| Profiel van Yamano★★★「26歳」からのプロサッカー人生!不可能を...Foto'sWeblogLijsten | Help |
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27 juli 「1年8ヶ月間」の沈黙を破り…。ついに、「この瞬間」がやってきた…。2006年11月にホンジュラスのプロサッカーチーム「Deportivo Lenca(デポルティボ・レンカ)」を退団してから今日に至るまで、実に「1年8ヶ月間」…。怪我で半年以上もランニングさえできない状況などに見舞われ、全く所属プロチームが決まりませんでした。(詳しくは→こちら)
しかし、「故郷、家族、応援してくれてる方々に、恩返しがしたい」という気持ちだけを支えに、「希望」を捨てず、諦めずにこの「1年8ヶ月間」を乗り越え、今日まで活動してきました。
そして、ついに「この瞬間」がやってきた…。
「この国」のプロサッカーチームと、正式に契約締結!!!
※ 契約書にサインするYojiと、それを見つめるチームのオーナー。
※ 正式契約締結後、チームのオーナーとガッチリ握手。
ここまでの道のりは、本当に本当に…本当に長かった…。しかし、どんなに苦しく、難しい状況下でも「笑顔」で活動してきたから、長くはあったけど、あっと言う間でもありました。支え続けてくれた家族や友達、ブログをご覧になって下さってる方々はもちろん、「今まで諦めずにやってきた、過去の自分」に対しても、感謝の気持ちが溢れ出てきました…。本当に、ありがとう…。
今回、この「契約締結」に至るまで、本当にありとあらゆる修羅場があり過ぎて、全てを文章で書き記す事はできません。
日本に一時帰国してから「この国」に再び戻ってきた時点では、実はまだ僕には何ら具体的な「チャンス」はありませんでした。それでも僕は「可能性」を信じてあえて「この国」に戻り、そして自力でチャンスを掴み、どうにか契約締結にまでこぎつけたのです。
そして、このプロサッカーチームに練習参加(テスト)している期間…。食事さえまともに用意されない(家の周りは何も無い場所だから、自分で食べ物を入手する事すらできない)から、1日1食しか食べれない日もある過酷な状況の中で、毎日、厳しい練習をこなしました。
しかも、その日の夜に寝る場所さえも不確定で(チームが準備するという約束だったが…)、1つのベッドを2人の選手でシェアして睡眠をとる日々が続きました。…正直、苦しくて何度か涙が出そうになりました。それくらい、本当に地獄のような環境でした。僕と同じく今期、新加入した他の選手は、「この国」出身であるにも関わらず、この地獄のような環境に耐えられず、3日間で「ホームシック」にかかったほどです。ましてや僕は、全く文化も生活様式も何もかも異なる遠い遠い「日本」からやって来た外国人選手…。その苦しさを、言葉で表現する事はできません。
初めて練習参加してから数日後、正式な「獲得オファー」をもらいました。条件面の交渉に入り、「2年契約」、「給料(公表できません)」、「住居の確保&帰国航空券の手配はチームが行う事」…などを契約条項に盛り込み、双方、合意に達します。そして、ついに「契約締結」…。
「これでやっと…やっと、故郷や家族、応援して下さってる方々に『良い報告』ができる…。ついに、『この瞬間』がやってきた…。このために『1年8ヶ月間』、諦めずに活動し続けてきた…」
今まで長い間、ブログをご覧になって下さったみなさん…。本当に…本当に、ありがとうございました。僕はついに、日本人として初めて、「この国」のプロサッカーチームと正式に契約締結を果たしました…。
