| Profiel van Yamano★★★「26歳」からのプロサッカー人生!不可能を...Foto'sWeblogLijsten | Help |
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31 juli 「ボールが蹴れる!」ということの、「幸せ」。※元日本代表キャプテン・宮本選手と…。
※元日本代表・三都主選手と…。
宮本選手、三都主選手ともに、非常に「紳士」で好感が持てました。「ザルツブルグ」という、ほとんど日本人がいない所で(実際、練習場には、スポニチ現地通信員1人、日刊スポーツ現地通信員1人、そして僕の3人しか「日本人」がいませんでした!)、その活躍が日本に知れ渡ることもあまりない中、本当にひっそりと「闘っている」…彼らの姿を見て、「心から応援したい。」と思いました。…しかし、握手をする時は、「応援してます!」と口では言いつつ、心の中では「もうじき同じピッチの上に立つから、待ってろよ!」…なんて密かに思ってたりしました(笑)。「日本代表」を目指す者として、実際に「日本代表」で活躍し、実績を残してきた選手の身近で、その「オーラ」を吸収できたことは、大変、大きな収穫でした!!
※宮本選手、三都主選手が所属する「レッドブル・ザルツブルグ」のホームスタジアム「EM Stadion」。
※「レッドブル・ザルツブルグ」の監督・トラパットーニ氏の記者会見に潜入!「ヨーロッパはセキュリティが厳しい。」と思っていたのですが…ありゃりゃ!?…簡単に潜入できちゃいました!!日本じゃ「ありえない!」ことです。しかもここには、記者用に用意された「食事」がありました。現在、「収入無し」の僕は、毎日が「食事」を求めた「究極サバイバル生活」です!!ここぞとばかりに、「記者用」の「食事」を食べまくりました!!(笑) …ってか、トラパットーニ氏が会見してる最中でも、ムシャムシャ料理を食べてる記者が結構、居たんですけど…(笑)。何だか、ほのぼのしててエエなぁ~…。
※トラパットーニ氏は、世界的にも大変、有名な監督です。そういう「成功者」の近くで、その「オーラ」を吸収することは、自分が「成功」する上でも非常に大切なことなのです!…ちなみに、向かって左側に、何やら青い封筒のような物を触っている人が座ってますが(トラパットーニ氏の、隣の隣)、彼が、現在、僕が会っていろいろ「チーム探し」の話をしている、例の「レッドブル・ザルツブルグの関係者」です。非常に「紳士」で、素晴らしい人物です。ダンケ!!(←ドイツ語で「ありがとう!」)
上に書いた「レッドブル・ザルツブルグの関係者」とは話をしてますが、まだ具体的な「チャンス」の話はありません。だから最近は自分で毎日、オーストリアのプロチーム、ルーマニアのプロチーム、ポーランドのプロチーム、メキシコのプロチーム(北米じゃん!)…などなどに「良いGKが居ますよー!(←自分のことです)」って宣伝のE-mailを送り続けているのですが、まだ、全くどのチームからも連絡がきてません。…おいっ!!
まあ、「プロチームから連絡がくる」ってのは、そんな簡単なもんじゃないですからね。ましてや、どこの馬の骨かも分からない奴からメールが送られてきても、普通、なかなか相手にしないものです。仕方がない…。
ただ、そうは頭で分かってはいても、やはり、物凄い「モチベーション」でオーストリア・ザルツブルグまで乗り込んできましたから、なかなか「成功」への糸口が掴めない現状には、若干、気持ち的に難しくなる時も、当然、あります。しかし、そういう時は、「ZARD」の「負けないで」を聴いて、自分を奮い立たせています!!「♪追いかけて 遥かな夢を~♪」
昨日、ネットカフェから現在の「拠点」となっているホテルに帰っている途中のことです。「またチームから連絡が無かったよ…。」と若干、凹み気味だったのですが、その時、目の前に、あるものが飛び込んできました…。
サッカーです!!!
子供達が、草サッカーをしていました。
僕はここオーストリア・ザルツブルグに上陸してからの「2週間」、ただの1度もボールに触っていませんでした。触ろうにも、触る機会がありませんでした。だから、子供達の草サッカーを目の当たりにした瞬間、思わず体が動き出していました(笑)。走って、子供達のもとへ飛び込んで行きました!!
「俺も混ぜてくれぇ!!!」
ビビる子供達…(笑)。
しかし、心良く承諾してくれました。僕は急いでホテルに帰り、サッカーする準備をして、また子供達の草サッカーのフィールドに向かいました。「早く行かないと、あいつら帰ってしまう!!」と思い、普段は準備がトロイ僕が、僅か「5分」で準備を済ませ、草サッカーのフィールドに「サッカーをするため」に、再び戻って行ったのです。唖然とする子供達…(笑)。どっちが子供か分からないです(笑)。
「やーーーーーーーーっと、サッカーできるぞーーーーー!!!」
オーストリア・ザルツブルグに上陸してから、初めて触る「ボール」です。
僕はもう、嬉しくて嬉しくて、誰よりも「笑顔」でフィールドを駆け回りました!!!
※突然のアジア人の乱入に、唖然とする、現地オーストリア・ザルツブルグの子供たち(笑)。よく見ると「フランス代表」「ポルトガル代表」…中には、オーストリアとよく間違えられる「オーストラリア代表」のユニフォームを着た者までいます。紛らわしい!!(笑) 「お前ら、オーストリア人だろ!何で他国の代表ユニフォームを着てるんだ!?」と聞くと、「オーストリア代表は弱いから。」とのことでした。ありゃりゃ…。
※カワイイ子供達!!
