり、僕は前回記事で書いた「男女共用サウナ」の勢いそのままに、かつて無いほどの「強運」を味方に付け、爆進しています。
まだ、「成功」はおさめていません。…しかし、「その日は近い」と確信しています。
たくさんの方々にご心配をおかけいたしまして、誠に申し訳ございませんでした。その気持ちに応えるためにも、今回こそは必ず「良い報告」をします。
僕は今、「成功」に向けて全力疾走しています。全くもって「心配無用」です!!
それでは、また次、ブログを更新するまで…。
※「未だかつて日本人の誰も成し遂げたことのない、とんでもない挑戦」のために、僕は「この地」に上陸しました…。飛行機から見える「この地」の景色。これだけでどこか分かったら、かなりの猛者です(笑)。
18 juillet <緊急報告>全く予想だにしてなかった展開…。「生きるか?死ぬか?」の闘いが今、始まった。 「中国・天津帰還編」の途中なのですが、<緊急報告>があります。
…現在、韓国・ソウル「インチョン空港」より、ブログの更新をしています。
…そうです。僕の「新たな挑戦」の幕が、ついに切って落とされたのです。
半年前…。
2006年12月~2007年1月。ジャマイカにて、「サッカー人生を賭けた挑戦」を行いました。そこで、「リミット『0日間』で起きた奇跡。(詳しくは「ジャマイカ編」をご参照下さい)」により、「1%」の可能性を残してから、僕は日本に帰国しました。
決して確信が持てる「可能性」ではなかったですが、ジャマイカを離れてからの半年間は、「ジャマイカ再挑戦」を目標に、トレーニングに励んできました。ジャマイカのチームのGM(ゼネラル・マネージャー)とも小まめに連絡を取り、「あとは、7月のプレシーズンの始まりを待つばかり。」という状況でした。
しかし、7月に入った直後、ジャマイカのチームのGMから連絡があり「うちのチームのGKがジャマイカ代表に選出されるまでに成長した。他にも良いGKが居て、Yojiの獲得は不可能になった。」…との連絡を受けたのです。
突然、「ジャマイカ再挑戦」消滅…。
ところが僕に、焦りはありませんでした。
「もう、ここまできたら、『自然体』で時の『流れ』に身を任せる。それでチャンスがくれば挑戦するし、こなければこないで、それはもう人生の定めだから仕方がない。」…と、腹をくくっていました。
…けど、現在、僕は、韓国・ソウル「インチョン空港」に居ます。つまり……
僕の、「新たな挑戦」は始まったのです。
そう…。
「チャンス」が訪れたのです!!!
2ヶ月前…。
僕は安英学に会うために、「韓国・釜山」に行きました。その時のブログにも書きましたが、僕は韓国行きの船に乗るために立ち寄った北九州にて、大学時代の親友と、5年ぶりの再会を果たしました。そして、この「再会」が大きな大きな「ターニングポイント」になったのです。
あれからも、この「大学時代の親友」とは、電話で連絡を取り合いました。そしてある日、彼が思いもよらない話をし始めたのです…。
「ヨーロッパのオーストリアで40年間働いている、おじちゃんが居る。そっちの方でチャンスがないか、オーストリアに居るおじちゃんに連絡して聞いてみる。」
…最初は、「いやいや、それはありえないでしょ…。」と思っていました。実際、全く期待してなかったですし、むしろ「俺はもう、ジャマイカに再挑戦するって決めてるんだ!ジャマイカのチームのGMとも連絡を取っているんだ!オーストリアに行けるわけないじゃろ!」って感じでした。
しかし…。
「大学時代の親友」が本当に「オーストリアで40年間働いている、おじちゃん」に連絡を取り、「オーストリアで40年間働いている、おじちゃん」が、現地のサッカー関係者に本当に連絡を取り……。
Yojiの「オーストリア行き」が、決定してしまいました!!
この「オーストリア行き」の「チャンス」も、不確定要素がたくさんあります。衣食住の問題はもちろん、「オーストリアに行けば、確実にチームのテストが受けれる!」…という話すら、まだありません。…しかし、「オーストリアに行けば、確実にチーム関係者とは会える。」…という話はあります。あの、日本代表の宮本選手、三都主選手がプレーする「レッドブル・ザルツブルグ」の「チーム関係者」です。
普通の人なら、こんな不確定要素だらけの「チャンス」には飛び込まないでしょう。
しかし僕は、今、この「チャンス」を逃すということは、「サッカー人生の終わり」を意味すると思っています。サッカー選手にとって「サッカー人生の終わり」は、「死ぬ」ことと同じです。
「何もしないで『死ぬ』なら、不確定要素だらけの『チャンス』でも、飛び込んでやろう!!」
…そう、決心しました。
僕はこれから、韓国・ソウル「インチョン空港」で飛行機を乗り換え、「オーストリア・ザルツブルグ」に向かいます。「ザルツブルグ」にて、関係者と会う予定です。
僕は今回の挑戦のために、1つのCDを購入しました。
『ZARD』です。
そのCDの中には、僕の好きな曲…「負けないで」が入ってます。
~~負けないで もう少し 最後まで 走り抜けて どんなに 離れてても 心は そばにいるわ 追いかけて 遥かな夢を~~
~~負けないで ほらそこに ゴールは近づいてる どんなに 離れてても 心は そばにいるわ 感じてね 見つめる瞳~~
行ってきます!!
1 mars 「人生最大の旅」(なのに片道6000円)!ホンジュラス→ニカラグア→コスタリカ→パナマ…「夢」を追い求めて。 2007年2月19日(月)
「ジャマイカ挑戦」から2ヵ月…。僕はまた「新たな挑戦」に向けて、旅立つこととなりました。今回の最終目的地は「パナマ」。さあ、いよいよ、「ホンジュラス→ニカラグア→コスタリカ→パナマ」と、4カ国をまたに掛けた、「人生最大の旅」が始まります(なのに片道6000円)。
「夢」を追い求めて……。
※スタート地点は、ホンジュラスの首都「Tegucigalpa(テグシガルパ)」…。まず、最初の目的地は、ホンジュラスとニカラグアの「国境線」です!!
ちなみに、写真右下に表示されている時刻は、「パナマ時間」なので、実際はこれより、「1時間遅れ」です(ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカでは)。だから、上の写真だと、実際は「7時51分」ということになります。
※これが噂の(?)「TICA BUS(ティカ・ブス)」!!この「ティカ・ブス」が、今回、僕をパナマまで連れて行ってくれるのです(片道6000円)。ちなみにスペイン語では、「BUS」と書いて「ブス」と発音します。日本人女性にとっては、何だか感じが悪いですね(笑)。ちなみに僕が右手に持っている物体は、「乗り物用枕」です。安眠!!
朝9時に、ホンジュラスの首都テグシガルパを出発してから、約2時間半後……。ついに、ホンジュラスとニカラグアの「国境線」に到着!!!
※僕の後ろに見える「線」が、ホンジュラスとニカラグアの「国境線」です!!!「線」より向こう(トラックが並んでる方)が、ホンジュラスです。…ちなみに、「『ジャマイカ行き』の時と、同じ服装じゃないか!」というツッコミは無しにして下さい(笑)。もともと日本からこっちに服は持ってきておらず、このパーカーは、「ジャマイカ行き」の前、なぜか寒かったので、急遽、ホンジュラスで購入したものです。このパーカーが、現在、僕が持っている「唯一」の、「寒さ対策」の服なのです(涙)。
※僕の後ろに見える「線」の向こう側が、ニカラグアです。
※「国境線」でチェックされる、Yojiのカバン。簡単なチェックのみでした。
※ホンジュラス紙幣「Lempira(レンピーラ)」から、ニカラグア紙幣「Cordoba(コルドバ)」に両替!!
※これが、ニカラグア紙幣「コルドバ」です。
※「ホンジュラス・ニカラグア」の「国境線」での入国審査を無事、済ませ、今度は、ニカラグアの首都「マナグア」目指して出発!!!!
……ちなみに、「ホンジュラス→ニカラグア」間のバスの中では、隣の席は……「おっちゃん」でした(笑)。まあ、「人生そんなもの」です(笑)。けど、凄く楽しかったです!!!
「ホンジュラス・ニカラグア」の「国境線」を超えてから、約5時間後……。
ついに、ニカラグアの首都「マナグア」に到着!!!
今夜は、「ティカ・ブス」が経営する、「ホテル・ティカ・ブス」で一泊します。その価格が何と………
「500円」!!!!!!!!!!!!
一泊「500円」!!!!!安い!!!!
それにしても、旅の先々にこうして「ホテル・ティカ・ブス」まで設けて、「よく考えられた、おもしろいビジネスだな~。」…と勉強になりました。
※これが、ニカラグアの「ホテル・ティカ・ブス」です!!このホテルは、「ティカ・ブス」停留所と全く同じ場所にあり、次の日、早朝のバスで「コスタリカ」に行かなければならない僕のような客にとっては、便利この上ないのです。本当に、よく考えられたビジネスだ…。感心!!
※ニカラグア料理!!!上の、ハンバーグのような料理が、半端じゃなく美味しかったです!!!ホンジュラス料理とは、また微妙に違うけど、中米料理は、本当に美味しいです!!!
※ニカラグア!!!!
※「ホテル・ティカ・ブス」内で、こんな可愛い犬と遭遇!!
※「一泊500円」の部屋には、TVはもちろん、トイレもシャワーも、何もありません。あるのは、小さな部屋にベッドただ1つのみ!!!けど、これでイイんです!!!(ちなみに、部屋の外に、共同のトイレ、シャワーが設置されています。)
こうして、一晩を「ホテル・ティカ・ブス」で過ごし…………
2007年2月20日(火)
「人生最大の旅」…「2日目」
早朝6時……。ニカラグアの首都「マナグア」から、次にまず目指すのは、ニカラグアとコスタリカの「国境線」です!!!
※「人生最大の旅」、2日目。辺りはまだ、真っ暗…。さあ、出発じゃ!!! さらば、ニカラグアの首都「マナグア」!!!
※「ティカ・ブス」爆走中!!ニカラグアの朝日!!(まだ、ニカラグアです。)
※「ティカ・ブス」、ニカラグアの田舎町を爆走中!!!
すると、急に、「ティカ・ブス」が止まりました……。そして、「ティカ・ブス」運転手と、警察官が、バスの外に出て行きます。何やら、タダごとではない様子…。「ティカ・ブス」内に、緊張が走ります……。
そして……………。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「ティカ・ブス」運転手と、警察官…、仲良く「マンゴー狩り」!!(笑)ワーーーィ♪♪♪(笑) おいっ!!!!!(笑) ……って言うか警察官、それって「泥棒」と同じでは!?(笑)
「マンゴー狩り」も無事、終わり(笑)、再び、「ティカ・ブス」爆走!!!!!
※「ニカラグア→コスタリカ」間のバスの中では、隣の席は、「エライ美人な、ねーちゃん」でした。しかし、この「エライ美人な、ねーちゃん」は、コスタリカに到着するなり、彼氏と思われる人物に、物凄い勢いで抱きついていきました。 ……「人生そんなもの」です(笑)。
ニカラグアの首都「マナグア」を出発してから、約3時間…。ついに、「ニカラグア・コスタリカ」の「国境線」に到着!!!!!!
※今度は、ニカラグア紙幣「コルドバ」から、コスタリカ紙幣「Colon(コロン)」に両替!!!毎日毎日、違う国の紙幣に両替なんて、生まれて初めての経験です!!凄く貴重な経験になりました。(写真は、両替屋)。
※これが、コスタリカ紙幣「コロン」です!!!
※「ニカラグア・コスタリカ」の「国境線」にて。疲れ果てた、おばちゃん(笑)。元気出せよーー!!!(笑)
※オレンジを食べる、少年。
※コスタリカ入国審査。ニカラグア入国審査よりは、若干、厳しい審査でした。
コスタリカへの入国審査の際、それまで同じバスに乗っていた香港人が、入国手続きのトラブルで、「ティカ・ブス」から追い出されました。アイヨ!!同じアジアの仲間が、ここで脱落……。しかし、僕は無事、入国審査を終え、コスタリカ入国です!!!!!一安心…。
※さらば「香港人」……(涙)。君の分も……。さあ、次なる目的地、コスタリカの首都「サン・ホセ」に向けて出発!!!!!(写真は、「ティカ・ブス」内の様子。)
「ニカラグア・コスタリカ」の「国境線」を出発し、再び「ティカ・ブス」が爆走すること、約5時間……(一体、何時間バスに乗ってんじゃ!?)。
とうとう、コスタリカの首都「サン・ホセ」に到着!!!!!!!!!!!
