Profiel van Yamano★★★「26歳」からのプロサッカー人生!不可能を...Foto'sWeblogLijsten Extra Help

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    24 maart

    『パナマ編 ~その3~』 人生の法則。「自分に相応しくない場所には、挑戦するまでもなく、そこに辿り着けない。」

     
     「パナマ挑戦」から、「パナマ観光」に目的変更したとは言え、「パナマの名所を旅して周っている」…わけでは、ありません。ドナルド・ゴンサレスが行く場所、行く場所に自分も付いて行って(ドナルドの車に乗せてもらって)、「ついでに観光」…といった感じの生活を送っていました。
     
     
     
     そして、パナマに上陸してから、6日目…。
     
     
     2007年2月26日(月)
     
     ドナルドが首都「パナマ・シティー」にある「Chorrillo(チョリーヨ)」というチームと契約し、プレーするために、これまで生活してきたドナルドの故郷「サンティアゴ・べラグアス」を離れ、首都に行くこととなりました(ちなみにこの「チョリーヨ」というチームは、例の、「本当はYojiを推薦する予定だったけど、ドナルドの気が急遽、変わって、ドナルド自身がプレーすることになったチーム」です)。そして僕も、「ついでに観光」のため、ドナルドに帯同し、2人で首都「パナマ・シティー」に向けて出発しました!!
     
     
     しかしこれが、またまた「予想外」の展開を生んでいくのでした…。
     
     
     
    ※ドナルドの故郷「サンティアゴ・べラグアス」から、車で走ること約4時間…。首都「パナマ・シティー」に到着!!伝説の「パナマ運河」を横断中!!イェーイ!!
     
     
    ※これが、パナマの首都「パナマ・シティー」じゃぁ!!!!!
     
     
    ※伝説の「パナマ運河」!!!!!一見の価値あり!!!!!
     
     
    ※「パナマ運河」に架かる、大きな橋…。美しい!!!
     
     
    ※その橋を走行中!!!ん~…気持ちエエ!!!
     
     
     
    ※「パナマ運河」なのに、なぜか「中国」の建物が…。さすが「中国」!!!恐るべし…(笑)。
     
     
     
    ※「パナマ地図」タオル!!!
     
     
     
     
     
     こうして上陸した、パナマの首都「パナマ・シティー」…。
     
     首都上陸後すぐ、ドナルドは、契約するチーム「チョリーヨ」に合流するために、その練習場に向かいます。「ついでに観光」のためドナルドに帯同している僕も、そこに行くことに…。
     
     ドナルドと共に、チョリーヨの監督、コーチ、選手、会長に挨拶…。そして、何が何だかさっぱりわけが分からぬまま、なぜか、明日、僕までチョリーヨの練習に参加することになってしまった……。
     
     
     
     
     えっ!!!???
     
     
     
     どういうことよ!!!???
     
     
     
     
     全く、「予想外」の展開が起こってしまいました。何と何と、ドナルドが契約する、チョリーヨというチームの練習に、翌日、参加することになってしまったのです!!
     
     
     ~~その日の、Yojiの日記には~~
     
     「2007年2月26日(月)パナマ上陸・6日目。……自分の中では、もうパナマでサッカーする気は全く無いに等しい状態だったが、ドナルドが契約するチームに挨拶に行ったら、なぜか明日、練習参加することになってしまった…。もう、今回の『パナマ挑戦』は、『パナマ観光』だと気持ちを切り換えていたのに…。 普通なら嬉しいはずの状況だが、正直、気持ちがスッキリしない自分がいる。なぜなら、自分の心の中には、『パナマでプレーしたい。』という気持ちが無いからだ。『やりたい』と思えないことに挑戦する意義は、果たしてあるのか!?しかも、ここチョリーヨの環境面も、サッカーのレベルも、想像を絶するほどヒドイ…。(つづく)」
     
     
     
     正直、かなり複雑な心境でした。自分自身の心は、「チョリーヨの練習に参加したくない。」と、ストップをかけている…。なぜなら、「人生最大の旅(なのに片道6000円)」を終え、やっとの思いで上陸したパナマで、「サッカー人生最大の修羅場」「サッカー人生最大のカルチャー・ショック」を味わった僕の中には、すでに「パナマでプレーしたい。」という気持ちは消滅していたからです。しかし、どうしても翌日、チョリーヨの練習に参加しなければならない「流れ」になってしまった…。中途半端な気持ちでプレーするのは、自分のポリシーに反する…。やはり、断るべきか?どうすれば良いんじゃ!?
     
     ~~その日の、Yojiの日記…(つづき)~~
     
     「……しかし、もう明日、練習参加する『流れ』になってしまった今、無心でやるしかないと思っている。こうなったら、あまり深く考えず、プレーをとことん楽しもう!それに、ドナルドと一緒に練習するのも、マラトンの時以来、実に1年半ぶりだ。こんな『縁』もそうそう無い。ドナルドに俺の成長を見せつけよう!!」
     
    ※チョリーヨのクラブ・ハウス。ここで約1週間、生活することになりました。
     
     
     
     こうして、戸惑いながらも、チョリーヨの練習に参加することを決意したのでした。しかし実は、翌日、練習参加当日も、練習1時間前まで、「練習参加すべきか?しないべきか?」で、葛藤を続けていました。やはり、「やりたい」と思えないことに挑戦するのは、どうしても気が進まなかったのです。特に「サッカー」に関しては、中途半端な気持ちでプレーしたくなかった…。
     
     
     しかし……。
     
     
     
     
     
     2007年2月27日(火)
     
     「パナマ上陸・1週間経過」」
     
     チョリーヨ練習参加当日。
     
     
     ついにチョリーヨの練習参加が始まりました。
     
     いざ、練習が始まってみると、それまでの「葛藤」が嘘のように、気持ちは吹っ切れ、とことん練習を楽しめました。
     
     
     しかし、無事、練習終了と思われた終盤……。
     
     
     
     
     
     
     
     
     ボキッ………。
     
     
     
     
     
     
     
     「はうあぁっ!!!!!!!!!!!!」 
     
     
     
     
     
     
     グランドにうずくまるYoji……。一体、何が!?
     
     
     何と、凸凹のグランドに足をとられ、右足首をひねってしまいました。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     Yoji、負傷。
     
     
     
     
     
     
     
     
    ※腫れて、膨れ上がった、Yojiの右足首…。
     
     
    ※ちなみにこちらは、チョリーヨのクラブ・ハウスに住む、コロンビア人選手と、アルゼンチン人選手ですが…。
     
     
    ※彼らの足元に注目!!僕と同じ箇所を怪我しています!!ええ!?彼ら曰く「あのグランドで練習すると、1週間に1度は、こういう怪我をする。」とのことでした。どれだけ劣悪な環境か、想像できますか!?
     