※ザルツブルグの美しい景色を背に(後ろの城は、前回の記事に書いた、例の「毎日、走って上っている」城です!)、ついについに、オーストリア上陸後「初めて」ボールに触ったYoji!!(涙) やっぱ、サッカーは最高です!!(涙)
物凄い「モチベーション」でオーストリア・ザルツブルグに上陸したものの、「チャンス」が無く、「2週間」もボールに触れない生活を送っていました。それが、やっとボールに触ったかと思えば、子供達との「草サッカー」…。
「ひっでぇー状況だな!」
…と思う人もいるでしょう。実際、自分でも時々、ガッカリくることがあります。
しかし、僕はあくまでも前向きに捉えています。
オーストリア・ザルツブルグに上陸してからの最初の3日間は、とにかく「衣食住」の問題を解決するので、精一杯でした。ネットだってできないし、ボールに触ることはおろか、ランニングさえする暇が無いほどでした。
それが、ようやくちょっとは安定した「衣食住」の「拠点」を見つけることができ、更にはネットができるようになり、現在は自分のPCを接続してネットができるようになり、ランニングができるようになり、今ではボールが蹴れるようになったのです…。
自分は決して、「後退」していない!!むしろ毎日、ちょっとずつではありますが、「成功」に向けて「前進」しています。
自分はかつて、最大「6ヶ月間」…ボールに触ることもできなかった「どん底」の状況の中から、這い上がって「プロサッカー選手」という人生最大の『夢』を叶えた経験があります。しかも、ホンジュラスという、「未知」な上に、最強に治安が「デンジャラス」な場所で、「コネ」も「知り合い」も何も無い全くの「0(ゼロ)」から、「プロサッカー選手」になりました。その時に比べれば、今の状況は遥かに「希望」があります。
サッカー以外の私生活で「幸せ」に満ち溢れた時間を過ごしていても、サッカーという『夢』を追いかけ始めた瞬間、歯車が噛み合わなくなり、イバラの道に足を踏み込んでしまう……そのジレンマを感じることは、確かにあります。「ただ、サッカーで『夢』を叶えて幸せになりたいだけなのに、なぜ、サッカーはこうも自分に試練を与えるのか!?」…何度も考えました。「苦しいから、サッカーなんかもうエエわ。」…と思いかけたこともありました。
しかし昨日、「サッカー」を見た瞬間、無意識のうちにそこに飛び込んでいる自分がいました。やはり自分は「サッカーが好き」なのです。そして、「自分の『夢』を叶えて、この子供達に『希望』を与えたい!!」と心から思いました。
プロサッカー選手はもちろん、現在、学校の部活などで「ただ、何となく」ボールを蹴ってる人々が、たくさんいると思います。僕はそういう人達にぜひとも伝えたいです。
「ボールが蹴れる!」ということが、いかに「幸せ」か…ということを。
僕はまだ、かろうじてボールが蹴れています。その内は、できる限り挑戦し続けていこうと思っています。
そして……。
もっともっと、もーーーっとボールを蹴るために……僕は『夢』を実現させます!!!
26 juli 「究極サバイバル生活」スタート。 飛行機から見える、オーストリア・ザルツブルグの神秘的な空…。
その1時間後、僕はザルツブルグ空港に到着しました。
そして、この瞬間から、僕の「究極サバイバル生活」がスタートしたのです。
単刀直入に言います。
頼れる人…「0(ゼロ)」です。
確かに、例の「大学時代の親友」のつてで知り合った、オーストリア現地の日本人の方とは会いました。また、その人の知り合いで、元日本代表キャプテン・宮本選手、三都主選手が所属する「レッドブル・ザルツブルグ」の関係者の方とも会いました。
しかし…。
今のところ、自分がプロに挑戦できるという具体的な「チャンス」の話は、一切ありません。しかも、当然ながら、彼らが僕の「衣食住」のサポートをしてくれるわけではありません。オーストリアの言語は「ドイツ語」…英語は大体の人に通じますが、自分がこれまで培ってきた中国語、スペイン語、そして日本語は、基本的には役に立ちません。そして、生まれて初めて来た「未知の世界」…何から何まで、さっぱりわけが分からない状況…そんな中で、まずは、その日の「食事」と「寝る場所」を確保することに追われました。
オーストリアに来てからの3日間は、毎日毎日、「寝る場所」が変わる生活でした…。言葉も地理も、全く何も分からない状況の中、「自分自身」でホテルを探さなければならないのです。見つからなければ、それこそ「ホームレス」になるしかない…。しかも、ヨーロッパの物価は日本以上に高い。一言で「ホテル」と言っても、異様に値段が高いので、どこでもかしこでも泊まれるものではありません。安いホテルを探さないといけないのですが、知り合いもいないし、もう、毎日、街中を歩き回って、道行く人に聞き込みをするしかないのです。さらには、この3日間は、異常気象で毎日「気温37度以上」!!そんな炎天下で、日本から持ってきたドデカイかばんを大量に持って、「未知の世界」をひたすら歩き回る…。「食事」と「寝る場所」を求めて…。 ジョーダンではなく、正直なところ、本当に「死ぬ」かと思いました。
今はどうにか、一泊「17.40ユーロ」の最安値のホテルを見つけ、ようやくそこが「拠点」になりつつあります。最初の3日間よりは、地に足が着いた生活ができるようになりました。しかし、この一泊「17.40ユーロ」の部屋は、安い分だけあって、何と「8人部屋」です!!けど、そこは自分の神懸り的な「運」により、初日以外は、1人しか同じ部屋に客が来ず(しかもこの客、夜、寝る時以外は部屋にいない。日中は常に不在)、「8人部屋」なのに実質、自分1人で占領している状況です。ラッキー!!
今、ようやくこうしてブログの更新もできるようになりましたが、最初は自分のPCを使うことすら…いや、ネット自体をすることすらできませんでした。「食事」と「寝る場所」の確保で、もう精一杯…。
オーストリア・ザルツブルグに上陸してから丁度「1週間」が経過しましたが、まだ、ただの1度も「ボール」には触っていません。最近はようやく生活の「拠点」ができてきたので、ザルツブルグ市街をランニングしたり、フィジカルトレーニングができるようになりましたが…。普通、これだけ日本から離れた国に来ると「時差ボケ」を感じるものなのですが、今回は、一体、何が「時差ボケ」だったのか…?とにかく「時差ボケ」を感じる暇が無いほど、「食事」と「寝る場所」の確保に追われ、尋常じゃないほど、慌しい日々を過ごしました。これが「旅行」なのなら、これでも良いのでしょうが、僕はここに、「旅行」ではなく、「サッカーで食っていく」という目標の下にやって来ています。スポーツ選手にとっては、「食事」と「寝る場所」の安定は、正に死活問題です。そりゃーもう、必死になって探すしかないって感じでしたよ!!