※やっとコスタリカの首都「サン・ホセ」に到着して、みんな一安心…。真ん中に見える欧米人(手を上げている人と、その隣の、こちらを向いている人)は、ポーランドからの旅行者です。
この日はホテルには泊まらず、そのまま深夜のバスに乗って、「パナマ」を目指すことになりました。
ここで偶然、オーストリアからの旅行者と遭遇!!どうやら彼も、「ティカ・ブス」に乗って、今夜「パナマ」に行くらしい…。彼はスペイン語が話せないので、英語で話しかけてみると、嬉しかったのか、畳み掛けるように英語で話しかけてきました(笑)。結局、このオーストリア人と、深夜バス出発までの待ち時間…実に「5時間(!)」、喫茶店で、語りまくりました。
※オーストリア人旅行者、クリストフ。オーストリアと言えば、サッカー日本代表の宮本選手、三都主選手が移籍して話題になっている「ザルツブルグ」です。……が、残念ながら、クリストフは宮本選手のことも、三都主選手のことも知りませんでした。…しかし、話が「オシム」のことになると…「え!?オシム、今、日本で監督してるの!!??」と驚いていました。どうも、オーストリアでは、本当に「オシム」は有名みたいです。…ちなみに、「ザルツブルグ」ですが、昨年まで、ホンジュラス代表のマイノル・スアソという選手がプレーしていました。さらには、以前、ホンジュラスには、「ザルツブルグ」が設立した兄弟チーム「ホンジュラス・ザルツブルグ」というチームが存在したのですが、資金難により、わずか2年で潰れてしまいました(笑)。また、この「ホンジュラス・ザルツブルグ」というチームのホーム・タウンは、「レンカ」のホーム・タウンと同様、「プログレッソ」で、「ホンジュラス・ザルツブルグ」が潰れた後は、たくさんの元ホンジュラス・ザルツブルグ選手達が、「レンカ」でプレーすることになりました。おもろい、「縁」です。
※クリストフと語った、コスタリカの首都「サン・ホセ」の、とある喫茶店にて。陳列された「卵」ですが、よく見ると…。下の方がブッ壊れています(笑)。
クリストフと5時間、ぶっ通しで語りまくり、次なるバス「コスタリカ→パナマ」…の出発時刻が、あっという間にやってきました。
深夜22時…。次なる目的地は、「コスタリカ・パナマ」の「国境線」です。さらば、コスタリカの首都「サン・ホセ」!!!!!
…深夜のコスタリカの街を爆走する、「ティカ・ブス」…。今夜は、バスの中で一夜を過ごします。
それにしても…・。バスの中が、尋常じゃないほど、「寒い」!!!!!エアコンが、この世のモノとは思えないほど、効きまくっている!!!!!乗客全員が、凍えるような寒さに震えながらの、長時間の「コスタリカ→パナマ」バスの旅となりました。このエアコンの寒さは、真冬の「ハルピン」以上でした…。しかし、運転手にそれを伝えると「んー、暑い暑い!!!」と言われてしまいました。どうも、運転席では、全くエアコンが効いてなかったようです。とほほ……。
こうして、コスタリカの首都「サン・ホセ」を出発してから、約7時間……(どんだけバスに乗ってんじゃい!?)。凍て付くような寒さのバスの中で一晩を過ごし………
2007年2月21日(水)
「人生最大の旅」…「3日目」
午前5時。
ようやく、「コスタリカ・パナマ」の「国境線」に到着!!!!!!
地獄のような寒さのバスの中から、ついに、「外界」の空気に触れる瞬間がやってきました(笑)。あと1時間遅かったら、バスの中で凍え死んでいるところでした。
※とりあえず、冷えに冷え切った体を、「中米コーヒー」で温めます。…至福の瞬間!!!!目の下のクマと、充血した目、ボーボーの寝癖が、「凍て付くバス」の中での死闘を如実に物語っています…。
※パナマ入国審査。辺りはまだ、真っ暗です。みんな、本当にお疲れ様でした。
※入国審査の後に、さらに入国審査。パナマ入国審査は、ニカラグア、コスタリカと比べて、遥かに厳しかったです。
パナマ入国審査の際、帰りのチケットを持っていなかったため、1度は入国を拒否されてしまいました。ピンチ!!…しかし、急遽、「入国許可証(?)」なるものを「500円(!)」で購入し、何とかかんとか、無事、パナマへ入国できました!!…ちなみに、僕の「入国許可証」は500円でしたが、中には、5000円払っている人もいました。その違いが何なのかは、未だによく分かりませんが、とりあえず、500円で済んで、本当にラッキーでした!!!!!
パナマ入国審査を無事、終え、ついに最終目的地……ドナルド・ゴンサレスが待つ、パナマの「Santiago Veraguas(サンティアゴ・べラグアス)」という町に向けて、出発します。さあ、いよいよ、あとわずかで到着じゃ!!!!!!
……………………………………………………………………………………
そして…………、
ついに…………、
「コスタリカ・パナマ」の「国境線」を出発してから、約5時間…………、
ホンジュラスを出発してから、「3日目」……………、
とうとう、ドナルド・ゴンサレスの待つ、「サンティアゴ・べラグアス」に到着しました!!!!!!!!!!!!!
※やっとやっと、やーーーーっと、ここまで辿り着いた!!!!ドナルド・ゴンサレスと、実に約1年半ぶりの再会!!!!!感動!!!(涙)
こうして、「ホンジュラス→ニカラグア→コスタリカ→パナマ」と、4カ国をまたに掛けた、実に「3日間」にも及ぶ、長い長い「人生最大の旅(なのに片道6000円)」を終え、僕は、ドナルドが待つ、パナマのサンティアゴ・べラグアスに到着したのでした。
ついに、やって来た、パナマ……。
ドナルドとの、実に1年半ぶりの、感動の再会……。
しかし、この後、ここパナマで、「サッカー人生最大の修羅場」が待ち受けていようとは、この時の僕は、まだ知る由もなかったのでした……。
つづく
19 février チャンスは「苦しむ」ものではなく、「楽しむ」もの。さあ、パナマへ出発じゃ!!! 現在、僕は「南京」に居ます。
……え!?ホンジュラスじゃないの!? パナマじゃないの!!?
…実はこの1ヶ月と2週間、ホンジュラスの首都テグシガルパにある、中国人が経営する「ホテル南京」という場所で生活してきました。…それも一応、今日で終わりになります…。なぜなら僕は、明日、「パナマ」に旅立つからです。
僕と中国との「縁」は、やはり「切っても切れないもの」だと、再確認しました。世界中、どこに行っても、必ず「中国人」が目の前に現われるのです(笑)。今回などは、ホンジュラスに居るのに、「ホテル南京」に住んでましたからね(笑)。何という「縁」でしょう!!
※「ホテル南京」の経営者の、中国人家族。僕も「家族」のように良くしてもらいました。世界の中で、また1つ「家族」が増えました。毎日、この「ホテル南京」1階の中華レストランで食事をとっていましたが、ホンジュラスの中華レストランは、「本場、中国の中華料理」とは全く味が違いまして、「ホンジュラス人用の中華料理」が作られています。しかし、このホテルの中国人家族は、自分達の食事の時のみ「本場、中国の中華料理」を作るので、僕が「そっち(本場、中国の中華料理)の方を売ってくれよ!!」…と頼むと、「いやいや、私達が(本場、中国の中華料理を)料理する時は、君にもタダでご馳走してあげるよ。」と言われ、下の写真のように、ご馳走してもらったのです。非常感謝!!!(涙)…ちなみに「ホテル南京」という名前ですが、彼らは「香港人」です(笑)。「香港人」なのに、「ホテル南京」…!?わけ分かりません(笑)。しかも、彼らは「広東語」を話すので、中国で学んだ「北京語」は使えませんでした(スペイン語でコミュニケーション)。けど、物凄く良い人達でした。感謝、感謝、感謝、感謝、感謝…(涙)。
※おととい行なわれた、「ホテル南京」長男の誕生パーティー!!
みなさんも、ホンジュラスの首都テグシガルパにお越しの際は、ぜひ、「ホテル南京」にて、ご宿泊下さい(笑)。
さて、ドナルドから「誘いの言葉」を受けてから、5日間が経過しました。
明日、僕はパナマに旅立ちます。
「飛行機」で…………ではありません。
「バス」でです!!!!
下の地図(左側)をご覧下さい。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
上の地図にあるように、ホンジュラスから「バス」でパナマに行くためには、何と「ニカラグア」→「コスタリカ」…と、2カ国を渡らなければなりません!!実に、2~3日間かかります!!前代未聞の経験です!!…しかし「バス」だと、2カ国を渡るのに、片道たったの「6000円」しか、かかりません!!安い!!
…はたして、どうなることやら…。しかし、こんな経験、めったにできません。昔、「あいのり」というTV番組が大好きで「出演してみたい。」…と思っていましたが、「バスで国境を越える。」…なんて、まるで「あいのり」じゃないですか!!…また1つ、「夢」が叶いました(笑)。しかし、隣の席が「おっちゃん」だったら…「夢の終焉」を意味します(笑)。…いやいや、僕の「夢」は、「サッカー日本代表」じゃないかー!!(笑) しっかりしろ、Yoji!!(笑)
そんなこんなで、今日、1日中かけて、荷造りを行いました。やはり僕は、荷造りをするのが、相当、遅いようです(笑)。荷造りしてる途中に、昔の漫画を見つけて、見入ってしまうタイプなんです(笑)。しかし、どうにかこうにか、荷造りも終わりました!!
※荷造りを開始して、3時間半…。まだ、こんな状態でした(笑)。
※なぜかカバンが1つ増えてます(笑)。ホンジュラスでも、ジャマイカでも、行くところ行くところで、いろんな人から、いろんなモノをもらったので、いつの間にか、こんなになっちゃいました(笑)。
※僕の「勝負シューズ」。実はこのシューズ、2001年・大学4年生時、当時チームメイトの安英学の友達の在日朝鮮人の方から譲り受けまして、それが、こうして「6年間」経った今でも、僕の「勝負シューズ」として活躍してくれているのです。「6年間」、雨の日も、風の日も、フィールドに馬が乱入した日も(笑)、徹底して使い続けてきたのに、まだ、こんなにも良い状態を保っています。正に「魂」が詰まった「奇跡」のシューズです!!感謝、感謝、感謝、感謝、感謝…(涙)。
また、昨日、テグシガルパの街で、こんなTシャツを発見しました。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「自己に調整しなさい」!!!!!??????? 「主権の芸術」!!!!!!?????????
気に入った!!!(笑) 即購入しました(笑)。このTシャツは、今回の「パナマ行き」の「勝負服」になることでしょう(笑)。…それにしても…。確かに、間違った「日本語」ではないけれど…何だか不思議な日本語…。なぜ、こんなモノがホンジュラスに!?…最後の最後まで「ありえない!…がある、ホンジュラス」でした(笑)。
※これは、僕が大学1年生の時(1998年)から、現在(2007年)までの「9年間」、ただの1日も欠かすことなく書き続けてきた、「日記」です。何と何と、我が故郷・広島の「世界遺産」…「厳島神社の大鳥居」です!!!!実はこれも、ホンジュラスで購入したのです!!!!なぜ「厳島神社の大鳥居」のノートが、ホンジュラスで売られているのか!?僕は、「縁」を感じずにはいられませんでした。まさか、こんなモノまでホンジュラスにあるとは……。本当に、ビックリするような「ありえない!!」モノが、ホンジュラスには存在するのです…。 僕は毎晩、日記を書く時、この「厳島神社の大鳥居」を見て、故郷・広島を思い出し、エネルギーを充電するのです……。
明日からの「2カ国越えバスの旅」で、一体、何が待っているのか…?
「パナマ」で一体、何が待っているのか…?
全く、想像がつきません。
しかし、チャンスとは「苦しむ」ものではなく、「楽しむ」ものだと、僕は思います。…いや、最近、そう思うようになりました。
楽しんでいた時に舞い込んできたチャンスなのですから、とことん「楽しむ」のみです。
これまで「縁」があって、本当にたくさんの国々を渡り歩いてきました。
中にはそんな僕を見て「また、違う国に行くのか!?」と言ってくる人もいます。
しかし、そういう人達の声は、全く気になりません。僕は、自分の信じた道を進むのみです。
今、思えば、あの「ジャマイカ行き」が本当に大きかったです。「ジャマイカ行き」により、それまでレンカという小さな小さな「殻」の中に閉じこめられていた自分の「セルフ・イメージ」を復活させ、「自信」が回復した…。これがあったからこそ、今回の「パナマ行き」のチャンスが転がり込んできたのだと思ってます。「セルフ・イメージ」と「自信」は、人間の全てを決めると言っても過言ではありません。
また、「日本に帰るか?ホンジュラスに残るか?」…ほんの3週間前まで葛藤してましたが、「今回は」、結果的に、「ホンジュラスに残る。」を選択して、正解でした。ウニベルシダで1ヶ月と2週間トレーニングを積んだことで、今の僕は、心身共に、「ジャマイカ行き」の時、以上に良い状態です。
僕の「目的」は、「世界を渡り歩くこと」ではありません。別に趣味も、「世界を渡り歩くこと」ではありません。
僕の目的は、ただ1つ……………
「サッカー日本代表になること。」
……これだけです。日本代表になって、これまでお世話になった、故郷・日本に、恩返しがしたい………これが僕の「夢」です。
この「夢」を実現させるためなら……、この「夢」を実現させる可能性が「1%」でもあるなら……、この「情熱」が続く限りは………、僕は「宇宙」にだって行くでしょう。
そして、「笑顔」です。
僕は「笑顔」で生きたいのです。そして、周りの人もみんな「笑顔」で、「笑顔」に囲まれて生きたいのです。
そのために、チャンスで「苦しむ」のではなく、「楽しむ」のです。
「笑顔」で「楽しめた」なら、「結果」は自ずとついてくると信じています。
目の前に、同じ味のラーメン屋が2軒あったとして、1つは、店員が「苦しみ」「悲壮感」に溢れているラーメン屋、もう1つは、店員が「笑顔」「楽しみ」に溢れているラーメン屋……どちらをお客は選ぶでしょうか???僕なら、「笑顔」「楽しみ」に溢れたラーメン屋を選びます。
また、目の前に、「大変キレイな景色」が広がっていたとしても、もし、自分が「苦しみ」「悲壮感」に溢れていたなら、おそらく、その「大変キレイな景色」を見ても、何も感じないでしょう。…僕は、そうはなりたくないのです。「大変キレイな景色」を見たら、「フォーーーー、何てキレイなんじゃーー!!!」って、心の底から「感動」「幸せ」を感じたいのです。…だから、僕は「笑顔」で、「楽しみ」ながら、前に進んでいきます。
笑う門には福来る!!!!!!!!!!!!!
