| Profiel van Yamano★★★「26歳」からのプロサッカー人生!不可能を...Foto'sWeblogLijsten | Help |
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27 augustus 北京五輪サッカー初戦!! <ホンジュラスVSイタリア>
<2008年8月7日(木) ホンジュラスVSイタリア >
「北京五輪オフィシャルIDカード」が無いため、ホンジュラス五輪代表に帯同する事はできません。しかし、この試合を観戦するために遠い遠いホンジュラスから訪れたホンジュラス人サポーターやメディアたちと共に、闘う事となりました!!
※ 中国・秦皇岛の街をホンジュラス人サポーターが行く…。おそらく、このような光景は、もう一生、中国ではお目にかかれない事でしょう…。
※ 韓国人サポーターと共に…。ホンジュラス人サポーターは珍しいからか、どこでも大人気でした!!
※ 巨大ホンジュラス国旗!!!
※ ホンジュラス人サポーターと共に観戦!!
※ ついに選手、入場!!!!!(青がイタリア、白がホンジュラス)
※ ホンジュラス国歌斉唱!!!思わずジ~ンときました…(涙)。
※ 円陣!!さあ、キックオフじゃ!!いったれ、ホンジュラス!!
前半、試合開始早々…。ホンジュラスの動きは硬く、イタリアに立て続けにチャンスを作られます…。しかしGKのケビン・エルナンデスがファインセーブを連発し、ピンチを脱出!!ふ~…。(ファインセーブの動画は下)
これで落ち着きを取り戻したホンジュラスは、徐々に本来の力を発揮し始め、イタリアと互角の戦いを繰り広げます。高い個人技によるボールキープとドリブル、パス回しで、イタリア相手にもなかなかボールを奪われない…。チャンスも作る…。良い感じで試合は進んでいました。
※ FKを蹴るアミーゴ、エミル・マルティネス。スタメン・フル出場!!
ところが…。
「0-0」で迎えた前半終了「5分前」…。イタリアが一瞬のスキをつきミドルシュートで1点先制!!!アイヨ!!!…確かにファインゴールではあったのですが、ホンジュラスのDFとMFのプレスの遅れが原因となった失点でもありました。ゴールしたイタリア選手が前を向いてドリブルを開始した瞬間、「ヤバイ!!」って感じました…。
ただ、「0-1」で前半を終えれば、まだ勝てる可能性は充分にある…。
が…。
ここでホンジュラス永遠の課題…「集中力の欠如」が発揮されてしまい、1失点目の僅か「2分後」、今度はPKを与え、これを決められ「0-2」に…。その直後、前半終了のホイッスル…。最後の最後の「5分間」でまさかの「2失点」を喫してしまうという、悪夢のような試合展開で、後半を迎える事となってしまいました…。しかも、「カテナチオ」を相手に…。本当に、もったいないし、痛い!!
※ ホンジュラス人のちびっ子サポーターと。ホンジュラスの子供は、本当にカワイイ!!
ハーフタイムにジュースを買いに行くも、長蛇の列…。よって、後半開始のホイッスルには間に合わず、後半15分過ぎ、ようやく席に帰るも…。
その間にホンジュラス、すでに「3失点目」を喫する!!!おいっ!!しかも、またまたPK!!!ジュースを買いに行っていたので生で見る事はできませんでしたが、後でVTRを見る限り、1回目のPKも、2回目のPKも、正直かなり微妙な判定…。1回目は未だに何でPKなのか分からないし、2回目はむしろイタリア選手のダイブに見えるのだが…。ありえない!!…しかし「ありえない!がある!」のがホンジュラス…。本当に納得のいかない、2つのPKでした…。
これで、「0-3」…。
ただ、それでもこの日のホンジュラスは、最後の最後までゴールを目指して勇敢に戦いました。
※ 勇敢に戦うホンジュラスを尻目に、観客席で深い眠りにつく、中国人(中国人は、どこでも寝ます)。
後半、残り20分…。ここでようやく、「エース」で「背番号10」のラモン・ヌネェスが交代出場。…って言うか、何でスタメンじゃないの!?これにはホンジュラス人サポーター&メディアもマヂギレ!!