     
     
     
     
     「まさか」の事態が、起こってしまいました。こうして、当分は、サッカーできなくなってしまいました…。
     
     
     さらに、チョリーヨのクラブ・ハウスのベッド…。
     
     
    ※これが、僕が寝ることになったベッドです(ちなみに枕は無いので、服を丸めて、枕代わりです)。一見すると、普通のベッドですが…。
     
     
    ※小さっ!!!膝から下が、はみ出しています…。これは、ネタとしてはおもしろかったですが(笑)、寝ても寝ても疲労がとれないので、かなりキツかったです…。腰も痛くなりました…。しかもこの後、クラブ・ハウスをドナルドと共に出て、住む場所が決まらずいろんな所を転々とする日々を送ることになり、疲労も極限に達しました…。
     
     
     次から次に起こる、信じられない出来事…。
     
     
     僕はこの時、以前、見た、とある「漫画」を思い出しました。
     
     
     
     「グラップラー刃牙」
     
     
     …この「グラップラー刃牙」という格闘漫画に出てくる、合気道の達人、渋川剛気にまつわるエピソードで、こんな興味深い話がありました。
     
     合気道を極めるべく、血のにじむような修行を積んでいた渋川剛気が、ある日、師匠に、
     
     「『真の護身』とは、一体、何なのでしょうか!?」
     
     と質問しました。
     
     
     すると師匠は、こう答えたのです……。
     
     
     「お前のように、相手がかかってきたら、こう倒して、こう攻めて…ということばかり考えているようでは、まだ下の下。『真の護身』が身に付けば『技』は無用…。危うきには出会えぬ。己の危機に気付くまでもなく、そこに辿り着けんのじゃよ…。」
     
     
     
     
     ……「危うきには出会えぬ。己の危機に気付くまでもなく、そこに辿り着けんのじゃよ…。」
     
     
     
     
     この時、まだ若かった渋川剛気は、この師匠の言葉の意味がまるで分かりませんでした。
     
     しかし年月がたち、渋川剛気が、超強敵、ジャック・ハンマーと対戦する際…。不思議な現象が起きたのです。
     
     
     ジャック・ハンマーと対戦するために、試合会場に向かおうとする渋川剛気ですが、なぜか何度も滑って転んだり、メガネが壊れたり、停電が起こったり…挙句の果てには、目の前に、大きな大きな門の幻影が見えたり、大海原の幻影が見えたり……その試合会場に渋川剛気を「辿り着けない」ようにする現象ばかりが、次々と起こったのです…。その時、初めて渋川剛気は、以前、師匠が言った言葉の意味が分かりました。
     
     「危うきには出会えぬ。己の危機に気付くまでもなく、そこに辿り着けんのじゃよ…。」
     
     
     渋川剛気の肉体は、精神は、脳で考えるよりも早く「危機」を察知し、試合会場に行くことを拒んでいたのです。しかし、それでも渋川剛気は、強引に試合会場に向かい、そして、案の定、ジャック・ハンマーにボコボコにされて敗れてしまったのです…。
     
     
     
     
     
     
     これは、今の自分の状況と同じでは…?
     
     
     僕はそう思いました。
     
     
     僕にとって、「パナマ1部リーグ」でプレーすることは、「相応しくない」「間違った」道なのです…。だから、渋川剛気じゃないけど、こうして、僕を「パナマ1部リーグ」に近付けまいとする出来事が、次から次に起こるのです…。
     
     
     「自分にとって相応しくない場所には、挑戦するまでもなく、そこに辿り着けない。」
     
     
     
     神の声が聞こえたような気がしました。
     
     
     これからは、本当に自分が「やりたい」と思えないことには…、魂が響かないことには…、はっきりと「やりたくありません。」と断ることも大事だなぁ……と勉強になりました。まあ、「やりたい」と思えないことでも、実際、やってみたら、案外、楽しかった…ってことも結構あるので、難しいのですが…。
     
     
     
     こうして、数々の「修羅場」を経て、渋川流「真の護身」を身に付けた、Yoji…。これからは、「道明Yoji」…改め、「渋川Yoji」を名乗らせていただきます(笑)。
     
     
     この後も、驚くべき、貴重な体験をしていくことになるのでした…。
     
     
     
     
     つづく
     
     
     
    ※美しい夕日に照らされる、「パナマ運河」。
     
     
    14 maart

    『パナマ編 ~その2~』 「笑顔」が導く、奇跡的な「縁」!ついに登場、「パナマの怪人」!!その名も…!!??

     
     「人生最大の旅(なのに片道6000円)」を終え、「夢」と「希望」をもってパナマに乗り込んで来た僕に待っていたのは…、
     
     「パナマに上陸してみると、すでにチャンスは消滅していた。」
     
     「パナマ1部リーグの、想像を絶するほどの悪環境、レベルの低さ。」
     
     …という、正に「サッカー人生最大の修羅場」でした。
     
     
     
     
     「修羅場」は、これまでの人生の中で何度も経験し、そして、乗り越えてきました。だから、「修羅場」……それ自体は、何も問題はありません。
     
     問題なのは、ホンジュラスやジャマイカの時と違い、自分が「人生を賭けてでも、挑戦したい!!」と思えるものが、パナマ・サッカー界には無かったことです。これではさすがの僕でも、「挑戦」することは不可能です。それを、パナマ上陸「2日目」にして、早くも悟った僕は、急遽、当初の目的……
     
     「パナマ挑戦」
     
     から、
     
     「パナマ観光」
     
     に、目的変更!!!
     
     
     「2、3週間、とことんパナマでの生活を『笑顔』で『楽しみ』、そして、日本に帰ろう!!!」
     
     
     …こう、決心したのでした。
     
     
     
     そして、この「笑顔」と「楽しむ」姿勢が、またしても、とんでもない奇跡的な「縁」を引き寄せていくのでした……。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     2007年2月24日(土)
     
     「パナマ上陸・4日目」
     
     
     ドナルド・ゴンサレス「35歳」。引退間近の彼が昨年から始めたのが、「ドナルド・ゴンサレス・サッカーアカデミー」です。ドナルドの故郷「サンティアゴ・べラグアス」にて、「パナマ・サッカー発展」のためにドナルドが立ち上げた、子供達を対象にした「サッカー教室」です。
     
    ※「ドナルド・ゴンサレス・サッカーアカデミー(Academia De Futbol Donaldo Gonzalez B.)」。

     
     
     この「ドナルド・ゴンサレス・サッカーアカデミー」と、首都(パナマ・シティー)の「とあるサッカーアカデミー」が、この日、サンティアゴ・べラグアスにて、「交流試合」を行なうこととなりました。
     
     
     その「とあるサッカーアカデミー」とは……???
     
     その「とあるサッカーアカデミー」の創設者とは……???
     
     
     実は、あの「世界的」に有名な……、
     
     
     パナマが「世界」に誇る、「偉大」なサッカー選手……、
     
     
     日本でも有名な、「パナマの怪人」こと……、
     
     
     
     
     
     
     「デリー・バルデス」なのです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
     
     
     
     
     ちょっとサッカーの知識がある方なら、この「デリー・バルデス」という名前は、聞いたことがあると思います。パナマ・サッカー史上、最高のプレーヤー…。
     
     実は「デリー・バルデス」は双子の兄弟でして、その内、1人……
     
     「ホルへ・デリー・バルデス」は、日本のJリーグでも大活躍した、双子の「兄」の方にあたります。この「ホルへ」は、1993年に来日してから2003年まで、9シーズン、約8年間、日本でプレー!!「東芝(当時JFL。現在のJ2に相当)」、「セレッソ大阪」、「鳥栖フューチャーズ(現在のサガン鳥栖)」、「コンサドーレ札幌」、「大宮アルディージャ」、「川崎フロンターレ」と6チームを渡り歩き、日本で通算「231試合」に出場!!そして日本での通算ゴール数は、取りも取ったり、驚愕の「194ゴール」!!…「パナマの怪人」と呼ばれて日本のサッカーファンに愛され、日本サッカー界の歴史に残る「外国人助っ人」として、その活躍が、今でも心の中に焼きついている…という人も多いかと思います。僕も、その1人です!!!

     
    ※ドナルド・ゴンサレスと、「デリー・バルデス」兄弟は、親友です。これは、ドナルドが「ホルへ・デリー・バルデス」からもらったという、「鳥栖フューチャーズ」のユニフォームです。


     
    ※「ホルへ・デリー・バルデス」についての詳しい情報は→こちら!!
     
     
     そして、双子の「弟」にあたるのが……
     
     「フリオ・デリー・バルデス」です。この「フリオ」も、メチャクチャ凄いサッカー選手です!!!セリエAの「カリアリ」、フランスの名門クラブ「パリSG(サンジェルマン)」、スペイン・リーグの「オビエド」、「マラガ」など、ヨーロッパ各国で大活躍!!!もしかしたら、世界的には、日本で活躍した「ホルへ」をも凌ぐ知名度かもしれません。
     
     
     
     
     
     そんな「デリー・バルデス」兄弟が、自身のサッカーアカデミーの子供達を引き連れて、親友であるドナルド・ゴンサレスのサッカーアカデミーとの交流試合のために、ここ「サンティアゴ・べラグアス」まで、やって来ると言うのです!!!!!(しかも、首都パナマ・シティーから、バスで4時間かけて!!)
     