さあ、新たな「冒険」の始まりです!!!!!!
※「自己に調整しなさい」「主権の芸術」Tシャツを着て……。さあ、旅立ちじゃ!!!! 行ってきま~~~す ♪♪♪
23 novembre 旅立ち。 前回記事から4日間が経過しました。僕は7時間後、ジャマイカに旅立ちます。
かなり急な展開ですが、今までの人生を振り返ってみると、大体いつも、こんな感じでした。「ある日、突然、予想だにしない展開が訪れる。」……ある意味、凄く自分らしい、「新たな人生のスタート」じゃないかと思います。
これまでも、たくさんの「旅立ち」、そして「挑戦」をしてきましたが、今回ほど、気持ち的に余裕があり、自信があり、自然体なのは、初めてかもしれません。やはり、昨年12月に「プロサッカー選手」という、僕にとって「とてつもなく大きな『壁』」を超えたことが、とにかく、大きかったんだと思います。「プロ」という『壁』を超える前の自分は、新たな「挑戦」のための「旅立ち」の際、凄く「不安」があったのも、正直なところ事実なのですが、今回はなぜか、とにかく、ジャマイカで新たな挑戦ができることが、楽しみで楽しみで仕方ないのです。もう、想像するだけで、ワクワクします!!!
新監督マカラのおかげで、プレー的にも、フィジカル・コンディション的にも、最高の状態に仕上がりました。1ヶ月前、マチャドが電撃解雇されて就任したマカラ…。その当時、一体、誰が、今の僕の、この展開を想像できたことでしょう!!???…マカラのおかげで、かねてから興味のあった「ジャマイカ」に「道」ができた…。マカラのおかげで、心身ともに、最高の状態まで高められた…。これを「運命」と言わずして、何と言うのでしょうか!!??
…それでも、プロの世界は、そんなに甘くはありません。大変、シビアです。僕は現時点で「ジャマイカ・プロサッカーチームの、『入団テスト』が受けれる。」ことが決まったのみで、そのハードルをクリアすることは、とてもとても、簡単なものではありません。僕がテストを受ける2チームは、ジャマイカで共に、「最強チームの1つ」と言われる、名門チームです。ホンジュラスとジャマイカのサッカーのレベルは、「技術的にはホンジュラスが上だが、フィジカル的にはジャマイカが上。」と言われてますが、僕がテストを受けるジャマイカの2チームは「1部リーグ最強チームの1つ」であって、ホンジュラスで「2部リーグ最強チームの1つ」であるレンカよりレベルが高いことは、明らかです。今いる環境より、さらに上のレベルに、今回、僕はチャレンジしなければならないのです。
……しかし、だからこそ「楽しみ」なんです。ジャマイカのGKは、98年フランスW杯を見た当時から「かなりレベルが高い。」と思ってました(ちなみに、98年W杯の日本戦で、ジャマイカが起用したのは、サブGKでした)。イングランドでプレーしているジャマイカ人GKもいるし、今回、僕がテストを受けるチームも「レギュラーGKがイングランドに移籍してしまった…。」とのことですから、ジャマイカのGKのレベルは、おそらく、日本以上に高いでしょう……。
そう考えると、いやー、もう、楽しみで楽しみで!!!考えれば考えるほど、ワクワクします!!!!
挫折はこれまで、数え切れないほどしてきました。だから、怖いものなんて無いんです!!!!今まで同様、転んでも転んでも、這いつくばってでも、「『夢』実現。」のために、全力で前に進んでいきます!!!!
「武士道精神」で、ジャマイカに殴り込みじゃーーーーーーーーー!!!!!!!
では、行ってきます!!!!
※僕の人生を変えてくれた、マカラとの2ショット。
※ジャマイカ行きの荷造りをしていたら、突然、部屋に入ってきて、頼んでもないのに、僕の荷物をカバンにブチ込み始めた、カルメン(笑)(後ろは、唖然とするレンカのチームメイト)。僕の荷造りが遅いので、いてもたっても、いられなくなったのでしょうか?見て下さい、この手さばきの速さを!!手から黄色いオーラが出ています(笑)。まるで、僕の母みたいです(笑)。…ありがとう、カルメン!!
※現在、入院中の、僕のおじいちゃん。おじいちゃんのためにも……。
※2002年9月。初めて中国・天津に上陸後、天津の街で、最初に撮った写真。
※2005年1月。「今年プロになれなければ、サッカー辞める。」という、崖っぷちの状況で、最後の可能性を信じて「3度目の渡米」を果たした時の写真。マイアミ空港にて、パーム・ビーチ・プーマスの監督ボビーと、半年ぶりの再会。
※2005年3月。「フットボール(サッカー)の母国」イングランド、旅立ち直前。マイアミ空港にて。
※2005年6月。ホンジュラス初上陸!!!サン・ペドロ・スーラ空港にて、フロリダで知り合ったホンジュラス人の友達と再会。
…そして、2006年11月23日……。
今度は、ジャマイカで、一体、どんな展開が待ち受けているのか!?
新たな冒険の始まりです!!!
※現時点での僕は、まだ「ジャマイカでプロチームの『テスト』を受ける。」ことが決まったのみの状態です。「契約」「入団」「移籍」は全くもって決まってない状態ですので、ご了承下さい。 19 novembre 「道」無き場所に、「道」をつくって…。「やりたいこと」実現へ…。 どうも!!元気ですか!?僕は元気155%です!!…まず、前回記事の「Cafe Welchezプレゼント企画」の終了をお知らせさせていただきます。応募された方々、本当にありがとうございました。当選者には、ホンジュラスから直々に、Cafe Welchezを日本までお送りさせていただきます。長旅になり、いくたの修羅場をくぐって日本に到着すると思うので、楽しみにお待ち下さい!!
そして、我がチームLenca(レンカ)の報告をさせていただきます。新監督マカラ就任後、3連勝で一気に「自力でのプレーオフ進出」が復活したレンカ…。最終節は、レンカより1つ順位が下のチームとの、プレーオフ進出を賭けた直接対決となりました。…その大一番で、レンカはライバルチームを「4-1」と大差で打ち破り、見事、プレーオフ進出を決めました!!
※最終節のレンカ勝利を伝える、新聞記事。ちなみに、この試合で2得点を決めた、レンカのキャプテン(写真左)の履いているシューズは、僕のシューズです!チームからシューズの支給が無く、また給料未払い問題でシューズを買うお金が無かったこのキャプテンに、僕は毎試合、シューズを貸してあげました。すると、チームは勝ち始め、彼もゴールを決めたので「縁起が良い。」ということで、キャプテンは、この試合後、得点を決めてチームから支給されたボーナスで、僕からこのシューズを買い取りました。おもろい話でしょ??
※レンカのエース、ルシアーノ(写真左)。あだ名は、「レンカのドログバ」。本当にドログバに似てるでしょ!?
※2部リーグの順位表。このようにレンカはグループAの2位になり、見事にプレーオフ進出を決めました。ちなみに、この新聞記事には「グループA」と「グループB」の2グループしか載ってませんが、この他に、首都近辺にもう1つリーグが存在します。ホンジュラス2部リーグには、実に20チームを超えるチームが存在するのです。その中で、たった1チームしか1部に昇格できない…という、厳しい世界なのです。ちなみに、以前の記事で書いた「僕に興味を持っている、ロアタン諸島のチーム」とは、下の順位表のグループAの首位チーム「Arsenal(『アルセナル』…英語読みだと、『アーセナル』ですね。)」です。
これでレンカは、新監督マカラ就任以来、4連勝を達成いたしました。しかも、4試合で、「得点9、失点2」という、文句の言い様がない、ほぼ、完璧な結果です。新監督マカラ就任前まで、「6試合連続未勝利」と苦しんでいたことを考えると、この新監督マカラが、いかに凄いことをしたか、想像してもらえるかと思います。
…この新監督マカラとは、一体、どういう人物なのでしょうか?ホンジュラス国内では、そこまで知名度が無いようですが、実はこのマカラ、近国ニカラグアで、代表監督を務めたことがある、凄腕だったようです。ニカラグアはサッカー後進国なのですが、このマカラが監督を務めていた時、中米最強チームの1つであるホンジュラス代表を相手に、1-1と引き分けたようです。…で、実は、ニカラグアが、サッカーの試合でホンジュラスと引き分けたのは、これが歴史上、初めてだったようです。…マカラ……恐るべしです。
…さて、ようやく本題に入ります。
最近の記事で、僕は「『やりたいこと』はあるが、現在、水面下で話を進めている段階で、実行に移すメドがまだたってない状態なので、話がまとまったら、こちらにて、報告します」と書いてきました。
そして……。
ようやく、僕の「やりたいこと」への、実行のメドが立ちました!!
そこで、ついに公表します!!!
僕の「やりたいこと」とは!!!!???????
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
↓ ↓ ↓ ↓
↓ ↓ ↓
↓ ↓
↓
???????????????????
これは!?
ジャ……
ジャ……
ジャマイカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 僕の「やりたいこと」とは、実は、
「ジャマイカ・プロサッカーリーグへの挑戦!!!」
…だったんです!!!(ちなみに、だから現在のブログのカラーが、ジャマイカのシンボル・カラー(?)の「赤・黄・緑」になっているんです!!)
ホンジュラス・ロアタン諸島のチーム「アルセナル」の誘いや、元パナマ代表正GKドナルド・ゴンサレスの誘いを断ってまでも、実行したかった、「ジャマイカ・プロサッカーリーグへの挑戦」………。
「そんな誘いを断ってまで実行するってのなら、もちろん、何か、大きな『根拠』でもあるんだろ!?」
たくさんの人にこう言われるのですが、それに対する僕の答えは………
「『根拠』なんて無い!!!!」
…です。
『理由』や『根拠』など、考えてないです。ましてや、そんなものを考えていたら、身動きが取れなくなって、できる『行動』もできなくなります。…何の『理由』も、『根拠』も無い…。ただ、「ジャマイカ」のサッカーに興味が湧いた……。挑戦してみたいと思った……。それだけです!!
実は、随分前から、ジャマイカという国、そして、ジャマイカのサッカーに興味を持っていました。ホンジュラスでは、本当にたくさんの黒人たちが、ジャマイカに対して「黒人の誇り」と言った気持ちを抱いているように、僕には見えました。実際、ホンジュラスの黒人の多くが、ジャマイカのTシャツを着たり、ジャマイカの「レゲエ」の音楽を聴いたりして、ジャマイカ文化を崇拝しています。
「ホンジュラスの黒人たちに、ここまで元気と勇気を与える『ジャマイカ』って、一体、どんな国なんだろう???」
…こうして興味を持ったことが、そもそもの始まりでした。
…で、ある日、「ピーーーーーーーン!」とヒラメキました。
「ジャマイカでサッカーやってみるのも、おもろいんじゃないか!?」
きっかけなんて、何でも良いんです。興味を持ったら、即行動!!!!……というわけで、ネットでいろいろ「ジャマイカ・サッカー」について調べてみました。僕がネットで調べた限りでは、過去、ジャマイカのプロサッカーリーグで「日本人選手」がプレーしたという情報は、確認できませんでした。この点に関しては、ジャマイカ・サッカー協会に問い合わせてみないと、詳しいことは分からないのですが、僕は、
「……ということは、俺がジャマイカでプロサッカー選手になれば、『日本人初』ってことか!!!????」
…と、俄然、興味が湧いてしまったのです。
僕は小さい頃から、父に、
「人と違うことをやれ」
…と言われて育ってきました。だからではないでしょうが、僕は、とことん、「人と違うこと」ばかりをやるようになってしまいました。逆に父はそれで、困ってしまったのですが(笑)。…しかし、そんな父も、今では僕の活動を認めてくれるようになりました(そこに至るまでは、相当の衝突がありましたが…)。
ホンジュラスの近隣諸国を見てみると、グアテマラ、メキシコ、コスタリカ、ニカラグア、エルサルバドル、アメリカ、カナダなどの北中米…、そして、南米諸国……実はこれらの国々では、すでに「日本人サッカー選手がプレーした」…という、前例があったのです。…で、ドナルド・ゴンサレスの母国パナマも、実は、日本人選手がプレーした前例がありました。…それだけ前例がありながら、なぜか、今、僕が居るホンジュラスは、前例が無かった……。で、カリブ海のジャマイカも、今のところ、「日本人サッカー選手がプレーした」という前例が、確認できない……。
「誰もやったことのないことを、やってみたい」
これは、僕のロマンです。それに、ビジネスの世界でもそうらしいのですが、「人がやらないこと」にこそ、「成功」へのチャンスがあります。だから、すでに「前例」があった、パナマのドナルド・ゴンサレスの誘いは、保留にしました。
思い立ったら、即行動!!!!……とは言うものの、全くもって接点の無いジャマイカですから、話は簡単には進みませんでした。
しかし……。
新監督マカラの就任が、意外にも、僕とジャマイカとの「接点」をつくってくれたのです。
マカラ就任から2週間…。僕は、ホンジュラスにおける書類問題が泥沼化しており、新たなチャンスを求め、かねてから興味があった「ジャマイカ」について、マカラに話してみました。…というのも、マカラは黒人で、黒人社会というのは、なぜか凄くつながりがあって、同じ黒人社会のジャマイカにも、ひょっとしたら、万が一の可能性でも、何かつながりがあるんじゃないか…????……と、ひらめいたからです。そして、マカラの口から、予想外の発言が……。
マカラ 「ジャマイカ???ああ、ジャマイカだったら、私の兄が、ジャマイカのホンジュラス大使館で働いてるよ……」
ビンゴ!!!!!!!!!!!!!!!