ラモン・ヌネェスが自らの突破とシュートでチャンスを量産し、後半、残り10分には、我がアミーゴ…エミル・マルティネスが相手ペナルティーエリア内で高速ドリブルでファールを誘い、PK獲得!!ヨシッ!!この展開、勢いなら、1点返せば2点目、3点目も狙える…。
が…。
オーバーエイジで今大会に参加し、昨年のゴールドカップで「得点王」を獲得したカルロス・パボンが、まさかまさかのPK失敗!!ええええええええ!!??信じられない!!勘弁してくれ!!いくら「ありえない!がある!」ホンジュラスと言えども、これはありえなさ過ぎるぞ!!
※ カルロス・パボン、まさかのPK失敗シーン…。
大事な大事な「W杯予選」においても過去、一切PKを外した事がなかったカルロス・パボンが、まさか…。この「PK失敗」がチームに与えた影響は計り知れず…。VTRを見たら、蹴り方自体、すでに変だった。ホンジュラス人サポーターたちは「激怒」というより、むしろ「唖然呆然」…。
こうして、「0-3」で試合終了。ホンジュラス五輪代表、大事な初戦で敗北を喫する…。
※ 試合後、PKを外したカルロス・パボンのガッカリとした様子…。
※ この試合の全ゴール&ハイライト。ホンジュラス最大の見せ場は、エミル・マルティネスが高速ドリブルでPKを獲得したシーンか…。ん~…悔しい!!…ちなみに最後に惜しいシュートを放ったDFカバイェロ(ウディネーゼなどでも活躍)は現在、中国リーグ「长春亚太」所属…。长春亚太では、他にもホンジュラス人選手が2人プレーしています。そして、エミル・マルティネスは「上海申花」で活躍中…。このホンジュラス五輪代表には、2人も中国リーグでプレーしている選手がいたのです(共にオーバーエイジ)。彼らは中国を知り尽くしてる…+ホンジュラスと中国の「相性」は良いので、今回の北京五輪にはかなり期待していたのですが…。
※ ホンジュラスGKケビン・エルナンデスのファインセーブ付きハイライトはこちら!!ちなみに1回目のPKは、この映像では何がどうPKと判定されたのか全く分かりません。2回目のPKはこの映像だとGKが相手FWを倒しているようにも見えますが、拡大映像をTVで見た際、GKの手はFWには当たっていませんでした。あまりに厳し過ぎる判定でした!!(激怒)
しかし、僕はまだ、希望をもっていました。…というのも、このグループではイタリアが一番強く、他のカメルーン、韓国も同様に、イタリアに勝つ事は極めて難しいと考えられる…(<カメルーンVS韓国>は「1-1」の引き分け)。ならば、このイタリア戦は落としても、引きずる必要はない。それに、2本の不運なPKで失点した以外は、イタリアと互角に戦っていたし、もしあの2本のPKが無くて、カルロス・パボンがきちんとPKを決めていれば、この試合は「1-1」の引き分けのはずだった…。確かに人生に「たら、れば」はありませんが、強豪イタリアと対等に渡り合ったという事実は自信にして良いし、次に繋がると信じていました。
※ 完敗を喫した試合にあり、最大の収穫は超美人女性(ロシア人)と写真を撮れた事でした。ハラショー!!
こうして、熱い1日は幕を閉じました。結果には本当に失望したし、メチャクチャ悔しかった…。同日、日本はアメリカに「0-1」と完敗を喫しましたが、忘れてはいけないのは、ホンジュラスはその強豪アメリカを破って、「北中米カリブ海地区の王者」に輝いているという事実…。それだけのポテンシャルが、このホンジュラス五輪代表にはある…。だからこそ、この結果が本当に悔しかったんです。
しかしこの日の試合、ホンジュラスは彼らの持ち味である「高い個人能力」を駆使した「見ていて楽しいサッカー」を世界にアピールできたと、僕は感じました。その証拠に、スタジアムに集まった中国人の観客は、ホンジュラスの素晴らしいプレーが出る度に拍手と声援を送り、ついには、
「洪都拉斯,加油!!!(ホンジュラス、頑張れ!!!)」
…の合唱まで起こりました。日本では「ホンジュラス」という国自体を知らない人さえたくさんいるし、中国でも決してメジャーな国ではない…。そんな小国・ホンジュラスに対して、スタジアムが一体となって温かい声援を送ってくれた…。中国人サポーターの心意気を感じ、僕は涙が出そうになりました。本当に、嬉しかったです。
マスコミで取り上げられる「過激な野次」だけが、中国人サポーターの実態ではない事を、今回、僕は知る事ができました。そして、全くの「第3者」である中国&他国の観客からの声援を引き出した、ホンジュラス五輪代表の魅力溢れるサッカー…。僕は彼らを、アミーゴたちを「誇り」に思います。
「ホンジュラスと共に闘う」日々が、幕を開けました!!!
