| Profiel van Yamano★★★「26歳」からのプロサッカー人生!不可能を...Foto'sWeblogLijsten | Help |
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19 februari チャンスは「苦しむ」ものではなく、「楽しむ」もの。さあ、パナマへ出発じゃ!!! 現在、僕は「南京」に居ます。
……え!?ホンジュラスじゃないの!? パナマじゃないの!!?
…実はこの1ヶ月と2週間、ホンジュラスの首都テグシガルパにある、中国人が経営する「ホテル南京」という場所で生活してきました。…それも一応、今日で終わりになります…。なぜなら僕は、明日、「パナマ」に旅立つからです。
僕と中国との「縁」は、やはり「切っても切れないもの」だと、再確認しました。世界中、どこに行っても、必ず「中国人」が目の前に現われるのです(笑)。今回などは、ホンジュラスに居るのに、「ホテル南京」に住んでましたからね(笑)。何という「縁」でしょう!!
※「ホテル南京」の経営者の、中国人家族。僕も「家族」のように良くしてもらいました。世界の中で、また1つ「家族」が増えました。毎日、この「ホテル南京」1階の中華レストランで食事をとっていましたが、ホンジュラスの中華レストランは、「本場、中国の中華料理」とは全く味が違いまして、「ホンジュラス人用の中華料理」が作られています。しかし、このホテルの中国人家族は、自分達の食事の時のみ「本場、中国の中華料理」を作るので、僕が「そっち(本場、中国の中華料理)の方を売ってくれよ!!」…と頼むと、「いやいや、私達が(本場、中国の中華料理を)料理する時は、君にもタダでご馳走してあげるよ。」と言われ、下の写真のように、ご馳走してもらったのです。非常感謝!!!(涙)…ちなみに「ホテル南京」という名前ですが、彼らは「香港人」です(笑)。「香港人」なのに、「ホテル南京」…!?わけ分かりません(笑)。しかも、彼らは「広東語」を話すので、中国で学んだ「北京語」は使えませんでした(スペイン語でコミュニケーション)。けど、物凄く良い人達でした。感謝、感謝、感謝、感謝、感謝…(涙)。
※おととい行なわれた、「ホテル南京」長男の誕生パーティー!!
みなさんも、ホンジュラスの首都テグシガルパにお越しの際は、ぜひ、「ホテル南京」にて、ご宿泊下さい(笑)。
さて、ドナルドから「誘いの言葉」を受けてから、5日間が経過しました。
明日、僕はパナマに旅立ちます。
「飛行機」で…………ではありません。
「バス」でです!!!!
下の地図(左側)をご覧下さい。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
上の地図にあるように、ホンジュラスから「バス」でパナマに行くためには、何と「ニカラグア」→「コスタリカ」…と、2カ国を渡らなければなりません!!実に、2~3日間かかります!!前代未聞の経験です!!…しかし「バス」だと、2カ国を渡るのに、片道たったの「6000円」しか、かかりません!!安い!!
…はたして、どうなることやら…。しかし、こんな経験、めったにできません。昔、「あいのり」というTV番組が大好きで「出演してみたい。」…と思っていましたが、「バスで国境を越える。」…なんて、まるで「あいのり」じゃないですか!!…また1つ、「夢」が叶いました(笑)。しかし、隣の席が「おっちゃん」だったら…「夢の終焉」を意味します(笑)。…いやいや、僕の「夢」は、「サッカー日本代表」じゃないかー!!(笑) しっかりしろ、Yoji!!(笑)
そんなこんなで、今日、1日中かけて、荷造りを行いました。やはり僕は、荷造りをするのが、相当、遅いようです(笑)。荷造りしてる途中に、昔の漫画を見つけて、見入ってしまうタイプなんです(笑)。しかし、どうにかこうにか、荷造りも終わりました!!
※荷造りを開始して、3時間半…。まだ、こんな状態でした(笑)。
※なぜかカバンが1つ増えてます(笑)。ホンジュラスでも、ジャマイカでも、行くところ行くところで、いろんな人から、いろんなモノをもらったので、いつの間にか、こんなになっちゃいました(笑)。
※僕の「勝負シューズ」。実はこのシューズ、2001年・大学4年生時、当時チームメイトの安英学の友達の在日朝鮮人の方から譲り受けまして、それが、こうして「6年間」経った今でも、僕の「勝負シューズ」として活躍してくれているのです。「6年間」、雨の日も、風の日も、フィールドに馬が乱入した日も(笑)、徹底して使い続けてきたのに、まだ、こんなにも良い状態を保っています。正に「魂」が詰まった「奇跡」のシューズです!!感謝、感謝、感謝、感謝、感謝…(涙)。
また、昨日、テグシガルパの街で、こんなTシャツを発見しました。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「自己に調整しなさい」!!!!!??????? 「主権の芸術」!!!!!!?????????