こんな奇跡ってあるのか!!????
ついに、ジャマイカとの「接点」ができました!!!!!!!!!
そこからは、腹を割ってマカラに、僕の気持ちの全てを話しました。「日本代表を目指している。だから、書類問題で出場資格がもらえないホンジュラスに留まっているわけには、いかないんだ。新たなチャンスを探さなければならない。ジャマイカに興味がある。ジャマイカでプレーしたい……」
…全てを話しました。マカラは、僕の気持ちを理解してくれました。そして、マカラは再び、ジャマイカのホンジュラス大使館で働いている兄に連絡を取り、マカラでさえも、会ったことのない、ジャマイカ在住の「いとこ」と連絡が取れることになりました。そして、その「会ったこともない、マカラのいとこ」が、何と、ジャマイカ・サッカー協会会長の電話番号をゲット!!!!!どんどん、「つながって」きたぞーーー!!!!!
しかし、そこからが大変でした。ジャマイカ・サッカー協会に電話しても、いつも会長は不在…。そして、サッカー協会の役員に「ジャマイカでプレーしたいから、チームの連絡先を教えてくれ」と電話で話し、サッカー協会役員のメールアドレスも聞き出し、「俺もそっちにサッカー履歴書を送るから、そっちも、こっちに、チームの連絡先をメールで送ってくれ」と言って、「分かった」と、サッカー協会役員の承諾を受けていたのですが、いつまでたってもチーム連絡先が送られてこない!!!その後も何度か電話と、メールをしましたが、一向にチームの連絡先は送られてきません!!!完全に「シカト」されている!!! やばい!!
…というわけで、作戦変更!!!!
何とかかんとか、ネットからジャマイカ・プロサッカーリーグのチームの連絡先を入手し、こっちから、直接、チームに連絡することになりました。
しかし……。
チームに電話してみると、「え!?こちらは、サッカーチームではありませんが…」と答えられる。…何と、ネットで入手したチームの連絡先が、古いもので、現在は使われていない!!!!!!!!!! ピンチ!!!!!!!!!!!
再び、マカラと相談しました。マカラは、ジャマイカのホンジュラス大使館で働いている兄や、「会ったこともない」いとこに、「これからも連絡を取り、やれる限りのことをやってみる…。」…と言いました。…しかし、ホンジュラスにおいて、泥沼化した僕の「書類問題」の件もあるし、このジャマイカの話も、こうして、「自然消滅」していくかもしれない……と心配になりました。
「やっぱり、駄目なんかの~…。」
再び、僕の前に、大きな「壁」が現れた感じがしました。しかし、これまでも「絶対不可能」と言われたことを、何とかこじ開けてここまでやってきました。……必ず、この「やりたいこと」を実現させる……。
ある日、またいつものように、マカラと「ジャマイカ行き」について、話し合いました。そこでマカラは、
「実はジャマイカのエージェントと連絡が取れた」
と僕に話し始めました。
よしっ!!!!!!!!!!!!!!!
再び、光明が見えてきました!!!
マカラは僕の目の前でジャマイカのエージェントに電話をかけ、
「内のチームに、非常に良い日本人GKが居る。私が推薦する。どこかGKを必要とするチームを探してくれ」
…とエージェントに話しました。
さーーーーーーーーーーーーー、どうなる!!!!?????
僕もマカラも、ホンジュラスに居ます。だから、ジャマイカで何が起こっているかなど、分かるはずもありません。僕もマカラも、このエージェントがジャマイカで、ちゃんとチームを探してくれてることを、信じて待つことしかできないのです。
数日後…。
マカラと共に、再び、このエージェントに電話することとなりました。チーム探しはどうなってるか???そこで、エージェントに、こう言われました。
「まだ、チームと連絡が取れてない。今日、ジャマイカの首都で、ジャマイカ対ペルーの親善試合があって、そこにジャマイカ・プロサッカーリーグの全チームの関係者が観に来るから、そこで直接、チーム関係者と話す」
……微妙です。このエージェントの言ってることが本当だとすれば、問題ないのですが、いかんせん、遠く離れたジャマイカで起こってることですから、僕もマカラも、それが本当に事実なのか、どうなのか、確認しようがないのです。ましてや、僕は、これまでも散々、アメリカやホンジュラスで、いろんな「嘘」に困らされてきた経験があります。……しかし、とにかく、信じて、チャンスがくることを待つしかできないのです。
そして、昨日…。
再度、ジャマイカのエージェントに電話をすることになりました。今の僕にとって、ジャマイカでのチャンスを模索するためには、このエージェントが、いわゆる「最後の望みの綱」なのです。もし、今回も前向きな話が出てこなかったとしたら………僕の「やりたいこと」=「ジャマイカでプロサッカー選手になること」の実現は、ほぼ消滅します。ドキドキと、ワクワクの中、マカラがエージェントに電話します。
………………………。
何やら、いろいろ話し込んでいます。さらには、時たまメモも取っています。マカラは、ほぼ聞く側になっていて、「うんうん」としか言ってないので、会話の内容が全く分かりません。一体、どうなるのか!?
マカラと、エージェントとの、電話が終わりました。そして、マカラはエージェントとの会話の内容を話し始めました。
「Yoji……」
さーーーーーーーーーーー、どうなる!!!!!!!!!???????????
「2チームが興味を示しているようだ……」
………………………………。
き、
きっ、
きたーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!
それでは、詳しい内容をお話します。
まず、この2チームが所属しているリーグは「Jamaica National Premier League(ジャマイカ・ナショナル・プレミアリーグ)」と言って、ジャマイカ国内最高リーグです!!日本で言うところの、「J1リーグ」に相当します。かねてから「日本代表になるためには、2部リーグじゃなく、その国のトップリーグでプレーしてないと駄目だ。」と考えていた僕にとっては、願ってもないチャンスです!!…しかも、この2チーム……現在、そのリーグ戦において「2位」と「3位」を走っている強豪チームです!!!さらには、この内の1チームは今年、昨季のジャマイカ・リーグ王者として、北中米カリブ海地区のクラブチャンピオンを決める「CONCACAFチャンピオンズ・カップ」にも出場しています(この昨季ジャマイカ王者のチームは、メキシコのアメリカというチームに、初戦で負けてしまいましたが、そのアメリカは、この大会に優勝して、来月、日本で行われる『世界クラブ選手権』に出場します)。
で、昨季ジャマイカ王者のこのチームは、「レギュラーGKがイングランドのクラブに移籍してしまったから、GKが必要」とのことで、今回、僕をテストしてくれることになりました。……でもって、もう1つのチームは、まあ、とにかく「GKが必要」とのことで、1週間、僕を見てみたい……ということでした。しかも、僕がジャマイカまで行けば、空港まで迎えに来てくれて、テスト期間中は、宿泊先や食事まで準備してくれる……とのことです。
最初は本当に、ジャマイカとの接点など、何も無かった……。正に、「『道』無き場所」に、今、こうして「道」ができました。これで、自分の「やりたいこと」の内、3分の1は、ほぼ達成されました。「ジャマイカのプロサッカーに挑戦すること。」…この最初の「3分の1」が実現したことに、まずは「感謝」と「幸せ」を感じたいと思います。この最初の「3分の1」が無いことには、何も始まらないのですから…。これで、「ジャマイカでプロチームと契約」することができれば、3分の2達成、「ジャマイカのプロチームでレギュラー獲得」できれば、やっとそこで、今回の僕の「やりたいこと」が全て達成されるのです。まだまだ先は長いですが、とにかく失敗を恐れず、やれる限りのことをやってやろうと思います。これまで、本当に数え切れないほどの「挫折」を経験してきているから、何も恐れるものはありません。可能性は、みなさんが想像するよりずっと低いのが現実ですが、今までやってきたことの「全て」をブツけて、挑戦します。
…マカラがいなければ、このチャンスは実現しませんでした。実は、ジャマイカに国際電話をかけるためには、カルメンの経営するネット・カフェ(僕の住むアパートの1階)から電話をかける必要があるのですが、マカラは、ほぼ毎日のようにここに通ってくれ、真剣に僕と話し合い、ジャマイカに電話してくれ、さらには、ホンジュラスでの可能性も模索し、僕の泥沼化した書類問題までも解決しようと、ホンジュラスのイミグレーションに電話をかけたりしてくれたんです。確かに、ここまで来るタクシー代や、電話代は僕が払いましたが、出場資格も無い、自チームのただの1選手にすぎない、僕の未来を、ここまで真剣に考えてくれ、助けてくれたことに、言葉では言い表せないほどの感謝の気持ちが溢れてきます。マカラあってこそ、今回の「道」がひらけたのです。マカラのためにも、結果は約束できませんが、自分にできうる最大限のことを、ジャマイカでやってきます。
※僕の家の横で、近所の子供と遊ぶマカラ。プロチームの監督なのに、全く気取らず、こうして普通に誰とでも交流できる…。素晴らしい人物です。
※遊んでいるマカラたちを覗く、野次馬たち。
最後に…。
僕は周りの人によく、「Yojiは海外好きなんだね」「いろんな国に行けて羨ましい」などと言われるのですが、僕は決して「海外好き」なのではありません。好きなのはむしろ、日本です。しかし僕の中には確固とした「優先順位」があり、その優先順位の「第1位」は、何がどうあっても「サッカーでの『夢』実現」なのです。だからこれまでも、好きな日本、好きな中国を離れてまでも、「サッカーでの『夢』実現」のために、「理想の環境と、チャンス」を求めて、世界中を渡り歩いてきました。つまり、優先順位第1位である「サッカーでの『夢』実現」を追い求めてきた結果、「たまたま」海外を渡り歩くことになってしまっただけのことなんです。「海外を渡り歩くこと」自体が「目的」なんじゃないんです。そんなものは、あくまでも「オマケ」です。だから、もし日本で「サッカーでの『夢』実現」のための、「理想の環境と、チャンス」があるのなら、僕は明日にでも日本に帰国するでしょう。
簡単に「いろんな国に行けて羨ましい」と言われても、僕は「遊び」で海外を渡り歩いているわけじゃなく、命がけで、人生を賭けて、海外という地で「闘っている」のです。「いろんな国に行けて羨ましい」と言う人は、そういうチャレンジに対する「覚悟」と「勇気」、「プレッシャー」をちゃんと持った上で、言っているのでしょうか?もちろん、これまでのブログにも書いてきたように、「笑顔」で「楽しく」海外での挑戦を満喫していますが、それは、そういう修羅場を潜り抜けたことによって、やっと持てるようになった「心の余裕」により、成されることなんです。
僕の目的は「海外」じゃない。いつか「日本代表」になって、故郷に恩返しするのが、真の目的です。また、マカラなど、お世話になった人達に対して、恩返しをするために……。
「道」無き場所に、「道」をつくって、これからも僕は前に進んでいきます!!!!!!
記憶に新しい、98年フランスW杯、日本VSジャマイカ。大会前、日本のマスコミも、サッカー評論家も、ジャマイカ・サッカーのことを知らないのに、名前だけで「ジャマイカは出場国中、最弱。日本は絶対、勝てる」と騒ぎ立てましたが、結局、勝ったのはジャマイカでした。つまり、「最弱」は日本の方だった…ということになります。欧米的なものは、すぐ崇拝したがる日本人ですが、ジャマイカのような、どちらかというとマイナーな国に対しては、どうも、すぐ、見下してしまう傾向にあるようです。その考えが間違っていることを日本人に教えてくれたのが、このジャマイカでした。 98年フランスW杯。一生懸命、練習し、作戦を練って、それでもジャマイカに勝てなかった日本代表。逆にジャマイカは、日本戦の前、ディズニーランドに行って遊んでいたのに、日本に勝ってしまった…。散々「ジャマイカは弱い」と見下していた日本のマスコミや、サッカー評論家は、この現実をどう見る??
2002年、日本で行われたジャマイカとの親善試合(ジーコの代表監督デビュー戦)。この試合、ジーコは、トルシエが絶対に同時に起用することがなかった「中田英寿選手、中村俊輔選手、稲本選手、小野選手」を同時に起用し、「黄金の中盤」などと騒がれましたが、ホームにも関わらず、結局、ジャマイカには勝てませんでした(1-1の引き分け)。僕もホンジュラスから日本に帰国したことがありますが、本当に、移動だけでも、北中米カリブ海地区の国が日本に行くのは、相当、疲れます。時差ボケもある…。つまり、この時のジャマイカ代表のコンディションは、万全とは言えなかったのです。…これでも、まだ日本人は、本当に、「日本サッカーの方が、ジャマイカ・サッカーより、レベルが上だ」と言えるのでしょうか??
実は日本サッカー界にとって、因縁の深い、ジャマイカ・サッカー…。試合前、ディズニーランドで遊んでいても、W杯で日本に勝ってしまう、ジャマイカのサッカーを、この目と、己の肉体で、確かめてきます!!!
玉砕覚悟!!! 失敗なんて、怖くない!!!
早ければ来週、僕はジャマイカに旅立ちます!!!