※ 契約翌日の新聞で、早速、特集記事が…。
※ 「この日、歴史は塗り替えられる。初の日本人サッカー選手誕生…」
※ 「私たちは、この国で初めて日本人サッカー選手と契約したクラブになれた事を、誇りに思う」 チームの代表者がコメントをメディアに発表。
「契約締結」から、数日後…。
昨日、チームのマネージャーからクラブハウスに呼び出されました。そこで伝えられたのは…
「契約破棄」
…全くもって一方的な、「契約破棄」通告でした。理由は、「ヨーロッパに行っていた外国人GK(元このチーム所属)が戻ってきたから、Yojiは要らなくなった」…との事でした。要するに僕は、この「外国人GK」が戻ってこなかった場合の保険…つまり「二股」をかけられていたという事です。ジャマイカでも似たような事はありましたが(国際移籍証明書まで発行したのに、話が消滅した)、今回はしっかりと「契約締結」しており、状況は全く異なります。
こんな理不尽な事が、この「契約社会」でまかりとおるのでしょうか!?「契約」という概念が無いのか!?…これはある意味、犯罪です。日本なら、裁判沙汰になってもおかしくない出来事です。何せ、契約書にサインしているにも関わらず、数日後に、一方的に契約破棄してきたのですから…。しかし、「この国」は日本じゃない…。しかも、契約書のコピーは「後で渡す」と言われてもらっておらず、したたかな作戦に、完全にハメられました。もはや、どうする事もできません。
この「事件」が僕にもたらしたダメージは計り知れません。チームのオーナーからの「獲得オファー」、具体的な「条件提示」と「双方合意」、そして「契約締結」…。さらには、メディアにまで「初の日本人サッカー選手獲得」のコメントを発表したチーム代表者…。そして、「契約破棄」を伝えられる直前に行った練習後の、監督の「Yoji、また来週な!」という言葉と「笑顔」…。これらは一体、何だったのか!?全て「嘘」、「偽り」だったのか!?…と思うと、人間の怖さをまざまざと感じずにはいられませんでした。
実は、このチームの他にも2チームから話があったのですが、このチームと契約していたためにその2チームに行く事ができず、その間にこの2チームは他の「外国人GK」を獲得して、僕の入り込む余地が無くなってしまいました。つまり、「契約破棄」が伝えられた瞬間、同時に「3つのチャンス」が消滅してしまった事になります。どのチャンスも、やっとの思いで掴んだもの…。このダメージも計り知れません。
せっかく「良い報告」がみなさんにできると思っていたのですが、こんな状況になってしまって申し訳ございません。「笑顔」で全力を尽くしてはいるのですが…。「悔しい」とかいう次元を完全に通り越えています。こういう心境は初めてです。
この「事件」が起こったのが昨日の午後なので、まだ頭の整理ができていません。最低、1、2日間はゆっくり考える時間が必要です。それから、「全ての結論」を出したいと思います。
ただ、僕は落ち込んではいないので、そこは心配ないです。元気バリバリです!!
では、また…。
13 juli 「人生の巡り合わせ」がもたらした、「不思議な再会」…。今年は「何か」がある!!注)これは、約1ヶ月前に「1年ぶり」に日本へ一時帰国し、それから再び「この国」へ向かう途中の話です。
こうして強い決意を胸に、再び「この国」へ旅立つ事となりました。
日本から「この国」への直通便飛行機はありません。最初は「香港経由」で行く予定だったのですが、往復チケットの関係上「シンガポール経由」に変更せざるをえなくなりました。しかも、シンガポールの空港での乗り換え待ち時間が、過去最長の「10時間」!!長っ!!