気に入った!!!(笑) 即購入しました(笑)。このTシャツは、今回の「パナマ行き」の「勝負服」になることでしょう(笑)。…それにしても…。確かに、間違った「日本語」ではないけれど…何だか不思議な日本語…。なぜ、こんなモノがホンジュラスに!?…最後の最後まで「ありえない!…がある、ホンジュラス」でした(笑)。
※これは、僕が大学1年生の時(1998年)から、現在(2007年)までの「9年間」、ただの1日も欠かすことなく書き続けてきた、「日記」です。何と何と、我が故郷・広島の「世界遺産」…「厳島神社の大鳥居」です!!!!実はこれも、ホンジュラスで購入したのです!!!!なぜ「厳島神社の大鳥居」のノートが、ホンジュラスで売られているのか!?僕は、「縁」を感じずにはいられませんでした。まさか、こんなモノまでホンジュラスにあるとは……。本当に、ビックリするような「ありえない!!」モノが、ホンジュラスには存在するのです…。 僕は毎晩、日記を書く時、この「厳島神社の大鳥居」を見て、故郷・広島を思い出し、エネルギーを充電するのです……。
明日からの「2カ国越えバスの旅」で、一体、何が待っているのか…?
「パナマ」で一体、何が待っているのか…?
全く、想像がつきません。
しかし、チャンスとは「苦しむ」ものではなく、「楽しむ」ものだと、僕は思います。…いや、最近、そう思うようになりました。
楽しんでいた時に舞い込んできたチャンスなのですから、とことん「楽しむ」のみです。
これまで「縁」があって、本当にたくさんの国々を渡り歩いてきました。
中にはそんな僕を見て「また、違う国に行くのか!?」と言ってくる人もいます。
しかし、そういう人達の声は、全く気になりません。僕は、自分の信じた道を進むのみです。
今、思えば、あの「ジャマイカ行き」が本当に大きかったです。「ジャマイカ行き」により、それまでレンカという小さな小さな「殻」の中に閉じこめられていた自分の「セルフ・イメージ」を復活させ、「自信」が回復した…。これがあったからこそ、今回の「パナマ行き」のチャンスが転がり込んできたのだと思ってます。「セルフ・イメージ」と「自信」は、人間の全てを決めると言っても過言ではありません。
また、「日本に帰るか?ホンジュラスに残るか?」…ほんの3週間前まで葛藤してましたが、「今回は」、結果的に、「ホンジュラスに残る。」を選択して、正解でした。ウニベルシダで1ヶ月と2週間トレーニングを積んだことで、今の僕は、心身共に、「ジャマイカ行き」の時、以上に良い状態です。
僕の「目的」は、「世界を渡り歩くこと」ではありません。別に趣味も、「世界を渡り歩くこと」ではありません。
僕の目的は、ただ1つ……………
「サッカー日本代表になること。」
……これだけです。日本代表になって、これまでお世話になった、故郷・日本に、恩返しがしたい………これが僕の「夢」です。
この「夢」を実現させるためなら……、この「夢」を実現させる可能性が「1%」でもあるなら……、この「情熱」が続く限りは………、僕は「宇宙」にだって行くでしょう。
そして、「笑顔」です。
僕は「笑顔」で生きたいのです。そして、周りの人もみんな「笑顔」で、「笑顔」に囲まれて生きたいのです。
そのために、チャンスで「苦しむ」のではなく、「楽しむ」のです。
「笑顔」で「楽しめた」なら、「結果」は自ずとついてくると信じています。
目の前に、同じ味のラーメン屋が2軒あったとして、1つは、店員が「苦しみ」「悲壮感」に溢れているラーメン屋、もう1つは、店員が「笑顔」「楽しみ」に溢れているラーメン屋……どちらをお客は選ぶでしょうか???僕なら、「笑顔」「楽しみ」に溢れたラーメン屋を選びます。
また、目の前に、「大変キレイな景色」が広がっていたとしても、もし、自分が「苦しみ」「悲壮感」に溢れていたなら、おそらく、その「大変キレイな景色」を見ても、何も感じないでしょう。…僕は、そうはなりたくないのです。「大変キレイな景色」を見たら、「フォーーーー、何てキレイなんじゃーー!!!」って、心の底から「感動」「幸せ」を感じたいのです。…だから、僕は「笑顔」で、「楽しみ」ながら、前に進んでいきます。
笑う門には福来る!!!!!!!!!!!!!
さあ、新たな「冒険」の始まりです!!!!!!