     
     
     
     まさか……。
     
     
     あの、伝説の「デリー・バルデス」兄弟に、会える日がくるとは……。
     
     
     信じられない……。
     
     
     「夢」のような話じゃないかーーーーー!!!!!(涙)
     
     
     「パナマ挑戦」……じゃなくて、「パナマ観光」最高!!!!!(笑)
     
     
     
     
     こうして僕は、胸をドキドキ、ワクワク、ピコピコ…させながら、ドナルド・ゴンサレスと共に、「サッカーアカデミー交流試合」の会場に出かけて行きました。そしてそこで、一生、心に残る、素晴らしい体験をすることになるのでした……。
     
     
     
     
     
    ※「ドナルド・ゴンサレス・サッカーアカデミー」の子供達と、記念撮影。

     
     

    ※カメラを前に、はしゃぐ「ドナルド・ゴンサレス・サッカーアカデミー」の子供達!!!元気で可愛いです!!!

     

     
    ※ブラジル代表FWロナウドのそっくりさん!!??「プチ・ロナウド」(←僕が勝手に命名)!!!

     
     
     
    ※「交流試合」前の、ミーティング。子供達に指示を出す、ドナルド・ゴンサレス。ちゃんと聞いてるかぁ~??(笑)

     
     
     
    ※「ドナルド・ゴンサレス・サッカーアカデミー」の集合写真(この他にも、各年代ごとに、たくさんのチームがあります)。右端が、ドナルド・ゴンサレス。

     
     
     
     さあ、準備万端!!!いつでも、かかってこい、「デリー・バルデス」兄弟!!!……じゃなくて、どうぞ、御越し下さいませ、「デリー・バルデス」兄弟様!!!(笑)
     
     
     
     
     ………………………………
     
     
     
     
     
     しかし、肝心の「デリー・バルデス」兄弟は、まだ、やって来ません。子供達も、観客も、今か今かと、「デリー・バルデス」兄弟がやって来るのを、楽しみに待っています!!!「デリー・バルデス」兄弟は、パナマでは「英雄」的存在なのです!!!!
     
     
     
     
     
     ………………………………
     
     
     
     
     
     …………そして………………
     
     
     
     
     
     ついに登場!!!!!「デリー・バルデス」兄弟!!!!!
     
     
     
     
    ※子供達に拍手でお出迎えされる、「デリー・バルデス」兄弟!!真ん中の、赤い帽子をかぶっているのが、弟の「フリオ」(ヨーロッパで活躍)、奥の、赤いバンダナとサングラスをしているのが、兄の「ホルへ」(日本で活躍)です!!!

     
     
     
     
     とうとう、やって来た「デリー・バルデス」兄弟と、そのサッカーアカデミーの子供達に、みんな大興奮!!!僕も大興奮です(笑)!!!フォーー!!!
     
     
     
     
     
     そして、「ドナルド・ゴンサレス・サッカーアカデミー」と、「デリー・バルデス」兄弟のサッカーアカデミーの交流試合が、いよいよスタートしました!!!
     
     
     
    ※「デリー・バルデス」のサッカーアカデミーだけに……名前は「デルバル(DELVAL」です!!

     
     
     
    ※何やら打ち合わせする、「フリオ・デリー・バルデス」(ヨーロッパで活躍した、双子の「弟」の方)と、ドナルド・ゴンサレス…。彼らは「親友」です。だからこそ、今回の「交流試合」が実現したのです。何だか、深い「絆」が、見ている側にも伝わってきます。

     
     
     
    ※子供達の試合を、真剣な眼差しで見つめる、「フリオ・デリー・バルデス」。どうも、この年代は、彼が担当のようです(もう少し上の年代は、兄の「ホルへ」が担当)。

     
     

    ※ドリブルする、「プチ・ロナウド」!!!…けど、彼は「DF」です(笑)。

     
     

    ※犬もサッカー観戦!!「文句あっか!?」(笑)

     
     

    ※なぜか「日本代表」のユニフォームを着た少年が…。どうしてここに「日本代表」のユニフォームがあるんだ!?パナマもホンジュラス同様、「ありえない!!…がある!!」国なのか!?(笑)…何だか、妙に嬉しかったです。しかし、この少年がメチャクチャ生意気な奴で、若干ムカつきました(笑)。

     
     
     
     
    ※ハーフタイム!!!

     
     

    ※試合後の一杯!!コーラを飲む、「プチ・ロナウド」!!お疲れ様!!(それにしても、後ろの兄ちゃんが着ているTシャツがお茶目…)

     
     

     
    ※ついに実現!!「プチ・ロナウド」と、「フリオ・デリー・バルデス」の夢のショット!!さすがの「プチ・ロナウド」も、若干、緊張ぎみ!?

     
     
     
     
     お次は、ちょっと大きめの年代の交流試合…。
     
     
     この年代の「デルバル・サッカーアカデミー」のコーチは、「ホルへ・デリー・バルデス」(日本で活躍した、双子の「兄」の方)です!!!


     
    ※ファンに「笑顔」でサインする、「ホルへ・デリー・バルデス」。

     

     
    ※真剣に指示を出す、「ホルへ・デリー・バルデス」。

     
     
     ちなみに、気になった方もいらっしゃるかもしれませんが、「デルバル・サッカーアカデミー」のユニフォームの背番号…「7-9」というのは、実は、パナマ代表時代に、兄の「ホルへ」(日本で活躍)の背番号が「7」で、弟の「フリオ」(ヨーロッパで活躍)の背番号が「9」だったので、「7-9」…というわけらしいです。何だか、兄弟の深い「絆」と、「背番号」に対する熱いこだわりを感じました。
     
     
    ※これは貴重!!!!!「デリー・バルデス」兄弟、揃い踏み!!!!! この「パナマの怪人」兄弟の2ショット写真は、ネットで探しても、そうそう無いかも……。ちなみにみなさんは、どちらが「フリオ」(ヨーロッパで活躍した「弟」の方)で、どちらが「ホルへ」(日本で活躍した「兄」の方)か、分かりますか?????(「答え」は下に掲載!!!)

     
     「答え」は…。写真、向かって左側が、弟の「フリオ」(ヨーロッパで活躍)、右側が、兄の「ホルへ」(日本で活躍)でした!!! 本当にそっくりですが、「ホルへ」(日本で活躍)の方が、若干、太ってる(筋肉?ゴツイ?)ように見えました。これも「日本食」のおかげ!?(笑)
     
     
     
     …………………………………………
     
     
     
     
     
     こうして「大成功」のまま、「ドナルド・ゴンサレス・サッカーアカデミー」と、「デルバル・サッカーアカデミー」の交流試合は、幕を閉じました。「デリー・バルデス」兄弟に会った感想は最後に書くとして、それ以外にも、子供達の元気で明るい姿や、アカデミーの子供達の親の必死に我が子を応援する姿、サッカーが好きで集まった観客……などなど、見ていて本当に「楽しく」、「清清しい」気持ちになりました。本当にたくさんのことを得られた、素晴らしい1日となりました!!!
     
     
    ※試合後は、ホットドッグ!!!!!美味そう……。

     
     
     
    ※いただきまーーーーーっす!!!!!