※今回より、諸事情により、コメントの返信は、こちらのブログのコメント欄にてさせていただきます。ご了承下さい。ただ、時間がある時には、コメントを下さった方のブログにも、なるべく顔を出したいと思いますので、ヨロシクお願いします!
23 juillet 「新たな人生」の始まり……は、前代未聞の幕開け!どうなるYoji!? どうも、こんにちは。お元気ですか?
実は3日前、僕はホンジュラスに帰ってきました。日本に居た時、Lenca(レンカ)の会長に電話したところ、
「ホンジュラスに帰ってこい。契約延長したい。」
と告げられました。
この言葉を信じて……というわけではなく、これまでの僕のブログを読んで下さってる方なら分かるかと思いますが、とにかく「何が起こるか分からない。」のがホンジュラスです。本来なら1,2ヶ月で終わるはずの書類作業も、半年かかりました。書類作業の費用と言って、お金を騙し取られそうになったこともありました。何が真実で、何が嘘か、全く分からない国……それがホンジュラスです。
「ホンジュラスに帰ってこい。契約延長したい。」
このレンカ会長の言葉だって、本当かどうか分かりません。
「じゃー、何で、騙されるような危険を犯してまで、またホンジュラスに戻ったんだ!?」
こう思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかし……。冷静に考えてみて、今、日本に居ても、僕には「チャンス」が無いんです。このまま日本に留まっていても、僕は「日本代表」に近づけない…。逆に、ホンジュラスはこれまで、数え切れないほどの「夢」を叶えてくれた国です。自分にあっている。「何か」が起こる、起こせる可能性は、日本より高い。それに、例え会長の言葉がでたらめでも、一度そこ(ホンジュラス)に行ってしまえば、僕は、これまで同様、日本代表に近づくための「何か」を掴むまで、とことん行動するでしょう。つまり、こうしてホンジュラスにまで出てきたら、結果を出すために行動せざるをえない状況(崖っぷち)に自分を追い込める…ということです。
そんなこんなで、今回ホンジュラスに帰ったのも、「絶対」という保障はどこにも無い状況下での決断だったんです。
そんなリスクと隣り合わせな行動が、なぜできるのか?その理由は、「故郷」にあります。
5月12日の記事「故郷とは何ぞや?」を、覚えていらっしゃるでしょうか?
「僕は故郷・広島に良い思い出が無いんです。特に実家と言えば『怒られた』というイメージしか湧いてこない…。」
当時、僕はこのように書きました。
しかし、1年半ぶりに、「プロサッカー選手」になって帰った故郷・広島は、以前とは全く別の姿を僕に見せてくれました。
みんな、僕が思っていた以上に、僕が「プロサッカー選手」になったことを喜んでくれたんです。親は口には出さずとも、喜んでくれてるのが伝わってきました。母ちゃんは、「これでもか!」ってほど、美味い飯を毎日作ってくれました。父ちゃんも、僕が望んでいた全てのことをやってくれました。そして、僕が家族の中でも特に尊敬している、現在、入院中の86歳のおじいちゃんは、僕のホンジュラスでの新聞記事を見せてあげると、
「ほう…、良かったね~。凄いじゃない!」
と、満面の笑みを浮かべて喜んでくれました。おじいちゃんの、あれほど輝くような満面の笑みを見たのは、近年では記憶にありません。その瞬間、
「ああ…。俺はプロになって良かったんだな。本当に良かった…。」
と、心の底から感じました。
おじいちゃんの病院のベッドの横の壁には、僕の新聞記事と、レンカでの集合写真のポスターを貼ってもらいました。おじいちゃんは、
「いつも見とるんじゃけ~。」
と言ってました。レンカの集合写真では、僕があまりにホンジュラス人と同化し過ぎて(笑)、どこに僕がいるか分かりにくいのですが、おじいちゃんに、「どこに僕がいるか分かる?」と聞くと、「分かるよ。」っと、すぐ指差されました(ドンピシャ!)
僕は、おじいちゃんに少しは「生きがい」を与えられたのかもしれません。「笑顔」があれば何でもできるし、「幸せ」になれます。だから、あの、おじいちゃんの満面の笑顔を見た時、
「このままいったら、100歳まで生きてくれるかもしれない。いや、たとえ100歳まで生きれなくとも、あの『笑顔』があれば、きっと『幸せ』な生活が送れるだろう。」
と思い、安心しました。「もっともっと、喜ばせたい!」これが、今の僕のモチベーションの1つになっています。
※世界最高峰の、Yojiのおじいちゃん。
※僕はたった1年半、日本を離れただけで、心身共に疲弊し、日本に帰国せずにはいられない状況に陥りました。しかし、おじいちゃんは、生死がかかった「戦争」のために8年間、日本を離れ、そして、生きて日本に帰ってきたのです。半端じゃありません。こんな小さな体で…。これだけでも、僕はおじいちゃんを尊敬します。僕なんか、おじいちゃんの足元にも及びません。おじいちゃん最高!!
以前、広島の実家は、僕にとって
「世界で1番、居心地の悪い場所。」
の1つでした。しかし、今回、日本に一時帰国し、実家は僕にとって、
「世界で1番、居心地の良い場所。」
に変わりました。
こうして、日本で、たくさんのパワーを充電できたからこそ、再び「リスクと隣り合わせの行動。」を積極的に行えるようになったんです。
そして、いよいよ、僕はホンジュラスに旅立ちます。
※故郷・広島空港にて。さあ、いよいよ出発じゃ!!!
広島空港から、羽田空港に到着。実は、成田空港発の飛行機は、その翌日なので、この日は東京の知り合いの家に泊めてもらいました。
※東京・新宿歌舞伎町にある、とあるラーメン屋にて。
※恐る恐る(?)近づいてみます。
そして、翌日。タクシーで品川駅まで行き、そこから成田空港行きの「成田エクスプレス」に乗ります。実は、タクシーが品川駅に着くのがあと1分、遅かったら、この「成田エクスプレス」には乗れませんでした。ぎりぎりセーフ!!…「運」があります。ホンジュラス行きを、神が導いているのでしょうか?
※今回は全て、アメリカン航空です。
日本からアメリカに行く飛行機の中では、隣の席が、何とペルー人となりました。スペイン語圏の南米人!!以前の僕は、世界のどこに居ても、中国人、もしくは中国語圏の人を見かけると、何だか家族のような親近感が湧いてきて、話しかけずにはいられませんでした。それが今では、そんな「家族のような親近感」の輪が、スペイン語圏の中南米人にも広がりました。
このペルー人とは、機内でいろいろ話しをしました。ペルーもサッカーが盛んな国で、彼もサッカーの話になると、凄く熱くなってました。ペルーのサッカーに凄く興味が湧いてきました。確かペルーでプロサッカー選手になった日本人はいなかったような……。この「日本人初」というのが、ポイント高いんです。だって楽しいし、何より、この年齢で、しかも僕のような選手が日本代表になるためには、人と同じことをしていたのでは、決してなれないからです。
だから僕は、このペルー人に「もし、ペルーでプロサッカー選手になれるチャンスがあれば、連絡してくれ。」と伝え、メールアドレスの交換を行いました。こうして、例え相手が誰でも(マイナスのオーラを持ってる人は別です)、可能性が1%以下でも、少しでも可能性があるなら、とことん行動するのが「Yoji流」です。ペルーの、あの有名な遺跡「マチュピチュ」の近くでプロサッカー選手になって……ん~!また1つ『夢』が膨らみました!!!
そんなこんなで、長い長いフライトも楽しみながら終了。ついにホンジュラス・サン・ペドロ・スーラ空港に到着です!!
入国審査の時、外国人の審査窓口の方に長蛇の列ができていました。ホンジュラス人用の審査窓口の方はガラガラだったのですが、僕は日本人で、当然、「外国人」なので、長蛇の列の方に並ぼうとします。しかし、その時、近くに居た役員が僕に話しかけ、
「あんた、確かあの日本人GKか!?大丈夫、大丈夫、こっちから入国審査しろ!!」
と、何とガラガラだったホンジュラス人用の審査窓口に連れて行かれたのです!!嘘ん!!!いや~メチャクチャです。けど、あの長蛇の列に並ばないですんだので、ラッキーでした。
実は、日本に一時帰国する時も、僕のホンジュラス滞在期間が過ぎてることが問題になって、事務室に呼び出され、
「罰金を払わない限り、この空港から出られない。帰国できない。」
と止められました。「もうすぐ飛行機が来るから、何とかしてくれ!」と頼むも、全く言うことを聞かない。万事休すか…??そう思った次の瞬間、その事務に居た役員がいきなり、
「ん!?あんた…ひょっとして、以前、マラトンに居た、日本人GKか!?ん~、よしよし、問題無い!行け!!」
と言って、僕を帰国させてくれたんです。嘘んんんん!!!?いや~サッカーやってみるもんですね(笑)。本当、何でもありのホンジュラスです!!!
…で、サン・ペドロ・スーラ空港に無事、到着したYoji…。しかし、ここからが、「前代未聞の幕開け」でした。
まず、マイアミ空港からサン・ペドロ・スーラ空港に送られたはずのYojiの大事な大事なカバンが届いてない!!!ええええええええ!!!??こんなこと、前代未聞です!!!!そのカバンの中には、GKグローブ、サッカーシューズ、GKの練習着などなど、サッカーするのに必要な物全てが、詰め込まれていました。言ってみれば、僕の商売道具です。それが、届いてない!!嘘んんんん!!?
係りのねーちゃんに聞くと、
「今日は届かない。明日、電話してくれ。」と言われました。
そんな~…。
そして翌日、空港に電話します。電話するとねーちゃんが出て「別の人に聞いてくれ。」と言われ、どこかに電話が転送されます。で、また別のねーちゃんは「別の人に聞いてくれ。」と言い、また転送……で、またまた別のねーちゃんにようやくつながったかと思うと、
「まだ、届いてない。」
の一言…。一体、どこやねん、俺のカバン!!!?? どうなるYoji!!!??
しかし、「前代未聞の幕開け。」は、こんなもんでは終わりません。
久々に帰ってきた、Progreso(プログレッソ)のYoji家。
そのYoji家に近づく、怪しい、2人組…。自転車を玄関前に止めた、2人組...。鍵を開けた!?Yoji家に入って行く!!??ん、見知らぬ洗濯物が干してある!!!??…って、完全に住んでるじゃん、Yoji家に!!!!!!!!!!!!!!!!????一体、どーいうこと!!!!!!!!!????正に、前代未聞の事態に困惑するYoji。
何やら、この2人組は、レンカの新加入選手らしく、会長の薦めで、ここに2週間前から住んでるらしい……。って、ここ、俺の家じゃろ!!!!?まだこの家との契約は残ってるし、お金を払ったのも俺だし、この家を探し出したのも、俺。会長は一切関係ない!!それを、俺に断り無しで、別の人を住ませるとは……。一体、どーなってるの!!?
こうしてYojiは、大事な大事なカバンのみならず、何と、家まで失ってしまいました。たった3週間にも満たない日にちを離れただけで、家まで失うホンジュラス…。何と恐ろしい所でしょう(笑)。
↑先ほど「(笑)」を書きましたが、こんな状況にも関わらず、僕は「(笑)」←の通り、楽しい毎日を過ごしています。家は無くしましたが、代わりに近所の仲の良いおばちゃんが、Yojiを家に毎日、泊めてくれ、ご飯、洗濯、全ての面倒を見てくれてます。おばちゃん、あなたは「神」ですか…?ありがとう、おばちゃん&その息子、娘たち!!!
※「近所のおばちゃん」こと、カルメン。「カメルーン」じゃありません。カルメンは「Yojiは家族の一員だ。」と言って、大歓迎してくれてます。おかげで、こんな状況にも関わらず、最高に楽しい毎日を過ごせています。ありがとう、カルメン!!…ちなみに、カルメンが着ているのは、日本から持ってきた「浴衣」です。しかし、サイズがデカ過ぎました。僕でも大きいくらいです。おまけに、「帯」も入っていませんでした。けど、喜んでくれたみたいです。
※カルメンの息子の、ウィリアムです。彼は身長180cmあるのですが、その彼でも、この浴衣は大きいです。
※ウィリアムの部屋の床に布団を敷いてもらい、寝るYoji。意外と快適です!!
…まだまだ「前代未聞」は続きます。
サッカーの道具が全て入ったカバンが届かないため、練習できないので、とりあえずはレンカの練習を見学に行きました。すると、そこで会った仲間達に、まるで幽霊でも見るような目で見られました。
「Yoji!!何で、ここに居るの!!?」
日本人の感覚で「一時帰国」と言うと、当たり前ですが、一時的に帰国して、また、こっちに帰って来るのが普通です。しかし、貧しい国ホンジュラス人の感覚から言うと、「一時帰国」とは、もう2度とこっちに帰って来ないことを意味するようです(例外はありますが)。特に、日本という、地球の裏側に帰って行った者が、もう1度ホンジュラスに帰って来るなんて、誰1人とて、予想してなかったみたいで…。
だからと言うわけじゃないでしょうが、監督マチャドは、例の「酒飲みGK」をシーズン終了後に解雇した後、新GKを1人加え、さらには、以前の記事でも紹介した「ホンジュラス・ナショナルリーグ(1部リーグ)で15年のプロキャリア」を持つGKコーチを、選手に復帰させ(これも「ありえない!」)、合計3人のGKをすでに揃えていました。監督に、
「GKはもうこれ以上いらないのか?」
と聞くと、
「だって俺、今3人のGKを持ってるし…。」
と言われました。
Yoji大ピンチ!!!!!!!