「一体、10時間もどうやって過ごせばエエんじゃろう…?」
最初は正直、「何でこうなるの!?」と頭を抱えました。…しかし人生、どんな出来事も、結局は自分にプラスをもたらす「最高の出来事」になるよう、神様によって仕組まれているのです…。
「シンガポール…。10時間…。んんんんん!?」
…ここで1人の人物の名前が、僕の頭に思い浮かびました。
大学サッカー部時代の先輩で、元アルビレックス新潟所属…現在はシンガポールリーグで活躍する、新井健二選手(以下「アラケンさん」)です。
アラケンさんは僕の1学年上の先輩で、大学時代は3年間、共に汗を流した仲間です。…が、大学時代は、ほとんど交流がありませんでした。いや、フィールドで練習する時はもちろんコミュニケーションをとっていましたが、プライベートでは全く交流が無かったんです。…で、大学を卒業してからも全くと言って良いほど交流は無く、2004年に安の居る新潟に行った際も、アラケンさんとは出くわしたのですが、これまたほとんど会話をする事はありませんでした…。
そんなアラケンさんが、なぜか今年に入り、突然、メールをくれるようになったのです!!…どうも、これまた2004年に新潟で知り合った、元アルビレックス新潟所属の深沢仁博選手(以下「深沢さん」)と現在、シンガポールでチームメイト&ルームメイトになったらしく、「(深沢さんから)お前のメルアド聞いた」とかで、メールしてくれるようになったのです(深沢さんとは2004年に新潟で知り合って以来、たま~にメールでやり取りしていた)。
それにしても、大学サッカー部時代から今日までの「約10年間」、ほとんど交流すら無かったアラケンさんがメールを送ってくれるようになるなんて…一体、どういう風の吹き回しなんじゃろう??(笑)。本当に驚いたし、同時に、凄く嬉しかったです。
…で、今年に入ってからこんな感じでちょこちょこアラケンさんとメールでやり取りしていたので「一応、シンガポールに飛行機の乗り換えで寄る事を伝えてみるか!」と思ってメールしたのです。すると…
「旅立つ前に、シンガポールの上手いモノを食わせてやる!マサ君(深沢さん)も連れて行くから一緒に会うか!?」
…という返信メールをくれました!!アラケンさんの優しさが心に染みて、本当に嬉しかったです(涙)。
こうして、本当に奇遇にも「飛行機の乗り換えで偶然、シンガポールに寄り、10時間の待ち時間がある」…という特殊な事情のおかげで、アラケンさん、深沢さんとの再会が実現したのです!!実に「4年ぶり」の再会でした!!
※ シンガポール上陸!!アラケンさん、深沢さんと再会!!
アラケンさんは現在所属の「Singapore Armed Forces Football Club」に2006年より加入し、その年、見事に「リーグ優勝」。続く2007年も優勝を果たし、これで「リーグ2連覇」。さらにはシンガポールカップも「2連覇」を達成し、その年に行われた「AFCカップ」というアジアの大会にも出場。しかもその大会で「日本人初ゴール」もゲット!!(DFなんですが…。凄いですね!)
…とまあ「異国の地」シンガポールで大活躍している、大変、尊敬できる先輩です。
ちなみに今年…2008年には深沢さんがこのチームに加入し、2人はアルビレックス新潟時代以来の「チームメイト(しかもルームメイト)」になったわけです!!いや~「人生の巡り合わせ」って、本当におもしろいですね!!「シンガポールリーグ3連覇」は過去無いそうなので、ぜひ2人の力を合わせて、偉業を成し遂げて欲しいものです!!
実は安英学の成功にもアラケンさんは間接的に関わっていて、大学時代、アラケンさんの視察に訪れたアルビレックス新潟の関係者の方が、たまたまそこで安のプレーを目の当たりにし、それが元となって、後に安の「アルビレックス新潟入団」が決定するのです。…つまり、アラケンさんがいなければ、今の安英学も無かったかもしれないのです!!
…つくづく「人生の巡り合わせ」って不思議ですね~。もちろん「実力」がある事が最低条件なのですが、この世界、それプラス「人生の巡り合わせ」が本当に大事って事ですね。アラケンさんにも安にも、「人生の巡り合わせ」を味方に付ける「プラスのオーラ」が出ています。だから、成功できるのです!!
※ アラケンさんと!!
深沢さんは2004年に新潟で知り合ったのですが、メールの中でも年下の僕に凄く丁寧な敬語の文章を書いてくれる、大変、紳士な方です。…また、少し不思議なキャラの持ち主(?)で、新潟に居た際、一緒に食事をした事があるのですが、その事は「覚えていない」らしく、逆に、一度、新潟の商店街で偶然、出くわし、「あ、どーも…」って感じで「0.5秒」だけ交流したのですが、そっちは「覚えてる!!」らしいのです。普通、逆でしょう!?(笑)不思議な人です。
Jリーグでは、アルビレックス新潟の他にも横浜マリノスでプレーされ、新潟退団後は、アメリカ「USL」の強豪「モントリーオール・インパクト」で活躍…。昨年はタイの「バンコク・ユニバーシティFC」でプレーし、ACLにも出場して川崎Fとも対戦…。本当に、凄まじい人です!!尊敬しています。
※ 深沢さんと!!