すでに上に書きましたが、サッカー関係でも、約束されていた「チーム関係者」と会って話すことはできましたが、具体的な「チャンス」の話は、まだ全く出ていません。来週木曜日にまた、彼とは会うことになってますが、どうなるか全然、先が読めない状況です。
しかし…。
それくらいのこと、「覚悟」はしてました。
僕は日本で、この「オーストリア行き」の話を聞いた時から、そんなに期待できる「チャンス」だとは、思っていませんでした。「だったら、何でオーストリアに行ったんだ!?」…と思われるかもしれませんが、前回のブログ記事にも書いたように、未知の可能性でも、ここに飛び込まなければ、もう、僕の「プロサッカー人生」は終わると感じたのです。この「オーストリア行き」の話は、行動を起こす良い「きっかけ」になりました。そして、一度、ここに来たからには、もう、自分自身で「チャンス」を見つけていくしかないのです。
毎日毎日、街で会う人会う人に、積極的に「プロでサッカーするために、ここに来た。チャンスはないか?」と情報収集する日々を過ごしています。さらには、自分でプロチームにメールし、「チャンス」を模索しています。相手が誰とか、知ったこっちゃないです。ただ、「お願いします!」と頭を下げて「チャンス」をもらおうとは思っていません。そうやって下手(したて)に出て「チャンス」を請うても、この世界では通用しません。それは、今までの経験から、学んだことです。「自分は凄いGKだ。自分を獲らないと損をするし、獲らないなら獲らないで、自分には『チャンス』がいっぱいあるから、痛くも痒くもない。」…くらい、「強気」で攻めます。自分本人なのに「代理人」と名乗って、自分のセールスポイントをチームにメールしています。なぜなら、選手本人が売り込んでくるより、チームからしたら、「代理人」が売り込んでくる方が、より信憑性があると考えたからです。正に「代理人兼選手」!!自分はここで「プロサッカー選手」になって、「生きて」いかなければならない…。もう、何だってやりますよ!! …ちなみに「代理人」の時の名前は……お父さん、名前使わせてもらってます(笑)。お許し下さい(笑)。
現在、「収入無し」(「Yahoo!ネットオークション(ヤフオク)」の収入は僅かながらにありますが(笑))。 ヨーロッパの物価は高い。「プロサッカー選手」になって「収入」を得なければ生きていけないし、日本に帰れない…(オーストリアは入国時に「帰りチケット」を見せなくて良かったので、「片道切符」で来ました)。 頼れる人??…そんなの、いません。「衣食住」に加え、「サッカー関係」でも、自分自身で全て「チャンス」を探して「生きて」いかなければならないのです…。
頼れるのは、「己」のみ。
「究極サバイバル生活」がスタートしました。
思えば、ホンジュラスでも、今回と同じような状況下で「プロ契約」を勝ち取りました。ホンジュラスは「物価」が安かったのが救いだった分、「治安」が異様に悪くて、それこそ行動するのは「命懸け」でした。オーストリアは「治安」が良くて助かる分、「物価」が異様に高いので、「プロ契約」を勝ち取れなければ、生活できません。どっちにしても、「命懸け」の挑戦なのです。
僕はこれまでの人生の中で、誇張でも何でもなく、「命」を懸けてサッカーしてきました。「命」を懸けて「日本代表」という『夢』を追いかけてきました。オーストリアの地でも、「命」を懸けて挑戦するつもりです。それで結果がどうなるか…??そこから先は、もう「神の審判」に全てを任せます…。
最後は、オーストリア・ザルツブルグの美しい写真でお別れです。「究極サバイバル生活」の中にあって、唯一の救いは、ザルツブルグの美しい景色と、オーストリア人の「優しさ」です。とにかく、街行く人々、全員が本当に本当に「親切」です。車は、必ず歩行者を優先します。道を聞けば、親身になって教えてくれます。「電話はどこだ?」と聞くと、「俺の電話を使え。」と携帯を貸してくれた人がこれまでに2人いました。全く気取ってないし、アジア人だからと言って差別するような雰囲気は微塵も感じられません(今のところは)。今まで自分が行ってきた国の中で、最も人が「優しく」「親切」です。彼らの「優しさ」「親切」に触れ、思わず涙が出そうになります…。ダンケ!!(←ドイツ語で「ありがとう」)
※毎日、この城まで走って登ってます。走って登って、走って下りて、また走って登って、走って下りて…。その繰り返しです。この城は、あの「ナポレオン」以外の誰も攻略できなかった城らしいです。だったら、日本人である自分が「走って」攻略してやろうと思ってます(笑)。走っていると、「親切」にも水をくれた人がいました(涙)。今はボールが触れないので、それまでは、こっちのプロサッカー選手にも負けないくらいの「フィジカル」を作り上げてやろうと思っています!!
※実はこの橋と全く同じ橋を渡る夢を、2ヶ月くらい前に、日本で見ていました。「オーストリア行き」の話など、全く無かった時にです。何と「正夢」です!!本当にビックリしました。…ここに来る「運命」だったんですね…。
※「オクトパス自転車」らしいです(?)。全員でこぎます。何じゃそりゃ!?
※ザルツブルグと言えば、「モーツァルト」です。モーツァルト像と共に…(「像」は「周恩来」以来…)。
※これは、モーツァルトが生まれた家だそうです!!
実は、元日本代表キャプテン・宮本選手と、三都主選手にも会いました。その写真(2ショット)もあるのですが、こういうのは、ブログに貼っても大丈夫なんでしょうか!?許可を取らずに写真を貼ったら、怒られるんじゃないか…??と思いまして、今回は彼らとの2ショット写真掲載を見送らせてもらいました。誰かそこら辺、分かる人がいれば、教えて下さい!OKなら、次回、貼ります!!
「究極サバイバル生活」なんて書きましたが、これまでの人生の中で学んだ「『笑顔』で人生を『楽しむ』心」は失ってませんよ!!「究極サバイバル生活」を、「笑顔」で「楽しんで」いるので、ご心配なく!!
では、また!!!!!
18 juli <緊急報告>全く予想だにしてなかった展開…。「生きるか?死ぬか?」の闘いが今、始まった。 「中国・天津帰還編」の途中なのですが、<緊急報告>があります。
…現在、韓国・ソウル「インチョン空港」より、ブログの更新をしています。
…そうです。僕の「新たな挑戦」の幕が、ついに切って落とされたのです。
半年前…。
2006年12月~2007年1月。ジャマイカにて、「サッカー人生を賭けた挑戦」を行いました。そこで、「リミット『0日間』で起きた奇跡。(詳しくは「ジャマイカ編」をご参照下さい)」により、「1%」の可能性を残してから、僕は日本に帰国しました。
決して確信が持てる「可能性」ではなかったですが、ジャマイカを離れてからの半年間は、「ジャマイカ再挑戦」を目標に、トレーニングに励んできました。ジャマイカのチームのGM(ゼネラル・マネージャー)とも小まめに連絡を取り、「あとは、7月のプレシーズンの始まりを待つばかり。」という状況でした。
しかし、7月に入った直後、ジャマイカのチームのGMから連絡があり「うちのチームのGKがジャマイカ代表に選出されるまでに成長した。他にも良いGKが居て、Yojiの獲得は不可能になった。」…との連絡を受けたのです。
突然、「ジャマイカ再挑戦」消滅…。
ところが僕に、焦りはありませんでした。
「もう、ここまできたら、『自然体』で時の『流れ』に身を任せる。それでチャンスがくれば挑戦するし、こなければこないで、それはもう人生の定めだから仕方がない。」…と、腹をくくっていました。
…けど、現在、僕は、韓国・ソウル「インチョン空港」に居ます。つまり……
僕の、「新たな挑戦」は始まったのです。
そう…。
「チャンス」が訪れたのです!!!