※ 「眠れる獅子」、ついに目覚める…。
※ 写真がもっと見たい方は、こちら→「Radio América」!!(←ホンジュラスの有名ラジオ局) このサイトの中の「Ver Galeria」というところをクリックすれば、写真が見れます!!ちなみに、僕もいくつか登場してます。
23 augustus 「オリンピック」の壁。会う事さえできないのか…?※ 秦皇岛の街並み。
<2008年8月6日(水) ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日>
こうして、「人生最大の決断」&「史上空前のドタバタ劇」を経て、どうにかこうにかホンジュラス五輪代表の試合会場&宿泊先である、「秦皇岛」に到着しました。
到着してすぐ、これまでまだ連絡の取れていなかった、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」に電話をかけます。そして…やっとやっと彼と電話がつながりました!!
しかし、彼の口から発せられた言葉は、少なからず僕にショックを与えました…。
「チームとしては、君の存在は大歓迎だ。しかし、これはオリンピックという一大イベント…。セキュリティーがとてつもなく厳しい。公式にチーム内で働くには、北京五輪オフィシャルのIDカードが必要なのだが、試合前日に現地入りした君は、もうこの手続きが間に合わない。このIDカードが無ければ選手の宿泊先や練習場に入る事さえできない…」
…………。
言葉を失いました。「自分のサッカー人生が終わるかもしれない」という覚悟まで決め、途方もなく長い「この国」から秦皇岛までの道のりを経て、ようやく辿り着いたと思ったら、この状況…。しかし、これはごく当然の事です。オリンピックという世界最大級のイベントだから、セキュリティーが半端じゃなく厳しいのは当たり前…。そんなの、「常識」です。
ただ、「中国」と「ホンジュラス」は共に「ありえない!がある!」破天荒な国で、そんな「常識」では考えられないような出来事が度々、起こる事を、過去、僕は現地で生活する中で実際に体験していました。
「この2カ国がコラボレーションすれば、何かが起こる可能性は充分ある…」
そう感じ、あえてリスクを冒して「中国行き」を決断したのです。…しかし、今回ばかりはさすがにどうにもなりません…。「オリンピック」という、とてつもなく大きな壁に跳ね返されました。このままでは、下手したらアミーゴたちに会う事さえできません…。
ただ、ここまで来て、下を向いているわけにはいきません。彼の話によると、「選手の宿泊ホテルに入る事はできないが、門の前で会える可能性はあるかも…」との事だったので、すぐさまそちらに向かいます…。
「せめて、アミーゴたちに会うだけでも…」
この2日間、ハードスケジュール過ぎてほとんど睡眠が取れておらず、時差ボケや空腹も相まって疲労は限界…。そんな僕を支えていたのは、「ホンジュラスへの想い」…ただ、それだけでした。
そして、ついにホンジュラス五輪代表の宿泊ホテル付近に到着!!
ホテルの前は厳重警備がしかれており、例え選手の家族であっても「北京五輪オフィシャルIDカード」が無ければ、一歩たりとも中には入れないという…。しかも、ホテル前の道路は一般車両、一切、立ち入り禁止…。想像以上の警備の厳しさに、驚かされました。
「これじゃあ本当に、アミーゴたちに会う事さえ不可能かも…」
そんな中、見慣れた「青と白」のジャージに身を包んだ数人組みが視界に飛び込んできました…。
「あっ!!ホンジュラスじゃ!!」
ホンジュラス五輪代表のコーチたちでした。向こうも、僕が着ていたホンジュラス代表のユニフォームを見て、興味を示して近付いてきました。アジア人でホンジュラス代表のユニフォームを着て歩いてる人間なんて、いくら広い中国と言えども、僕以外には皆無に等しいですからね…。
このコーチたちとは面識があったわけではありませんが、向こうは「マラトンに居た日本人GK」という事で、僕の事を知っていたようです。いろいろ話し、打ち解けました。…それにしても、中国の地で、ホンジュラスのサッカー関係者と交流する……本当に不思議な感覚がしました。そして、中国で初めてホンジュラス人を見つけた時の、湧き上がる喜び、嬉しさ、安堵、何とも言えない格別な気持ち…。この時の心境を、言葉で説明する事はできません…(涙)。
さらにホテルの前まで歩を進めると、ホンジュラスの新聞記者、ラジオ局などのインタビューを受けている、数人のホンジュラス五輪代表選手&監督と遭遇しました。