アラケンさん、深沢さんとの「4年ぶりの再会」は、予想を遥かに上回る楽しさとなり、非常に「濃い」時間が過ごせました。ハッキリ言って、楽し過ぎて、とてもじゃないけど「10時間」じゃあ足りませんでした。30時間くらいは欲しかったです(笑)。
※ 活気溢れる、シンガポールの街!!英語も中国語も通じるし、おもしろい国です!!
前回、この2人と会ったのは、「2004年に安の居る新潟に行った時」です。
…で、その当時の僕の状況を少し振り返ってみると、
「半年以上、サッカー環境を失い、ボールを蹴る事さえままならぬ状況。引退の危機」
…でした。
!!!!!!!!!!!
…そうです。昨年、僕が置かれていた状況と、全くと言って良いほど同じなのです。
…で、「2004年に安の居る新潟に行き、アラケンさん、深沢さんに会う」…の後…2005年…僕はどうなったかと言うと…
「ホンジュラスで人生初、プロサッカーチームと契約締結」!!!
そして、今回の僕の状況は…
「1年以上、サッカー環境を失い、ボールを蹴る事さえままならぬ状況」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「安の居る韓国・水原に行った後、シンガポールでアラケンさん、深沢さんに会う」 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「『この国』のプロサッカーチームと契約」!!??
キター!!!!!(笑)
…要するに、「長期間、サッカー環境を失う」→「安英学と再会」→「アラケンさん、深沢さんに会う」…は、ある種の「勝利の方程式」であり、非常に「縁起が良い」事なのです!!ヤッター!!
「そんなのコジツケじゃ!!」
…という意見もあるかもしれませんが、確かに僕は肌で「何か」を感じています。良い「流れ」である事は間違いありません。
こうして僕は「人生の巡り合わせ」によって「偶然」もたらされた「不思議な再会」を終え、非常に良い「流れ」を感じながら、笑みを浮かべつつ、シンガポールの空港より「この国」へ向けて旅立ちました。
今回、アラケンさん、深沢さんからは本当に大きな「プラスのパワー」をもらいました。この「プラスのパワー」を胸に、必ず「この国」のプロサッカーチームと契約し、「恩返し」と、行き先を告げずに旅立った「お詫び」をさせていただきます。必ず!!(「行き先」は家族以外の誰にも告げていません)
※ シンガポール・チャンギ空港にて、アラケンさん、深沢さん、もう1人チームメイトの日本人選手、ノリ君と!!
※アラケンさんのブログURLは→「こちら」!!(右の「破天荒リンク」にも貼っておきます)…ちなみに深沢さんは、今年はブログをやってないそうです…。
05 juli 負けられない理由。注)これは、約1ヶ月前に「1年ぶり」に日本へ一時帰国した時の話です(今はもう「この国」に戻ってきています)。ちなみに前回の記事で、安の居る韓国へ寄った話を書きましたが、それはこの一時帰国で日本に到着する前の話です(「この国」から日本に帰る際、直通便が無かったので韓国で乗り換え、そして韓国に少し滞在してから、日本に帰った)。ちょっとややこしいかもしれませんが、帰国したのはこの「1回」のみです。
…というわけで、「この国」から韓国を経由して、1年ぶりに日本・広島の地に帰ってきました。
※ 我が家の「守護神」(昨年、UFOキャッチャーで僕がゲットました)。ちゃんと神棚(?)に飾ってあります。確かに、実際「神様」です。
「最後の挑戦(最后挑战)」でも書いたように、個人的事情があり、今回は家族以外の誰ともほとんど会ってないし、連絡も取りませんでした。「きちんとした結果」を出して帰国した際に、改めて顔を見せたり、連絡を取りたいと思いますので、このブログをご覧になってる知人の方々には、悪しからずご了承頂ければと思います。
「家族」以外の誰とも…。しかし、今の僕には、1年ぶりに家族に会えただけでも、充分、幸せを感じました。
「とにかく家族を喜ばせたい。笑顔にさせたい」
…これが僕の最大のモチベーションです。
1年ぶりに、入院するおじいさんのお見舞いに行きました。
以前、ブログに登場した時は立って歩いていましたが、今は脚が弱り、車椅子になりました。
現在、88歳…(今年、89歳)。まだまだ元気にしてくれています。嬉しい限りです。…ただ、若干、物忘れが多くなってきました。久々に会って、「誰か分かる?」と聞いた時、「ん~…誰じゃったかいのう?」と言われた時はショックを受けました。…が、実は「髪が伸びとるけ~誰か分からんかった」だけで、ちゃんと僕の事は覚えていてくれました。さすがじゃ、おじいさん!!