     
     
     お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、この日は「デリー・バルデス兄弟が来る!!!」ということで、ホンジュラスで購入した、例の「勝負Tシャツ」を着て、臨みました(笑)。 「自己に調整しなさい」「主権の芸術」!!!!!(笑)
     
     
     
     
     ………………………………………
     
     
     
     
     
     
     まさか、「デリー・バルデス」兄弟に会える日がくるとは、日本に居た時は夢にも思ってませんでした。まず、このような素晴らしい「縁」を与えてくれた神様と、ドナルド・ゴンサレスに、感謝したいと思います。
     
     
     
     そして、やっぱり「笑顔」です。
     
     今回の、このような素晴らしい「縁」は、「笑顔」があったからこそ、導かれたのだと信じています。
     
     実際、このわずか2日前には、僕は「サッカー人生最大の修羅場」を経験し、「サッカー人生最大のカルチャー・ショック」を受けていました。
     
     そこでもし、僕が「落ち込んで」いたら…。「笑顔」を失っていたら…。この日の朝、ドナルド・ゴンサレスから「Yoji、サッカーアカデミーの交流試合に行くか?それとも、家で休んで疲れを癒すか?」と聞かれた際、僕は「家で休んで疲れを癒す」の方を選択していたことでしょう。「デリー・バルデス兄弟に会っても、俺のサッカー面が良くなるわけじゃない。関係ない…」と思っていたはずです。しかし、「これは『パナマ挑戦』じゃなく、『パナマ観光』じゃ!とことん『笑顔』で『楽しんで』やれ!」と気持ちが切り換わっていたからこそ、疲れがある中でも、「サッカーアカデミーの交流試合に行く」の方を選択したのだと、僕は考えています。
     
     
     また、もし仮に「笑顔」を失った状態でも「サッカーアカデミーの交流試合に行く」を選択していたとしても、心から「楽しむ」ことはできなかったはずだし、何より、そんな状態だと「デリー・バルデス」兄弟が、僕に見向きもしてくれなかったと思います。「大物」ほど、「負のオーラ」を嫌い、そして、「負のオーラ」に敏感だと、僕は考えています。この日、「デリー・バルデス」兄弟が、「笑顔」で僕と交流してくれたのは…、それは、僕自身が「笑顔」だったからに違いないと、僕は確信しています。
     
     
     …それにしても、やはり「大物」は「笑顔」も違う!!!!!上の写真や、これから下に掲載する写真を見てもらえれば分かりますが、「デリー・バルデス」兄弟の「笑顔」は、半端じゃありません!!!!!透き通るような、そして、こちらにまで「エネルギー」を与えてくれるような、素晴らしい「笑顔」です!!!!!この「デリー・バルデス」兄弟の「笑顔」には、「笑顔歴5年」(※)の僕も、全く歯が立ちませんでした(笑)。本当、「大物」ほど「笑顔」が素晴らしいんですね!!!それは彼らのような「大物」ほど、「笑顔」の重要性を知っているからだと、僕は思いました。 

    (※)「笑顔歴5年」…僕が本格的に「笑顔」の重要性に気付いたのは、大学卒業後、2002年に中国留学してからです。2002~2007年現在までの「5年間」が、僕の「笑顔歴」…というわけです。
     
     
     
     そして、「オーラ」!!!!!僕はこれまでも「縁」があって、本当にラッキーなことに、いろいろな「大物」に会う機会があったのですが(ボラ・ミルティノビッチなど…。神様に感謝…)、この「デリー・バルデス」兄弟の発する「オーラ」は、その中でも1、2を争うものでした!!! 正直、あまりの「オーラ」のため、最初は、なかなか話しかけられませんでした。理屈ではなく、本当に「オーラ」が出ているんです!!!「成功者」しか持ち得ない、「オーラ」が……。もちろん、「安英学」や、「ドナルド・ゴンサレス」にも「オーラ」はありますが、彼らは僕にとって、あまりに「身近な存在」になり過ぎて、どこからどこまでが「オーラ」なのか、よく分からなくなってしまいました(笑)。それでも、時折、彼らが発する「オーラ」は、やはり常人のものとは、全く異なります。…「成功者」しか持ち得ない「オーラ」を身近で感じれることは、本当に貴重な経験ですし、それだけではなく、「成功者」の「オーラ」を身近で感じることができれば、それを自分の「成功」のエネルギーに変えることもできます。「ラッキーな奴の近くに居ると、自分までラッキーになる」…という原理と同じです。 この日、こうして「デリー・バルデス」兄弟の「オーラ」を身近で感じ、吸収できたことは、自分にとって、本当に「かけがえのない財産」となりました!!!!!
     
     
     
     実は「デリー・バルデス」兄弟…。昨年をもって「現役生活」にピリオドをうち、「引退」しましたが、そこにはこんな「感動」のストーリーがありました。「デリー・バルデス」兄弟…共に「40歳」…。「現役最後」のチームに選んだのは、何と「パナマ1部リーグ」の、しかも彼らの「生まれ故郷(「コロン」という所)」のチームだったのです。これは、中田英寿選手が、現役最後に生まれ故郷のチーム「ヴァンフォーレ甲府」でプレーするようなものです。しかし、そうしなかった中田英寿選手に比べ、この「デリー・バルデス」兄弟は、「現役最後に、故郷への恩返し」を選びました…。素晴らしい話じゃないですか(涙)!!!
     
     今、簡単に「パナマ1部リーグ」と書きましたが、その実態は、こんなまだまだ未熟なサッカー選手である僕をもってしても「サッカー人生最大の修羅場」「サッカー人生最大のカルチャー・ショック」を感じさせたほどです。ましてや「デリー・バルデス」兄弟にとっては、この「パナマ1部リーグ」が、一体、どんなものに感じられたことでしょう???想像すらつきません!!!それでも彼らは「現役最後に、故郷への恩返し」を選択した…。これは「郷土愛」がないと、絶対にできないことです。ちなみに、ドナルド・ゴンサレスも、ホンジュラスで9年間プレーした後、「現役最後」のつもりで、昨年、生まれ故郷の「サンティアゴ・べラグアス」のチームでプレーしました。しかし、前回記事にも書いたように、ドナルド・ゴンサレスの心境が急遽、変わり、「引退」せず、今年、他チームに移籍してしまったのですが…(そのせいで、僕のチャンス消滅!((笑)))
     
     彼らにとって「故郷への恩返し」「郷土愛」は、当然のことなのでしょうか?? しかも「デリー・バルデス」兄弟も、ドナルド・ゴンサレスも、こうして「サッカーアカデミー」まで立ち上げて、パナマ・サッカーの発展、そして、さらなる「故郷への恩返し」に励んでいます。「サッカーアカデミーで得られる収入は、ほとんど無い。かなり自腹を切って運営している」とドナルド・ゴンサレスも言ってました。「自分のため」ではなく、「故郷のため」に…、「与える」精神で…。
     
     引退後、「自分のため」の世界旅行を敢行し、先日、一時帰国したかと思ったら、また「自分のビジネスのため」に旅立って行くという、中田英寿選手とは、何だか対照的です(どちらが正しいとは言えませんが)。日本人はやはり、アメリカ的「個人主義」に汚染され、「郷土愛」を忘れてしまっているのでしょうか?「自分さえ良ければよい」という寂しい思考に、日本人は侵されてしまったのでしょうか??僕は今回、「デリー・バルデス」兄弟に会い、こうしてサッカーアカデミーの交流試合に帯同させてもらい、「郷土愛」の大切さを、改めて感じさせられました。
     
     
     僕も愛する「故郷」で「プロサッカー選手」になり、「故郷への恩返しがしたい」と常に考えていますが、僕の場合、現在のところ、その「故郷」から「必要とされていない」という、悲しい現実にジレンマを感じる日々を送っています(笑)。まあ、今は「故郷」に対して一方的に「愛」を抱く「片思い」の状態ですが(笑)、できれば3年以内に、「デリー・バルデス」や、ドナルド・ゴンサレスのように、「故郷への恩返し」をします!!!必ず!!!
     
     
     
    ※「デルバル・サッカーアカデミー」スタッフの1人、元パナマ代表キャプテン「ペルシバル」。ホンジュラスでのプレー経験もあり!!