キャプテンのヘンドリー・トーマスと会いましたが、彼はドナルド・ゴンサレスのアミーゴで、今回、僕が「ホンジュラス五輪代表を助ける!」という使命を持ってやって来る事を、予め知っていたようです…。
「ドナルドから、話は聞いていたよ」
他の選手たちも一様に、「ああ、あの時の日本人GKかぁ!!」と僕の事が分かったみたいで、話に花が咲きました。…しかも監督のジルベルト・イェルウッドは、ホンジュラス時代に一度、会った事があり、面識があった人物…。ホンジュラス代表の新しいシャツを贈与され、ガッチリと握手を交わしました。
※ ホンジュラス五輪代表監督、ジルベルト・イェルウッドと…(僕が着ているシャツは、先ほど彼から贈与されたもの)。…実はホンジュラス五輪代表は、北中米カリブ海地区予選で優勝を成し遂げた際、彼ではなく、別のコロンビア人監督がチームを率いていました。それが、いつもの「ありえない!がある!」ホンジュラスサッカー協会の意味不明の決断により、五輪初戦の1ヶ月前に、突然、イェルウッドに監督交代…。何でよ!?イェルウッドの監督としての能力がどうこうではなく、せっかく結果を出していたチームに与える、突然の監督交代の影響、そして1ヶ月しか準備期間が与えられなかった新監督…。チームが混乱をきたしていないか、一抹の不安がありました…。
…こうして、やっとやっと中国にて、ホンジュラス五輪代表の面々との対面が実現しました!!…しかし、エミル・マルティネスなど、マラトン時代に共に汗を流したアミーゴたちとは、まだ再会できていません…。早速、エミルに電話をかけます。「ホテル前に到着したぞ!!」…するとエミルは、「おう!今からそっちに向かうわ!」と答えました。あと少しで、エミルとの再会が実現します…。
※ これは、2年前(2006年)にホンジュラスで撮った、エミル・マルティネスとの写真。真ん中はエミルの息子、ヘスス。
そして…
キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
エミル・マルティネスと、2年ぶりの再会!!!!!(涙)
※(ちなみに、イェルウッド&エミルが首からぶら下げているのが、例の「北京五輪オフィシャルIDカード」。これがなければ、選手やコーチでさえ、ホテル、練習場、試合会場…一切、立ち入り禁止なのです…)
ホンジュラスのアミーゴと、中国の地で感動の再会…。そこに辿り着くまでの「人生最大の決断」&「史上空前のドタバタ劇」…。さらには今日に至るまでの2年間…ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→「この国」…での苦闘…。さすがに込み上げてくるものがありました。そして、「自分にとって『ホンジュラス』という存在がいかに特別であるか」を、改めて再認識させられました。
この日は結局、都合が合わず、エミル・マルティネス以外のマラトン時代のアミーゴたちとは再会できませんでした。しかし夜には、例の「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」との対面が実現し、翌日の試合…「ホンジュラスVSイタリア」のチケットを彼からプレゼントされました。忙しいだけでなく、大事な試合前日でピリピリしている状況にも関わらず、僕のために時間を取り、チケットの手配までしてくれた…。その心遣いが本当に嬉しく、心に染みました…(涙)。
※ これが「2008年8月7日(木) ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦」のチケット!!!
「北京五輪オフィシャルIDカードが無いから、ホンジュラス五輪代表のホテルや練習場にさえ入れない」というショックの報告を受け、「下手したら選手たちに会う事も、試合をスタジアムで観戦する事さえもできないかもしれない…」と心配していましたが、こうしてどうにかこうにか、エミル・マルティネスとも再会でき、明日の試合のチケットも入手する事ができました。
五輪の試合のチケットなんて普通、簡単には手に入りそうもないのですが、試合前日に突然やって来たのにも関わらず、何だかんだで「チケット入手」が実現…。これも、僕とホンジュラス…そして中国との「縁」がもたらした奇跡なのかもしれません…。
さあ、いよいよ明日…。ホンジュラス五輪代表の大事な初戦…イタリア戦です!!!