2ヶ月前…。
僕は安英学に会うために、「韓国・釜山」に行きました。その時のブログにも書きましたが、僕は韓国行きの船に乗るために立ち寄った北九州にて、大学時代の親友と、5年ぶりの再会を果たしました。そして、この「再会」が大きな大きな「ターニングポイント」になったのです。
あれからも、この「大学時代の親友」とは、電話で連絡を取り合いました。そしてある日、彼が思いもよらない話をし始めたのです…。
「ヨーロッパのオーストリアで40年間働いている、おじちゃんが居る。そっちの方でチャンスがないか、オーストリアに居るおじちゃんに連絡して聞いてみる。」
…最初は、「いやいや、それはありえないでしょ…。」と思っていました。実際、全く期待してなかったですし、むしろ「俺はもう、ジャマイカに再挑戦するって決めてるんだ!ジャマイカのチームのGMとも連絡を取っているんだ!オーストリアに行けるわけないじゃろ!」って感じでした。
しかし…。
「大学時代の親友」が本当に「オーストリアで40年間働いている、おじちゃん」に連絡を取り、「オーストリアで40年間働いている、おじちゃん」が、現地のサッカー関係者に本当に連絡を取り……。
Yojiの「オーストリア行き」が、決定してしまいました!!
この「オーストリア行き」の「チャンス」も、不確定要素がたくさんあります。衣食住の問題はもちろん、「オーストリアに行けば、確実にチームのテストが受けれる!」…という話すら、まだありません。…しかし、「オーストリアに行けば、確実にチーム関係者とは会える。」…という話はあります。あの、日本代表の宮本選手、三都主選手がプレーする「レッドブル・ザルツブルグ」の「チーム関係者」です。
普通の人なら、こんな不確定要素だらけの「チャンス」には飛び込まないでしょう。
しかし僕は、今、この「チャンス」を逃すということは、「サッカー人生の終わり」を意味すると思っています。サッカー選手にとって「サッカー人生の終わり」は、「死ぬ」ことと同じです。
「何もしないで『死ぬ』なら、不確定要素だらけの『チャンス』でも、飛び込んでやろう!!」
…そう、決心しました。
僕はこれから、韓国・ソウル「インチョン空港」で飛行機を乗り換え、「オーストリア・ザルツブルグ」に向かいます。「ザルツブルグ」にて、関係者と会う予定です。
僕は今回の挑戦のために、1つのCDを購入しました。
『ZARD』です。
そのCDの中には、僕の好きな曲…「負けないで」が入ってます。
~~負けないで もう少し 最後まで 走り抜けて どんなに 離れてても 心は そばにいるわ 追いかけて 遥かな夢を~~
~~負けないで ほらそこに ゴールは近づいてる どんなに 離れてても 心は そばにいるわ 感じてね 見つめる瞳~~
行ってきます!!
14 juli 『中国・天津帰還編 ~その4~』 中国が僕に教えてくれた、人間として最も大事なこと…。 このブログを書き始めてからの約2年間…。
一貫して書き続けてきた言葉があります。
それは………
『笑顔』…。
大学生までの僕は、いかに「苦しい」ことを、「しかめっ面」で「耐え抜いて」やるか……それで「道が開ける」…と信じていました。実際には、その「しかめっ面の美学」で開けた道もありました。しかし、ある程度のところまでいくと、それでは「限界」があることに気が付きました。
今からおよそ5年前…。「2002年9月」…生まれて初めて、「中国・天津」の地へ上陸しました。そして中国は僕に、「人間として最も大事なこと」…を、教えてくれました。
それは、『笑顔』です。
上の写真は、今回(2007年6月)の「中国・天津帰還」の際に撮ったものです。この『笑顔』を見て下さい!!何て素晴らしい『笑顔』でしょうか!?僕は中国留学時代、彼ら中国人から、こうして『笑顔』の重要性を学びました。あれから「3年半」経った今でも、中国人の、あの「輝くような『笑顔』」が失われてないことを、この目で確認でき、本当に本当に嬉しかったです。
上の写真の彼らは、貧しい市場で働いています。日本人的に見れば、「みすぼらしい」「かわいそう」…と思うかもしれませんが、僕は留学時代に、彼ら市場で働く中国人に聞いたことがあります。「幸せか?」と…。すると彼らは、堂々と胸を張って即答しました。「俺たちは確かに貧しいかもしれないが、本当に幸せなんだ!!」 …それは、彼らの満面の『笑顔』を見るだけでも、充分、伝わってきました。
日本はありとあらゆる面において、大変、恵まれた国です。しかし、今、同じように「幸せか?」と聞かれて、彼ら中国人のように、即答で「幸せだ!」と答えれる日本人が何人いるでしょうか? 彼ら中国人のような、満面の、「輝くような『笑顔』」を見せれる日本人が、果たして何人いるでしょうか??
僕は何度となく、中国人の『笑顔』に救われてきました。彼らの『笑顔』を見ていると、自分の悩みなど、エラくちっぽけなことに思えてきました。『笑顔』には全てをプラスに導く「無限のパワー」があることを、僕は中国で学んだのです。
『笑顔』には、「人と人をつなぐパワー」もあります。
中国では、いたる所で、人間味溢れる、温かい、『笑顔』と『笑顔』の人間交流が見られます。そして、それら『笑顔』と『笑顔』の人間交流が、中国という国全体に、とてつもなく大きな「エネルギー」をもたらしています。老若男女を問わず、本当、みんなイキイキと「躍動」しています。今回の、「3年半ぶり」の「中国・天津帰還」でも、中国のそういった素晴らしい面がたくさん見れて、そして、その「エネルギー」を肌で感じることができました。
※『笑顔』と『笑顔』の人間交流…。
※老若男女を問わず、イキイキと「躍動」する人々…。
※溢れる、「エネルギー」…。
※「エネルギー充電」のために眠っている人も居ます(笑)。
※「エネルギー」が溢れ過ぎて、写真撮影しているカメラを無視して、堂々と横切って行く、おばちゃん集団…(笑)。 ドラゴンボールの「気」ばりに溢れる「エネルギー」が体を包み込んでいるのが、肉眼でも確認できます(特に後ろのおばちゃん)。 ※この写真は、「4年前」に撮影したものです!!
上記した「市場」ですが、噂では国が強制的にこういった「市場」を撤去していると聞き、「発展することで、あの中国の良さが消えてしまうのか!?」…と心配しておりました。実際のところは、一体どうなっているのでしょうか…!?
※これは4年前の写真…。2003年。天津のとある、「市場」(「四号路」って名前じゃったかな!?)。確かに汚いのですが、ここには、本当に素晴らしい『笑顔』と、「人間らしい交流」が溢れていて、いつもここに来るのが本当に楽しみだったんです。4年経った今でも、存在するのでしょうか…??