※「自己に調整しなさい」「主権の芸術」Tシャツを着て……。さあ、旅立ちじゃ!!!! 行ってきま~~~す ♪♪♪
15 februari 「縁」「友情」「絆」「感動」「感謝」…突然、転がってきた、予想外の「チャンス」。 ウニベルシダでの練習参加も、1ヶ月を超えました。
契約できる可能性は、0%に近い…。
それでも僕は、「契約」とか「結果」とかにこだわらず、ただ「サッカーが好きだから」「サッカーが楽しいから」…無心で、自然体で、練習を「楽しむ」日々を過ごしてきました。
「無心」な時…。
「自然体」な時…。
そして「笑顔」で「楽しんでいる」時…。
人間には、想像だにしない「チャンス」が転がってくるものなんだな~………と、今日、改めて実感しました。
昼に、ネットを開きました。
すると、ある人物から、すぐメッセンジャーで話しかけられました。
元パナマ代表GKにして、元マラトンGK………
ドナルド・ゴンサレスでした。
※2005年7月。マラトン練習生時代。ドナルドとの2ショット。
※マラトンの練習風景。一番左の、赤い帽子をかぶっているのが、ドナルドです。僕は真ん中に居ます。
彼は僕にこう、言いました。
「Yoji、パナマに来い。Yojiをパナマ1部リーグのチームに是非、紹介したい」
…この言葉を受けた時、僕の中で「電流」が走りました。「鳥肌」が立ちました。
実はドナルド、もう半年以上も前から、「Yoji、パナマでプレーしろ」と、僕を誘ってくれてました。
しかし、まだレンカと契約していたり、「ジャマイカ行き」を選択したりして、このドナルドの誘いを断ってきました。
僕の中では、「パナマ行き」の誘いを断り、「ジャマイカ行き」を選択した時点で、もう、「ドナルドから誘われることは無い」と思っていました。それくらいの覚悟をもって、ジャマイカに行きました。
…しかし、このドナルドは、まだ、未だに、僕に声をかけてくれたのです。
僕は「感動」しました。涙が出そうになりました。
考えてもみて下さい。
僕がドナルドと知り合ったのは、もう1年半以上も前のことです。
しかも僕はその時、正式な契約選手ではなく、単なる、「練習生」という立場に過ぎませんでした。マラトンで練習生としてプレーした期間も、わずかに「2ヶ月間」でした。その後、2部のチームを渡り歩き、書類問題に苦しみ出場機会すら得られない…………そんな僕に、ドナルドは未だに関心を持ち、声をかけてくれたのです。
こんなに、「ありがたい」「幸せ」なことがあるでしょうか??
ドナルドは、元パナマ代表の正GKです。日本で言うところの、川口能活選手のような存在です。現在のパナマ代表GKも「尊敬するGKはドナルド」と言うほどのプレーヤーです。パナマでは、知らない人がいないほどの、凄い人物です。
そんな彼が、「練習生」として、たった「2ヶ月間」しか一緒にプレーしなかった…、しかも、その後「2部リーグ」で、さらには「書類問題」で「出場機会」すら得られなかった僕に、「可能性」を感じ、「実力」を評価し、誘いの声をかけてくれた……。この半年間で、2度も誘いを断っているのに、まだ、僕に声をかけてくれた……。
僕の心は決まりました。
僕は、今までのサッカー人生の中で出合ったGKの中で、ドナルドは「最高のGK」だと思っているし、人間的にも、「最高の人物」だと尊敬の念を抱いています。
(ドナルドに関する詳しいエピソードを書いた過去ブログは、こちらから…「大舞台で大爆発した『人間性』。ホンジュラス・ナショナルリーグ・ファイナル『マラトンVSオリンピア』」)
今回の話の詳しい事情を説明すると、ドナルドが僕を紹介したいチームは、実は、「ドナルド獲得」が目的だったのです。しかし、当のドナルドは、現在、そのチームに移籍することができない状況…。そこでドナルドは、自らの代わりに、「Yojiを紹介する」という選択をとったのです。つまり、ドナルドは自らの代わりに、僕に白羽の矢を立てたということです。僕は、自分の最も「尊敬」するGKから、自らの「代役」として「推薦」されたのです。
もう、感無量です…。涙が出そうです。
ジャマイカでも、現在、練習参加してるホンジュラスのチームでも、自分を助けてくれる人物がいなくて、なかなか自分をストレートに評価してもらえず、いろいろ苦しい経験もしました。しかし、ドナルドほどの人物が、「本気で助けたい」と言ってくれているのなら、これほど僕にとって、心強いものはありません。そして、こんなに幸せなこともありません。
おそらく、今、世界中を探しても、こんなチャンスは無いだろうと直感しました。
ドナルドと巡り合った、不思議な「縁」…。
そして、共有した時間は短かったけど、そこで培った「友情」と「絆」……。
それらがもたらした、「感動」の展開……。
そういうチャンスをもたらしてくれたドナルド、サポート、応援してくれた親、友人、知り合い…全ての人に対する「感謝」の気持ち……。
僕はパナマに旅立つことを決意しました。
本来なら、「今は何か新しいことにチャレンジする流れではない」と思っていましたが、そういうの全てを超越するほどの、今回の「チャンス」でした。
今、思えば、以前、ホンジュラスから日本に送った「カフェ・ウェルチェス」が、「パナマでトラブルに遭って、到着が遅れた」…という「前代未聞」の出来事も、神様が僕の目を「パナマ」に向けさせるための、天からの啓示だったのかもしれません。
早ければ今週末、来週あたりに、僕はパナマに旅立つでしょう……。
※新聞記事内での、ドナルドとの2ショット。
※ホンジュラス・ナショナルリーグ・ファイナルで、PKをストップしたドナルド。
※ナショナル・リーグ・ファイナルでMVP級の活躍をしたドナルドを称える新聞記事。
※これは、今週の新聞記事に載った、意味不明な写真。もちろん、ドナルドではありません(笑)。誤解なさらないように(笑)。誰かは不明。昔、「少年ジャンプ」で連載されていた、「変態仮面」の原型でしょうか??(笑) ちなみに、この写真をここに掲載した意味はありません。ただ、おもろい写真が見つかったので、どうしても掲載したかっただけです(笑)。
09 februari オシムは本当に凄いのか!?&日本代表歴代最高監督は……??