つづく
19 augustus 「史上空前のドタバタ劇」の果てに…。
<2008年8月4日(月) 「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、3日前」>
気が付けば僕は、「この国」の空港にやって来ていました。
僕は、「中国行き」を決断しました。
決して、頭で考えての行動ではありません。「本能」と「直感」が、無意識の内に僕を空港へと向かわせていたのです…。
もちろん、「今、『この国』を離れてしまえば、俺のサッカー人生は終わってしまうかもしれない」…という不安は少なからずありました。しかし、それをも超越した、
「晴れ舞台に立つホンジュラスのアミーゴたちの力になりたい。ホンジュラスという国を世界にアピールする手助けがしたい。お世話になったホンジュラスという国に恩返しがしたい」
…という、熱い想い。
これまでの人生の中で僕は、いかなる事よりも、何よりも「自分のサッカー人生」を最優先させて生きてきました。「人生の優先順位第1位」は、何があっても「自分のサッカー人生」…。その他、全ては2位以下…。これはずっと揺らぐことのない牙城であり、不変だと思っていました…。
それが今回は、「ホンジュラスへの想い」が優先順位第1位となり、「自分のサッカー人生」をも上回ってしまったのです…。
僕の16年間のサッカー人生の中で、正に「前代未聞」であり、「初めて」の出来事でした。
まるで「花より男子」の道明寺のように、後先の事をまるで考えず、「本能」と「直感」だけで「この国」の空港にやって来ました。…が、あまりに突然の出来事過ぎて、「中国行き」の航空券の購入や予約どころか、この日に本当に「中国行き」のフライトがあるのかどうかすら一切、分からない状況でした。こんなメチャクチャな状況で空港にやって来たのも、「人生初」です。
ここで「中国行き」のフライトが無ければ、初戦のイタリア戦(8月7日)にはもう間に合いません。しかし、神様が僕を導いてくれていたのか…。1つだけですが、中国に行くフライトがありました!!しかも、残り座席はあと「1席」!!ギリギリ、セーフ!!
…こうして、どうにかこうにか航空券もゲットし、ホンジュラスのアミーゴたちが待つ…僕の「第2の故郷」とも言える中国を目指して旅立ちました。
※ 飛行機から見える、「この国」の夜景…。「再び『この国』に戻って来る事はあるのだろうか?」…様々な想いが脳裏をよぎります。
「人生最大の決断」を下し、ドタバタ劇の末に中国に向けて「この国」の空港から旅立ったのが、「8月4日」の午後…。そして、ドバイなどを経由し、目的地の北京航空に到着するのが、中国時間の「8月6日」の午前0時半…。ほぼ、丸々「2日間」のフライトです。
※ 飛行機から見える、ドバイの街並み。ここで、北京空港行きの飛行機に乗り換えます。
そして、長い長い、長~いフライトを経て…
<2008年8月6日(水)午前0時半 「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日」>
ついに、中国・北京に到着!!!!!
※ 「魂はホンジュラスと共に」…。ホンジュラス代表のユニフォームを身にまとい、オリンピックの開催地にとうとう上陸!!
様々な国のメディアやオリンピック関係者…。オリンピックのPR広告&特集TV番組…。厳重な警備…。北京空港は正にオリンピック一色…。「ああ、本当に俺は、オリンピックの開催地にやって来たんじゃのう…」と、しみじみ感じました。
しかし、オリンピックムードに浸っている時間はありません。「旅」はこれで終わりではないのです…。
確かに「北京五輪」なのですが、翌日「8月7日」のホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦の試合会場は、何と「秦皇岛」…。中国留学時代でさえ行った事はおろか、聞いた事さえないこの異郷の地に、2日間のフライトと時差ボケでクタクタな状態の中、深夜にも関わらず向かわなければなりません。
疲れと睡魔に耐えながら、「秦皇岛行き」の列車に乗るために、今度は北京空港から、北京駅へと向かいます。
そして…
ついに、北京駅到着!!この時点ですでに、時計の針は深夜1時を回っていました…。
切符売り場で、秦皇岛行きの切符を無事、入手します。列車の出発時刻は「早朝4時半」…。あと、約3時間もある…。旅行カバンの上に横になり、出発時刻を待ちます。
そして…
秦皇岛行き列車、やっと到着!!