4年後…。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
※現在!!2007年6月。 何だか、随分、さっぱりしてしまったような…!? 若干、寂しい感じもしましたが、「市場」はまだ、かろうじて残っています!!また「4年後」には、一体、どうなっとるんじゃろう…?心配です。
よく、「今の中国は、昔の日本とそっくりだ。」という人がいます。…と言うことは、中国も「発展」してしまえば、現在の日本のような国になってしまうのでしょうか? 「発展」してしまえば、あの、「輝くような『笑顔』」も、「人と人との、人間味溢れる交流」も、無くなってしまうのでしょうか!? これは、人類が「発展」していく上で、避けて通れない道なのでしょうか!? それでは、あまりにも…あまりにも!…寂し過ぎます!!
僕個人としては、中国人の持つ「輝くような『笑顔』」も、「人と人との、人間味溢れる交流」も、それが「貧しいから」「まだ発展途上の国だから」…なのではなく、「中国人が先天的に持った、国民性」であり、「不変の魅力」であって欲しいと、心から願っています。
僕に、「人間として最も大事なことは何か?」…を教えてくれた中国…。
この恩は、絶対に忘れません!!
本当にありがとう、中国!!
12 juli 『中国・天津帰還編 ~その3~』 本当にありがとう…『南開大学』。 2007年6月12日(火)
「中国・天津帰還・2日目」
「百餃園」で昼食をとってから、また、『南開大学』に戻ります!!
※これは昔の写真!4年前……2003年。『南開大学』の「漢語言文化学院」前で、クラスメイトと記念撮影。ここで、愉快な先生、クラスメイトと共に、中国語を学びました!!
4年後…。
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※現在!2007年6月12日(火)。何だか、微妙に変わってる!?けど、やはり凄く懐かしい…(涙)。「漢語言文化学院」の看板はどこへ!?
※これは、昔の写真!4年前……2003年。「漢語言文化学院」での授業風景。(当時23歳)
※4年前……2003年。授業後、クラスメイトと教室で記念撮影。
4年後…。
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※現在!(27歳) 2007年6月12日(水)。 また、この教室の席に、当時の留学仲間と座ることになろうとは…。感無量…(涙)。
※これは、昔の写真!4年前……2003年。中国はとにかく、ある日、突然、何の前触れもなく、建物が破壊されます(笑)。そして、物凄いスピードで、新しい建物が建っていくのです…。
4年後…。
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※現在!2007年6月12日(火)。な、何じゃこりゃあ!?こんな巨大な建物まで建ってしまいました!!『南開大学』も、随分と変わったものです。ただ、建物の造りは、かなり雑でした…。
※現在!2007年6月12日(火)。 上の巨大な建物の中には、こんな物もありました!!「モザイク毛沢東」!!?
※現在!2007年6月12日(火)。 あ、「漢語言文化学院」!!??こんなところに…。パワーアップしてる…(?)。
そして、『南開大学』と言えば……
「周恩来」
です。
『南開大学』は、「周恩来」の母校です。
だから、『南開大学』の中には、「周恩来」の像が建っています。ここの景色は本当に美しく、『南開大学』の中でも、かなりのお勧めスポットであり、自分が好きなスポットでもあります。
※現在!2007年6月12日(火)。 ジャーーン!!これが、「周恩来」の像です!!見よ、この迫力!!
※現在!2007年6月12日(火)。 「周恩来」の前で、恐れ多くも「周恩来ポーズ」をとって、記念撮影!!
とにかく、「3年半ぶり」に天津に帰還して、『南開大学』に行って、「周恩来」の像がまた見れて…。言うこと無しです!!正に、「最高に幸せな時間」!!あ~…また「感動」してきました…(涙)。
さらに、『南開大学』内を歩いていると、こんな人を発見!!
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※現在!2007年6月12日(火)。 「ホァチョー!!」 拳法の特訓!? 彼、写真を撮られることに、かなり照れていました(笑)。なかなか、お茶目じゃん!!
※現在!!2007年6月12日(火)。 これは、僕が『南開大学』に留学してた時に、住んでいたアパートです!変わってねえーー!!(涙) いやいや、こうしてまたここに戻って来れて、本当に良かったです…(涙)。
※現在!2007年6月12日(火)。 留学時代の僕の住んでいたアパートのすぐ近くにある、当時の留学仲間の部屋で、談笑!!何気ない光景ですが、僕はこうして「3年半ぶり」に天津に帰還して、当時の留学仲間と談笑できる…という、大変、貴重な、『夢』のような時間を、とことん満喫して、思いっきり「幸せ」を噛み締めていました…。
※これは、昔の写真!4年前……2003年。 世界各国の「草サッカー仲間」たちと、記念撮影!!
※昔の写真(2003年)。草サッカーでは、「FW」を務めました!!FKを狙う、Yoji!!(相手は、韓国人チームです。やっぱ草サッカーと言えども、韓国人チームとの対戦は、燃えます!!)