     
     
     
     
     
    ※「パナマの怪人」兄弟、弟の「フリオ・デリー・バルデス」(ヨーロッパで活躍) & 兄の「ホルへ・デリー・バルデス」(日本で活躍) !!!

     
     
     ちなみに、「ホルへ・デリー・バルデス」(日本で活躍した、双子の「兄」の方)に関する、裏話…。
     
     今でも「日本」が好きなようで、日本人の僕を見つけるやいなや、「日本語」で話しかけてきてくれましたよ!!!
     
     「コンニチワ!!」
     「アノ キーパー ノ ヒト?(ドナルド・ゴンサレスから、僕の話を聞いていたようです)」
     「キョウ ワ アツイ ネー!!」
     「ニホンゴ ダイタイ ワカル ヨ!!」
     「サッポロ トテモ サムイ!!」
     「8ネン ニホン ニ イタ ヨ!!」
     「シャシン モウ 1カイ?」
     「キ ヲ ツケテ ネ!!」
     「マタ コンド ネ!!」
     「サヨナラ!!」
     
     …などなど、できうる限りの「日本語」を披露してくれました!!日本人としては、本当に嬉しい話ですよね!!そして、日本人に対しては、できるだけ「日本語」でコミュニケーションをとろうとする、その姿勢が素晴らしい!!さすがだ…。…そう言えば、「ジーコ」は20年近くも日本に居たけど、ほとんど「日本語」話せなかったような…(笑)。 アリガトウ ホルヘ・デリー・バルデス!!!!(涙)
     
     
     
    ※パナマ・サッカー界の大御所、勢揃い!!!「パナマの怪人」兄弟に、「パナマ伝説のGK」、「元パナマ代表キャプテン」……そしてそこに、なぜか「ぶち広島人」(笑)。

     
     
     
     
     
     
     
     んんん……。
     
     何か、1つ、忘れているような……。
     
     
     あ!!!!!
     
     
     「犬」!!!!!
     
     
     
     ↓     ↓     ↓     ↓     ↓
     
     
    ※寝てました(笑)。

     
     
     
     
     こうして、一生、心に残る、素晴らしい1日は、幕を閉じました。
     
     
     
     しかしこの後も、全く予想だにしなかった展開が、続いていくのでした……。
     
     
     
     
     
     つづく
     
     

    06 maart

    『パナマ編 ~その1~』 修羅場は「苦しむ」ものではなく、「楽しむ」ものじゃぁ!!!

     

     2007年2月21日(水)  

     こうして僕は、「ホンジュラス→ニカラグア→コスタリカ→パナマ」…と、「4カ国」をまたに掛けた、「人生最大の旅(なのに片道6000円)」を終え、ドナルド・ゴンサレスの待つ、パナマの「Santiago Veraguas(サンティアゴ・べラグアス)」に到着しました。  

     3日間にも及ぶ壮絶な「ティカ・ブス」の旅は、本当に本当に疲れましたが(特に「凍て付くバス」が…)、「飛行機ではなく、バスの旅を選んで正解だった。」と、心から思いました。じっくり時間をかけて、目的地にジワリジワリと近付いていく「楽しさ」がありましたし、その旅の過程で、「オーストリア人との出会い」など、様々なドラマがありましたからね。こういう貴重な経験ができるなんて、「本当に幸せな人生だ。」と思いました。神様、ありがとう!!   

     

     そして、ドナルドとの、1年半ぶりの再会…。これは本当に「感動」しました。「縁」があってマラトンで知り合い、それから1年半後、また「縁」があって、こうしてドナルドの故郷・パナマで再会することができた…。「人生とは、何て素晴らしいんだろう…。」と、感極まる思いでした。

     ※ドナルドの家。「ホンジュラス最強チーム」オリンピアで「7年」、「ホンジュラスで2番目に強いチーム」マラトンで「2年」…合計「9年間」、「ホンジュラスでプレーして建てた家だ。」と、ドナルドは語っていました。正に、僕が最も尊敬し、目標としている存在「ドナルド・ゴンサレス」…。当分は、ここで、ドナルド・ファミリー(ドナルドと奥さん、2人の子供)と生活することになりました。      

     

     

     ※ドナルドと、ドナルドの子供。後ろに顔だけ見えるのが、ドナルドの奥さん。

     

     

     

     

     

     しかしその後、「サッカー人生最大の修羅場」が待ち受けていようとは、この時の僕は、まだ、知る由もなかったのでした………。

     

     

      翌日。

      2007年2月22日(木)

     「パナマ上陸・2日目」

      

     「パナマ上陸」前のドナルドの話では、

      「ドナルドを獲得したいパナマ1部リーグ(パナマ国内最高リーグ)のチームがあるが、ドナルドがそこでプレーする気が無いので、代わりにYojiを推薦する。」

      ……とのことでした。

      しかし、「人生最大の旅(なのに片道6000円)」を終え、「夢」と「希望」をもってパナマに乗り込んできた僕に待っていたのは、全く予想外な展開でした。

      

     実は、ドナルドの「心境」が急遽、変わり、 ドナルド自身が、そのチームでプレーすることを決断……。

      

     「ドナルドを獲得したいパナマ1部リーグのチームで、ドナルド自身がプレーすることが決まっていた。」  

     のです。

     

     えっ!!!!!?????   

     

     つまり、「Yojiをチームに推薦する。」という話は、消滅してしまっていたのです。   

     

     「パナマ上陸・2日目」のこの日、その話を、ドナルド本人より聞かされました。    

     

     こうして、早くも「パナマ1部リーグ挑戦」の扉は、閉ざされてしまったのです。   

     

     

     あまりに突然な話で、状況がよく理解できない僕に、さらなる追い討ちが続きます。

     実は、「パナマ1部リーグ」の開幕は、翌日なのです!!!!!

     よって、

     「もう、ほとんどのチームはチーム構成が決まっていて、これから『外国人GK』が必要なチームを探すのは、極めて難しい。せめて、あと1ヶ月は早く、Yojiがパナマに来ていれば……おそらく、チームはすぐ見つかっただろうに……(ドナルド談)」  

     という状況に追い込まれました。   

     

     簡単に説明すると、

     「4カ国をまたに掛けた『人生最大の旅』をして、やっとの思いでパナマに上陸してみると、すでにチャンスは消滅していた。」  

     という状況です。

     

     これには、「笑顔」と「人生を楽しむ」がモットーの僕も、さすがに言葉を失いました。  

     

     しかし、「サッカー人生最大の修羅場」は、こんなものでは終わりませんでした。     

     

     

      ドナルドの故郷・サンティアゴ・べラグアスには、「パナマ1部リーグ」のチームがあるとのことです。チーム名は「Atletico Veraguense(アトレティコ・べラグエンセ)」。ドナルドが、アトレティコ・べラグエンセの会長に直接、聞いたところ「これ以上、GKは必要ない。」とのことで、このチームも僕が契約できる可能性は無いのですが、せっかくパナマまで来たので、「『パナマ1部リーグ 』がどんなものか??」……練習参加してみることになりました。  

     

     しかし、僕はそこで、「サッカー人生最大のカルチャー・ショック」を受けることになるのでした……。  

     