日本マスコミお得意の「監督の神格化」が、また始まりました……。 オシムが今、日本で、まるで「神様」かのように崇められています。 確かにオシムは素晴らしい監督だと思います。ジェフ千葉ファンの僕としては、そのことがよく分かります。オシムの能力に、疑いの余地は無い…。ただ、世間一般でよく言われる言葉、「毎年、J1残留争いをしていたジェフが、オシムが監督になってから、優勝争いをするまでに成長した。」……これはちょっと違うと思うんです。 …実はジェフは、オシムが来る2年前から、すでに「J1残留争い」をするチームから脱却し、「優勝争い」をするようになっていました。僕の記憶が正しければ、確か、オシムが来る2年前のベルデニック監督の時、ファーストステージで「2位」に入っています。 …つまり、「毎年、J1残留争いをしていたジェフが、オシムが来てから、突然、優勝争いをするまでのチームに変貌した。」というのは、正しい表現ではありません。実は、すでにオシムが来る前から、ジェフは「変貌」の兆しを見せていました。もちろん、そこにオシムが来て、さらに強くしたのは事実だけど、オシムが来る前から、ジェフはすでに強くなっていたのも、これまた事実です(ただ、その事実は、全くと言って良いほど、語られていません)。 つまり、ジェフを、本当の意味で「弱小」から「強豪」に変えた監督は、オシムではなく、その2年前に就任したベルデニック監督だったのです。僕はジェフ・ファン暦14年なんで、そのことがよく分かります。 だから僕にとっては、オシムより、本当の意味で「弱小から強豪」に変えてみせたベルデニック監督の方が、インパクトが強かったです。オシムは確かに凄い監督だけど、すでに強くなっていたジェフに、後からやって来ただけですからね。
最近、ネットのスポーツ記事を見ていたら、どうもしっくりこない文章が書いてありました。大雑把にその内容を言うと、 「オシムもトルシエも、協会や選手の予想が付かないビックリ行動をとるが、トルシエのそれは、単なる自己権力のひけらかしであるから納得できないが、オシムのそれは、日本の未来を見据えたものだから賛同できる……。」 …要するに、「同じようなことをやっても、オシムなら許せるが、トルシエがやるとムカつく。」…といった内容です。 こんな不条理なことがあっても良いのでしょうか??なぜオシムなら良くて、トルシエなら駄目なのか? 例えば、オシムは、代表メンバーをわざと10何人しか招集しなかったり、代表メンバー発表を遅らせたり、深夜に練習したり、自己流を貫きまくって、協会やその他、関係者をかなり困惑させ、迷惑をかけているけど、不思議と批判の声は出てきません。同じ行動をトルシエがとっていたなら…きっと、協会やマスコミから、袋たたきにあったことでしょう(笑)。
…トルシエは、日本代表の歴代監督の中では、文句なしに「最高」の監督だと思います。彼の残した成績が、動かぬ証拠として、それを物語っています。 「ユース代表」、「オリンピック代表」、「フル代表」と、3つのカテゴリーの監督を同時に務めただけでも凄いことなのに、その3つの全てのカテゴリーにおいて、日本サッカー界の歴史上、最高の成績を残しました。 ユース代表は、Wユース杯で「準優勝(それまでの最高はベスト8)」、オリンピックは「ベスト8(『プロ選手参加OK』になってから、日本がグループリーグを突破したのは、トルシエが初めて)」、W杯では、「ベスト16」に入っています。……どれか1つを成し遂げるだけでも、とんでもないことなのに、トルシエはそれを「3つ」もやってのけたのです。これは、「超」物凄いことです!!!!ちなみにトルシエはアジア杯も優勝していますが、ジーコの優勝とは違い、「圧倒的強さ」で、優勝しています。当初は、「トルシエでは絶対に結果を残せない。」とボロカスに批判しまくっていたマスコミやサッカー評論家ですが、こうして、ことごとく結果を残したトルシエに対して、一体どういう反応をするのかな~??…と思っていたら、自分達の「批評」は外れていたのに、謝罪の一言もありませんでした。「マスコミやサッカー評論家は無責任だな~。」と感じずにはいられませんでした。
しかも信じられないことに、トルシエが残した結果には、必ずケチが付いたのです。 「もともと才能ある選手が揃ったチームを任せられたのだから、トルシエが凄いというより、選手が凄かった。」 「アジア杯は、あの時は、アジアのレベルが凄く低い時代だった。」 「W杯では、トルシエの指示を無視して闘った、選手の勝利。」 ……などなど、マスコミやサッカー評論家たちは、どうしても、トルシエの快挙を認めようとしませんでした。(まあ、トルシエの「快挙」を認めた時点で、自分達の「批評」が間違っていたことまで、認めることになりますからね。)…しかし、上記したどの批判も、的を得てないと思います。 「もともと才能のある選手が揃ったチームを任せられたのだから、トルシエが凄いというより、選手が凄かった。」……まるで、誰が監督でも同じ結果が出せたみたいな言い方だけど、それが間違っていることは、昨年(2006年)のW杯で証明されたばかりです。トルシエ時代の才能溢れる選手を大量に使い、しかも、それらの選手が「ピーク」の状態で迎えた昨年のW杯で、日本はボロ負けしました。