そして、実は何と、僕がサッカーしている事も、しっかり覚えてくれていました…。
約2年前…。ホンジュラスで、生まれて初めてプロサッカーチームと契約締結した際…おじいさんは喜んでくれました。当時、僕の記事が掲載されたホンジュラスの新聞や所属チーム「CD Lenca(クラブ・デポルティボ・レンカ)」の集合写真ポスターは、今も病室に大事に飾ってくれています。そして、ホンジュラスから広島のRCCラジオ番組に出演し、丁度、放送日がおじいさんの誕生日だったので「お祝いの言葉」を番組内で述べた際も、喜んでくれていたそうです(当時、僕は日本に居なかったので、親から聞いた話です)。
「おじいさんが元気な内に、まだまだ、たくさん『良い報告』をして、喜ばせ、笑わてみせる!!」
…そう考えると、底なしのエネルギーが湧き出てきます。
今日の豊かな日本があるのは、激動の時代を魂で生き抜いた、おじいさんの世代の方々のおかげだと、僕は考えています。人生の終盤に差し掛かったおじいさんに、お世話になったおじいさんに、感謝の気持ちを込めて、とにかく、とことん喜ばし、笑顔にさせ、「いや~、最高の人生じゃった!!」と思わせてあげたい…。本当に、心の底から、そう願っています。…そしてこの想いが、「不可能を可能にする」原動力になります。
初めてホンジュラスでプロサッカーチームと契約締結し、「人生最大の夢」を叶えた際…。実は、知人の反応は、「あっそ…」くらいの素っ気ないものが多かったです(もちろん、祝福の言葉をくれた人もいましたが)。
しかし…。
家族だけは、心から喜んでくれました。一番、喜んでくれました。それまで、僕がサッカーする事に大反対だったのにも関わらず、喜んでくれました(口では何も言いませんでしたが、態度で何となくそう感じた)。
家族が喜んでくれるなら…。それだけで僕は充分です。他には何も望みません。
家族には本当に感謝しています。だから、とにかく、とことん喜んで欲しい…。笑顔になって欲しい…。僕が望むのは、これだけです。そして、それが最大の「恩返し」になると信じてます。
※ 父と練習。夜なので父はパジャマ姿ですが、ご勘弁下さい(お恥ずかしい)。ちなみに父はサッカー「ど素人」です。2年前までなら、父と練習するなんて考えられませんでした…(10年以上、父からはサッカーする事に反対され続けてきた。「サッカー辞めろ」と言われた事、数え切れず…。母に至っては「あんたがボール蹴る音を聞くだけで頭が痛くなる」とまで言っていた。それが今では応援してくれている…。その気持ちに、どうしても応えたい…)。
こうして強い決意を胸に、短い日本での「1年ぶり」の滞在を終え、僕は再び「この国」に向けて出発しました。
※ 広島駅から、出発!!
そして、その道中で、またまた予想外な出来事が起こるのでした…。
つづく
※ おじいさんが書いた「勇気百倍」。これを見ると、僕の勇気は「千倍」になります。
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