さあ、あともう少しで、ホンジュラス五輪代表の待つ、秦皇岛に到着です!!…と言いたいところなのですが、北京駅から秦皇岛駅まで、何と「4時間半」もかかる!!またまた、長旅の始まりです…。
「8月4日」に「この国」から「2日間のフライト」を経て、北京空港に「8月6日」午前0時半に到着してからここまで全くもって睡眠が取れておらず、さらには時差ボケなどもあり、疲労はピーク…。それにも関わらず秦皇岛行き列車は「硬座」という、ボロボロ列車…。しかも満席で、座る席が無い!!おまけにエアコンも無い…。
たくさんの群集でごった返し、まともに歩くスペースすら無いボロボロ列車の中で、かろうじてトイレの前の通路に僅かながらの空間を見出し、そこに座って「4時間半」を耐える事となりました。
「臭い」、「汚い」、「狭い」、「ボロい」、「暑い」…の五拍子が揃った超過酷な「4時間半」…。
疲労と時差ボケと悪臭で薄れゆく意識の中、唯一の希望…ホンジュラスのアミーゴたちの「笑顔」を頭に思い浮かべ、自分を鼓舞します。
「ホンジュラスのアミーゴたちの力になるんじゃ…。ホンジュラスという国を世界にアピールする手助けをするんじゃ…。お世話になったホンジュラスという国に恩返しをするんじゃ…」
念仏のように、唱え続けました。
そして…
臭かった…。汚かった…。狭かった…。ボロかった…。暑かった…。眠かった…。腹減った…。本当に本当に、長かった…。
<2008年8月6日(水)午前9時 「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日」>
ついに、ホンジュラス五輪代表の試合会場&宿泊先である秦皇岛に上陸!!
僅か2日前までは、遠い遠い異国の地「この国」に居たのに、今はなぜか、ホンジュラス五輪代表と同じ地…中国・秦皇岛に居てしまっている…。「本能」と「直感」が体を動かし、無意識の内に歩を進めさせ、気が付いたらここに立っている自分がいた…。一体、ここはどこなのか??
「史上空前のドタバタ劇」だったにも関わらず、奇跡的に予定通り「ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦、前日」である「8月6日」に秦皇岛入りする事に成功しました。「行けばわかるさ!」精神で前に進めば、人生、やはり大抵の事はどうにかなるものなんですね…。目に見えない何か不思議なパワーが、ここまで僕を後押ししてくれたように感じました。
しかし、この時点ではまだ、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」とは連絡が取れておらず、「ホンジュラス五輪代表をサポートする」計画に関する具体的な話は、まだ一切できていません。この後、一体、何が起こるのか?全く見当がつかない…。
ここから本当の、「人生未体験ゾーン」が始まります…。
つづく 12 augustus 「人生最大の決断」突然、「契約破棄」になったあの事件が起きた数日後…。「この国」の全国紙でも、この問題が大きな記事で特集されました。
自分としては、もうこの事件の事は全く気にしてないし、むしろ、あんな酷いチームを離れられた事で、逆に心はスッキリしていました。ただ、「笑顔を見せて、平気で人を騙す人間がいる」という事実に対してだけは、同じ人間として、世の中に深い失望感を感じました。そして、「自分以外の日本人で、サッカーでなくとも『この国』で働きたい人がいた場合、同じような問題が二度と起きて欲しくない」と思い、メディアの取材に応じ、日本大使館に情報提供しました。
あの事件が起こってから3日間は、一切、サッカーの事は考えず、とにかくゆっくり、リフレッシュしました。久々、1日3食まともな食事が手に入る生活を送れ、1つのベッドに1人で寝る事もでき、心身ともに良い状態に回復しました。
リフレッシュし、一度、全てを「ゼロ」の状態…「原点」に戻した時、自分の中である想いが芽生え始めました…。
ホンジュラス…。
中国…。
オリンピック…。