…つまり「やっぱりトルシエは凄かった。」ということになります。ちなみに、2002年のW杯では、トルシエが中村俊輔選手を外したことで、当時、マスコミやサッカー評論家からボロかすに叩かれましたが、昨年のW杯を見てみると、中村選手は体調不良に陥って、全く活躍できませんでした。トルシエは4年前、すでに、中村選手のそういう弱い面を見抜いていたことになります。だから外した…。4年たって、改めてトルシエの決断の凄さを、思い知らされた感がします。 ※「トルシエ監督、代表メンバー選考基準&中村俊輔選手を外した理由」…驚愕のインタビュー映像!!…これを見た時、僕はトルシエの思考の深さに、ど肝を抜かれました!!→「http://www.youtube.com/watch?v=WLygmV_vKqM&search=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E5%86%8D%E7%94%9F%E8%A8%88%E7%94%BB%20%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%20%E5%86%8D%E7%94%9F%E8%A8%88%E7%94%BB%20%E6%83%A8%E6%95%97%20%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E9%9D%99%E5%B2%A1%20%E9%A2%A8%E9%96%93%E5%85%AB%E5%AE%8F%20%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E9%9B%85%E5%8F%B2%20%E9%87%8E%E6%B4%B2%20%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BD%B3%E5%8F%B8%20%E4%BC%8A%E8%97%A4%E7%BF%94%20%E6%9F%BF%E8%B0%B7%E6%9B%9C%E4%B8%80%E6%9C%97%20%E6%B0%B4%E6%B2%BC%E5%AE%8F%E5%A4%AA%20%E5%B0%8F%E9%87%8E%E4%BC%B8%E4%BA%8C%20%E6%B8%85%E6%B0%B4%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0」
「…あの時(トルシエの時)のアジアのレベルが低かったから、トルシエが余裕でアジア杯制覇できたのも当然。」……これも、おかしいです。そんな、4年そこらで、アジアのレベルが急に上がったり、下がったり、するのでしょうか?「ドラゴンボール」の戦闘力じゃないんですから(笑)、新しい時代の方がいつでも「レベルが高い」とは一概には言い切れません。トルシエの時、アジアのレベルが低く見えたのは、それは、トルシエのチームが、本当に、圧倒的に強かったからだと思います。…逆に今のオシム・ジャパンは、アジアのレベルでも苦戦しているように見えます。
「W杯では、トルシエの指示を無視して闘った、選手の勝利。」……よく「トルシエは選手を戦術で縛った。」と言われますが、もともとトルシエも、基本的な「フラット3」という戦術を選手に徹底させましたが、その上で、その戦術の殻を打ち破るくらいの、「自発的プレー」を、選手に求めていました。だから、2002年のW杯で、選手がトルシエの指示を聞かず、自分達の考えで臨機応変に闘ったのが事実なら、これもトルシエの指導の成果の一つだと言えると思います。
トルシエは、「日本サッカー界最高の功労者」と言っても、過言ではありません。そんな「功労者」に対して、我々、日本人の反応は、あまりに冷た過ぎではないでしょうか? なぜ、トルシエは評価されないのでしょうか? 僕はその理由の一つに、「日本人は、ブランド物が好きだから。」が上げられるんじゃないかなと思います。 …ジーコは「ブランド」としては、最高でした。だから、最初はこれまた「神格化」されました。オシムも、16年前に、旧ユーゴを「W杯ベスト8」に導いた…という「ブランド」を持っています。では、トルシエは?? トルシエは、日本に来る前は主に、アフリカの国々で指揮をとっていました。そこで「白い呪術師」と言われるほどの実績を残していましたが、「アフリカ」は、「ブランド」としては、弱い……。だからトルシエには、就任当初から、すでにケチが付いていました。最初から「神格化」されたジーコやオシムとは、エライ違いです。「ヨーロッパ」や「南米」という「ブランド」にはとことん弱く、すぐに崇拝したがる傾向がある日本人ですが、こと、「アフリカ」や「北中米カリブ海地区」「アジア諸国」辺りになると、逆に見下してしまう傾向にあるようです。これは本当にいけません!!!…ちなみに、日本では「神格化」されているオシムですが、ホンジュラスで「オシム」を知っている人は、おそらく誰もいません(笑)。ジーコは有名ですが…。何せホンジュラスでは「ジーコ・サンダル」が売られているくらいですからね(笑)。
※レンカ時代のチームメイト。マックス…。見よ、この肉体!!