しかし、一応、以前、レンカの会長は僕に電話で、
「契約延長したい。」
と告げています。
早速、会長の所に話し合いに行きます。
…レンカの会長との、久々の再会。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!Yoji!!!!!!!」
会長がいきなり、僕に抱きついてきました(会長はホモではありません)。相当、興奮しています。メチャクチャ、嬉しそうです。
早速、会長に相談します。
「監督が、すでに3人のGKが居るから、Yojiの枠は無いと言っている……。」
と僕が切り出した瞬間!!!
「YojiがNo.1GKだ!!俺はYojiと契約する!!監督??誰と契約するかは、会長であるこの俺が決めることだ!!他に3人のGKが居るって??だったら、1人解雇して、Yojiと契約すれば良いじゃないか!!!」
と、興奮ぎみに語り出しました。
監督と、会長の言ってることが違うんじゃけど…。ちゃんと意思の疎通はできてないの??まあ、会長自身、僕が本当に再びホンジュラスに帰ってくるなんて、予想してなかったみたいだから、仕方ないか…?会長は、僕が帰ってきたのが本当に嬉しかったらしく、他の選手にも、僕がホンジュラスに帰ってくる前日には、
「Yojiが明日、帰って来るぞ!!」
って話してたらしく、僕がホンジュラスに帰ってきてからは、いろんな所で、
「Yojiが帰って来たーーー!!!今、俺は幸せだ!!!」
って話してるそうです(チームメイトが聞いたそうです)。
ちなみに、会長に
「あの~…。俺、家、失ったんですけど…。」
と言うと、即答で、
「よし!新しい家を探そう!」
と言われました。…って、あんたが奪ったんじゃんか、俺の家!!(笑)
一体、これから先、Yojiはどうなるのか(笑)?? こんなに、いろんなことが起こってますが、まだホンジュラスに帰って来て、3日間しか経ってません。早くも、怒涛の展開……。
Yojiのカバンの行方は!?チームとの契約は!!?
その先のことは、誰にも分かりません。
…だからこそ、楽しい!!!
※今回、ホンジュラスで履くために日本で購入したシューズ。日本代表のGK川口選手に負けじと、日の丸カラーのシューズを購入しました。これで、日本人魂は全開です!!!これを履いてプレーする日は来るのか!?カバンが届き次第です(笑)。
4 juillet 「限界点」を半年越えて‥。人生初の凱旋。 みなさん。突然の報告があります。
実は3日前から、僕は日本に帰国していました。現在は、生まれ故郷である広島にて、この記事を書いてます。(ちなみにまだ僕のPCは直る気配がなく、実家のPCでこの記事を書いてます。)
日本に帰国するのは、実に1年半ぶりです。この1年半は、僕のサッカー人生の中で、最も中身の濃いものだったと言えます。その「濃さ」は、ホンジュラス・コーヒーの色の「濃さ」よりも、さらに濃いものでした。
日本でサッカー環境を失い、「負のオーラ」に溢れるバイト先で働き、ボールすら蹴ることができないから、ただひたすら、フィジカルトレーニングを繰り返していた、1年半前‥。
それから「3度目の正直」を信じて渡米し、「2005年以内でプロになれなければ、サッカー辞める。」という覚悟を持って、アメリカ、イングランド、ホンジュラスを渡り歩き、ようやく『夢』を掴んだ、2005年12月‥。
今、思えば‥‥いや、当時から感じていましたが、あの、人生最大の『夢』であった「プロサッカー選手」になった(レンカと契約した)時点、「2005年12月」が、僕の精神面、肉体面、全てにおける「限界点」だったと言えます。
その「2005年12月」までの1年間、『プロ』を目指した闘いの中で、本当の意味で、精神的に落ち着く日は無かったです。本当にプロになれるのか?どうなのか?俺には駄目なんじゃないか?‥こういうギリギリの精神状態の中で闘ってきました。
そして、肉体面においても、アメリカで数え切れないほどのアマチュアの公式戦に出場したり、イングランドのプロチームの練習に参加したり、息つく暇もなく、「未知の国」ホンジュラスに上陸し、マラトンに合流、サッカー人生初めての「各国の代表クラス」の選手とトレーニングを重ねる日々、「契約、間違いなし。」という状況から、話がこじれてしまったビジャヌエバFCでの辛い日々、そして、契約を目指し、最後のチャンスと思って取組んだ、レンカでの、契約までの道のり‥‥。
もちろん、「笑顔」で人生を楽しんで生きてきましたが、このプロを目指して3カ国を渡り歩き、闘った日々により、僕の精神面、肉体面‥全てが、「限界点」に達してしまいました。
‥それが、昨年12月の、僕の状態です。
本来ならそこで、1年の疲れを癒すため、日本に一時帰国したかった。しかし、レンカと契約してからは、OFF無しで新シーズンに向けての厳しいトレーニングが始まり、精神面、肉体面の疲れを癒す時間は、全くもって無かった‥。そこからは「限界点」を超えた中での、闘いの日々でした。
体調にも異常が出てきました。慢性的な疲労感が、なかなか回復しない日々。原因不明の下痢や発熱に襲われることもありました。そして最も異常を感じたのは、毎日の練習の中で、日に日に息切れするのが早くなっていったこと。それでも、プロの世界で「息切れ」なんか言ってられないから、気持ちだけで、何とか厳しい練習をこなしてきました。体重は1年半前より、5Kgも痩せました。
精神面においても、文化の違いや、書類作業の問題などが発生し、次第に僕の心は弱っていきました。
そして気がつけば、「限界点」を超えた日々は、半年間にも達していました。
‥‥先日、レンカの今期全日程は、全て終了しました。チームの全選手が半年間の契約で、誰も来期の契約がどうなるか、まだ分らない状況です。僕も例外ではありません。契約延長できるのか、どうなるのか、まだ分りません。もし、契約延長できるなら、今月10日から、練習が始まる。つまり、それまではOFF。日にちは決して長くないOFFですが、これまでの1年半で、初めての長期OFFがやってきました。
僕は、日本に一時帰国することを決断しました。「限界点」を半年越えた僕は、もしここで日本に帰らず、あと半年間、ホンジュラスに残るようなことになってしまっていたら、間違いなく、壊れてしまっていたでしょう。
‥‥こうして、僕は1年半ぶりに、日本に帰ってきました。以前の記事にも書きましたが、ホンジュラスに居た時、夢にまで見た日本‥‥。正直、この地球の裏側の、あまりに日本から離れた、全ての面において日本と違いすぎる国で生活する中で「俺は、このまま一生、日本に帰れないんじゃないか??」と感じることさえあったんです。
僕はこれまでの人生の中で、大学時代は関東から広島に、大学卒業後は、中国から、アメリカから‥‥何度となく「故郷」に帰る経験をしています。
しかし、これまでは、「『夢』を実現させる。」という、大きなお土産を持って、故郷に帰ることが、残念ながらできませんでした。それが本当にもどかしい、悔しい、僕の26年間の人生でした。
だから、今回の帰国は、「人生初の凱旋」なんです。この1年半で、数え切れないほどの『夢』を笑顔で実現させた‥。もしかしたら、ホンジュラスでプロサッカー選手になったからと言って、誰も認めてくれないかもしれない。けど、そんなこと、今の僕には全く関係ありません。
とにかくこの1年半は、自分の中で「もう、これ以上できない!」って状況を、半年間も越えて闘ってきました。その中で、きっちり目に見える結果も出してきました。僕はこのことに『誇り』と『自信』を持ってます。誰に何と言われようと、その『誇り』と『自信』が揺らぐことは決してありません。
今までお世話になった家族や、その他、たくさんの同郷の人々に、たくさんの「お土産」を持って、帰国できた‥‥。
「『限界点』を半年越えて‥。人生初の凱旋。」
今後のことは、まだどうなるか分りません。レンカとの契約の問題‥何より、僕自身に、また異国に行って闘う気力が湧いてくるかどうかすら分りません。しかし心配はしてないし、今は考える必要もないと思ってます。今の僕に必要なのは、
「休養」
これしかないです。
しっかり休養し、1年半ぶりの、夢にまで見た母国「日本」を、思いっきり満喫し、またこれからの「笑顔」の闘いに備えます。
中田英寿選手は引退しましたが、僕はまだまだ引退する気はありません。これからも、さらに大きな「幸せ」に向けて、「笑顔」で突き進んでいきます。
◎下の写真たちは、ホンジュラスを離れる前日と、当日に撮ったものです。「1度、離れると、もう1度戻ってくるのは、想像以上に難しい。」‥これは、中国、アメリカを離れた際に、経験しています。だから、まだホンジュラスに戻って行く可能性もあるけど、今回は、今までお世話になった、僕に「笑顔」をくれたアミーゴ、アミーガ達に対して、感謝の気持ちを込めて挨拶してきました。涙を流して別れを惜しむアミーゴ、アミーガもいました。彼らが僕に「笑顔」をくれたからこそ、僕は「限界点」を半年越えてもやってこられたんです。彼らは、僕にとって、最高の「宝物」です。いつか、また必ず戻ってくるからなー!!ありがとう、ホンジュラス!!!
※近所のアミーゴ、アミーガ達。
※Yojiが住んでたProgreso(プログレッソ)の家の周辺の景色。
※以前、住んでたSan Pedro Sula(サン・ペドロ・スーラ)のホテルの仲間達。前列左から2番目のおばちゃんが、以前の記事でも紹介した「ママ」です。
※ホンジュラス、サン・ペドロ・スーラ空港にて。
※1年前、ここに初めて上陸した時、僕はプロサッカー選手でもなかったし、アミーゴもアミーガもいなかったし、ホンジュラスのことさえ、何も知らなかった‥。それが、こうして1年後にここに来た時、僕は、たくさんのものを得ていた‥。そのギャップに、何だか、凄く不思議な感じがしました。
※ついに飛行機に乗り込む!
※飛行機から見える、ホンジュラスの大自然。何だか寂しい気持ちになりました。
※アメリカでの乗り継ぎ飛行機待ち。この日は、このように空港で一夜を過ごし、翌日、日本行きの飛行機に乗り込みました。それにしても、こんな変な写真を気軽に撮ってくれたアメリカ人‥ありがとう!飛行機の乗り換えで久々、立ち寄ったアメリカは、ちょっとの時間でしたが、何だか良い人ばかりで、少し、アメリカに対する印象が変わりました。
こうして、2日間かけて帰ってきた、我が母国「日本」。
レンカのその後や、W杯の感想などは、今後のブログで、書いていきたいと思います。
これからも応援、ヨロシクお願いします!!!!
15 janvier 1分、1秒に幸せを感じながら…。2006年、新たな人生のスタート!! どうも、どうも!Yojiどす!本当にお久しぶりです!実は新年になってからここまで、ずーーーっとOFF無しでトレーニングしており、ブログの更新ができませんでした!明日は日曜ですが、またOFFじゃないです!!一体、いつになったらOFFが訪れるのでしょうか…。
まずは、みなさんにお礼を言わなければなりません。前回のブログに対する、たくさんのコメント、本当にありがとうございました!Yojiは、心底、感動しました(涙)。正直「自分がプロになったからって、喜んでくれる人が実際いるのだろうか??」という気持ちもあったのですが、こうしてたくさんの人に祝福してもらい、自分は改めて「幸せ者」だと痛感しました。これほど「ありがたい」事はありません!たくさんの人から、『勇気』と『希望』と『パワー』をもらいました!本当にありがとうございました!
「2005年12月30日」…。この日、僕は、26年間の人生の中で、最大の『夢』、「プロサッカー選手」を、ついに実現しました。物凄く嬉かったですし、感動しました。しかし、プロになったからといって、何かが劇的に変わる…という事はありません。長い長い、アマチュア時代から、「プロ意識」を持ってサッカーに取り組んできましたし、『夢』の実現を導いた、『人生を楽しむ心』と『笑顔』も、プロになったからといって、変える必要は無いと思っています。
しかし、あえて「プロになって変わった事」を挙げるとすれば、それは全て良い事です。例えば、アマチュア時代は、サッカーやってて「プロじゃないしな~…」と、『世間の目』を気にして、後ろめたさを感じる事もありましたが、今は、プロになった事で、誰の目も気にせず、堂々とサッカーに没頭できます。「よりサッカーに集中できる環境になった」と言えるでしょう。
サッカー自体においては、プロになった事で、集中力とモチベーションがより高まりました。「やればやった分だけ自分に返ってくる」という事が、プロになって分かったので、凄くやりがいがあります。もちろん、プレッシャーもアマチュア時代より増しましたが、「そういうプレッシャーの中でサッカーできるのは、むしろ幸せな事なんだ!」と考えるようにしてます。実際、そうですしね。
ポジション争いなどは、練習生時代より、より意識するようにはなりましたが、だからと言って力み過ぎる事も無く、自然体でやってます。それに、そういう争いも、アマチュア時代の自分から見たら「贅沢な悩み」ですからね(笑)。
プロになるのが普通の人より遅かった分、その『ありがたみ』、『幸せ』、『充実感』…なども、普通の人の倍以上、感じる事ができます。だから、プロになるのが遅れた事に対する、ネガティブな考えは全くありません。むしろ、今日のタイトル「1分、1秒に幸せを感じながら…」毎日を過ごしています!!
今日はその「1分、1秒に幸せを感じながら…」過ごしている毎日の、とある1日を、何と写真「27枚」と共に紹介したいと思います!!