     ~~その日の、Yojiの日記には……~~

     「2007年2月22日(木)パナマ上陸・2日目。……とんでもない1日となった。午前にドナルドから「チャンス消滅」の話を聞かされ、それでも午後に、一応、『パナマ1部リーグ(パナマ国内最高リーグ)』がどんなものか……『アトレティコ・べラグエンセ』というチームの練習に参加したのだが……。正直、カルチャー・ショックを受けた。まず、驚くほどに、レベルが低かった。これは、ホンジュラスの3部リーグのレベルと変わらないのでは!!??さらには、環境の悪さも、想像を遥かに超えていた。空気が入ってないボール、炎天下の中、水分補給の水さえ準備されていない……。そして、1番の問題は、フィールドだ。凸凹のズタボロ……。とてもサッカーができるようなフィールドではなかった。これでは、セービングが命のGKは、まともな練習さえできない。今日は軽めの練習で、しかも、フィールドの、それでもまだ芝の状態がマシな部分を使ってGK練習したが、それだけで、スパッツとGKパンツが破れた。レベルの低さや、その他は何とか我慢できても、このフィールドの悪さは、さすがに耐えられない…と思った。いや、『耐えられない』というより、これではGK練習ができない。怪我をしてしまう……。(つづく)」  

     

     まさに、「サッカー人生最大の修羅場」でした。  

     

      「パナマ1部リーグ(パナマ国内最高リーグ)」のレベルに関しては、中米で1,2を争う「サッカー伝統国」であるホンジュラスのリーグに比べて、「若干、レベルが劣る。」とは聞いてましたが、まさか、これほどまでとは、さすがに思ってもみませんでした。「これは、ホンジュラスの3部リーグ、いや、アメリカの4部リーグよりも、レベルが落ちるのでは!?」…と、衝撃を受けました。しかも、この日、練習参加した「アトレティコ・べラグエンセ」というチームは、それでも昨年、「パナマ1部リーグ」の中で、4強の一角に食い込むほどの実力を持っていたそうです。これで…??信じられない……。僕には、このチームが「プロ」には、とても見えませんでした。

     

     そして、その「サッカー環境」の劣悪さです。これまでの僕のブログを読んで下さっている方ならお分かりかと思いますが、僕はホンジュラスにて、「犬、馬、牛が乱入するフィールド」「15度、傾いたフィールド」「馬糞だらけのフィールド」……などなど、ありとあらゆる「劣悪な環境」を経験し、それを乗り越えてきた人間です。そんな僕が「耐えられない。」「さすがに、ここでは練習できない。怪我をする。」と思ったのです。この日の「サッカー環境」が、どれほど、凄まじい「修羅場」であったかは、それだけで想像していただけるのではないかと思います。   

     

     「パナマ上陸」前に、「夢」と「希望」をもって想像していた、「パナマ1部リーグ(パナマ国内最高リーグ)」とは、あまりにもかけ離れた現実……。それをこうして目の当たりにし、さすがの僕も、「サッカー人生最大のカルチャー・ショック」を受けずにはいられませんでした。「人生最大の旅(なのに片道6000円)」の疲労も、そのショックを増大させました。

     

      ~~その日の、Yojiの日記…(つづき)~~  

     「……今日は正直、『日本に帰りたい。』と、本気で思った。仮に『契約したい。』というチームがパナマで現れても、サインせずに、日本に帰りたくなるほどの心境だった。」   

     

     

     …………………………………………………

     

     

     「とうとう、ここまできたか…。」と思いました。  

     

     僕は以前からブログに書いてきたように、「ジャマイカ挑戦」の途中から、「流れ」と「タイミング」が微妙に噛み合ってないのを、肌で感じていました。「流れ」と「タイミング」が悪いのに、「成功」するなんて、不可能です。だから、この3ヶ月間は、本気で「今は、日本に帰国して、静養すべきか??」と、度々、考えてきました。

     それでも結局は日本に帰国せず、「ジャマイカ挑戦」の後は、「ホンジュラス1部リーグ」のチーム「ウニベルシダ」の練習に参加し、今回は「パナマ挑戦」に踏み切りました。もちろん、やるからには「必ず成功してやる!」と思ってやってきましたが………行き着いた先は………

     

      「サッカー人生最大の修羅場」  

     

     だったのです。

     

     「『流れ』と『タイミング』が悪い時に行動しても、良い結果は出ない……いや、むしろ、状況を悪化させることさえある………。」  

     

     これは、やはり本当でした。今回、僕は、自分の身をもって「人生の実験」を行い(「流れ」「タイミング」が悪い中でも、「挑戦」「行動」を続け)、そのことが、はっきりしました。   

     

     「ジャマイカ挑戦」の途中から続く、「流れ」と「タイミング」の悪さ、噛み合わない歯車……。いや、もっと言えば、2005年12月にレンカと契約した後から起こった、1年間にも及ぶ泥沼化した「書類問題」(結局、解決しなかった)などを経ての、今回、パナマで味わった、「サッカー人生最大の修羅場」……。  

     

     この日、僕は、本気で、

     

      「これは神様が、『日本に帰れ。』と言っているのではないだろうか?……いや、もしかしたら神様は、『もう、サッカー辞めろ。』と言っているのではないだろうか?」  

     

     と、真剣に考えました。  

     

     

     「ジャマイカ挑戦」は、自分自身が本当に「やりたい」と思えることだったからこそ、最後の最後まで…「リミット0日間」という絶体絶命の状況に陥っても、挑戦し続けることができました。実際、その中で数え切れないほどのものを得て、可能性も「1%」残しました。

     

      「ジャマイカ挑戦」の後、「ホンジュラス1部リーグ」のチーム「ウニベルシダ」に練習参加した時も、すでに合流した時には「外国人GK」が他に居て、僕が契約できる可能性は「0%」に近かったけど、自分自身が本当に「やりたい」と思えることだったからこそ、また、「成長できる」と思えるものがそこにはあったからこそ、最後の最後まで、挑戦し続けることができました。 それで実際、かなり成長することができましたし、得るものもたくさんありました。

     

     しかし、今回の「パナマ挑戦」に関しては、上陸してみたら「チャンス」がすでに消滅していた上に、どう考えても、自分自身が「やりたい」と思えるような場所ではありませんでした。「成功」のキーポイントは、自分自身が「やりたい」と思えることかどうかです。「やりたい」と思えないことには、さすがの僕でも挑戦することはできません(ましてや、チャンスすら消滅していて、挑戦することさえできない)。    

     

     

     ………………………………………………………

     

     

     僕は、今回の「パナマ挑戦」に、「終止符」を打つことを決断しました。  

     

     

     パナマに上陸してから、わずかに「2日目」の出来事でした。  

     

     しかし、僕はそれでも、今回「パナマ挑戦」に踏み切って正解だったと、心から思いました。なぜなら、こうして実際、パナマに上陸していなければ、パナマ・サッカーの実態も分からなかったわけで、一生「ああ、やっぱパナマに挑戦していれば…。」と気になっていた可能性もあったからです。もう、パナマ・サッカーの実態が分かったので、心置きなく日本に帰れます。それに、今回こうして「パナマ挑戦」に踏み切ったことで、「人生最大の旅(なのに片道6000円)」や、「ドナルドとの1年半ぶりの感動の再会」など、数々の貴重な体験ができました。僕は、それだけでも、「パナマに来た価値は充分にあった…。」と、本当に「幸せ」を感じています。 

     

     

     ………………………………………………………  

     

     

     ………………………………………………  

     

     

      ………………………………………     

     

     

     ここまできたら、もう開き直って、作戦変更です。

     

     当初の目的、「パナマ挑戦」から……… 

     

     「パナマ観光」に、目的を変更しました!!!!!  