※「レンカのマッチョマン」の異名をとる、マックスですが………
※履いているのは、「ジーコ・サンダル」(笑)。
98年のフランスW杯では、マスコミ、評論家は、日本と同じグループに入ったジャマイカに対して、根拠も無いのに「参加国中最弱」のレッテルを貼り、「絶対、日本は勝てる。」と騒ぎ立てました。…しかし、結局、勝ったのはジャマイカでした。…ということは、実は「参加国中最弱」だったのは、日本だったということになるのです。ジャマイカを見下していた人々は、この事実をどう受け止めるのか? 日本人は、「ブランド」にとらわれず、物事の本質をちゃんと見抜かなくてはいけないと思います。マスコミや評論家の猛烈なトルシエ・バッシングの中でも、ちゃんと、日本サッカー界に多大なる功績を残してくれたトルシエに対して、日本人は感謝しなくてはならないと思います。おそらく、トルシエが日本で成し遂げた数々の「偉業」は、今後、当分、達成不可能だと思います。正直、オシムでも、トルシエと同等の功績を残すことは「不可能」でしょう。 近い将来、いかにトルシエが成し遂げたことが凄かったか、その功績が「伝説」になる日がくると思います。 物事の本質をちゃんと見抜いて、感謝するべき人物には、ちゃんと感謝しなければなりません。まだ何も結果を残してないオシムに感謝している場合じゃないですよ(笑)。だから、ここで一言…… 「トルシエさん、日本サッカー界に多大なる功績を残してくれて、本当に本当にありがとうございました!!!僕は一生、あなたの残した功績を忘れません!!!」
……さて、ちょっと暴走しましたが(笑)、一方の現日本代表監督のオシムですが、先日、またしても「代表メンバー召集」の発表を遅らせ、Jリーグ各チーム、はたまた日本サッカー協会に、多大なる「迷惑」をかけています。なぜだか世間では、そういうわがままな言動まで「オシム流」で済まされていますが、決められた期日以内に、しっかり代表召集メンバーを決めるのも、プロとして当然の役割ではないでしょうか??それとオシムは、日本マスコミへの対応、態度が、少々、日本をバカにしているように、僕の目には見えるのですが、みなさんはどう思うでしょう??記者の質問をはぐらかすような言動も、世間一般では「オシム流」で済まされていますが、これで良いのでしょうか?例えば、「今日の試合についてどう思うか?」と記者から聞かれて、「じゃあ、あなたは、どう思うんだ??」と逆に記者に言い返したり……これは、質問の返答になってません。また、試合前は「負けた方が良い。」みたいなことを言ったりしてますが、これも「負けた時の予防線。」を張ってるように僕には見えるし、実際、負ける…もしくは、格下相手にヒドイ内容の試合をしたら、「フィールドが凸凹だったから…。」と言い訳してるし…。こういう言動が「オシム流」「オシム語録」として、むしろ賞賛すらされるのだから、オシムの態度も、どんどん傲慢になっていくのではないでしょうか?
今日のネット記事によると、今年の「アジア杯」の「ノルマ」は、「ベスト3」…と、日本サッカー協会から発表があったようです。 随分、オシムには甘いんですね(笑)。 「アジア杯」は、現在、2連覇中なんです!!!アジアの誇りをかけた闘いです!!!W杯とは、また別次元の、極めて大事な大会だと、僕は思っています。あのジーコ・ジャパンですら、優勝している大会を、「ノルマはベスト3」だなんて……。これではオシムは、また若手を起用して、負けたら「2010年のための良い経験に…。」って言い訳が出てきますよ!!!!…トルシエの時なんか、「アジア杯で優勝できなければ、更迭。」という、ムチャクチャ厳しい条件を突きつけられていたんですよ!!!…そんな中、「圧倒的強さ」で優勝した、トルシエ……やはり、タダモノではありません!!!
オシムは、「日本代表歴代最高監督」であるトルシエに、少しでも近づけるのか??? まずは、アジア杯……。
当然、「優勝」=「3連覇」を成し遂げてくれると、信じてます。
もし、それが、できなければ………
日本代表監督の座は、セルジオ越後に交代でしょう(笑笑)。
ちゃんちゃん。 03 februari 「ALWAYS 三丁目の夕日」 先日、日本の実家から送られてきた荷物の中に、「ALWAYS 三丁目の夕日」…という映画のDVDが入っていました。「金曜ロードショー」で放送されたものを、録画したようです。
ジェフ千葉ファンの僕に、「浦和レッズ優勝記念」の本を送ってくるなど、その「センス」に疑問符の付く親ですが(笑)、今回のこの、「ALWAYS 三丁目の夕日」は、予想外の大ヒットでした!!!!!
これは、おもろい!!!!!!
久々に、胸を熱くする映画でした!!!!!