この日は、レンカのトレーニングで、ビーチに行く事となりました。1月にビーチ!記録的な寒波に見舞われてる日本からしたら、考えられない事ですよね。いやー、僕もワクワクしてきました!!
僕のサッカー人生の中で、レンカほど朝早くにトレーニングするチームは、初めてです。普段は、「朝7時」に集合。毎朝「5時起き」です。しかし、この日の「ビーチ・トレーニング」は、何と早朝6時半集合!!早過ぎ!!朝4時半に起床しました。ん~…、新年早々、ハードスケジュール…。けど、『幸せ』なんです!!
※出ました!名物(?)「ボロワゴン」!!「ボロワゴン」は今日も行く……。
いざビーチに向け、出発!!山を越え、川を越え、今日も「ボロワゴン」は、目的地に突き進みます!!
※川を越えます!!
※広大に広がる木々…。大自然に圧倒されます。
※山道をガンガン突き進みます!けど、ビーチなのに、心なしか、どんどん高地に入っていってるような…。高地にビーチ!?
※辺りを見渡せば、広大に広がる大自然!ん~…気持ちエエ!!
…そして、出発から約1時間半、ついにビーチに到着です!!ヤッホー!!それにしても、高地にビーチ…?あるんですね(笑)。
※ついにビーチに到着した「ボロワゴン」。奥にかすかに見えるのが海です!!!
※ビーチの周辺に住む人々…。「のんびり」とした時間が流れています。慌しい日本とは、全く違う時間がここでは流れています…。癒される…。
※洗濯物が干してある、民家の前。子供が遊びに出かけているようです。なんだか、ほのぼのして、エエ感じです…。
※まだ完全に太陽が昇ってない、朝のビーチ。静けさが漂います…。美しい…。
※すばらしい大自然、ビーチを目の当たりにし、大興奮のYojiと、愉快な仲間達で記念撮影!そして、右奥で唖然として見つめる、とある選手(笑)。ちなみにYojiが食べてるのは、チームより朝食として支給された、サンドイッチです。美味い!!
※トレーニング前、ビーチに大興奮、大はしゃぎのYojiと、もう1人、大はしゃぎしてるチームメイトと一緒に、船の中で記念撮影!!お恥ずかしい(笑)。けど、このすばらしく美しい海を目の当たりにして、大はしゃぎせずにはいられなかったんです!!子供に戻ったような気分です!!しかし、この後「地獄のフィジカル・トレーニング」が待っていようとは……。
そして、いよいよ「地獄のフィジカル・トレーニング」開始!!まず、浜辺を50分間、走ります!だいたい25分間で目的地まで走って行き、そこからまた引き返す……けど、半分以上の選手が、目的地まで行かず、ズルをして途中で引き返して行きました。おいっ!!「勝負弱い、ここぞで勝てないホンジュラス」の理由が分かったような気がします。彼らには、日本人のような「いつ、なんどきでも真剣に全力で取り組む!」といった精神がありません。「さぼり癖」がついてる(笑)。せっかく凄い「潜在能力」を持ってるのに、ちょっともったいないですね。
その後は、様々なバリエーションのダッシュを延々とこなしました。さすがに疲れた…。本当にきつかったです…。けど、しっかりとした「目的」のある疲れだから、全く苦にならない。逆に、メニューをこなした後は、最高の『充実感』に包まれます!!!ダー!!
※ダッシュを繰り返すYoji(写真中央、前から2番目)!!フガフガー!!
※最後のメニュー、筋力トレーニングをこなす選手達。ここには、日本のような、充実した器具などありません。ごく一般的な、バーベルのみ!!けど、これで充分なんです!!
そして、やっとトレーニング終了!!充実したトレーニングをこなし、何とも言えない『爽快感』に包まれます!!…実はこのビーチ・トレーニングは、2日連続で行われたのですが、その初日、僕は風邪をひいて前日には38度の熱が出ており、当日も頭痛がして、体調が悪かったんです。だから「こんな状態で、厳しいトレーニングに耐えられるのだろうか?」と心配していたのですが、このすばらしい大自然、ビーチを目の当たりにして、感動し、風邪?熱?頭痛?タランチュラ?そんなモノは、いつの間にかどこかに吹っ飛んでいってました!!正に『大自然のパワー』!!素晴らしい!!
※練習を終えてくつろぐ、選手と監督、コーチ達。
昨年の『キリンチャレンジカップ・日本代表VSホンジュラス代表』の試合で、日本を代表するDF陣が、ホンジュラスの選手の身体能力を、どうにもこうにも止められませんでした。その身体能力の凄さには、中田英寿選手も驚嘆してました。…このホンジュラス人の身体能力を生むのは、一体何なのか??その答えが、ここまで半年間ホンジュラスでプレーし、分かったような気がします…。
ホンジュラス人は、基本的に『大自然』が相手なんです!!ホンジュラスには、日本のような豊富なトレーニング施設はほとんど無いし、精密な計算に基づいた、スポーツ生理学の理論にのっとったトレーニングも、行われているのか、ちょっと疑問です。しかし、日本人がどれだけトレーニングしても身に付かないような、身体能力をホンジュラス人は持っている…。もちろん、生まれ持った潜在的なものもあるのでしょうが、「小さい頃から、つねに大自然と闘っている(もちろん全員ではないが)のが理由の1つではないか?」…と僕は考えます。この日は、ビーチが相手でした。確かにビーチでのトレーニングは、日本でも行われますが、ホンジュラスでは、日常生活の中から、高地であったり、荒地であったり、馬フンの中であったり、タランチュラと対決したり……そういう環境の中で小さい頃から育つ事により、スポーツ生理学を越える身体能力を、自然と身に付けていったのではないか…と僕は推測します。(あくまでも僕の推測です)
…しかも、そういう中に身を置き、自分自身もたくましくなっていってるように、感じます。毎日、これだけキツいトレーニングを行っているのにも関わらず(もう1ヶ月間、フィジカル中心のメニューが続いている!)、次の日も、また次の日も、体が動く。しかも、パワーアップしてるのが実感できる。マラトン練習生時は、ホンジュラスの暑さに慣れるだけで精一杯だった事を考えれば、かなり成長してると言えます。しかも、技術的にも、精神的にも成長しているのを感じている…。「1分、1秒に幸せを感じる」日々は、言い換えれば「1分、1秒に成長を感じる」日々でもあります。ん~、エエ感じじゃ!!ヨシッ!!
トレーニング後は、また「大はしゃぎ」のYojiに変身です!「目的」のある、最高に充実したトレーニングをこなした後だからこそ、海につかった時の『感動』も一塩!!!日本だと、「夏でも海は冷たい」ってイメージが僕にはあったのですが、この海…抜群の水温なんです!!間違いなく、生まれてきた中で、最も気持ち良い、海でした!!最高!!『幸せ』です!!
海で大はしゃぎのYoji…。フッと横を見ると……。
「ん!!!?」
海に馬!!?正に「前代未聞」の出来事です!!生まれてこの方、海につかってる馬なんて、見た事がありません!!…けど、ホンジュラスに居ると、この「前代未聞」に結構、遭遇できるんです。「前代未聞」にたくさん遭遇できるなんて、これほど『幸せ』な事はありません!!人生最高!!!
※こちらを見つめる、馬と少年…。ちなみに、家の馬を海で洗ってたらしいです。
※馬と少年に近付き、写真撮影…。「ペットは飼い主に似る」とよく言いますが、この馬と少年…何となく、雰囲気、似てません!?
※威風堂々とYojiを見つめる、馬、そして、後ろから笑顔でこちらを覗き込む、少年…。馬を見てていつも思う事…それは「馬って一体、何を考えて生きてるのだろう??」
※こうして、馬と少年は去って行きました。自分より何倍も大きな馬を、巧みにコントロールして帰っていく、少年…。僕なんか、馬に触るだけでビビってるのに(笑)。やはり大自然で生まれ育った子供は、たくましいですね!!!
※トレーニング後、体を洗う選手達。ここには、シャワールームや、更衣室など存在しません。みんな、水道から出てくる水を、「コーン」でくみ取り、体を洗います。豊かな日本人からしたら「何て、あわれで、かわいそうなんだろう…」と思われるかもしれませんが、僕達は決して「あわれ」でも「かわいそう」でもないんです!!むしろ、楽しんでいます!!それは、下の写真、右の選手の『笑顔』を見れば分かっていただけると思います。ちなみに彼のあだ名は、奇しくも「コーン」です。これは本当です!
※TV局のインタビューに答える選手達。美しいビーチが、まぶし過ぎます!!
※インタビュー後、記者と遊ぶYojiです。何でも楽しい!!ははー!!
※記者との記念撮影。ここでは、誰でもすぐ「アミーゴ(友達)」です!!
※やしの実ジュースを飲む選手。美味しそう!!『大自然』で鍛えられた身体を癒すのも、また『大自然』の恵み!!これぞホンジュラスの魅力!!!
そして、楽しみにしていた「バーベキュー大会」!!最高に充実したトレーニングをこなした後のバーベキューは、正に格別!!これほど『幸せ』な事はない!!しかも、超美味い!!ん~…たまらん!!!!
※バーベキューに集まる「猛者」たち。真ん中がYojiです。正に「大会」!みんな肉を求めて、必死のアピール!サッカーの時もこれくらい必死になってくれれば…(笑)。
こうして、最高に『充実』した、『幸せ』な時を過ごしたビーチ・トレーニングは終了しました。「大自然の最高の景色」を見て、「人生最高の海」に入り、生まれて初めて「海に馬」を見て、「最高に美味しいバーベキュー」を食べ……「1分、1秒に幸せを感じる」のも、無理はないでしょう!?僕は今、最高に『幸せ』な毎日を過ごしています!!そもそも、「とある1日のトレーニング」で27枚の写真が撮れる事自体、いかに幸せな毎日を過ごしてるかを物語っていますよね。実は、この日、撮った写真はこの倍あるのですが(笑)、全部は紹介できないので、厳選した「27枚」を貼らせていただきました。
僕は日本人、アジア人初の「ホンジュラス・プロサッカー選手」だから、この「幸せ」は、過去にも現在にも、日本人、アジア人では、僕しか味わってないって事になるかもしれません。そう考えると、改めて、自分は「幸せ者」で、ここに至るまで支えてくれた多くの人に、感謝の気持ちが溢れてきます。ありがとうございます!!そして、僕としては、こういう素晴らしい大自然の景色などを、ぜひもっとたくさんの日本人、アジア人に見てもらいたいな~…と感じています。
※とうとうビーチともお別れ…。早朝のビーチの写真と同じ角度から撮影。またちょっと、雰囲気が違って見えます。また来るぞ!!疲れるけど(笑)。
さあ、また「ボロワゴン」に乗って、来た山道を帰って行きます……。しかし、何だか「ボロワゴン」の様子がおかしい…。
「ひでぶっ!!!」
何と、「ボロワゴン」のタイヤが、パンクしてしまいました!!どうなる「ボロワゴン」…。「ボロワゴン」の運命や、如何に!?
最後に…。こんなにたくさんの写真を撮るYojiを見て、コーチが一言。
「Yojiって、サッカー選手って言うか、記者やカメラマンみたい…」
ぶべらっ!!!
以上!!!
24 novembre サッカー人生最高の日々スタート!「Marathon(マラトン)」合流!! 「2005年7月」後半。…と言うわけで、友達の家を出て、危険区域のド真ん中での一人暮らしが始まりました(笑)。僕にパワーを与えてくれる場所がどんな所か、下の写真を見てみて下さい。僕が住んでいるホテルの周りの写真です。凄いパワーです!僕が着いた瞬間「これだ!」と思った場所です。
一人暮らしが始まったその日から、僕はプロを目指した活動を開始しました。もう、人に任せて待ってるだけなんて、こりごり…。「人はあてにならない!自分で行動する!」と決心しました。
…まず始めに、ホテルのロビーで偶然ホテルのオーナーに合ったので「プロになりたい。プロに誰か知り合いはいないか?」と尋ねました。彼女は「サッカー界で顔の広い人物を知っている。彼に電話してみる。」と言いました。
んー、あんまあてにならんのー(笑)。この手の話しで、結局何も無かった…って事を、もう嫌というほど経験していた僕。よしっ、次!