実は、ホンジュラスU-23サッカー代表(以下、「ホンジュラス五輪代表」)は、アメリカ、メキシコ、コスタリカなど難敵がひしめく北中米カリブ海地区予選を勝ち抜き、決勝では強豪アメリカをアウェーで「1-0」と破り、見事に優勝…。「8月7日」に始まる北京五輪への出場権を獲得していました。
※ U-23北中米カリブ海地区トーナメント決勝。「アメリカVSホンジュラス」(白がアメリカ、青がホンジュラス)。このトーナメントはアメリカで開催され、決勝の地も当然、アメリカ(ペンシルバニア)…。ホームでは無類の強さを誇るアメリカに対し、ホンジュラスは見事に「1-0」完封勝利!しかも、慣れない「極寒」の中での試合…。本当に素晴らしい、感動的な優勝でした…(涙)。
僕は1人の「人間」としては、「日本人」としての誇りをもって生きています。それは、これまでのブログをご覧になって下さった方々なら、お分かりかと思います。
しかし…。
1人の「サッカー人」としては、僕は「ホンジュラス人」なんです。2005年に初めてホンジュラスに渡ってからというもの…。それまで日本や中国、アメリカで培ったサッカーの技術、体力、戦術、サッカー感…全てを捨て去り、「ホンジュラス化」しました。それくらいホンジュラスのサッカーは魅力的かつ衝撃的で、素晴らしいものでした。世界のどこに居ても、「ホンジュラスのサッカー選手」としての誇りを常にもってプレーしてきました。
「サッカー人」としての故郷は「ホンジュラス」…。
その「故郷」ホンジュラスが、オリンピックという晴れの舞台に立つ…。
しかも、このホンジュラス五輪代表の中には、ホンジュラス時代に共に汗を流し、絆を深めた「アミーゴ」がたくさんいる…。
さらには、このオリンピックの開催地は北京…。僕にとって、「第2の故郷」とも言える存在、「中国」…。
自分の人生に最も大きな影響を与えた、「ホンジュラス」と「中国」の、夢のコラボレーション…。
「どうしても力になりたい…。どうしても恩返しがしたい…」
…この想いが日に日に大きくなり、抑えきれなくなりました。
しかし、この時点ですでに「8月1日」…。ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦は「8月7日」…。もう、1週間しか時間がない!!
思い立ったら、即行動開始…。ネット上には一切、ホンジュラスサッカー協会の連絡先は掲載されておらず、すぐさまドナルド・ゴンサレスにメールと国際電話をして、何とかホンジュラスサッカー協会副会長の電話番号をゲット!!!しかも彼は、ドナルドの知り合いらしい…。
※ マラトン時代の、ドナルド・ゴンサレスとの2ショット写真。
ホンジュラスサッカー協会副会長に、「この国」から国際電話をかけます。幸い、「ドナルドのアミーゴ」、「あの時の日本人GK」と言うと、「ああ!」という事になり、話が進みます。そして、「中国語もスペイン語も少し分かるから、ホンジュラス五輪代表の力に、何かしらなれると信じている。アミーゴたちを助けたい」と伝えます。すると、「だったら、すぐ中国に行ってくれ!!」とOKの返事が出ました!!よしっ!!
…しかし同時に、「中国現地の情報が分からないから、現地入りしている、ホンジュラスサッカー協会幹部と詳しい情報交換をしてくれ」と付け加えられます。そして、その人物のメルアドを聞いてる途中…
「ピー。プー、プー、プー…」
国際電話カードの残高が無くなり、電話が切れてしまいました。アイヨ!!
この日は夜だったので、次の日(「8月2日」)の早朝すぐ、今度はマラトンの幹部や元マラトンの監督など、ホンジュラス時代に知り合った全ての有力人物に対してメールを送り、自分の意思と目的を伝え、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」の連絡先を尋ねます。
僕の熱意が通じたのか、「行動が異様に遅いホンジュラス人」にしては異例の早さで返信メールが届き、ついにホンジュラス五輪代表選手にして、僕のホンジュラス時代のアミーゴ…エミル・マルティネスの中国現地携帯番号を入手!!