     

     こうなったら、パナマでサッカーするのはもうやめて、とことん、パナマでの生活を楽しんでやろうと…。

     

     せっかくパナマに来たんだから、2,3週間、いろんなところを観光して………   

     

     

     

     そして………    

     

     

     

     日本に帰ろうと………。    

     

     

     僕は「サッカーを生きている。」のではなく、「人生を生きている。」と思っています。  

     だから、例え「サッカー」でうまくいかないことがあっても、今、目の前で起こっていること……パナマに「縁」があって来て、ドナルドと1年半ぶりの「感動」の再会を果たし、日本に居ては絶対に有り得ない、数々の貴重な体験をしていることに、心から「幸せ」を感じ、「楽しみ」ます。「サッカー」でうまくいかないことがあって、そのせいで、人生に「幸せ」を感じることができず、「楽しめ」ないようになったら…、人生をだいぶ損しているような気がして仕方がないのです。「サッカー」以外にも、「人生」には、こんなにも素晴らしいことがたくさんあるのですから……。   

     

     それに、これまでの人生の中で、本当にありとあらゆる「修羅場」を経験してきましたから、もう何が起こっても、一晩寝れば、気持ちが切り換わっている自分がいます。どんな状況に陥ろうと、「苦しむ」のではなく、自然と「楽しんでいる」自分がいます。まあ、いろんなことが起これば起こるほど、ブログのネタにもなりますからね(笑)。  

     

     

     修羅場は「苦しむ」ものではなく、「楽しむ」ものじゃぁ!!!!!  

     

     

     

     そしてこの後、この「楽しむ」心が、思いもよらない「縁」を、また引き寄せていくのでした………。     

     

     

     

     つづく

    01 maart

    「人生最大の旅」(なのに片道6000円)!ホンジュラス→ニカラグア→コスタリカ→パナマ…「夢」を追い求めて。

     
     2007年2月19日(月)
     
     「ジャマイカ挑戦」から2ヵ月…。僕はまた「新たな挑戦」に向けて、旅立つこととなりました。今回の最終目的地は「パナマ」。さあ、いよいよ、「ホンジュラス→ニカラグア→コスタリカ→パナマ」と、4カ国をまたに掛けた、「人生最大の旅」が始まります(なのに片道6000円)。
     
     
     「夢」を追い求めて……。
     
     
    ※スタート地点は、ホンジュラスの首都「Tegucigalpa(テグシガルパ)」…。まず、最初の目的地は、ホンジュラスとニカラグアの「国境線」です!!
     
     
     ちなみに、写真右下に表示されている時刻は、「パナマ時間」なので、実際はこれより、「1時間遅れ」です(ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカでは)。だから、上の写真だと、実際は「7時51分」ということになります。
     
     
    ※これが噂の(?)「TICA BUS(ティカ・ブス)」!!この「ティカ・ブス」が、今回、僕をパナマまで連れて行ってくれるのです(片道6000円)。ちなみにスペイン語では、「BUS」と書いて「ブス」と発音します。日本人女性にとっては、何だか感じが悪いですね(笑)。ちなみに僕が右手に持っている物体は、「乗り物用枕」です。安眠!!
     
     
     
     
     
     
     
     朝9時に、ホンジュラスの首都テグシガルパを出発してから、約2時間半後……。ついに、ホンジュラスとニカラグアの「国境線」に到着!!!
     
     
    ※僕の後ろに見える「線」が、ホンジュラスとニカラグアの「国境線」です!!!「線」より向こう(トラックが並んでる方)が、ホンジュラスです。…ちなみに、「『ジャマイカ行き』の時と、同じ服装じゃないか!」というツッコミは無しにして下さい(笑)。もともと日本からこっちに服は持ってきておらず、このパーカーは、「ジャマイカ行き」の前、なぜか寒かったので、急遽、ホンジュラスで購入したものです。このパーカーが、現在、僕が持っている「唯一」の、「寒さ対策」の服なのです(涙)。
     
     
    ※僕の後ろに見える「線」の向こう側が、ニカラグアです。
     
     
    ※「国境線」でチェックされる、Yojiのカバン。簡単なチェックのみでした。
     
     
    ※ホンジュラス紙幣「Lempira(レンピーラ)」から、ニカラグア紙幣「Cordoba(コルドバ)」に両替!!
     
     
    ※これが、ニカラグア紙幣「コルドバ」です。
     
     
    ※「ホンジュラス・ニカラグア」の「国境線」での入国審査を無事、済ませ、今度は、ニカラグアの首都「マナグア」目指して出発!!!!
     
     
     
     
     
     
     ……ちなみに、「ホンジュラス→ニカラグア」間のバスの中では、隣の席は……「おっちゃん」でした(笑)。まあ、「人生そんなもの」です(笑)。けど、凄く楽しかったです!!!
     
     
     
     
     
     
     「ホンジュラス・ニカラグア」の「国境線」を超えてから、約5時間後……。
     
     
     ついに、ニカラグアの首都「マナグア」に到着!!!
     
     今夜は、「ティカ・ブス」が経営する、「ホテル・ティカ・ブス」で一泊します。その価格が何と………
     
     
     「500円」!!!!!!!!!!!!
     
     一泊「500円」!!!!!安い!!!!
     
     それにしても、旅の先々にこうして「ホテル・ティカ・ブス」まで設けて、「よく考えられた、おもしろいビジネスだな~。」…と勉強になりました。
     
     
    ※これが、ニカラグアの「ホテル・ティカ・ブス」です!!このホテルは、「ティカ・ブス」停留所と全く同じ場所にあり、次の日、早朝のバスで「コスタリカ」に行かなければならない僕のような客にとっては、便利この上ないのです。本当に、よく考えられたビジネスだ…。感心!!
     
     
    ※ニカラグア料理!!!上の、ハンバーグのような料理が、半端じゃなく美味しかったです!!!ホンジュラス料理とは、また微妙に違うけど、中米料理は、本当に美味しいです!!!
     
     
    ※ニカラグア!!!!
     
     
    ※「ホテル・ティカ・ブス」内で、こんな可愛い犬と遭遇!!
     
     
    ※「一泊500円」の部屋には、TVはもちろん、トイレもシャワーも、何もありません。あるのは、小さな部屋にベッドただ1つのみ!!!けど、これでイイんです!!!(ちなみに、部屋の外に、共同のトイレ、シャワーが設置されています。)
     
     
     
     
     
     こうして、一晩を「ホテル・ティカ・ブス」で過ごし…………
     
     
     
     2007年2月20日(火)
     
     「人生最大の旅」…「2日目」
     
     早朝6時……。ニカラグアの首都「マナグア」から、次にまず目指すのは、ニカラグアとコスタリカの「国境線」です!!!
     
     
    ※「人生最大の旅」、2日目。辺りはまだ、真っ暗…。さあ、出発じゃ!!! さらば、ニカラグアの首都「マナグア」!!!
     
     
    ※「ティカ・ブス」爆走中!!ニカラグアの朝日!!(まだ、ニカラグアです。)
     
     
    ※「ティカ・ブス」、ニカラグアの田舎町を爆走中!!!
     
     
     
     
     すると、急に、「ティカ・ブス」が止まりました……。そして、「ティカ・ブス」運転手と、警察官が、バスの外に出て行きます。何やら、タダごとではない様子…。「ティカ・ブス」内に、緊張が走ります……。
     
     
     
     
      そして……………。
     
     
     
     
     ↓          ↓           ↓           ↓            ↓
     
     「ティカ・ブス」運転手と、警察官…、仲良く「マンゴー狩り」!!(笑)ワーーーィ♪♪♪(笑) おいっ!!!!!(笑) ……って言うか警察官、それって「泥棒」と同じでは!?(笑)
     
     
     
     「マンゴー狩り」も無事、終わり(笑)、再び、「ティカ・ブス」爆走!!!!!
     
     
    ※「ニカラグア→コスタリカ」間のバスの中では、隣の席は、「エライ美人な、ねーちゃん」でした。しかし、この「エライ美人な、ねーちゃん」は、コスタリカに到着するなり、彼氏と思われる人物に、物凄い勢いで抱きついていきました。  ……「人生そんなもの」です(笑)。
     
     
     
     
     
     
     
     ニカラグアの首都「マナグア」を出発してから、約3時間…。ついに、「ニカラグア・コスタリカ」の「国境線」に到着!!!!!!
     
     
     
    ※今度は、ニカラグア紙幣「コルドバ」から、コスタリカ紙幣「Colon(コロン)」に両替!!!毎日毎日、違う国の紙幣に両替なんて、生まれて初めての経験です!!凄く貴重な経験になりました。(写真は、両替屋)。
     
     
    ※これが、コスタリカ紙幣「コロン」です!!!
     