…翌日。ホンジュラス国内で、4本の指に入る強豪クラブ「レアル・エスパーニャ」に直談判に行く事に決めました。実はこの「レアル・エスパーニャ」は、当初、僕がテストを受ける事になっていたはずだったチームなのです。アメリカ時代のルームメイトの父が、このレアル・エスパーニャに知り合いがいて、僕がテストを受けれる事になっていたはずなんだけど、その後、その父からは何も音沙汰が無くなって、どうなってるのかさっぱり分からなくなっていた…。じゃー僕がそこに行って、直談判してやろう!…と。
※写真はホテルのロビー。
午前。レアル・エスパーニャのクラブハウスに到着しました。早速、関係者を呼び「テストを受けさせてくれ。」と頼みました。するとコーチが出て来て「分かった。今日の午後2時からの練習に参加してくれ。そこで君のプレーを見よう。」と言われました。
きたきたきたー!!「3度目の渡米」で「2005年1月」に日本を離れてから約半年間、ずーーっと追い求めてきたチャンス!!ホンジュラスに上陸してから1ヶ月間、ほとんどサッカーの練習ができなかったので(フィジカルトレーニングのみしかできなかった)、不安も有りましたが、やっとの事で掴んだチャンスなので、本当に嬉しかった…。ウキウキで、とりあえずホテルに帰りました。
ホテルに帰ると、またまた偶然、ホテルのオーナーに出くわしました(オーナーがロビーに居る事は、1ヶ月に3回くらいしかない。全くいない事もある)。そこでオーナーに「昨日Yojiに話した、例の人物…。彼に電話してYojiの事、話しておいたよ。時間が有る時に彼の所に行って話してみたら?」と言われました…。
んん!?あんまり期待してなかったんじゃけど…。しかし「プロに練習参加に行くなら、自分1人だけで行くより、サッカー界で顔が広い人と一緒に行った方が、いろんな面で便利だろう。」と思い、すぐその人に会いに行く事にしました。
…その人が居るレストランに到着しました。そしてその人と会い「プロになりたい。」「今日の午後、レアル・エスパーニャに練習参加に行くから、付いて来てくれないか?」と相談しました。
すると彼と、帯同していた友人は「エスパーニャ!?だめだめ、あのチームは!Marathon(マラトン)の方が良い!」と言い始めました。
マラトンって…。僕はホンジュラスに来てからずっと新聞を読んでいたので「マラトン」の事は知っていました。「Marathon」って書いて、てっきり「マラソン」だと思っていたら、実は「マラトン」だったあのチーム(笑)。マラトンは去年の準優勝チームで、国内では1、2を争う強豪。現役ホンジュラス代表のNo.1GKも在籍している…。いくら何でも無理じゃろう…。って考えてる間に、その人、マラトンに電話し始めてるし!!
「Yoji。今、マラトンの関係者と話した。今日の午後3時に練習参加に来てくれとの事だ。行くぞ!」…って、ちょっと待ってよ!!今日の「午後2時」にレアル・エスパーニャの練習参加に行く事になっとるんじゃー!!それをその人に伝えました。
すると彼は、今度はエスパーニャに電話し始めて「Yoji。エスパーニャの選手リストはいっぱいだそうだ。行っても意味がない。マラトンに行け!」…と言いました。ほんまかいな!!?けど僕はエスパーニャのコーチに「午後2時に行く。」って約束しているし…。しかし、この人「そんな約束どうでも良い。今からマラトンに行くぞ!」としきりに言ってきます…。さらには「今日でないと駄目だ。」との事…。どーすりゃエエの!!?
エスパーニャに一緒に行ってもらうつもりでここに来たのに、マラトンに行けと言われる…。エスパーニャのコーチとの約束は??んー…。考える余地は与えられていません。即決を求められている…。よしっ!!決めた!!
「マラトンに行きます!!」
彼にそう伝えました。「よし分かった。じゃ、早速、今からマラトンの練習場に行くぞ!!」
…こうして、全く何がどうなってるのか、さっぱりわけが分からないまま、マラトンに行く事になってしまいました…。「午後2時に行く」と約束していたエスパーニャのコーチには悪い気がしつつも「こういう時は、流れに身を任せるのも大事じゃ!それに、どうせ行くなら、知り合いのつてが有る方(マラトン)に行った方が、いろんな面で便利じゃろう。」と思い、開き直ってマラトンに行きました。
後で知ったのは、その人、単にマラトンが好きだったみたいです。…で、マラトンと同じ「サン・ペドロ・スーラ」に本拠地を置くエスパーニャは、言ってみればマラトンのライバルチーム。だから、あんなにエスパーニャの事を批判してたのか…。けど、ただ好き嫌いだけでマラトンに連れて行くなんて(笑)!ま、何でも良いんです!チャンスがくるなら!
そんなこんなで、エスパーニャに行くはずが、気が付いたらマラトンに行く事になってしまいました。
…けど、これは序章に過ぎませんでした。この後さらに、全く予想外の展開が待っていようとは、この時の僕はまだ知る由も有りませんでした…。
※写真は、数々の栄光のトロフィーが飾ってある、マラトンのオフィス。
つづく!!!
ストランク・Yoji 21 novembre 紆余曲折を経て…中米、ホンジュラス初上陸!! どうも!「日本→中国→アメリカ…」の第七弾です!もう少しで、今いる展開に追い付きそうです!
失意のアメリカ時代を経て、「2005年6月」、人生初の中米、ホンジュラスに上陸しました(当時「25歳」)。
アメリカ、フロリダ時代のルームメイトの家に宿泊させてもらう事となり、あとは、予定の「プロテスト」を待つばかり…。
「負の大国」アメリカを去ったとは言え、ホンジュラス上陸当初の僕には、そこでの傷心がまだ残っていたのか、気持ち的に、完全に切り換える事ができない状態でした。それほど、アメリカで受けた「負のパワー」は凄かった…。しかも、この元ルームメイトのホンジュラス人自体、アメリカで僕を困らせた人物の1人…。「じゃー何でそんな人間に付いて来たのか?」と思われるかもしれませんが、100%信頼できる人物でなくとも「可能性が少しでも有るのなら、それがどこであろうと行くしかない!」というくらい、アメリカ時代の最後の方は追い込まれていた…。そもそも、あの最後の1週間でアメリカを出てなかったら、不法滞在になっていたのだから、場所を選んでる余裕なんて無かった…。だから、この「ホンジュラス上陸」も、「希望に満ちて上陸した!」という状況ではなかったのです。
※写真は、ホンジュラス、サン・ペドロ・スーラ空港にて。ついにホンジュラス上陸!!
「負」の人間に関わると、やはり良い事はありません。予定された「プロテスト」の機会は、いつまでたっても訪れませんでした。「明日チームと話すから。」明日、明日…。口ばかりです。アメリカのプーマスの監督と似ています(笑)。待てど待てど、チャンスは来ない…。それだけでは、ありません。このホンジュラス人の友達は、僕を家に1人残して遊びに出かけることもしょっちゅうでした。
こうなると、僕の得意の「直談判」攻撃で、チームに自ら乗り込んで交渉する…事も考えましたが、ここは日本や中国、アメリカではない。ホンジュラスは本当に治安が悪く、その当時、僕は凄く警戒していて、1人で外を歩く事ができないほどでした。
…こうして、何も無いまま1ヶ月が過ぎました。アメリカ時代から続く、この不条理…。僕の苛立ちはピークにきていました。そんな僕の状況にも、全くお構い無しのこの元ルームメイトのホンジュラス人…。誤解を招いてはいけないので、ここで本音を書いておきます。こういう事が有ったとは言え、僕はこの元ルームメイトのホンジュラス人に感謝しています。そして、約1ヶ月間も面倒を見てくれたその家族には、それ以上の感謝の気持ちを持っています。どういう形であれ、ホンジュラスに来るキッカケを作ってくれたのは彼だし、最初の1ヶ月間の生活をサポートしてくれたのは、その家族です。本当にありがたい事だと思います。…ただ、僕は旅行でホンジュラスに来たわけじゃない。「プロのテストが受けれる。」という事でホンジュラスに来たのです。それが受けれないのならば、苛立つのも当然です。
僕にとっての大きな「転機」が、ある日、突然、訪れました。この元ルームメイトのホンジュラス人の家の都合により、僕は彼の家を出なくてはならなくなったのです。1人で外を歩く事もままならない状態から、いきなり危険区域のド真ん中のホテルでの1人暮らしを強いられる事となりました。不安は当然あります。…けど、僕は逆にこれを「絶好のチャンス」と感じました。
「負の人間に関わってると、自分まで駄目になる。」僕はこう考えます。彼の家を出た事により、「負の大国」アメリカが関わる事、人、全てから、とりあえず離れる事ができました。
そして、この新しい我が家となるホテル、その周辺に到着した時、僕は「ここだ!!!」とすぐ感じました。ボロボロで薄汚い街並だけど、みんな逞しく、笑顔で元気に明るく生きている…何とも言えない活気、人間味に満ちた空間……これは……そう、人生最高の日々を過ごした中国とそっくりです!!中国を離れた後、約1年半、日本各地、アメリカ各地…いろんな場所に行きましたが、どこに行っても「何かが違う。」とず~っと感じていました。しかし、ここに辿り着いた瞬間、僕は「これだ!!!」とすぐ感じました。
「自分にあっている場所」というのは、こういうものです。そして、人生において「自分にあっている場所」に居る…という事は、運気を変えるという意味でも、全てにおいても、本当に重要な事である…と、改めて痛感しました。
この場所がよっぽど僕にあっていたのでしょう。到着した次の日から、劇的に運気が変わる事となりました…。
※写真は、友達の家の「5年間洗ってない」犬を洗った時のものと、サン・ペドロ・スーラの有名な教会。
つづく!!
Yoji
9 novembre 人生最高の日々。全てはここから始まった。中国初上陸!! どうも!はじめまして!Yojiと申します!日本の大学を2002年に卒業後、「2002~2004年」を中国の天津で、「2004~2005年」をアメリカのフロリダで、そして現在はホンジュラスのサン・ペドロ・スーラで過ごしています。それもこれも全て「プロサッカー選手」になり、そしてさらにその上に向かって突き進んで行くためです。
大学時代は、立正大学体育会サッカー部に所属し、4年時には、関東2部リーグでプレーしました。同級生には現・名古屋グランパスエイトでプレーする、北朝鮮代表の安英学選手が居ます。彼とは大学時代から意気投合し、今なお交流は続いています。僕の大事な親友の1人です。
大学卒業後はプロに入りたかったのですが、残念ながらその「夢」は叶いませんでした。「サッカー」という世界にも疲れ「もうサッカー辞めよう」と真剣に考えていました。そんな状況で卒業後、地元の広島に帰った時、高校サッカー部時代の監督から「コーチをしてくれ」と声をかけられ、最初はあまり前向きではなかったのですが、高校サッカー部のグランドで見た、高校生の純粋でひた向きなプレーに強い感銘を受け、半年間コーチをする事に決めました。そこで高校生と共に練習し、コーチをする事で、嫌気がさしていたはずの「サッカー」に対する熱い想いが、再び蘇ってきました。
高校で半年間のコーチをした後、「2002年9月」、すでに大学卒業前から決まっていた「中国留学」のため、天津に上陸しました(当時「22歳」)。
※天津上陸後、最初に撮った写真!!
※「世界で4番目に高いタワー(?)」と言われる、天津タワー。
表上はサッカーは全く関係なく「語学留学」という形でしたが、すでにサッカーに対する気持ちを取り戻していた僕は、天津上陸後すぐ、プロサッカー選手を目指した活動を開始しました。まだ全く中国語も話せない中、天津のプロチーム「天津泰達」の事務所に直談判に行きましたが、そこで知らされたのは、予想だにしなかった事実です。僕はGKなのですが、中国プロサッカーリーグには「外国人のGKは雇用できない」というルールがあったのです。凄くショックでした。希望を持って中国に来てすぐ、突きつけられた事実…。けど諦めず中国サッカー協会と連絡を取り、そのルールについてどうにかできないか、またも直談判に行きました。けど事実は覆らず、中国で足止めをくらう事になります。
「足止め」と前述しましたが、それは正しくない表現かもしれません。…というのも、この中国・天津で過ごした約1年半は、僕の人生の中でも最高に充実した日々だったからです。留学した「南開大学」には、アジアはもちろん、アフリカ、南米、中米、ヨーロッパなど、正に世界各国から留学生が来ていて、しかもみんな立場も何もかも違う人ばかりで、日本の大学時代まで価値観がほとんど「サッカー」と「日本」しかなかった自分に、言葉では言い表せないくらいの大きな影響を与えてくれました。もちろんここに居た日本人もそうです。「サッカー」とは全く関係ない友達がたくさんでき、彼らと過ごした毎日は最高に楽しかったです。人生の中で一番、笑って過ごした日々なのは間違いありません。…そして、中国と、中国人から受けた影響もとても大きかったです。とにかく彼らには、日本人にはないパワーがある。良くも悪くも、細かい事を気にしない。みんなではないけど、どんな貧しそうな場所に行っても、笑顔で元気にたくましく生きている。そういう中国人の姿を見て、時には一緒に行動もし、本当にたくさんのパワーをもらいました。中国の魅力については今回だけでは書ききれないので、これからもちょっとずつ書いていきたいと思います。
※たくさんの友達に囲まれ、最高の幸せを感じるYojiです!!
中国サッカー協会のルール上、中国でもプロになる事はできませんでしたが、「天津師範大学」のサッカー部の練習に約1年間参加させてもらい、ここでも本当にたくさんの良い経験をさせてもらいました。天津師範大学サッカー部は、元プロサッカー選手もたくさん所属しており、天津では圧倒的強さで№1、中国全国でも5本の指に入る強豪大学の1つです。本当は正式な部員になって公式戦に参加したかったのですが、中国大学サッカーリーグのルールでは、GKのみならず、外国人自体が参加不可能なので、練習生という形になりました。けど、技術的にも、精神的にも、語学的にも、1ランクも2ランクも成長させてもらいました。日中関係の悪化など感じさせないほど、彼らとは意気投合し、本当に良くしてもらいました。その他、天津社会科学院という学校では、日本語教師のバイトもさせてもらいました。中国で過ごした日々は、一生忘れる事のできない、最高の経験です。
このように、中国留学は僕の人生において、本当に大きなターニングポイントになりました。これにより、それまでの価値観がガラリと変わり、視野が一気に広がりました。毎日、1分、1秒に幸せを感じ、本当、ずっと中国に居たい…と思いましたが、夢である「プロサッカー選手」になるためには、中国を離れなくてはならなかった…。天津南開大学で知り合ったアメリカ人に協力してもらい、「2003年12月」、アメリカプロサッカーチームのトライアウトを受けるため、アメリカに初上陸しました…(当時「23歳」)。
つづく!!
Yoji
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