思えば、僕が少年時代というのは、「近未来」をテーマにした映画や漫画が多かったような気がします。当時の人々は、「近未来」に対する「憧れ」が、物凄く強かったんだと思います。「ドラえもん」が、その典型例ですよね。逆に、「崩壊した近未来」をテーマにした作品も多かったように思います。「北斗の拳」や「ターミネーター」などが、それに当たると思います。
僕も小さい頃、「近未来」に対して、凄く興味と憧れを持っていました。しかし、実際、今、「近未来」になってみると、確かに「物質的」には豊かになりましたが、「心」の部分が貧しくなり、「人と人との人間らしい交流」も減り、「笑顔」になろうにも、なかなかなれない、何だか、心にポッカリ穴が開いてしまったような……そんな「閉鎖的」な空気が、日本を包み込んでしまったかのように思います。僕は中国留学から一時日本に帰国した際、東京の電車に乗って、乗客の死んだような表情を見た時、本当に寂しくなりました。
しかし……。
日本にも、毎日が「活気」に溢れ、「夢」と「希望」と「感動」に満ちていた時代があったんですね!!!!
「ALWAYS 三丁目の夕日」を見て、改めてそう思いました!!!!
この映画の中で、印象に残っているシーンはたくさんあるのですが、特に印象に残っているシーンや言葉は………
~その1~ ……「ライスカレー」……昔は、「カレーライス」のことを、「ライスカレー」って呼んでいたんですね!!
~その2~ ……「ビルジング」………「ビルディング」のことを、「ビルジング」って呼んでいたんですね!!確か、小さい頃、おじいちゃんから「戦争中は、外来語を使ってはいけなかった。」と聞いたことがあります。車の部品の名前…「ハンドル」って言葉だって使ってはいけず、日本語で表現していたとか…。そんな中、戦後からこのように「外来語」が使われ始め、人々は混乱しながらも外来語を話し、今とはまた違った発音で呼ばれていたのか~…と、勝手に当時の情景を想像してしまいました。
~その3~ ……「テレビ初登場」……テレビの初登場はもちろんのこと、そのテレビ一台に、近所の人達が全員集まって、食い入るように見つめている光景が、印象に残りました。あの頃は、こうやって近所の人との「距離」が近かったんだな~…と思いました。これがもし、今の時代なら、テレビを手に入れても、近所の人には内緒で、こっそり自分の部屋に閉じこもって見るのでは……??…などと、想像しました。「家族」はもちろん、「近所の人々」「地域」などの、「共同体」としての「信頼感」「友情」なども、あの時代には存在したんですね!!…アメリカの悪影響を受けたかのような、現代日本の「個人主義的社会」とは、全く違う、「人情」溢れる「人と人との交流」に、感動しました。
~その4~ ……「夫に敬語を使う、奥さん。」……「鈴木オート」の社長の奥さんは、社長(夫)に対して、敬語を使っていました。昔の夫婦は、こういう感じだったのでしょうか??それくらい、家の中で「父権」が強く存在したんですね。
~その5~ ……「頑固オヤジ」……「鈴木オート」の社長さんが、ブチキレるシーンがたびたび出てきました。あれは、「昭和の頑固オヤジ」を表現していたんだと思います。そう言えば、僕の父も、昔はよくブチキレていました(笑)。僕の中では、自分の父は、「鈴木オート」の社長の20倍は怖かったです(涙)。「鈴木オート」社長の子供は、まだ普段は普通に父と交流できていますが、僕の父は、あまりに怖くて「悪魔」に見えて、話しかけることさえできなかったほどです(涙)。小さい頃、ファミコンしている最中、兄とケンカになってしまい、それに父がブチキレ、ファミコンのコードを引きちぎってしまったことがありました。しかしその後、そのファミコンがいとこから借りたものであったため、父は夜な夜な、ファミコンを自力で修理し、引きちぎったコードを、つなげてしまいました。ファミコンを壊すのも「ありえない」ですが、壊したファミコンを自力で直すのも「ありえない」と思いました(笑)。また小学時代、夏休みの宿題帳を父と共に勉強していた時、隣に座っている父のあまりの「プレッシャー」のため、問題がなかなか解けなかったら、「こんな問題もできんのかーー!!!」とブチキレ、宿題帳を真っ二つに引き裂いてしまいました。そして、父の言い残したセリフは、「学校の先生には、妹(当時まだ赤ちゃん)が宿題帳を破ってしまった…と言え。」…でした(笑)。当時の僕には、父が「鬼」に見えました(涙)。しかし、当時、赤ちゃんだった妹に、あの宿題帳を真っ二つに引き裂くほどの力が無いことは、どんな人でも、冷静に考えれば分かるはずです(笑)。また、近年になり、妹にこの話をしたところ「父さん、ヒドイ!」と怒っていました(笑)。…まあ、もう時効ですかね?(笑)
そう言えば、普段は温厚なおじいちゃんも、たまに怒ると、手が付けられませんでした。幼少時代、「温厚」なおじいちゃんと車に乗っていた際、僕が不覚にも「放屁」してしまい、それに対しておじいちゃんが、いきなりそれまでの「笑顔」が豹変して「鬼」の形相になり、