     
    ※「ニカラグア・コスタリカ」の「国境線」にて。疲れ果てた、おばちゃん(笑)。元気出せよーー!!!(笑)
     
     
    ※オレンジを食べる、少年。
     
     
    ※コスタリカ入国審査。ニカラグア入国審査よりは、若干、厳しい審査でした。
     
     
     
     
     
     コスタリカへの入国審査の際、それまで同じバスに乗っていた香港人が、入国手続きのトラブルで、「ティカ・ブス」から追い出されました。アイヨ!!同じアジアの仲間が、ここで脱落……。しかし、僕は無事、入国審査を終え、コスタリカ入国です!!!!!一安心…。
     
     
     
    ※さらば「香港人」……(涙)。君の分も……。さあ、次なる目的地、コスタリカの首都「サン・ホセ」に向けて出発!!!!!(写真は、「ティカ・ブス」内の様子。)
     
     
     
     
     
     
     
     「ニカラグア・コスタリカ」の「国境線」を出発し、再び「ティカ・ブス」が爆走すること、約5時間……(一体、何時間バスに乗ってんじゃ!?)。
     
     
     
     
     とうとう、コスタリカの首都「サン・ホセ」に到着!!!!!!!!!!!
     
     
    ※やっとコスタリカの首都「サン・ホセ」に到着して、みんな一安心…。真ん中に見える欧米人(手を上げている人と、その隣の、こちらを向いている人)は、ポーランドからの旅行者です。
     
     
     
     この日はホテルには泊まらず、そのまま深夜のバスに乗って、「パナマ」を目指すことになりました。
     
     ここで偶然、オーストリアからの旅行者と遭遇!!どうやら彼も、「ティカ・ブス」に乗って、今夜「パナマ」に行くらしい…。彼はスペイン語が話せないので、英語で話しかけてみると、嬉しかったのか、畳み掛けるように英語で話しかけてきました(笑)。結局、このオーストリア人と、深夜バス出発までの待ち時間…実に「5時間(!)」、喫茶店で、語りまくりました。
     
     
    ※オーストリア人旅行者、クリストフ。オーストリアと言えば、サッカー日本代表の宮本選手、三都主選手が移籍して話題になっている「ザルツブルグ」です。……が、残念ながら、クリストフは宮本選手のことも、三都主選手のことも知りませんでした。…しかし、話が「オシム」のことになると…「え!?オシム、今、日本で監督してるの!!??」と驚いていました。どうも、オーストリアでは、本当に「オシム」は有名みたいです。…ちなみに、「ザルツブルグ」ですが、昨年まで、ホンジュラス代表のマイノル・スアソという選手がプレーしていました。さらには、以前、ホンジュラスには、「ザルツブルグ」が設立した兄弟チーム「ホンジュラス・ザルツブルグ」というチームが存在したのですが、資金難により、わずか2年で潰れてしまいました(笑)。また、この「ホンジュラス・ザルツブルグ」というチームのホーム・タウンは、「レンカ」のホーム・タウンと同様、「プログレッソ」で、「ホンジュラス・ザルツブルグ」が潰れた後は、たくさんの元ホンジュラス・ザルツブルグ選手達が、「レンカ」でプレーすることになりました。おもろい、「縁」です。
     
     
    ※クリストフと語った、コスタリカの首都「サン・ホセ」の、とある喫茶店にて。陳列された「卵」ですが、よく見ると…。下の方がブッ壊れています(笑)。
     
     
     
     
     クリストフと5時間、ぶっ通しで語りまくり、次なるバス「コスタリカ→パナマ」…の出発時刻が、あっという間にやってきました。
     
     深夜22時…。次なる目的地は、「コスタリカ・パナマ」の「国境線」です。さらば、コスタリカの首都「サン・ホセ」!!!!!
     
     
     
     
     
     …深夜のコスタリカの街を爆走する、「ティカ・ブス」…。今夜は、バスの中で一夜を過ごします。
     
     
     それにしても…・。バスの中が、尋常じゃないほど、「寒い」!!!!!エアコンが、この世のモノとは思えないほど、効きまくっている!!!!!乗客全員が、凍えるような寒さに震えながらの、長時間の「コスタリカ→パナマ」バスの旅となりました。このエアコンの寒さは、真冬の「ハルピン」以上でした…。しかし、運転手にそれを伝えると「んー、暑い暑い!!!」と言われてしまいました。どうも、運転席では、全くエアコンが効いてなかったようです。とほほ……。
     
     
     
     
     
     こうして、コスタリカの首都「サン・ホセ」を出発してから、約7時間……(どんだけバスに乗ってんじゃい!?)。凍て付くような寒さのバスの中で一晩を過ごし………
     
     
     
     2007年2月21日(水)
     
     「人生最大の旅」…「3日目」
     
     
     午前5時。
     
     ようやく、「コスタリカ・パナマ」の「国境線」に到着!!!!!!
     
     地獄のような寒さのバスの中から、ついに、「外界」の空気に触れる瞬間がやってきました(笑)。あと1時間遅かったら、バスの中で凍え死んでいるところでした。
     
     
    ※とりあえず、冷えに冷え切った体を、「中米コーヒー」で温めます。…至福の瞬間!!!!目の下のクマと、充血した目、ボーボーの寝癖が、「凍て付くバス」の中での死闘を如実に物語っています…。
     
     
    ※パナマ入国審査。辺りはまだ、真っ暗です。みんな、本当にお疲れ様でした。
     
     
    ※入国審査の後に、さらに入国審査。パナマ入国審査は、ニカラグア、コスタリカと比べて、遥かに厳しかったです。
     
     
     
     パナマ入国審査の際、帰りのチケットを持っていなかったため、1度は入国を拒否されてしまいました。ピンチ!!…しかし、急遽、「入国許可証(?)」なるものを「500円(!)」で購入し、何とかかんとか、無事、パナマへ入国できました!!…ちなみに、僕の「入国許可証」は500円でしたが、中には、5000円払っている人もいました。その違いが何なのかは、未だによく分かりませんが、とりあえず、500円で済んで、本当にラッキーでした!!!!!
     
     
     
     
     
     パナマ入国審査を無事、終え、ついに最終目的地……ドナルド・ゴンサレスが待つ、パナマの「Santiago Veraguas(サンティアゴ・べラグアス)」という町に向けて、出発します。さあ、いよいよ、あとわずかで到着じゃ!!!!!!
     
     
     
     
     
     
     
     
     
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     そして…………、
     
     
     
     
     
     ついに…………、
     
     
     
     
     
     
     「コスタリカ・パナマ」の「国境線」を出発してから、約5時間…………、
     
     
     ホンジュラスを出発してから、「3日目」……………、
     
     
     
     
     
     とうとう、ドナルド・ゴンサレスの待つ、「サンティアゴ・べラグアス」に到着しました!!!!!!!!!!!!!
     
     
     
     
    ※やっとやっと、やーーーーっと、ここまで辿り着いた!!!!ドナルド・ゴンサレスと、実に約1年半ぶりの再会!!!!!感動!!!(涙)
     
     
     
     
     
     こうして、「ホンジュラス→ニカラグア→コスタリカ→パナマ」と、4カ国をまたに掛けた、実に「3日間」にも及ぶ、長い長い「人生最大の旅(なのに片道6000円)」を終え、僕は、ドナルドが待つ、パナマのサンティアゴ・べラグアスに到着したのでした。
     
     
     
     ついに、やって来た、パナマ……。
     
     
     
     ドナルドとの、実に1年半ぶりの、感動の再会……。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     しかし、この後、ここパナマで、「サッカー人生最大の修羅場」が待ち受けていようとは、この時の僕は、まだ知る由もなかったのでした……。
     
     
     
     
     
     
     つづく