※ ホンジュラスA代表でもレギュラーの、エミル・マルティネス(マラトン時代、2005年当時の写真)。現在は中国のプロチーム「上海申花」で活躍中。上海申花への移籍前のシーズンは、マラトンにて「リーグ優勝」「リーグ得点王」「リーグMVP」の三冠を、「キャプテン」として成し遂げた、正にホンジュラスを代表する、とんでもない選手です。今回の北京五輪には、「オーバーエイジ」として出場。
そして翌日…(「8月3日」)。初戦のイタリア戦(「8月7日」)まで、もうほとんど日にちが無い!!即行でエミル・マルティネスに国際電話をかけます。ついに、「この国」に居る僕と、中国現地入りしているホンジュラス五輪代表選手と直接、連絡がつながった瞬間でした(感動)。
彼と話をするのは、実に約2年ぶり…。「この国」から、「中国」に居る「ホンジュラス人」のアミーゴと国際電話で会話…。何だか不思議な感覚がしました。彼の話によると、
「中国人の通訳がチームに1人だけいるのだが、あまりスペイン語が話せないから、コミュニケーションに困っている」
…との事(オリンピックなのに、こんな事があって良いのか!?)。異国の地で言葉が通じない、周りに言葉が分かる現地人がいない事のストレスは、世界各国を回ってきた自分が、一番、よく分かっている…。しかも、エミル自身も、「Yojiが助けに来てくれるなら、チームとしては絶対に必要だと思う」と言う…。
「俺がアミーゴたちの手助けをするんだ…。ホンジュラスに恩返しをするんだ…」
…「使命」のようなものを感じました。
しかし、肝心の「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」は不在で、話ができない!!アイヨ!!この日がすでに「8月3日」…。初戦が「8月7日」…。最低でも、試合の前日(「8月6日」)には、中国現地入りしていなければならない…。それなのに、「この国」から「中国」までの移動(飛行機)は、時差などもあり、どうやっても2日間かかる…。
「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部と連絡がつながるのを待っている時間はもう無い!!!!!」
そして、また翌日…(「8月4日」)。大きな決断を迫られる事となりました。ホンジュラス五輪代表の初戦・イタリア戦の前日(「8月6日」)に中国現地入りするためには、この日に「この国」を出発する以外に、方法はありません。
しかし、この時点ではまだ、「中国現地入りしているホンジュラスサッカー協会幹部」と連絡が取れておらず、詳しい情報交換は全くできていない状況…。
さらに、最も大きな問題…。僕は、「この国」で日本人として初めてプロサッカー選手になるという、大きな大きな目標をもって、ここへやって来ました。「あのチーム」との契約が破棄になったとは言え、まだ「この国」での滞在期間は1ヶ月残っており、「この国」のリーグ開幕までも、あと2、3週間ある…。どのチームもすでに戦力が固まっており、「この国」の他チームと契約できる可能性はもうほとんど無いとは言え、まだ0.1%くらいは可能性が残っている…。
しかし、もしここで「中国行き」を決断すれば、今年中に「この国」のプロサッカーチームと契約する可能性は、ほぼ完全に消滅します。…そして様々な事情があり、今、「この国」を離れてしまえば、もう一度「この国」に戻る事は極めて難しい状況…。他国のプロサッカーリーグもすでにほとんどが開幕間近、もしくはすでに開幕しており、次、プロサッカーチームと契約できるチャンスは、12月くらいまで待たなければならない…。そうなってくると、今度はもう、サッカーを続ける事さえ困難になってきます。
つまり、「中国に行って、ホンジュラス五輪代表を助け、ホンジュラスに恩返しをする」…を選択するか、「『この国』にまだ残って、『この国』のプロサッカーチームと契約できる可能性を再度、模索する」…のどちらか1つを選択しなければならないのですが、もし「中国行き」を選択する場合、「サッカー引退」の覚悟が必要という状況なのです。
これまで、どんな苦しい状況におかれても、決して諦めずに、「笑顔」で続けてきた「サッカー」です。しかし、ここでの選択次第では、「サッカー引退」の可能性も出てくる…。ところが、ここにこのまま残っても、「この国」のプロサッカーチームと契約できるという保障は一切、無い…(この時点で、具体的なチャンスは皆無)。そして、「中国でホンジュラスを助け、恩返しをする」という機会は、今回を逃すと、一生、訪れないかもしれない…。
「中国行き」か?? 「『この国』に残る」のか??
選択次第によっては、「サッカー人生の終焉」を迎える可能性すらあります。…正に、「人生最大の決断」です。
どちらか一方でも話が具体的に進展していれば、選択も少しは容易だったのでしょうが、残念ながらどちらの話も、全くもってその可能性は不透明な状況…。それでも、もう時間が無いから、この日の午前中に「決断」し、この日の午前中に「行動」しなければなりません…。
「人生最大の決断」なのにも関わらず、全くもって考える余地は与えられていません。
こういう時は、「本能」と「直感」が一番、重要になってきます。「花より男子」の道明寺も、その行動のほとんどが頭で考えてのものではなく、「本能」と「直感」によるものです…。(詳しくはこちら→「道明寺的『成功法則』)
これまでの人生の中で、ありとあらゆる修羅場を世界中で潜り抜けてきた事で、今、僕の「本能」と「直感」は研ぎ澄まされています。自分の「本能」と「直感」が下した決断なら、絶対に間違いはないと信じています…。
こうして、「人生最大の決断」を下す瞬間がやってきました…。
つづく
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