「何、下品なことしとるんじゃーーーーー!!!!出て行け!!!!」
と、車の外に放り出されそうになったことがありました(笑)。けど、当時、おじいちゃんがよく「放屁」しているところを目撃していた僕は、「何でワシだけが…。」と思ったものです(笑)。また、そのおじいちゃんの「放屁」に関して、小学生の頃、毎日、学校の先生に提出していた日記に、「僕のおじいちゃん。」という題名で、「おじいちゃんの屁は凄いです。」と、「ぶーぶぶぶぶぶぶーぶぶぶーぶぶぶぶー……」と、屁の効果音だけで、ほぼ丸々1ページ書いて、学校の先生に提出したところ、それを見たおじいちゃんは、「あんた、日記にはそんなこと書きんさんなや!!」と、怒る…というより、恥ずかしがっていました(笑)。ちなみに、「僕のおばあちゃん。」「僕のお父さん。」という題名の日記も書き、同様に、「屁」にまつわる話を書きました(笑)。「その中でも、特におじいちゃんの屁が凄いです。」ということを強調して書きました(笑)。家族はみんな怒っていました(笑)。
その父とおじいちゃんが、一度、取っ組み合いのケンカをしたことがあって、幼少時代の僕の目には、まるで「ゴジラVSキングギドラ」の対決に見えました。もはや、誰にも止めることができません(笑)。ただただ、とばっちりを受けないよう、部屋の片隅に隠れるしかありませんでした(笑)。
……話は少しそれましたが(笑)、父も、おじいちゃんも、良くも悪くも、典型的な「昭和の頑固オヤジ」だったのかもしれないな……と、この映画を見て、少し納得しました。……あまり怒り過ぎるのもどうかと思いますが(笑)、前述した「父権」は、ある程度、あった方が、一本スジが通った家族になるのかな~…とも思いました。「祖父権」もそうです。現代社会のように、夫も、子供も、父も、母も、じいちゃんばあちゃんも…「友達」のような関係なのも、良し悪しかもしれないな~…と感じました。ある程度の「父権」プラス、家族間での、強い「絆」と「信頼関係」が大切なんだな~…と、この映画を見て、改めて思いました。
~その6~ ……「ドア開けっ放しで寝ている。」……「茶川先生」は、ドアを開けっ放しで寝ていました。現代の日本では、考えられないことです。鍵をかけていたって、ドアを壊して家に侵入して、犯罪を犯す人が多発しています。しかし、昔は、「ドア開けっ放しで寝ている。」…でも、大丈夫だったんですね!!「世界一安全な日本」という神話は、本当だったんですね!!!…今の日本は、一体、どうしてこんなになってしまったのでしょうか??
~その7~ ……「田舎のことを、『国』と言う。」……「国に帰ってしまえ!!」「お国の言葉は大事にしなさい。」…田舎のことを、「国」と言ってました。当時の人にとっては、東京と、その他の地方というのは、正に「海外」くらい、別世界の感覚だったんですかね??僕も大学入学に伴い、初めて東京に行った時は、「東京は異世界じゃ。周りの人間は、全員、敵じゃ。油断してると、やられる…。」くらいの気持ちをもっていたものです(笑)。当時の人は、その時の僕以上の感情をもっていたのでしょう。
この映画を見て感じた、当時の日本の「エネルギー」や、「人と人との、人間らしい交流」、「笑顔」、「情熱」、「絆」、「夢」、「感動」……などは、僕が中国やホンジュラスで感じたものと、似たところがありました。…しかし、似てはいても、やはり違いますね。やっぱり日本は、他のどの国とも違う、日本独自の、素晴らしい魅力があることを、この映画を見て再確認しました!!!
「近未来」をテーマにした映画や漫画が多かった一時期に比べ、近年は、この「ALWAYS 三丁目の夕日」を始め、「パッチギ」や、その他たくさんの、「戦中・戦後・高度成長期」をテーマにした作品が増えていると思います。これは、「現在の日本人は、『物質的』豊かさだけが、『幸せ』なのではなく、『家族の絆』や『心』の大切さに、気付き始めている。」…という、証拠なのかもしれませんね。だから「戦中・戦後・高度成長期」の映画が必要とされ、人気が出ているのでしょうね。僕も含め、日本人はここにきて、大切な「何か」に気付き始めているのかもしれません……。だからこそ、日本の将来は明るいはずです!!…そうだと、信じています!!
いつまでも、「あの頃は良かった…。」と懐古的(回顧的?)になってばかりではいけませんが、当時の良かったところから、いろいろ学びとり、未来の日本に生かしていくことは、大事だと思います。
いや~、熱く、おもろい映画でした!!!
※「ALWAYS 中国の夕日」。
※「ALWAYS アメリカの夕日」。
※「ALWAYS ジャマイカの夕日」
※「Sometimes ホンジュラス・ろうそくの火」
注)ホンジュラスでは時々、停電になります(貧しい国なので、節電のため?写真は、電気会社に電線を切られた時のもの…)。
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