※昔の写真(2003年)。 横の2人の「帰国」が決定し、この日は、「最後の試合」となりました。この2人は学校でも最高の「ポンヨー」だったので、「別れ」は本当に寂しかったです(涙)。ちなみに、真ん中の人物は、先日の「韓国・釜山旅行編」で登場した、「ソウルから、わざわざ僕に会うために、片道3時間かけて、日帰りで釜山まで来てくれた、熱い『ポンヨー』。」…です!!あの、韓国での「再会」は、実にこの時、以来の「再会」だったのです!!(涙)
4年後…。
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※現在!2007年6月12日(火)。 荒れに荒れ果てた、「草サッカー場」…。ある意味、これぞ本当の「『草』サッカー場」です。校内に人工芝のグランドができたため、この「草サッカー場」の利用者は激減してしまいました。「草サッカー」とは言え、当時、真剣に汗を流したサッカー場がこんなになってて、寂しさと、「時の流れ」を感じました。けど、このサッカー場にまたこうして立つことができて、「当時、自分がいかに『ハングリー精神』をもって『夢』を追いかけていたか…。」改めて感じることができました。それは、本当に大きな大きな「財産」になりました。
大学4年生だった、2001~2002年…。「Jリーガー」になるために、手当たり次第で、Jリーグのテストを受けました。しかし、残念ながら、「Jリーガー」になることはできませんでした。
その時、一時は「もう、サッカー辞めよう。」と思いました。
しかし大学卒業後、高校時代の監督に呼ばれ、母校のサッカー部のコーチをすることになりました。最初は「ボールを見るのも嫌。」という状態でしたが、高校生の「純粋」で「ひたむき」な姿勢に心を打たれ、気が付いた時には、再びサッカーに対する「炎」が点火していました。
半年間のコーチ業を終え、予定通り、「2002年9月」に、語学留学のため、天津の地へ上陸しました。形上は、「『南開大学』で中国語の勉強をする、語学留学生。」でしたが、サッカーに対する「炎」がすでに再点火していた僕は、天津に上陸してから1週間も経たない内に、中国語も全く話せない状態の中、地元のプロサッカーチーム「天津泰達」へ、直談判に行きました。「俺に、チャンスをくれ。」と…。
しかし、そこで知らされた現実は、あまりにも非情でした。
「中国足球(サッカー)協会のルール上、外国人のGKは、リーグに参加できない。」
…つまり、中国では「外国人『GK』のリーグ参加を認めない。」という規則があった…ということです。
サッカーに対する「炎」が再点火した直後に訪れた、絶望的な状況でした。ショックで言葉を失いました。
しかし、どうしてもサッカーに対する「炎」は消すことができませんでした。上の写真にもあるように、まずは『南開大学』内にあるグランドに行き、ボコボコのグランドで、「草サッカー」することを始めました。
…けど、最初から気持ち良く「草サッカー」していたわけではありません。
長い長いサッカー人生の中で、初めて味わう「無所属(サッカーの正式な所属チームが無い)」という、絶望的な状況…。しかも、大学時代は、それなりのレベルでプレーしていた…という、プライドと自信もありました。それが、こうしてボコボコのグランドで、素人同然の人達と一緒に、「遊び」でしかない「草サッカー」という環境でしか、プレーできない…という、屈辱、虚脱感に包まれていました。 「何で俺は、こんな所でサッカーしているのか…??」…と、何度となく自問自答し、空しくなりました。
またしても、僕のサッカーに対する「炎」は、「風前の灯」になりました。
しかし…。
そんな僕に、「笑顔」と、「もう1度、『夢』に挑戦するパワー」を与えてくれたのが、この『南開大学』と、そこで出合った学生たちだったのです。
『南開大学』の中国語の授業では、生まれて初めて、「勉強が楽しい!」と感じました。そして、そこで知り合った世界各国の学生たちとは、みんなで1つになって、中国での生活を「笑顔」で盛り上げていきました。
…気が付けば、僕のサッカーに対する「炎」はまた燃え上がり、そして、「無所属」という絶望的な状況の中でも、少しでも自分のプラスにするために、「笑顔」で「草サッカー」に臨んでいる自分がいました。この時、サッカーに対する「炎」が消えなかったからこそ、後にホンジュラスにて、ついについに、念願であった「プロサッカー選手」になれたのだと思っています。
このように『南開大学』は、僕の中国留学生活の中で……いや、僕の人生の中で、本当に大きな大きな役割を果たしてくれたのです。その「恩」は、忘れようにも、どうやっても忘れることができません。
「日本代表」になって、その時の「恩」を返します。
必ず、返します!!
つづく 09 juli 『中国・天津帰還編 ~その2~』 「思い出の聖地」「全ての始まりの場所」…『南開大学』。 まず、最初に…。
お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、ブログの背景が変わりました!!!
実はこれ……
先日、「広島市民球場」に、「カープ対巨人」の試合を見に行きまして、現在、絶不調のカープが、奇跡的に巨人に勝利を収めた試合の、盛り上がる「広島市民球場」の写真なんです!!しかも、自分で撮った写真です!!
このブログを開くたびに、この熱く燃える「広島市民球場」のオーラを感じ取り、自分の中で「元気」がみなぎってきます!!また、「この『広島市民球場』の熱気を、全国のみなさんにも伝えたい!!」というのもあり、今回、背景にいたしました。実はこの「広島市民球場」…もうすぐ取り壊しになってしまうのです…(涙)。だからこそ、ブログの背景にした…ってのもあります。「広島市民球場」は、永久に不滅です!!
※今からおよそ「5年前」…。2002年9月。天津上陸後、『南開大学』の留学生たちと、1番最初に撮った、記念すべき写真です。Yoji、当時「22歳」…。若い!!
5年後…。
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『中国・天津帰還・2日目』
※2007年6月12日(火)。Yoji、「27歳」…。若い!!(笑)上の写真と全く同じ場所での、記念撮影です(タクシーちょっと邪魔!)。これは、「天津に来たら、絶対にやろう!」と思っていたことの1つです。…そう、僕はついに、念願叶って、「3年半ぶり」に天津の地へ舞い戻ってきたのです!!(涙)
※2002年。今から5年前…。天津、『南開大学』前の道路にて…。凄い数の自転車です!!(噂では、天津は中国の中でも最も自転車が多いとか…。)
5年後…。
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※2007年6月12日(火)。上と同じ場所での撮影です!!まだまだ健在、自転車族!!!…それにしても、右の赤いTシャツを着た、サングラスのおじちゃん……上の「5年前」の写真の右側にも、サングラスのおじちゃんが……まさか、同一人物かぁ!!??(笑)
昔と変わらぬ光景を目の当たりにし、胸がジーーーンときます…(涙)。
正直、今回の『中国・天津帰還編』は、僕の「中国・天津」に懸ける「想い」があまりにも…あまりにも!!…強過ぎるため、気持ちを全て「活字」で表現するのは不可能です。とにかく、それくらい「中国・天津」は、僕にとって、あまりにも大切な、カケガエのない存在なのです…(涙)。
そんな僕の、一生の思い出に残る、人生最高の経験…「中国・天津語学留学(2002年9月~2003年12月)」生活も、全てはここ『南開大学』から始まりました…。
※2007年6月12日(火)。『南開大学』の東門前にて!!…「中国・天津」を離れて、「プロサッカーチーム」のトライアウトを受けるために初めて「渡米」したのが、「2003年12月」…。あれから「3年半」ぶりに、とうとう、我が「思い出の聖地」であり、「全ての始まりの場所」…である、『南開大学』へ戻って来ました!!(涙) もう、ただただ「感無量」です…(涙)。
あの「SARS」が猛威を振るった2003年には、厳戒態勢が布かれ、上の写真の東門も、『南開大学』の学生証を見せなければ「立ち入り禁止」になったものです…。あれからもう、4年かぁ~…。早い…。
※4年前…。2003年。『南開大学』敷地内にて。「SARS」の猛威により、続々、帰国を余儀なくされる留学生たち…。この写真は、そんな帰国する留学生たちを見送っている時の光景です。まさに、突然の出来事でした。いきなり、最高の「ポンヨー」たちと別れることになってしまったのです(涙)。 (ちなみに、彼らが乗り込んでいる黄色いタクシーは、現在、中国では使われておりません。ある意味、貴重な写真です!)
4年後…。
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※2007年6月12日(火)。上の写真と同じ場所です!!迫り来る、自転車…(笑)。 この写真では分かりませんが、当時、横にあった「南大百貨(だったかな!?)」というお店が無くなっていました(『南開大学』に居た人しか分からないネタで、スミマセン!)。 やはり、『南開大学』の中も、微妙に変化しています(若干、寂しい気も…)。
「過去」と、「現在」の写真が入り混じっているので、間違わないように気を付けて下さい!!
※2007年6月12日(火)。これは「現在」!…『南開大学』内のタクシーの運ちゃんと記念撮影…。実は彼ら、僕が『南開大学』に留学してた時から居て、何と何と、「3年半」経った今でも、僕のことを覚えてくれていたのです!!本当に「感動」!!(涙) 「あっ……、あの、サッカーやってたYojiか!!??」と、僕を見るなり、向こうから話かけてきてくれました(涙)。こんなに「嬉しい」「ありがたい」「感動的」…なことがあるでしょうか!?(涙) しかも、向かって右の背の低い運ちゃんの方は、何と何と何と、3年半前に僕が中国を離れる「最後の日」に、帰国する僕のために北京空港まで送って行ってくれた人物なのです!!!まさか、こんな所で再会するとは!!偶然にしては、出来過ぎです…。本当に「感動」しました…(涙)。
足を踏み入れた途端、早くも「ミラクル」が起こる…。やはり、僕と「中国・天津」との間には、切っても切れない「縁」があるのです(涙)。
※5年前…。2002年。冬の『南開大学』…。
5年後…。
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※2007年6月12日(火)。「現在」の『南開大学』…。上の写真と、全く同じ場所にて…。
当時と変わらない、美しい『南開大学』の景色…。こうして、当時と同じ場所で写真を撮って、見比べてみると、また感慨深いものがあります…。ああ、また胸がジーーーンとしてきました…(笑)。
ここで一旦、『南開大学』の外に出て、昼食をとります。さらにここで、当時の日本人留学生「ポンヨー」と、「4年ぶり」の「感動の再会」を果たすことになりました!!!(涙)
日本人留学生「ポンヨー」、Yoji、Yojiの父…3人が昼食をとるために向かった先は……
「百餃園」!!!!!(←天津に居た人なら、分かるはず!!)
この「百餃園」は、その名の通り、「百種類の餃子がある店」です。しかし、本当に「百種類」なのかは、定かではありません(笑)。実は、「中国4000年の歴史」の「4000年」も、本当に「4000年」なのかは、怪しいようです。中国では、「4000」とか「百」は、「とにかく数が多い!!」…ということを強調する表現の1つのようです(間違ってたらスミマセン!)。
※4年前…。2003年。「百餃園」にて。当時は、本当によく行った「百餃園」。またここで餃子が食べれる日がくるなんて…。ああ、「感動」じゃあ…(涙)。
※これも、4年前の写真。「百餃園」の餃子を作る、職人たち!!凄い!!
4年後…。
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※2007年6月12日(火)。さらに進化した「百餃園」!!スッゲェーー!!!こんな立派な門構えじゃったっけ!?
※2007年6月12日(火)。「3年半」ぶりに食べる、「百餃園」の餃子!!(中国では一般的に「餃子」は「水餃子」を指します。) 当時の日本人留学生「ポンヨー」+父と共に、「百餃園」の餃子を食べる日が、本当にこようとは…(感激)。また1つ、ここに『夢』が実現しました!!!(涙)
※これは、5年前の写真です。当時、「百餃園」には、このように、異様に長いヤカンの管から、巧みにお茶を入れる、有名なお茶がメニューにあったのですが(名前を忘れました!)、これを今回、注文したところ、何と「後継者が育っておらず、現在、できる人がいない。」と言われてしまいました。ホンマかいな!?(笑) もし、中国に行かれる方は、ぜひ1度これを見てみることをお勧めします!! (写真は、「百餃園」ではなく、違う店で撮ったものです。)
こうして、留学当時の「ポンヨー」+父と、「3年半ぶり」に味わう、「百餃園」の餃子に「感動」しつつ、最高の昼食時間は終了しました…。
そして、今度はまた、『南開大学』に帰って行きます。『南開大学』は非常に広いので、とても短時間じゃ全てを周れないのです。
それにしても…。
これだけ書いたのに、まだ「半日間」しか、ストーリーが進んでません!!!
とにかく、「中国・天津」で過ごした時間が、あまりにも……とてつもなく!!…密度が濃い過ぎるため、書くことや、載せる写真が多過ぎて、膨大なエネルギーと時間を要するため、なかなか先に進みません!!(笑)
…と言うわけで、本来なら、「2007年6月12日(火) 『中国・天津帰還・2日目』」の記事は、1回だけで終わりのはずだったのですが、「百餃園」で餃子を食べた後、また『南開大学』に戻ってからの話は、また次回に持ち越させていただきます。「1日」の話を、「2回」に分けて書くのは、ブログを始めてから約2年間の中で、初めての出来事です!!正に、「前代未聞」の事態です!!(笑) 漫画「珍遊記」ばりの、ストーリー展開の遅さです!!(←分かるかな~((笑))
では、またすぐ更新します!!
つづく
05 juli 『中国・天津帰還編 ~その1~』 ついに帰って来た、「第2の故郷」…天津。 語学留学生として1年3ヶ月間、滞在していた「中国・天津」を離れてから、早「3年半」の月日が経過しました。
その間、僕は、『夢』実現のために「中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ…」と、実に5カ国を渡り歩いてきました。
「3年半」……日にちにして、およそ「1278日間」……。
この「1278日間」…世界のどこに居ようとも、ただの1日とて、「第2の故郷」…天津のことを忘れた日はありませんでした。世界のどこに居ても、「第2の故郷」…天津のことを、深く、熱く、想い続けてきました…。
それでも海外で、様々な国で『夢』を追いかけていた自分は、この「1278日間」…ただの1度も、「第2の故郷」…天津に帰ることができずにいました…。
しかし………。
「1278日間」、ただの1日も忘れることなく、想い続けてきた、「第2の故郷」…天津……。
そこへの「帰還」が、「1278日間」の時を経て………
ついに………
実現する時がきたのです!!!!!!!!!!!
Yoji、「第2の故郷」…天津への「帰還」が決定!!!!!!!!!!!!
今の自分は、近年の慌しい日々と違って、3ヶ月間も日本に滞在できるほど、時間の余裕があります…。この機会を逃せば、「第2の故郷・天津への帰還」のチャンスは、もう当分、やってこない…。しかも、まだ天津に残っている僕の留学仲間たちは、この6月に卒業して帰国してしまう…。留学仲間と、天津の地で、留学時代の雰囲気を味わえるチャンスは、これを逃せば、もう一生無い…。行くなら、今しかない!!行ってやるさ!!行けば分かるさ!!ありがとーーー!!1、2、3、ダァーーーー!!(アントニオ猪木風)
…こうして先月、念願叶って、「第2の故郷」…天津への「帰還」が実現したのです。しかも今回は、父と共に行ってきました。父は、中国には行ったことがありますが、僕の「第2の故郷」である天津には、まだ1度も行ったことがありませんでした。だからこそ、その父に、「僕の『第2の故郷』…天津をぜひ見てもらいたい。」という気持ちがありました。
2007年6月11日(月)
さあ、僕に「笑顔」の重要性を教えてくれ、僕に「人生の素晴らしさ」を教えてくれた、僕の「第2の故郷」であり、「原点」とも言える、天津に向けて、父と共に出発です!!「1278日ぶり」の天津は、一体、僕にどんな姿を見せてくれるのか…。「感動」の「天津帰還」、いよいよスタートです!!(涙)
※新広島空港から、中国に向けて、いざ出発!!まずは、大連空港に向かいます。以前までは、広島から「中国行き」の飛行機は飛んでいなかったのですが、現在はこのように、広島から中国に行けるようになったのです!!何て便利なのでしょう!!(涙)
※広島を離陸!!
数時間後…。
※ついに見えてきたぞ、中国!!これは大連です!!…それにしても、「黄砂」?「大気汚染」?かなり空気が濁っています!!おかげで中国で生活していると、「鼻毛」の伸びる速度が、通常の2倍になります(笑)。大丈夫か、中国!?(笑)
※大連上空…。ん~、「これぞ中国!」といった感じの街並みと、雰囲気です!!これを見ると、「ああ、中国に来たんだな~。」という実感が湧いてきます…。
大連空港で乗り換えた後、今度は、北京を目指します!!
そして、また数時間後…。
※北京到着!!北京空港にて。この「熱気」!!この「エネルギー」!!この「バイタリティー」!!この「無意味な人の多さ」(笑)!!これぞ、中国!!
北京空港に着いた時は、確か17時半くらいでした。ここから、バスで天津に向かいます!!
ここでちょっと気付いたのは、3年半前まで結構、ボロかったタクシーたちが、キレイで新しいタクシーに一新されていたのです!!(中にはボロイままのもありましたが。) これも「北京オリンピック」のためなのか!?日々、進化を続ける中国…。けど、個人的には「ボロイけど安くて、人間味溢れるタクシー」が好きだったりします。
さらには、テレフォンカードを差し込んで使える、公衆電話が、いたる所に設置されていました!!3年半前までは、テレフォンカードを差し込んで使うタイプの公衆電話は無く(少なくとも僕は見たことがありませんでした)、電話カードに書いてある番号をダイヤルして使うタイプの電話だったのですが…。日々、進化を続ける中国…。これは凄く便利なので、大歓迎です!!やるじゃん、中国!!
この日は天津で、3年半前まで共に学んだ留学仲間(韓国人&日本人)と会う予定だったのですが、思った以上に「北京→天津・バスの旅」の時間がかかってしまい、やっとやっと「第2の故郷」…天津に入った時には、すでに日が暮れて、辺りは真っ暗…。それでも、見慣れた景色が目に飛び込んできて、そのあまりの「懐かしさ」に、胸が熱くなります…。込み上げてくる、様々な想い…。
※天津のバス停に到着してからは、タクシーに乗り換え、宿泊先のホテルを目指します。タクシーの助手席から見える、夜の天津の街並み…。改めて実感が沸いてきます。「本当に俺は、天津に帰って来たんじゃ…(涙)。」
※あっ!!「南開大学」!!「南開大学」は、3年半前まで、1年と3ヶ月間、語学留学生として通った、正に僕の「思い出の聖地」です。3年半ぶりに、「思い出の聖地」を目の当たりにし、感極まりました…(涙)。
「南開大学」の中にも、来客者用の宿泊施設があるのですが、あいにく、全て満室…。そこで、違う安いホテルを探すのですが、今度は、そのホテルが「外国人お断り」…。アイヨ!!ホテル探しが難航します。しかし結局、タクシーの運ちゃんの紹介で、値段的にも、場所的にも、最高のホテルを見つけることができました!!さすがに中国のタクシーの運ちゃんは商売人じゃのぉーー!!(笑) けど、助かったよ!!謝謝、タクシーの運ちゃん!!
こうして、どうにかこうにか、宿泊先をゲットしますが、時計の針は、すでに夜の22時を越えていました…。せっかく、3年半ぶりに留学仲間と再会を果たすことになっていたのに…。これだけ夜遅くなってしまったら、さすがに今日はもう会えんじゃろう…。僕も父もそう思いました…。
しかし…。
留学時代の元ルームメイト、韓国人「ポンヨー」BJに電話すると、
「大丈夫!飯を食べずに待っていたよ!!」
と言われました。
熱い!!!!!!(涙)
こんなに夜遅くなってしまったのに、まだ僕達のために、飯も食わずに待ってくれていたのです…(涙)。
これが、中国なのです(彼は韓国人ですが)。とにかく、中国に居る僕の「ポンヨー」たちは、中国人に限らず、韓国人、日本人、欧米人…とにかく、「熱い」のです!! もちろん、その「熱さ」は、もともと彼らが持っていた人間性でもあると思うのですが、僕はそれと同時に、この「エネルギー」と「バイタリティー」と「笑顔」と「人間味」が溢れる中国が、他の国の人達にも、「熱さ」をもたらしているのではないか…と、思えてならないのです。「病んだアメリカ」に居た外国人たちとは、それこそ雲泥の差があります(笑)。これこそ、中国最大の「魅力」です!!
※4年前…。2003年・天津。ルームメイトの韓国人BJと、僕達の部屋にて。昨年、ホンジュラスに居る時ブログにも書きましたが、このBJが、僕のためにわざわざホンジュラスにまで「電車男」と「花より男子」のDVDを買って、天津から送ってくれたのです(涙)。とにかく「熱い」!!最高の「ポンヨー」です!!
そして、「3年半ぶり」の、「感動」の再会……。
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気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、僕が着ているTシャツは……そうです!!「パナマ行き」の前にホンジュラスで購入した、例の「勝負Tシャツ」です(笑)。「3年半ぶりに天津に帰還するのなら、それなりの意気込みと覚悟が必要…。」ということで、この「勝負Tシャツ」の着用を決断しました(半分、嘘です)。ちなみに、左奥は、Yojiの父です。
こうして、「感動」の再会で幕を開けた、「3年半=1278日ぶり」…「第2の故郷」…天津への「帰還」…。
「帰還」と書きましたが、今回は「旅行」です。わずか「5日間」しか滞在できません。
しかし、「第2の故郷」は、やはり僕の期待を裏切りませんでした。
あまりにも「濃密」で、「スペクタクル」で、「ミラクル」な「5日間」の幕が切って落とされました…。
つづく
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